抗争無情 六
「いいか、殺るのは録次郎と……質屋の秀次だ。録次郎は俺が殺る。お前らは、秀次を殺れ」
鉄は皆を見回し、重々しい口調で言った。
仕掛屋の面々は隼人と沙羅の家に集まり、仕事の打ち合わせをしている。皆、神妙な表情で鉄の話を聞いていた。
だが、それも当然だろう。何せ、今回の相手は別格である。質屋の秀次といえば江戸の裏社会の大物であり、龍牙会ですら一目置く存在なのだから。
そんな大物を殺らなくてはならない状況にも関わらず、仕掛屋の面子は一人足りなかった……。
「ところで、市はどうしたんだ? 呼ばなかったのか?」
隼人の問いに、中村左内が顔を上げる。
「あいつは、今回は外す。万が一ってことがあるからな。俺たちだけで仕留めるぞ」
そう言った時、小吉が顔をしかめて立ち上がった。
「あ、あのさあ……実は俺、市に言っちゃったんだよね……今日、集まることをさ――」
「んだと!? どういうことだ!」
血相を変え、小吉の襟首を掴む左内。
「だ、だってしょうがないじゃん! あいつ、いきなり俺んちに来て、正直に言わないと殺す……なんて言ってたからさ、仕方なしに教えちゃったんだよ!」
開き直ったのか、小吉は大声で怒鳴り散らした。
左内は舌打ちし、腹立ちまぎれに小吉を突き飛ばした。小吉は、よろけてその場に倒れる。
その時、隼人が声を発した。
「ちょっと待て。誰かが、こっちに近づいて来てる」
「んだと……」
鉄は、戸口から外の様子を窺う。直後、その顔が歪んだ。
「市だ」
やがて戸が開き、市が姿を現した。その表情は、普段と何ら変わらない。
「仕事の話だってのに、俺だけ仲間外れとは冷たい話だな。まあ、いいや。今から、俺も入れてくれよ」
「お前、今回は外れろ」
左内は冷たく言い放つ。すると、市は目を細めた。
「嫌だね。俺は今、仕事がしたい気分なんだよ」
「ふざけてんのか? 普段は、安い仕事はしねえ……なんて言ってるくせによ。いいから、今回は降りろ」
有無を言わさぬ左内の言葉。だが、市の方にも引く気配がない。鋭い目で左内を睨み付けた。
「相手が、質屋の秀次だからか?」
「知ってたのか。ああ、その通りだよ。今回の標的は、質屋の秀次……お前の、義理の父親だ。だから、お前を外す――」
「だからこそ、俺の手助けが必要じゃねえのかい」
その時、鉄が横から口を挟んだ。
「八丁堀、秀次は大物だ。腕の立つ用心棒だって連れているし、奴自身も修羅場を潜ってる。簡単には殺れねえぞ……となると、市にも手伝わせた方がいいんじゃねえか?」
その言葉を聞いた左内は、じっと市を見つめる。市の様子は、いつもと代わりない。
だが、市は自己中心的な男だ。いざとなれば、仕掛屋より自身の都合を優先する。ましてや、今回は義理の父親が相手だ。仕掛屋を裏切ることも、充分に考えられた。
だからこそ、今回は市を外すつもりだったのに。
左内はもう一度、市の顔を見つめた。彼の顔は、普段と変わりない。冷たい表情のまま、左内を見つめ返す。
いや、普段と違う部分がある……市の目からは、強い意思が感じられた。
左内はため息を吐き、仕方なさそうに頷いた。
「分かった。その代わり、下手を打ったら……俺がお前を殺す」
・・・
録次郎は、根っからの遊び人である。表稼業を持たず、昼間から賭場や女郎屋などに入り浸っていた……あくまでも、金のある時だけだが。
その日、録次郎は懐が暖かかった。昼間から賭場をうろつき、散財する……結果、有り金は残らず消えてしまった。
そうなると、当然ながら気分は悪い。ふてくされた顔つきで、町を徘徊していた。
その時、すれ違いざまに肩をぶつけて来た者がいる。録次郎は、きっと睨みつけた。
「おい、何しやがる!」
怒鳴ったが、相手は彼の声を無視して歩いて行く。見れば小柄な若い男だ。こんな奴なら、簡単に叩きのめせる。ついでに、有り金残らず奪ってやろう……録次郎は、後を追いかけて行った。
若者は足早に歩き、路地裏へと入っていく。録次郎にとって好都合だ。人目が無ければ、多少の無茶も可能である……彼は、若者を捕らえようと腕を伸ばす。
だが、その腕を何者かに掴まれる。と同時に、手首が砕かれた――
「い、いでえぇ!」
思わず声を上げる録次郎。だが、そこで終わりではなかった。さらに、彼の首に腕が巻きつく。
直後、その首はへし折られた。
「勘助、お前の仇は討ったぜ……」
・・・
夜の帳が落ちる頃、秀次はひとけの無い林道を歩いていた。傍らには、用心棒の浪人がいる。名は風倉小十郎、かつては剣術師範を務めるほどの男であったが……酒と女で身を持ち崩した。とは言え、その腕は全く衰えていない。今も鍛練を欠かさず、秀次の命令とあらば何人でも斬ってきたのだ。
そんな二人が、何ゆえにひとけの無い夜道を歩いているのかと言えば……それは、ある人物と会うためであった。
市が、仕掛屋の元締を連れてくる……そう、伝えてきたのである。
「秀次さん、市は本当に連れてくるのか?」
風倉は、この話が未だに信用できていないらしい。だが、秀次は余裕の表情である。
「大丈夫だ。市も、今の俺を敵に回すほど馬鹿じゃねえだろ。やっと奴も、誰に付けば得か分かってきたんだよ」
言いながら、歩いていく秀次。だが、風倉が彼の腕を掴んだ。
「ちょっと待って下さい。妙な気配がします」
そう言うと、風倉は腰の刀を抜く。険しい表情で、周囲を見回した。
がさり、という音。その直後、小柄な男が藪の中から出て来た。分銅の付いた鎖を手に、じっとこちらを見つめている。
その体からは、殺気が漂っていた――
・・・
隼人は鎖を振り回した。びゅんびゅん音を立てる鎖を、彼は玩具のように自在に操る。それを見た風倉は刀を構え、じりじりと横に回る。
直後、隼人の手が動く。それに反応し、風倉の刀も動いた。投げられた鎖を、刀で叩き落とそうとしたのだ。
しかし、鎖は投げられていなかった。隼人の動きに惑わされていたのだ。風倉は顔をしかめ、隼人を睨む。
その時、遠くから声が聞こえた。
「お前ら! 何をやってんだ!」
怒鳴りながら、乱入してきた者がいる。その男は、秀次の腕を掴んだ。
「秀次さん! ひとまず逃げるとしましょう!」
「ひとまずこっちへ! さあ、早く!」
言いながら、秀次の腕を引っぱる。秀次は、あまりに突然のことに乱入者を睨みつけた。
だが、彼の顔は驚愕のあまり歪む。その相手は、同心の中村左内だったからだ……。
「秀次さん! 今は逃げましょう! 江戸の民の命を守るのが私の仕事、まずはあなたを助けるのが先決です! 早く、この場を離れましょう!」
有無を言わさぬ勢いで、左内は秀次を引きずって行く。いくら昼行灯とはいえ、相手は役人である。秀次は、従うより無かった。
一方、用心棒の風倉はちらりと秀次らを見る。いったい、あの同心は何だったのか――
だが、それは取り返しのつかない過ちであった。一瞬の隙を突き、隼人の手から鎖が放たれる。鎖は風倉の足首に絡みついた。
直後、隼人は一気に引いた――
片足の自由を奪われ、風倉は慌てた。倒れるのを防ぐため、刀を地面に突き立てる。
風倉はたったひとつの武器を失い、完全に無防備になった。そこを、隼人が見逃すはずがない。
次の瞬間、隼人の鎌が彼の首を切り裂いた――
その頃、左内はようやく秀次の手を離す。
「さて、ここいらでいいかな」
言いながら振り向いた左内の表情には、普段の昼行灯の雰囲気は欠片もない。完全に仕掛屋のそれであった。
「秀次さん、あんたはちょっとやり過ぎたな。あんたくらいの金と力があれば、大抵の物は手に入る。なのに、欲を出しすぎた。よりによって、龍牙会を狙うとはな」
左内は、ゆっくりと刀を抜く。だが、秀次は落ち着いていた。平然とした様子で口を開く。
「待て待て。いくらあんたの腕が立つか知らんがな、こいつにはかなわないだろう?」
言いながら、秀次は懐から何かを取り出す。
それは、短筒だった。銃口は、まっすぐ左内へと向けられている。
「んだと……」
さすがの左内も、口を歪めて立ち止まっていた。いくら左内の腕が立つとはいえ、短筒の速さには勝てない。
「さて、あんたには色々と聞きたいことがある。教えてもらおうか……あんたは何なんだ? もしかして、仕掛屋の一員かい?」
言いながら、勝ち誇った表情で短筒の銃口を向ける秀次。だが、彼は何も気づいていなかった。
秀次の背後に、そっと忍び寄る者がいる。
それは市だった。竹串を振り上げ、寸分の狂いもなく延髄へと突き刺す――
秀次は、声を上げる間もなく死んだ。勝ち誇った表情で、短筒を構えたまま。
「叔父貴、あばよ」
低い声で呟きながら、市は倒れた秀次を見下ろす。その目は、ひどく冷たいものだった。
両親がいなくなり、天涯孤独の身であった自分を育ててくれた秀次。無論、そこには秀次なりの目論見があったのは間違いないが……。
そして市は、幼い頃から殺し屋としての様々な技術を仕込まれ、秀次の優秀な手駒として成長していった。だが成長に伴い、秀次の裏の部分に気づかされる。秀次は、人を平気で切り捨てていく。自らの利益を第一に考え、そのためなら幼馴染みでも利用する。
いつしか、自分もそのやり方を真似るようになっていた。秀次とは距離を置くようになっていき、仕掛屋と組むようになる。仕掛屋は自由に動けるし、掟も厳しいものではない。一匹狼の市にとって、やりやすい環境であった。
仕掛屋にて、あらゆるしがらみから自由に生き、上手くやっていた市。正直、これ以上のものは望んでいなかった。
一方、秀次は冷酷な男だった。親兄弟であっても、必要とあれば殺す……そうやって、裏の世界でのし上がって来たのだ。結果、裏の社会の大物として君臨してきた。
秀次と市、どちらが長生きするかと問われれば……ほとんどの者が秀次と答えるだろう。なのに市は生き延び、秀次が死んでいる。
叔父貴、あんたは下手を打ったな。
そう、秀次は過ちを犯した。彼の描いた絵図……その内容に気づいてしまった市を、殺さずに生かしておいた。それが結局、秀次のとどめを刺すことになったのだ。
かつての秀次なら、ためらうことなく市を始末していたはずなのに。
さすがの秀次も、年をとり甘くなってきたのだろうか……その甘さが、命取りとなった。
俺はもっと上手くやるよ、叔父貴。
・・・
「秀次は、仕掛屋に殺られたようですね。俺の義理の息子がいるから問題ない、などと言っていたのに。奴も、甘い男ですね」
「その仕掛屋だがな、隼人さえ渡してくれれば用はねえ。なんなら、俺たちで潰してやっても構わねえよ」
「いや、潰す必要はないでしょう。龍牙会を牽制するのに、仕掛屋は大事な手駒となってくれますから。元締が怪我をし弱体化しているとはいえ、連中の力はまだ侮れませんからね」
そう言って、渡辺正太郎は笑みを浮かべた。
「いよいよ、あなた方の出番です。この江戸の裏社会を、我々で管理していきましょう」




