抗争無情 五
暗闇の中、鉄は目を開けた。
何者かが外に来ている。いったい誰だろうか? 今は夜中である。こんな時間に訪問するとは、ろくな用事ではあるまい。
音も立てずに動き、戸口のそばで身構える。その時、蚊のなくような声が聞こえた。
「て、鉄さん……」
その声に、鉄は静かに戸を開けた。
家の前に、血まみれの男が倒れている。重傷を負わされ、虫の息でここまで来たらしい。鉄は男を担ぎ上げ、そっと家の中に運び入れた。
「勘助……」
鉄には、そう呟くことしか出来なかった。勘助は、既に死にかけている。背中を深く斬られ、大量の血を失っていた。これまで多くの死人を見てきた鉄には、分かりすぎるくらいに分かっている事実である。
それでも、これだけは聞かずにいられなかった。
「誰に殺られたんだ?」
「ろ、録次郎だ……あと、もう一人いたが、そいつの顔は見てねえ……」
蚊の鳴くような声だ。勘助の命は、もうすぐ尽きようとしている。
鉄は、思わず顔を歪めた。この勘助は、引退を口にしていたのだ。鉄に保証人になってくれ、と頼みに来たこともあった。だが、鉄はそれを断った。
(勘助、俺はお前の事情は知らねえ。だがな、この稼業にいったん足を突っ込んだら……簡単にゃ抜けられねえんだよ。疲れたから辞めたい、苦しいから辞めたい……そんな言い訳は通用しねえんだ。俺たちゃあ、人殺しなんだよ。少なくとも俺は、くたばるまでこの稼業を続けるよ)
かつて、勘助に言った台詞が甦る。鉄から見て、勘助はあまりにも都合がいいように思われたのだ。
もし、あの時に自分が保証人を引き受けていれば……。
勘助は、こんな目に遭わずに済んだのだろうか。
・・・
「なあ、叔父貴。俺には、どうしても分からねえんだよ。あんた、なんで嘘を吐いた?」
「俺が嘘? さて、何のことかねえ」
「そう来るか……あんた、大したもんだな。閻魔さまの前でも、嘘を吐き通すんだろうな」
言いながら、市は秀次を睨みつける。だが、秀次には怯む気配がない。
市は今、『大滝屋』に来ていた。質屋の秀次と、二人きりで向き合い座っている。一応、義理とはいえ親子の二人……しかし二人の間には、歴戦の強者ですら怯ませるほどの冷たい空気が漂っていた。
「叔父貴、実はな……俺は半助と話したんだよ。江戸に来た直後の半助とな」
そう切り出した市に、秀次は笑みを浮かべる。だからどうした、とでも言わんばかりの様子だ。
「そうだったのか。で、半助とはどんな話をしたんだ?」
「あいつは、叔父貴に呼ばれたって言ってたぜ。どうしてもやってもらいたい仕事がある、って頼まれたとな」
言いながら、市は秀次を見つめる。敵意を剥き出しにした目で、静かに言葉を続けた。
「叔父貴……半助の仕事ってのは、奴に仏になれってことなのか?」
「今さら、ごまかしても仕方ねえやな。そうだよ、奴には死んでもらった。俺の計画の、大事な人柱としてな」
秀次は平然としている。市の視線を受け止めながらも、怯む気配がない。
「なぜだ? 何のためにあんなことを――」
「聞くまでもないだろうが。お前にだって、分かっているはずだ」
確かに聞くまでもない話だ。秀次の狙いは、龍牙会を潰すことなのは明白である。しかし、市にはどうしても分からないのだ。
なぜ、こんなことを始めた?
「叔父貴……あんた今までは、龍牙会とは上手くやってただろうが。なんで今になって、こんなことをやらかしたんだよ? あんたは、泣く子も黙る質屋の秀次なんだぜ……金も権力も、充分すぎるくらい手にしてるはずだ。大抵の奴は、あんたの名前を出せば引き下がるはずだ。なのに、なぜ龍牙会に喧嘩を売る?」
その問いに、秀次の表情が変わる。
「お前も、そのうち分かるよ」
「……」
無言のまま、市は秀次から目を逸らした。いったい何を考えているのか、全く見えてこない。もはや、どうかしているとしか思えないのだ。
ややあって、市は口を開いた。
「叔父貴、俺は帰るぜ。もう、あんたには付いて行けねえ」
「好きにしろ。だがな、この流れは止められねえよ。もう、動き出しちまったんだ。龍牙会は……もう、おしまいなんだよ」
「で、あんたが後釜になろうってわけか?」
「いや、俺じゃねえ」
その言葉に、市は振り返る。
「どういうことだ? あんた、何を言ってる?」
「だから言ってんだろ……今に分かるよ。お前は、関わらねえようにしとけ」
・・・
その日、お勢と死門の二人は揃って出かけていた。商人たちとの会合のためである。
お勢は龍牙会の元締であり、冷酷な女として知られている。だが同時に、己の立場というものもわきまえている。龍牙会が裏の世界で力を振るえるのは、表の世界に生きる者たちの協力あってのことなのだ。
表の世界と、裏の世界……その天秤が釣り合っていればこそ、全ては上手くいく。仮に、どちらかに傾きすぎることになれば……それは、どちらにとっても良い結果をもたらさない。
不意に、死門が足を止めた。
「お気をつけ下さい。先ほどより、つけられているようです」
「何だと?」
お勢の表情が変わる。と同時に、数人の男たちが姿を現した。
「お勢だな……死んでもらうぜ」
言うと同時に、全員が得物を抜いた。
「お前ら……誰に頼まれた?」
お勢は怯まず、毅然とした態度で言い放つ。だが、男たちは無言のままだ。
一方、死門は腰の剣を抜く。日本の刀よりもさらに細い。斬るよりも、突き刺すことに特化した剣だ。
彼は、その剣を構える……不思議な構えだった。日本に存在する、どの流派の剣術とも違う。
「お前ら、生きて帰れると思うな」
低い声で言った直後、死門の剣が走る――
その剣先が、鞭のような速さで動いた。すると、一番近い位置にいた男が、得物をぽろっと落とす。
次の瞬間、喉から大量の血を吹き出した――
自分たちの仲間に何が起きたのかを見て、襲撃者たちの顔に動揺の色が浮かぶ。死門の超人的な強さを、今ようやく悟ったらしい……。
一方、死門の行動には迷いがない。間髪入れず、他の者に襲いかかる。鋭い剣先が動き、相手の急所を寸分違わず斬り裂いていく……襲撃者たちは反撃することさえ出来ず、次々と倒されていった。
だが、死門は一つ過ちを犯していた。
彼が襲撃者を次々と殺していた時だった。背後で、稲妻のような音が轟く。
死門が振り向くと、お勢が倒れている。彼女の肩から、血が流れていた。
間違いなく、銃で撃たれたのだ。
「!」
その時、初めて死門の表情が変化した。彼はお勢を担ぎ上げ、凄まじい速さで駆け出す。
直後、またしても銃声が響いた。銃弾が土を抉る。
だが、死門は走り続ける。人を一人担いでいるとは思えぬ速さで走り抜け、さらに叫ぶ。
「火事だあぁ! 火事だぞ!」
その声に反応し、周囲の家から人が出てくる。
「なんだなんだ」
「火事だと? 一体どこだよ?」
「本当に火事なのか?」
口々に言い合いながら、きょろきょろと辺りを見回す人々。だが、それも当然だろう。他の事件ならともかく、火事となると黙ってはいられない。自分たちの家にも、被害が及ぶ可能性があるからだ。
その人混みを盾代わりにして、死門は走り去って行った。
その翌日、呪道は龍牙会の幹部たちを召集した。急なことのため、来られない者も少なからずいたが……それでも、八割ほどの者が呪道の前に姿を見せた。皆、これがただ事でないのを理解しているのだ。
そんな彼らを見回しながら、呪道は口を開く。
「昨日、元締が襲われた……このままじゃあ、済まさねえぞ。裏で糸を引いてる奴は、必ず殺す」
呪道の表情には、普段のへらへらした印象が欠片もない。その目には、殺意が浮かんでいる。
「いいか、みんなへの指示は、追って通達する。今はまず、戦いに備えておいてくれ。以上だ」
皆が立ち去ったが、鉄はただ一人、その場に残っていた。呪道に近づくと、おもむろに口を開く。
「呪道、正直なところを聞かせてくれ。お勢さんは、本当に無事なんだよな?」
「ああ、命に別状はない。しかし、鉛玉を食らったからな……今は、怪我の治療に専念してもらってる」
「そうか。お大事に、って言っといてくれ……で、下手人の目星は付いてんのか?」
鉄の問いに、呪道は頷いた。
「大体はな」
「そうかい。だったら、そいつらの始末は俺たち仕掛屋に任せてくれねえか?」
「……鉄さん、あんた何を言ってるんだ?」
眉をひそめる呪道。いかにも不快そうな表情だ。しかし、鉄は怯まない。
「既に誰かから聞いてるかもしれねえがな、おととい勘助が死んだ。虫の息で、わざわざ俺の家に来たんだよ」
「えっ……」
驚き絶句する呪道。どうやら、この件は初耳であるらしい。
そんな呪道に、鉄は神妙な面持ちで語った。
「あいつを襲ったのは録次郎らしい。もう一人、若いのがいたみたいだが……そいつは、今はどうでもいい。俺の読みが外れてなければ、勘助を殺った奴と、お勢さんを狙った奴……裏で糸を引いてんのは、同じ人間のはずだ。お前だって、分かってるだろうが」
鉄の言葉に、呪道は目を細める。明らかに苛立っている様子だ。
「ああ、分かってるよ。だからこそ、龍牙会がやらなきゃならないんだ。これは、龍牙会が売られた喧嘩なんだよ――」
「落ち着けよ呪道。今は、お前がお勢さんの代理なんだぞ。お前がとち狂ったら、龍牙会はどうなる? ここで下手うったら、他の連中につけこまれるんだぞ」
その言葉に、呪道はうつむき下を向く。一方、鉄は落ち着いた口調で言葉を続けた。
「もし今、龍牙会が動いたら……どえらいことになる。被害も大きい。だったら、ここは仕掛屋に任せてくれ。俺も、勘助の仇を打ちてえんだ」




