抗争無情 四
道場内の板の間は、異様な空気に包まれていた。
合計で二十人ほどの者たちが向き合い、睨み合っている。
その中心にいるのは、龍牙会の元締であるお勢……そして、質屋の秀次であった。
本来なら、今日は龍牙会の幹部たちによる集会が開かれているはずである。しかし突然、秀次が数人の男たちを引き連れ、ずかずかと入り込んで来たのだ。
秀次は周りを見回し、こう言った。
「悪いが、元締のお勢さんを呼んできてくれ。火急の用なんだよ」
「お勢さん、俺は最近頭の回りが悪くなってきたのかねえ。あんたの言っていることが、全く分からねえんだよ」
言いながら、秀次はお勢を見つめる。口調は静かだが、目には冷ややかな光がある。
「知らぬものは知らぬ。他に、どう言えばいいというのだ?」
お勢もまた、引く気配がない。落ち着いた表情で、秀次の視線を受け止めている。
「ほう。では、一つお聞きしたいんですがねえ……賽の目の半助を覚えていますか?」
「さあ、知らんな。何者だ?」
その言葉を聞いた瞬間、傍らに控える呪道の表情が歪む。一方、秀次は目を細めた。
「知らない、ときましたか。かつて龍牙会にいましたが、俺が間に入って堅気になった男です」
「なるほど。だがな、そんな男はいくらでもいる。いちいち覚えていられんな。で、その半助がどうかしたのか?」
「江戸で殺されましたよ……心の臓を、細い刃物で一突きにされてね」
秀次の声音が、だんだん変わってきていた。明らかに、怒気を帯びたものとなってきている。
それに伴い、周囲の空気にも変化が生じている。始末屋の録次郎などは、敵意を剥き出しにした目をお勢に向けている。
しかし、お勢は怯まなかった。
「なるほど。では、その半助を殺したのが我々の中にいるというのか?」
「あなた方でないとしたら、誰なんでしょうねえ」
鋭い口調の秀次に、呪道の表情が変わる。
「横からで悪いがな秀次さん、元締は暇じゃねえんだよ。そんな下らねえことのために、わざわざ元締を呼び出したってのか?」
その言葉に反応し、秀次は呪道の方に顔を向けた。
「そいつは聞き捨てならねえな。呪道さん、俺も質屋の秀次だ。暇じゃねえんだよ。その暇じゃねえ俺が、わざわざ来たんだ……餓鬼の使いじゃねえんだよ」
言った後、秀次は周りにいる男たちを見回す。
「みんなは、どう思うんだ? 俺の聞いた話じゃ、ここ最近、龍牙会に楯突いた連中が次々と殺されてる。なのに、元締のお勢さんは知らぬ存ぜぬの一点張りだ。こいつは、筋が通らねえよ」
秀次は、勝ち誇った表情で言った。その時、今まで知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた鉄が、初めて口を開いた。
「ちょっと待てよ。なあ秀次さん、俺には、一つだけ分からねえことがある。その半助ってのは、なんだってわざわざ江戸まで出て来たんだ? 龍牙会に睨まれてんのが分かってるのに江戸に来たってのが、俺にはどうも合点がいかねえ」
鉄の口調は、いつもと同じくとぼけたものであった。この緊迫した空気を完全に無視した態度で、秀次を見つめている。
一方、秀次は不快そうな表情を浮かべた。
「鉄さん、悪いがな……こいつは龍牙会と俺との問題だよ。仕掛屋さんには関係ねえ。だから、引っ込んでてくれねえか」
「まあ、そりゃそうだ。しかしよう、そこんところがはっきりしねえと、俺も聞いてて釈然としねえんだよ。なあ秀次さん、半助は江戸まで何しに来たんだろうなあ」
あくまでも、ふざけた態度を崩さない鉄。すると、録次郎が彼を睨み付ける。
「鉄さんよう、あんたふざけてんのか? 殺られたのは半助だけじゃねえんだよ! 村雲の大介だって殺られたんだ! 死門と同じ殺し方でな!」
録次郎が怒鳴った直後、死門が動いた。音も立てずに細身の剣を抜き、一瞬にして録次郎の前に移動する。
「俺は殺っていない」
静かな口調で死門は言った。その顔からは、一切の感情らしきものは窺えない。死神のように冷たい表情である。
だが、録次郎の方も引く気配がない。
「お、お前じゃなけりゃあ、誰がやったって言うんだよ!」
「知らん」
死門の態度は変わらない。まるで虫けらでも見るような視線を、録次郎に向けている。
その時、お勢が口を開いた。
「秀次さん、死門がやったと言うなら……まずは、証拠となる品および証人となる者を連れて来てくれ。でなければ、単なる言いがかりとした判断のしようがない」
「なるほど、それが貴女の答えですか。天下の龍牙会も、焼きが回りましたなあ……」
のんびりした口調で言いながら、秀次はお勢に微笑んで見せた。
だが次の瞬間、その表情が一変する。
「お勢さん、あっしは夕べ命を狙われましたよ。運よく返り討ちにしましたがね……その相手が、なんと笠屋の長次郎なんですよ」
「なんだと?」
横にいた呪道が、低い声で唸る。笠屋の長次郎と言えば、龍牙会に所属している殺し屋だ。その長次郎が、秀次を狙ったというのだろうか。
もしそうだとすれば、完全な宣戦布告である。
「危なく殺られるところだったが、なんとか返り討ちにしたよ。なあ、お勢さん……これでもまだ、知らぬ存ぜぬを決め込むつもりなのかい?」
言った後、秀次は他の者たちの方を向いた。
「みんなは、どうするんだ? こんな状況にありながら、それでも知らぬ存ぜぬを決め込むような奴の言いなりになってるつもりかい?」
その言葉に、呪道が憤然となって詰め寄る。
「秀次ぃ! お前、ちょっと言葉が過ぎるんじゃねえのか!」
近づき、秀次を睨む呪道。だが、秀次も引く気配がない。冷酷な表情で、呪道の視線を受け止めている。
その時、二人の間に割って入った者がいた。
「やめとけよ。どちらも言い分はあるだろうが、今日のところはここまでにしとけ」
言ったのは鉄だ。大きな体で、二人の視線を遮るように立っている。
すると、秀次はふんと鼻を鳴らした。
「そうかい。まあ、今日のところは仕掛屋さんの顔を立ててやる。だがな、俺はこのままで済ませるつもりはねえよ」
秀次がそう言った時、お勢がじろりと彼を睨んだ。
「私も、このまま捨て置くつもりはない」
・・・
住居である長屋に戻った後、鉄はばたりと倒れこんだ。
事件の真相がどこにあるのかは不明だ。ただ一つ確かなのは、このままでは龍牙会と秀次一派との戦争になってしまう。
ただし、先ほどのやり取りは明らかに秀次に分があった。成り行きを見守っていた者たちも、
その時、戸口の方から声が聞こえた。
「鉄、いるか?」
この声は、竹細工師の市だ。鉄は立ち上がり、戸を開けた。
「お前がここに来るとは珍しいな。何か用か?」
尋ねる鉄の顔には、面倒くさそうな表情が浮かんでいる。市がわざわざここに来るのは、よほどの用事であろう。だが、今はそれどころではない。頭を悩ませる大きな問題があるというのに。「その様子だと、今日は大変だったようだな。そんな時に悪いが、大事な話がある。上がらせてもらうぞ」
言うと同時に、市は返事も待たずに上がり込む。さすがの鉄も、市のただならぬ様子に何も言えないまま彼を通した。
市はずかずか入り込むと、鉄の顔を見つめた。
「質屋の秀次が、龍牙会に難癖をつけに行ったらしいな」
「ああ、そうなんだよ。あの野郎、えらく殺気立っててな。このままだと、血を見ることになる」
「そうか……秀次が、何を言ったかは見当がついてるよ。賽の目の半助のことだろう」
「えっ、何でそれを?」
思わず聞き返す鉄に、市は眉間に皺を寄せた。
「いいか鉄……これは、ここだけの話だ。半助は、秀次に呼ばれて江戸に来たんだよ」
「なんだと?」
鉄は、それ以上は何も言えなかった。秀次の語った話と、市の言葉とは明らかに違っている。
そんな鉄に向かい、市は静かに語った。
「半助は江戸に来た直後、まっすぐ俺に会いにきたんだ。その時、奴ははっきり言ったんだよ。秀次に言われて江戸に来た、ってな。お前に頼みたい仕事があるから江戸に来てくれ……と秀次から言われたらしい」
「そいつぁ、間違いないんだな?」
「間違いねえよ。俺は、はっきりと聞いた」
「どういうことだ……秀次の話と違うじゃねえか」
思わず呟いた鉄。すると市は、同意するように頷いた。
「そうだ。俺もおかしいと思って、なに食わぬ顔で秀次に聞いてみたんだよ。半助は江戸に何しに来たんだ? ってな」
「で、奴は何て答えたんだ?」
「こう言ってた。半助は誰かに命を狙われ、秀次を頼って江戸に来た……と。どう考えても、話がおかしいんだよ」
市の言葉を聞き、鉄は腕を組んだ。険しい表情で、下を向く。
ややあって顔を上げた。
「市、念のため聞きたいんだがな……龍牙会と秀次一派が戦争になったら、お前はどっちに付くんだ?」
「今はまだ、どっちとも言えねえ。本音を言うなら、どっちにも付きたくねえがな……こうなった以上、きっちり調べてみるよ。半助を殺ったのは誰なのか、その下手人を見つけねえと」
そう言った後、市は立ち上がった。冷酷な表情で鉄を見下ろす。
「鉄、この話は、お前の胸の中だけで留めておいてくれ。ここだけの話、ってことにな……もし誰かに洩らしたら、俺はお前を殺す」
・・・
大工の勘助は、仕事を終えて帰路についていた。普段なら、今日も無事に終われた……と、ほっとした表情を浮かべているはずだった。
だが、その日の勘助は顔色が冴えない。龍牙会の一員でもある彼にとって、昨日見た秀次の言動は不快なものだった。
不快であるが、同時に不安でもある。秀次に賛同している者が、果たして何人いるのか。少なくとも、あの時のやり取りは秀次の方に分があった。こうなると、もともと龍牙会に不満を持つ者たちは……これを好機とばかり、一気に離れていくのではないだろうか。
「勘助だな」
不意に、声が聞こえてきた。勘助が振り返ると、始末屋の録次郎が立っている。その手には、短刀が握られている。
「録次郎か。何の用だ?」
言いながら、勘助は五寸釘を手にする。何の用かは、聞かなくても分かっていた。これは間違いなく、龍牙会への反乱だ。
その矛先が、よりによって自分に向くとは。
「悪いがな、死んでもらうぜ!」
叫んだ直後、録次郎は短刀を振りかざした。しかし、勘助とて殺し屋である。地面を転がり、録次郎の一撃を躱した。
と同時に、五寸釘を投げつける。釘は腕に刺さり、録次郎は思わず呻いた。
その隙に、勘助は駆け出した。今は、ひとまず逃げるしかない。生き延びて、このことを誰かに伝えなくては――
しかし、今度は背中に痛みが走る。熱い痛み……短刀によるものではない。これは長刀によるものだ。
それでも、勘助は走るのを止めない。背中を深く斬られたにもかかわらず、彼は走り続けた。うっそうと茂る草むらへと身を隠す。
やがて、後を追ってきた者たちが足を止める。
「あの野郎、逃げたか?」
言いながら、録次郎が辺りを見回す。すると、別の若い声が応えた。
「さあな。ただ、生きようが死のうが構わん。要は、龍牙会を潰せばいい……後は、お前たちに任せた」




