抗争無情 三
「呪道さんよう、あんたに話がある。ちょいと顔を貸してくれねえかな?」
町中でいきなり声をかけられ、呪道は振り返る。すると、そこには質屋の秀次がいた。いかつい顔に険しい表情を浮かべ、こちらをじっと見つめている。その傍らには、子分らしき男たちが控えていた。
「秀次さん、俺も忙しい身だ。話なら、ここで手短に頼む」
呪道の言葉に、控えていた若い者が憤然とした顔になる。だが、秀次は笑うだけだった。
「そうかい。じゃあ、ここで手短に話そう。昨日、半助が死んだんだよ」
「半助? 誰だよ、そいつは?」
「とぼけないで欲しいな。賽の目の半助だよ」
冷たい口調で、秀次は言った。一方、呪道は首を捻る。賽の目の半助……聞き覚えがない。この男は、何を言っているのだろう。
その時、ふと思い出した。数年前、この秀次が龍牙会に乗り込んで来たことを。元締のお勢と一対一で話し合い、一人の若者を龍牙会から足抜けさせた。
若者の名は、確か――
「思い出したよ。確か、そんな奴がいたのをな。だがな、龍牙会には関係ない」
「関係ない、か。だがな、それじゃ済まねえんだよ。半助は、俺が間に入って抜けさせた男だ。しかも、前から命を狙われてたとも聞いている」
落ち着いた表情で、秀次は語った。だが、呪道の方は唖然となる。
「はあ? あんた何言ってんだ? 龍牙会が、わざわざ半助みたいなのを狙うかよ」
「だがな、現に半助は死んでるんだよ。しかもだ、心臓をひと突きで殺されてる……あんたの所の、死門と同じ手口でな」
「んだと?」
さすがの呪道も、この言葉には完全に意表を突かれた。何も言えぬまま、呆然とした表情で秀次を見つめる。
秀次の方は、にやりと笑った。これで、会話の主導権は完全に自分のもの……それを確信したのだ。
「呪道さん、あんたも分かるな? これはもう、知らぬ存ぜぬでは済まされねえよ。こうなった以上、元締のお勢さんに話を聞かねえとなあ――」
「おいおい、お前ら何してんだ?」
不意に、とぼけた声が聞こえてきた。秀次は、露骨に嫌そうな顔をして声のした方向を向く。
そこにいたのは、同心の中村左内であった。傍らには、目明かしの源四郎もいる。二人は、すたすた歩いて来た。
「いんちき拝み屋と、大物質屋の立ち話とは妙な光景だな。どんな話をしてんのか、俺にも聞かせてくれねえかな」
「別に……ちょっとした立ち話ですよ。お役人さまに聞かせるほどのことじゃないですから」
そう言うと、秀次は呪道に会釈する。
「呪道さん、いずれまた会いましょう。この件は、その時にきっちり話すとしますか」
秀次は向きを変え、悠然とした態度で去って行く。
「おい呪道、顔色が悪いぞ。どうかしたのか?」
不意に話しかけられ、呪道は我に返る。
「あ、ああ。ここんとこ、面倒なことが多くてな」
「そうかい。ま、気をつけろよ。お上の手を煩わせるようなことは、やめといてくれ」
「あ、ああ……」
呆然とした表情で答えると、呪道は向きを変えて去ろうとした。
だが、すぐに立ち止まった。
「中村さん、聞きたいことがある。あんた、賽の目の半助って奴を知ってるよな? 最近、殺されたらしいんだが……」
「へっ? ああ、あいつか。知ってるも何も、俺が検分したんだよ」
何の気なしに答える左内。すると、呪道は目の色を変えて詰め寄って来た。
「な、なあ、死体はどんな状況だったんだよ?」
「はあ? んなこと、お前みたいな怪しい男に言えるわけねえだろう」
「そんなこと言わねえでさ、頼むよ」
呪道は、馴れ馴れしく左内の肩に手を回してきた。と同時に、さりげなく小判を一枚握らせる。
すると、左内の表情が緩んだ。にこにこしながらうんうんと頷く。
「お、そうかそうか。お前は、あいつの友だちだったのか……なら仕方ない。特別に教えてやる」
そう言うと、左内は呪道の手を引き歩き出した。
ひとけの無い裏道で、左内は周囲を見回しながら口を開く。
「おい呪道、あの半助だがな、間違いなく殺しだよ。ちいとばかし妙な点もあるけどな」
「妙な点?」
「ああ。まず、死体は布で包まれてたんだよ」
「はあ? 布?」
思わず声を上げる呪道に、左内は顔をしかめて見せた。
「そうなんだよ。殺した後、わざわざ布で包んで河原者の住むあたりに転がしてたんだよ。意味が分からねえ」
その言葉に、呪道は眉間に皺を寄せて下を向く。この手口、どう考えてもおかしい。まず、玄人にしては雑すぎる。隠す気が感じられないのだ。見つけてくれ、と言わんばかりである。
かといって、素人にしては手が込んでいる。
「中村さんよう……あんたは、この事件の下手人がどんな奴か、見当はついてるのかい?」
「いいや、分からねえ。というより、この件は追い剥ぎの仕業ってことになりそうだ」
「あんた、正気か? これが、単なる追い剥ぎの仕業なわけないだろうが。天狗や河童の仕業だ、って言われた方がまだましだ」
呪道の表情は、極めて真剣なものである。彼は初めて、左内の前で裏の顔を垣間見せている。逆に言うと、そこまで切羽詰まった事態だということだ。
何があったのだろうか……もっとも左内は、呪道から何も聞くことは出来ないのだ。
少なくとも今は、昼行灯の中村左内に徹しなくてはならない。また、呪道の裏の顔を覗いてもいけない。
「いや、んなこと言われてもなあ。俺だって、どうしようもねえんだよ。上の連中は、それで片付けるつもりらしいんだ」
そう言うと、左内は呪道の肩を叩いた。
「事情はわからんが、お前も拝み屋なら拝み屋らしく、商売に徹しとけ。余計なことに首を突っ込むと、ろくなことにならねえぞ」
・・・
市は一人、江戸の町を早足で歩いていた。すれ違う女の中には、彼の顔の凛々しさに目を奪われ、足を止めて振り返る者もいる。だが、市はそんなものには目もくれない。
彼が目指すは、質屋の大滝屋である。
「い、市さんじゃあありませんか。今日はまた、どうしたんです?」
番頭の若者が、面食らった様子で聞いてきた。この店では、市の存在を知らぬ者などいない。
「叔父貴はいるかい?」
市の態度は素っ気ない。だが、これはいつものことである。
「へ、へい。いますけど――」
「なら、入らしてもらうぜ。こっちも急ぎでな」
言いながら、市はずかずかと店の中に入って行く。その顔には、感情らしきものが全く浮かんでいなかった。
「市、急にどうしたんだ? こっちも、いろいろ忙しいんだがな」
秀次は、明らかに不快そうであった。しかし、市はお構い無しだ。
「そいつぁすまないな。ところで叔父貴、俺は妙な噂を聞いたんだよ。賽の目の半助が、江戸で死んでたって噂を聞いたんだがな、そいつは本当なのか?」
「ほう、お前の耳にも入っていたか。そうだよ、半助は死んじまった。殺されたそうだ」
静かな口調で、秀次は語った。
市は無言のまま、じっと目の前の男を見つめる。だが、秀次は神妙な顔つきだ。半助の死に対し、少しは心を痛めている……ように見える。
「なあ叔父貴、半助は江戸で何をしてたんだろうな? 江戸から離れるってのが、龍牙会を抜ける条件だったはずだがな」
「それがな、あいつは以前から命を狙われてたらしいんだよ」
「何……」
眉間に皺を寄せる市。最後に会った時、半助はそんなことを一言もいっていなかった。それどころか、秀次に呼ばれたから来た……と言っていたのに。
話が明らかに食い違っている。だが、ここでそんな話をしても一蹴されるだけだろう。秀次は、閻魔大王の前でもしらっと嘘を吐き、丸め込んでしまうような男だ。しかも、こちらには何の証拠もない。
今は慎重に動くべきだ。まず、少しずつ探っていくしかない。
黙りこんでしまった市に、秀次は語り続ける。
「俺もな、もう少し考えるべきだったよ。半助が命を狙われてると知っていながら、守ってやれなかったんだ……悲しい話だよ」
神妙な顔つきで、秀次は語る。だが、市は無言のまま彼を見つめていた。
「半助を殺った奴の見当はついている。恐らくは、龍牙会の死門だ。俺は、このままで済ますつもりはねえよ。必ず、奴らにけじめを取らせる――」
「叔父貴、ちょっと待ってくれねえか」
不意に、市が口を挟んだ。その顔には、表情らしきものは浮かんでいない。
「ん、なんだ?」
「俺には、どうしても分からねえんだよ。龍牙会は、なんで今頃になって半助を狙ったんだ?」
「そんなこと、俺が知るわけねえだろうが」
秀次の目が、すっと細くなった。声音も変わってきている。明らかに、気分を害している雰囲気だ。だが、市は構わず続けた。
「おかしいだろうが。龍牙会の元締は、冷酷な女だと聞いてはいる。人ひとりくらい、眉一つ動かさず殺せる……とな。しかし、今さら半助を殺ったところで、一文の得にもなりゃしねえだろうが」
「そんなの、俺が知るかよ。いずれ、直接聞くことになるけどな」
その言葉を聞いた途端、市の表情が険しくなる。
「ちょっと待ってくれよ。叔父貴、そりゃどういうことだ?」
「俺は近々、龍牙会に乗り込むつもりだ。半助を殺したのが誰か、はっきりさせるためにな」
「んだと……」
さすがの市も、二の句が継げなかった。秀次はこれまで、龍牙会とはぶつからないよう注意深く動いていたはず。それが、突然に豹変するとは。
市は知っている。秀次は、勝ち目のない喧嘩はしない男だ。慎重に相手の情報を集め、水面下にて根回しをしておき、周囲を味方に付けて孤立させ……その上で潰しにかかる。
確実に勝てるという確信がなければ、絶対に正面切って乗り込んで行ったりなどしない。
なのに、今は……。
「市、俺も今回はさすがに頭に来たよ。半助だけじゃなく、他にも同じ手口で殺られてる奴がいる。だから、元締のお勢と直接話さなきゃならねえ。まあ、知らぬ存ぜぬで済ませる気はねえよ」
・・・
長次郎は物陰に潜み、じっと様子を窺っていた。既に丑の刻(深夜二時)を回り、あたりは闇に包まれている。こんな時間に出歩く者などいない。
だが、長次郎は息を殺して待っていた。もうじき標的が目の前の道を通るはずだ。その時、確実に殺す。
やがて、身なりのいい中年男が目の前を通りかかった。こんな時間に出歩いているのだから、堅気の人間だとは考えづらい。
だが、長次郎は得物を抜いた。そう、標的はこの男である。
長次郎は、そっと近づいて行く。今、まさに襲いかかろうとした時だった。
突然、男が振り向いた。どうやら気づかれたらしい。長次郎は顔をしかめながらも、得物の短刀を振りかざす――
直後、響き渡る銃声。一瞬遅れて、長次郎は倒れた。眉間には、小さな穴が空いている。
そこに、黒い着物を着た男が音もなく現れた。その場にしゃがみこむと、長次郎の死を確認する。
ややあって、男は顔を上げた。
「ちょいと危なかったんじゃないですか、秀次さん」
「ああ、確かにな。だが、これで完璧だ。大義は質屋の秀次にあり、ってな」
そう言うと、秀次は長次郎を見下ろす。
「おめえも、馬鹿な奴だな。龍牙会の仕事だけで満足してりゃ良かったのによ」




