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出会無情 四

「婿どの、あの犬ですが……いつになったら捨ててくるのです?」

 義母・いとの嫌みたらしい口撃。それに対し、中村左内はいつも通り、うつむくばかりであった。

「もう少しだけ、お待ちください。飼い主を探していますので――」

「あの犬は、本当に役立たずですわ。無駄飯を食べては、きゃんきゃん吠える以外に能の無い……どこかの誰かにそっくりですわね、母上」

 今度は、妻・きぬからの口撃だ。二人がかりの口撃に、左内はひたすら謝ることしか出来なかった。ここで下手に口答えなどしようものなら、口撃はさらに増すだけだ。

「とにかく、婿どのの安いお手当てでは、犬など飼えません。うちには、そんな無駄なお金は一銭たりとて無いのです。さっさと捨てて来てください!」

 きぬの言葉に、左内は恐縮しながら頷いた。

「分かりましたよ。ですから、もう少しだけ待ってください」




 奉行所に出勤した後、外回りに出かける左内。普段なら、適当に歩き回り小悪党から賄賂をせびるか、あるいはどこかの茶屋で暇を潰している。

 しかし、今日は違っていた。真っ直ぐに歩き、汚ならしい家の立ち並ぶ一角へと入っていく。

 やがて左内は、一軒の長屋の前で立ち止まった。

 ここは剣呑長屋といい、怪しげな素性の者たちが数多く住んでいる場所だ。実際、この界隈だけは花のお江戸らしからぬ魔窟のごとき有り様である。町方も、この辺りで起きた事件に関しては、基本的に見てみぬふりだ。

 だが左内は、そんなことにはお構い無しだ。乱暴に長屋の戸を開け、入って行った。


「あ、八丁堀じゃない。どしたの?」

 戸の向こうにいたのは、ざんぎり頭の小柄な若者であった。見るからに軽薄そうな顔つきで、痩せた体をしている。だが同時に、人の良さそうな雰囲気も漂わせていた。

 ちなみに八丁堀とは、左内に付けられたあだ名である。もともとは、同心を指す隠語なのだが……いつの間にか、左内の二つ名となっていたのだ。

「おい小吉しょうきち、仕事が入ったぞ。鉄と市に、今夜集まるよう言っておけ。あと、新しい仲間が入った。そいつを紹介するから、顔だけは出すように伝えろ」

「はあ? ちょっと待って、何よそれ? いつの間に新入りが来たのさ? 俺、聞いてないんだけど?」

 とぼけた表情で、左内に抗議する小吉。この男もまた、仕掛屋の一員である。ただし殺しはやらない。あくまで、仕事のための補助をする……という形で参加している小物である。

 もっとも、やることといえば只の使い走りくらいしか無いのだが。

「うるせえな。俺が誰を仲間に入れようが、お前にとやかく言われる筋合いはねえんだよ。お前はさっさと行って、鉄と市に伝えておけ」


 小吉と別れた後、左内はさらに進んでいく。町の中を、脇目も振らずに歩いて行った。

 歩くにつれ、どんどん民家が少なくなり、代わりに木や草の方が目立つようになってきた。そんな中、ずんずん進んで行った左内は、やがて奇妙な場所にたどり着く。

 そこには、古ぼけた寺が建てられていた。もっとも数年前、住職がお堂の中で押し込み強盗に刺し殺されてしまったという、曰く付きの場所ではあるが。

 以来、その寺には買い手もなく、荒れ果てるがままになっている。周囲は雑草が伸び放題、建物自体も古くなっている。金目の物は全て持ち出され、寺の看板も取り外されている。

 しかし今、その廃寺・安国寺には奇妙な二人が住み着いていた。


「おい隼人、俺だ。中村だよ。いるのか?」

 廃寺の前に立ち、声を出す左内。すると、ぼろぼろになった寺の中から、隼人が顔を出した。

「な、中村さんか。どうしたんだ?」

「仕事だ」

「えっ、仕事?」

 きょとんとした顔で、左内を見ている隼人。その表情を見た左内は、思わず頭を掻いた。

「そうだよ、仕事だ。仕事の打ち合わせするから、付いて来い。そのついでに、仲間たちにお前を紹介するから」

「分かった」

 隼人は頷くと、奥にいる沙羅の方を向いた。

「沙羅、ちょっと出かけるからな。おとなしく寝ているんだぞ」

「うん。気をつけてね」


 左内と隼人は、並んで歩いていた。だが、不意に左内が立ち止まる。

「そうだ……忘れてたよ。お前、犬は好きか?」

「えっ? 犬?」

 またしても、きょとんとなる隼人。

「そう、犬だよ。まさかお前、犬を知らねえとか言わないだろうな?」

「いや、知ってるよ。犬は好きだ」

「そうか、ならちょうどいい。悪いんだけどな……犬を一匹、引き取ってくれねえか?」




 江戸の町から、少し外れた位置にある雑木林。その中に、一軒の小屋がある。ここはかつて、江戸でもその名を轟かせた裏社会の大物・鳶辰が別宅として使用していた場所なのだ。

 それが今では、仕掛屋の集合場所兼たまり場として使われている。


「八丁堀の野郎、遅いじゃねえか。いったい何をしてやがるんだ?」

 足の裏をぼりぼり掻きながら、小吉にぼやいたのは鉄だ。彼は木製の椅子に座り、これまた木製の頑丈そうな机に肘を着いている。

「んなこと、俺に言われても困っちゃうよ。何か急用でも出来たんじゃないのかね」

「ったく、こっちは龍牙会に睨まれて一苦労だってのによう……人を待たすとは、いい根性してるぜ」

 顔をしかめながら、なおもぼやき続ける鉄。

「だから言ったろう。龍牙会なんかとは、関わらねえ方がいいんだよ。あそこは規則がうるさすぎる」

 鉄にそう言ったのは、色白で細面の男である。年の頃は二十代後半だろうか。二枚目役者のような端正な顔立ちをしている。だが、その目に宿る光は冷たい。彼は隅の方で椅子に腰掛けており、他の二人とは一線を引いているようだった。


 この男は、竹細工師のたけざいくしのいちである。仕掛屋だけでなく、よそからも仕事を受けている一匹狼の殺し屋だ。無駄口は叩かない上、仕事の腕もいいのだが……安い仕事は受けない、が口癖でもある。事実、これまでにも仕掛屋に依頼された仕事を、安いという理由で何度も降りている。

 ある意味、仕掛屋の中でも一番の問題児であった。


「八丁堀の奴、いつまで待たせやがるんだ」

 今度は背中をぼりぼり掻きながら、ぼやきまくる鉄。そばにいる小吉は、露骨に嫌そうな顔をしている。

「ちょっと鉄さん、さっきからあちこち掻いてるけどさ、夜鷹から変な病気でももらったんじゃないだろうね?」

 小吉の問いに、鉄は顔をしかめながら首を振る。

「馬鹿野郎、俺は夜鷹なんざ買わねえよ。病気なんかうつされたら、洒落にならねえからな――」

 そこまで言って、鉄は口を閉じた。外から足音が聞こえてくる。それも二人。

「小吉、見てこい」

 小声で囁く鉄。万が一、部外者であったなら……少々、厄介なことになる。仕掛屋である自分たちが、一緒にいるところを見られてはまずいのだ。きつく脅して、何も見なかったことにして帰らせるか。あるいは、口を封じるか。

 そんな物騒なことを考えていた鉄。しかし、小吉がとぼけた声を発した。

「大丈夫、八丁堀だよ」


「よう、みんな揃ってるなあ」

 とぼけた口調とともに、小屋に入って来たのは左内だ。ついで、おずおずとした態度で隼人が続く。

「八丁堀、遅いじゃねえかよう。で、そいつか……新入りってのは」

 憮然とした表情の鉄に対し、左内は頭を下げる。

「すまねえな、ちょいと色々あってよ。さて、みんなに紹介するぜ……こいつは隼人。なりは小さいが、腕は立つ。おら隼人、お前も挨拶しろ」

 左内に促され、隼人はきまり悪そうに口を開いた。

「は、隼人だ。よろしく頼む」

「お前、隼人ってえのか」

 言いながら、立ち上がったのは小吉だ。威嚇するような表情を作り、隼人に近づいていく。

「おい隼人、お前は新入りだ。どんだけ腕が立つか知らねえが、あんまり調子に乗ってると怪我することになるぜ――」

 この時、小吉は新入りに舐められまいと考えたのだ。そのため、わざと怖そうな仕草で挨拶代わりに因縁を付けた。隼人が何者か知らないが、いくら何でもこの状況では大人しくしているだろう、と踏んだ。しかも、いざとなったら鉄や市が助けてくれるだろう、とも考えていた。

 だが不幸なことに、隼人は世間知らずであった。しかも、空気を読めない男でもある。彼にしてみれば、小吉は自分に危害を加えそうな人間でしかない。目の前に迫る危険は、さっさと排除するだけだ。

 小吉が喋り終わらないうちに、隼人は右手を伸ばした。直後、小吉ののどを掴んだかと思うと、一瞬にして床にねじ伏せる。小吉は抵抗すら出来ず、あっさりと倒された――

「中村さん、何なんだこいつは?」

 冷静な口調で左内に言いながら、隼人は片手で小吉を押さえつけている。だが、その目は鉄と市の動きを注視していた。

 一方、床にねじ伏せられた小吉は、腕を外そうと必死でもがく。しかし無駄であった。隼人は小柄だが、その腕力は常人のものではなかった。まるで串刺しにされたかのごとく、じたばたする小吉……だが、隼人の手は動かない。

 そんな隼人と小吉を見ている三人の表情もまた、見事にばらばらだった。左内は苦り切った表情だが、市は我関せずといった様子で冷たい視線を浴びせている。鉄に至っては、にやにやと笑いながら二人を眺めているのだ。止めようとする気配など欠片も無い。むしろ、もっとやれ……とでも言いたげな表情を浮かべている。

 だが、たまりかねた左内が声をかける。

「おい隼人、そいつは小吉といって、一応は仕掛屋の仲間だ。そのへんで許してやってくれや」

 左内の言葉を聞き、隼人は手を引いた。何事も無かったかのように立ち上がり、壁に背中を付けて寄りかかる。

 しかし小吉の方は、そうはいかなかった。慌てて飛び退き、隼人に指を差して怒鳴る。

「お、おい! お前、卑怯だぞ! いきなり首絞めるなんて狡いだろうが――」

「るせえ。お前は少し黙ってろ」

 その言葉と同時に鉄の拳骨が飛び、小吉の頭に炸裂した。小吉はうめき声を上げ、頭を押さえて床にしゃがみこむ。

 しかし、鉄はお構い無しだ。にやにや笑いながら、隼人に視線を向ける。

「お前、隼人ってのか。俺は鉄、人呼んで現物の鉄だ。まあよろしく」

「よ、よろしく」

 おずおずとした態度で頭を下げる隼人。傍らで二人のやり取りを見ていた左内は、思わずため息をついた。隼人という男は、明確な敵意を向けられた方が対処しやすいようだ。もっとも鉄は、にこにこ笑いながら相手の首をへし折れるような男なのだが……。

「俺は市だ。それより八丁堀、仕事の話を聞かせてくれねえか」

 愛想の欠片も無い態度で、市は言った。隼人のことなど、見ようともしていない。左内は口元を歪めながら話し出した。

「今回の相手は、羅漢寺一家の親分である政次郎、その女房のお絹と若頭の勘八だ。その三人を殺ってくれってのが、向こうさんの依頼だよ。ちなみに、金は一人あたり二両ちょいだ」

 その言葉を聞いたとたん、真っ先に立ち上がったのは市だ。

「おい、羅漢寺一家の親分を相手に二両だと? 馬鹿馬鹿しくて話にならねえ。俺は降りるぜ」

 吐き捨てるような口調で言うと、市はさっさと歩いていく。左内たちのことを見ようともせず、一人で引き上げてしまった。

「相変わらず、金にうるせえ奴だな」

 顔をしかめながら、呟く小吉。

「まあ、いいじゃねえか。あいつが抜けたら、分け前は増えるってことだ。俺はやるぜ。羅漢寺だか何だか知らねえが、殺ってやろうじゃねえか」

 いかにも愉快そうな表情の鉄。左内は頷くと、隼人に視線を移す。

「おい隼人、お前はどうするんだ? やるのか、やらねえのか。もちろん、降りても構わねえ。ただ、このことを口外しやがったら、死んでもらうぞ――」

「この世界の掟は分かっているよ。是非ともやらせてくれ」

 真剣な眼差しを左内に向け、隼人は答えた。

「そうか。だったら今回は一人二両だが……市が抜けたから、一人二両二分だ。前金として、一両一分ずつ置いておくぞ」

 そう言うと、左内は懐から小判を取り出し、机の上に四枚並べる。

 次いで一分金いちぶきんを出し、同じく四枚並べた。

「へへ、ありがてえ話だ。今夜は久しぶりに、女を抱きに行くか」

 言いながら、鉄は自分の分を懐にしまう。次いで小吉も、一両と一分を懐にしまった。

 最後に隼人が、残った一両と一分を手に取る。

「じゃあ、この四人で羅漢寺の政次郎たちを殺る。まずは小吉、お前は羅漢寺を見張れ。奴には、百人近い子分がいるからな。下手に殴り込んだら、返り討ちだからな」

 言いながら、左内は顔をしかめる。はっきり言ってしまえば、市の態度そのものは不快ではある。しかし、彼の行動は責められない。仮にも、百人近い子分を抱える一家の親分たちを仕留めようというのだ。たった二両の金で引き受ける者など、まずいないだろう。

 そんな無茶な仕事を、自分たちはやろうとしているのだ。それも、ついこの間知り合ったばかりの男と組んで……。







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