愛憎無情 三
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 白塗り男の見事な手裏剣術だよ! それに、こいつの鎖鎌の腕は天下一品だよ! こんな見事な芸が見られるのは満願神社だけ! 見なきゃ損だよう!」
小吉の呼び込みの声が、通りに響き渡る。その陽気な声につられ、通行人の中には足を止める者も出てきた。
そんな者たちを見逃す小吉ではない。
「おっ! そこのべっぴんさん、ちょいと見ていきなよ! この芸を見れば、あんたも友だちに自慢できるぜ!」
声をかけ、へらへら笑いながら近づいて行く小吉。彼の目当ては、立ち止まっている若い女だ。綺麗な顔立ちであるが、どこか切なそうな表情で隼人を見つめている。
「ねえ、お嬢さん! ちょいと見ていきなよ!」
言いながら、女に馴れ馴れしく近づく小吉。すると、その腕を掴む者がいた。
「お前が小吉か?」
低い声で尋ねたのは、六尺(約百八十センチ)はあろうかと思われる大男であった。肩幅は広くがっちりしており、着物はぼろぼろだが腰には刀をぶら下げている。鋭い顔立ちで、頬には刀傷がある。侍くずれの用心棒か、あるいは未だに仕官の望みを捨てていない浪人か。
「えっ……いや、そうだけど」
男の迫力にたじたじとなりながら、小吉は答えた。すると、男は鋭い目つきで小吉を見つめた。
「お前、仕掛屋の一員だというのは本当か?」
「そいつに、何か用か」
男の言葉を遮り、二人の間に割って入ったのは隼人だった。顔を白く塗った姿で、小吉を守るように前に立つ。
「なんだ、お前は?」
言いながら、男は腰の刀に手を伸ばす。隼人は男よりも小柄ではある。だが、怯む気配はなかった。
「俺は、小吉の友だちだ。小吉に文句があるなら、俺が聞いてやる」
そう言って、男を見上げる隼人。恐れている様子はない。
すると、男の目がすっと細くなった。それに伴い、二人の間の空気も変化していく。両者の発する濃厚な殺気が、急速に周囲を侵食していった――
その変化を敏感に感じ取った小吉は、真っ青な顔で後ずさった。この男、荒事にはからっきしである。どうすればいいのか分からず右往左往するばかりだ。
だが、二人の間に女が割って入る。
「よしなよ武三。こんな三下、仕掛屋のわけがない。どうせ、嘘に決まってるよ」
冷たい口調で言った後、女は隼人へと視線を移す。
「あんた、前にもここにいたね。相方の女には、逃げられたのかい」
その言葉に、隼人は眉をひそめた。
「お前、俺を知ってるのか?」
「知ってるよ。あんたは覚えてないのかい……まあ、それも当然だよね。あんたにとっちゃあ、あたしは一人の客でしかなかったんだからね。あの時は、あたしも幸せだったしね」
そういうと、女は寂しそうに笑った。だが、隼人には何のことやら分からない。目の前にいる女のことは記憶になかった。
もっとも、隼人に思い出せるはずもない。何せ一年近く前に一度会い、僅かな言葉を交わしただけなのだから。
「そんなことより、あんたら仕掛屋がどうとか言ってたな?」
隼人の言葉に、女は目を細める。
「だから何だい? まさかあんたも、俺が仕掛屋だなんて言い出す気かい?」
「いいや、俺はただの大道芸人だ。殺し屋じゃないし、あんな連中のことは知らない。だいたい仕掛屋なんて連中とは、関わりたくもないな」
涼しい顔で答える隼人。横で聞いている小吉は感心していた。隼人は世間知らずで不器用な性格だ。そのため嘘を吐くのは下手だと思っていた。しかし、ただ不器用なだけではないらしい。
一方、隼人の言葉を聞いた女は、くすりと笑った。
「だろうね。まあ、奴らとは関わらない方がいいよ」
そう言うと、女は向きを変えた。
「武三、行こう」
・・・
その頃、中村左内と源四郎は蕎麦屋にいた。見回り中のはずなのだが、もとより左内にやる気などない。とりあえず、今日のところは蕎麦屋で暇を潰そうと考えている。おあつらえむきに、客は二人の他にはいない。
「旦那、ちょいと気になる話を聞いたんですがね」
源四郎の言葉に、左内は面倒くさそうな表情を向ける。
「なんだよ。今は仕事の話は抜きにしようぜ」
言いながら、左内は蕎麦をすすった。その、あまりにも呑気な様子に、源四郎は顔をしかめた。
「旦那、仕事と言っても裏の方ですよ。あのですね……」
源四郎は周囲を見回し、声をひそめる。
「仕掛屋のことを嗅ぎ回っていた若い女がいたらしいんですよ」
「なんだと?」
箸を止める左内に、源四郎は声をひそめる。
「まだ確認は取れてないんですがね、何でもお八という名の女が、仕掛屋について調べていたらしいんですよ」
「お八だあ? そいつは何者だ?」
尋ねる左内に、源四郎は顔をしかめてみせる。
「噂じゃあ、とんでもねえあばずれらしいです。顔はべっぴんらしいんですがね、床の中じゃあ吉原の女も顔負けらしいんですよ。何でも、いろんな手を知ってるとか」
「ほう、そうか。そいつぁ是非ともお手合わせ願いてえもんだな」
左内の軽口に対し、源四郎は憤怒の形相でじっと見つめる。さすがの左内も、源四郎の無言の圧力の前にたじたじとなり、咳払いしてごまかした。
「と、とにかくだ、まずはその女を探してくれ」
・・・
江戸の町外れの林に、一軒のあばら家があった。持ち主はだいぶ前に亡くなり、朽ち果てるがままになっている。
最近、そこに奇妙な二人組が住み着いていた。
お八と武三は、ござの上で二人並んで寝転がっていた。家の中は暗く、あるのは行灯の僅かな明かりのみだ。
「お八、あの小吉とかいう奴だが……放っておいてよかったのか?」
武三の問いに、お八は頷いた。
「構わないよ。どうせ、あれも小者に決まってるよ。仕掛屋の名前を騙るだけのね」
「確かに、小吉は小者だろう。だが、一緒にいた白塗りの男はなかなかの手練れであったぞ。もう一度、よく調べてみた方がよいのではないか?」
その言葉に、お八は首を振った。あの大道芸人には見覚えがある。かつては、顔を布で隠した女と共に芸をしていたはずだ。
あの時は、まだ父たちが生きていた。三人の優しい父親が……お八は、思わず顔を歪める。
「いいさ。あんな奴らが仕掛屋のはずはないさ。それより、こうなったら鉄の野郎から聞いてみようじゃないか」
「鉄だと? あいつは腕が立つらしいぞ――」
「怖いのかい?」
言いながら、お八は体をすり寄せていく。その途端、武三の頬が赤くなった。
「ば、馬鹿を言うな。お、俺はあんな奴など怖くない――」
「だったら、出来るよね……でなきゃ、ご褒美はあげないよ」
お八の手が、武三のはだけた胸元をまさぐる。だが、武三はされるがままだ。うぶな少年のように、体を震わせている……。
武三は、この年齢まで女を知らなかった。
ひたすら剣に打ち込んできた日々。だが仕官はならず、真面目すぎる堅物ゆえに仕事に就くこともままならなかった。
しかも、いかつい顔と体格のために女からは怖がられ敬遠される。女遊びも、その真面目すぎる性格ゆえに頑なに避けてきた。結果、四十過ぎまで女を知らなかったのである。
しかし運命のいたずらから、武三はお八と出会ってしまう。
ある日、道で数人のごろつきと揉めた武三。些細なことから口論になり、挙げ句に向こうから殴りかかって来たのだ。しかし武三は、難なく全員を素手で叩きのめした。
その様を見ていたお八は、武三の腕に目を付ける。さらに、いい年をして女を知らない奥手であることも一目で見抜いたのだ。
彼女は言葉巧みに武三に近づき、その魅力で堅物の中年男をあっさりと落としてしまった。女に対し免疫のない武三は、いったん落ちてしまえば支配するのは造作もないことである。
不惑の年を過ぎてから、初めて知った女体の味……その魅力に、武三は完全に取り憑かれてしまったのだ。お八は若く美しい。その上、男を虜にする技も心得ている。
さらに、武三は己に魅力がないことも分かっていた。お八が、自分を本気で愛していないことは承知の上である。それでも彼女から離れない理由は……お八以外に自分を相手にしてくれる女など、この世には存在しないという思いからだ。
武三は武芸に関しては凄腕であったが、男女の秘め事に関しては素人以下である。一方、お八は男を落とす技をひたすらに磨いてきた。ひとえに復讐のためである。武三が対抗できるはずもなかった。
四十男の武三が、自分の娘ほどの年齢のお八に支配されている……二人は、そんな異様な関係であった。
「いいかい武三、次は鉄を狙うよ。でないと、ご褒美はあげないよ?」
仰向けになっている武三の耳元で、優しく語りかけるお八。武三は、顔を歪めながらも頷いた。
「わ、分かった。俺に任せておけ」
「ふふふ……武三、好きだよ」
言いながら、お八は武三にのしかかり、その唇を吸った。武三は仰向けになったまま少年のように悶え、お八にされるがままになっている。
だが、お八の目には冷酷な光が宿っていた。




