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必殺必滅仕掛屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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34/55

冤罪無情 五

 山田弥右衛門は、屋敷に入って行った。

 今日もまた、いつもと変わらない一日である。北町の木偶の坊と陰口を叩かれながら、お勤めの終わる時間まで町の見回り……のふりををするだけだ。

 いや、時おり人を斬ることもあるのだが。そう、面倒を起こしそうな人間を斬る……それもまた、今の彼の仕事である。




「あなた、お帰りなさい」

 帰った弥右衛門を出迎えたのは、妻の花である。痩せこけた顔と、死人のような青白い肌を見れば、彼女の健康状態がどんなものかは馬鹿でも分かるだろう。

「花、寝ていなくては駄目だ」

「でも、私にはこれくらいしか出来ません」

 そう言うと、花はうつむいた。弥右衛門は彼女の体を抱き上げ、布団まで運んだ。


 数年前より、花は原因不明の奇病に侵されていた。

 近所の者たちには、肺病だと言ってある。だが、実際には医者もさじを投げてしまったのだ。もう、長くはもたないだろう……とのことである。

 弥右衛門も、既に覚悟を決めていた。




「あなた、お勤めの方は大丈夫なんですか?」

 花が、布団の中から聞いてきた。

「お前が口出しすることではない」

「でも、お勤めの最中に何度も――」

「いいから、お前が心配するな」

 言いながら、花のお膳を運ぶ弥右衛門。この頃は、食事の量も少なくなってきた。お粥、それに野菜と魚の煮付けが少々……しかも、それらを食べるのも一苦労なのだ。


「すみませんね……」

 食べ終えた後、花はためらいがちに声をかける。

「気にするな」

 言いながら、弥右衛門は立ち上がり膳を片付ける。

 弥右衛門には分かっていた……花の命は、もう長くないだろう。彼女の体は、どんどん弱ってきている。医者も、このままだと一年もたないだろうと言っていた。

 だからこそ、残された時間を花のためだけに使いたいのだ。


 弥右衛門は、かつては希望を持って同心の職に就いた。江戸の治安を守り、悪人を懲らしめる……奉行所は、そういう場所だと信じていたのだ。

 しかし、実際に同心になって知ったのは……奉行所もまた、不正の横行する場所だということである。


 辻斬りをしていた旗本の息子を捕らえた。証拠も証人も揃っており、間違いないはずだったのに……上からの圧力により解き放つ。


 大勢の娘を暴行した男を捕らえたものの、いつの間にか釈放されていた。聞けば、被害者の娘たちが一斉に口を閉ざしてしまったのだという。男の父である商人が、あちこちに金と暴力とで口封じをしたのは明白だった。


 結果、弥右衛門は同心の仕事に情熱を失う。北町の木偶の坊と呼ばれるようになったのも、その頃からだった。

 もし花がいなかったら……同心など、とうの昔に辞めていただろう。江上一刀流えがみいっとうりゅう免許皆伝の腕を活かし、やくざ者の用心棒をしていたかもしれない。

 そうならなかったのは、花の言葉ゆえであった。


(あなたは、わたくしの誇りです)


 その言葉があればこそ、弥右衛門は同心を続けられたのだ。

 そして、悪に染まってしまった今も。


 ・・・


「では、これにて本日の集会を終了します。皆さん、お疲れさまでした」


 町外れにある剣術道場では、今日も龍牙会の幹部たちによる集会が開かれていた。

 集会は滞りなく進行し、最後に呪道の言葉で解散する……これまた、いつも通りの流れである。もっとも、この集まりに参加している者たちにとっては……いつも通りであるのはありがたいことなのだが。


 集会が終わり、道場を去ろうとした鉄。しかし、彼を呼び止める者がいた。

「待ってくれよ鉄さん。あんたに話があるんだ」

 鉄は立ち止まり、面倒くさそうに振り向いた。

「ああん? 何の用だ?」

「なあ、あんたん所に妙な大道芸人がいるだろ。あいつら、何なんだ?」

 へらへら笑いながら、そう言ってきたのは呪道である。一応は龍牙会の幹部のはずなのだが、貫禄はまるで無い。

「大道芸人? ああ、隼人と沙羅のことか。あいつがどうがしたか?」

 逆に聞き返す鉄。すると、呪道は顔をしかめて周囲を見回す。

 誰も聞いていないことを確認すると、呪道は声を潜めながら語りだした。

「実はな、あの南蛮人の女なんだが……あいつ、死門と揉めたんだよ」

「死門と揉めた? あの女、度胸あんなあ……俺なら、あんな奴とは関わりたくねえけどよ」

 顔をしかめながら、鉄は言った。死門といえば、龍牙会の元締・お勢の用心棒である。会でも屈指の凄腕で、しかも冗談が通じない堅物だ。そんな男と、わざわさ関わり合おうなどという物好きはいない。

 だが、次に呪道の口から出た言葉には、さすがの鉄も唖然となった。

「それがな、あの沙羅とかいう女は……死門の妹らしいんだよ」

「はあ? 妹?」

 目を丸くする鉄に、呪道は顔をしかめながら語り始める。

「実はこの前、元締と死門とを連れて町を散策したんだよ。そしたら……」




「おいおい、そいつは穏やかじゃないな」

 話を聞き終えた鉄は、首を捻りながら言った。隼人の連れの沙羅は、何度か顔を見たことがある。南蛮人に特有の、白い肌と青い瞳の持ち主だ。

 しかし、まさか死門と兄妹だったとは。

「そいつは本当なのか? 沙羅の勘違いじゃねえのか?」

 尋ねる鉄に、呪道は大げさな仕草で首を傾げてみせた。

「うーん、どうだろうな……ただ俺は、あの女が嘘を吐いているとは思えないんだよ」

「本当かよ……まさか、あの死門に妹がいたとはな」

 そう言いながら、鉄は腕を組んで首を捻る。

「ところがだよ、死門の奴は……人違いだ、って言うだけでさ。戻った後に詳しく聞こうとしたんだが、何を聞いても、知らんとだけしか言わなくて……元締も、私は知らんとしか言わないんだよ」

 そう言うと、呪道は頭をぽりぽり掻いた。その特徴的な長いぼさぼさ頭には、蚤や南京虫が棲んでいたとしても不思議ではない。鉄は思わず顔を背けたが、その時にふと思いついた。

「あ、そうだ。呪道よう、ちょっと頼みがあるんだがな――」

「待てよ。鉄さん、俺の話を聞いてたのか?」

「へっ? 聞いてたに決まってんじゃねえか。それよりもさ、困ったことになったんだよ。ちょいと力を貸してくれねえか。なあ、お前らが巌堂と揉めた時は、俺たちが仕留めてやったじゃねえかよ。持ちつ持たれつって奴でさ、頼むよ」

「い、いや……確かに、あん時は世話になったけどよ……」

 困惑した表情の呪道の肩に手を回すと、鉄は今の状況を手短に語り始めた。




「何だそりゃ。その山田弥右衛門って同心が、口封じのために吉蔵を殺したってのかよ」

 呪道の言葉に、鉄はしかめ面で首を捻って見せる。

「どうだろうな。まだ、はっきりとは分からねえんだよ。そこで、お前に調べてもらいてえんだ。何か情報を掴んだら、教えて欲しいんだよ」

「その山田弥右衛門についちゃあ、よく知らねえがな……あの件に関しては、妙な噂を聞いたことがある」

「えっ、どんな噂だ?」

 聞き返す鉄に、呪道は手のひらを突き出した。

「はあ? 何だよ、この手のひらは?」

「鉄さん、その情報が知りたきゃ金返せ。かれこれ三両近く溜まってるぞ」

「んな冷たいこと言うなよ。たかが三両じゃねえか」

 鉄の言葉に、呪道はぷいと横を向いた。

「そうか。じゃあ協力しねえ。教えてやらないよ」

「んだと……この守銭奴が。分かったよ、この件が片づいたら返す」

 一応はそう言ったものの、鉄の顔は苦虫を噛み潰したような表情である。だが、呪道は容赦ない。

「本当だな。終わったら、一括で返してもらうぞ」

「いや、一括で三両は無理だ。せめて、一分いちぶで手を打ってくれ。それなら、今すぐ払うから」

 揉み手で迫る鉄に、呪道は渋い顔を向ける。

「しようがねえなあ……それでいいよ」

「そうか! ありがてえ。恩に着るぜ」

 言いながら、鉄は呪道の肩をばんばん叩く。だが、呪道の方は面倒くさそうな顔つきであった。


 ・・・


 その頃、中村左内と源四郎は街の見回り……のふりをしつつ、連続絞殺魔について調べていた。

 だが知れば知るほど、この件に関する闇の深さを感じるのだ。

「こいつは、本当に危ねえぞ。源四郎、どうすんだよ……」

 渋い表情で発した左内の言葉に、源四郎も顔をしかめた。

「そう言われても……引き受けちまった以上、仕方ないでしょうが」




 左内の調査によれば、この件で目を付けられていた者が他にもいたらしい。筧屋かけいやの主人である筧惣兵衛かけい そうべえの一人息子、筧角太郎かけい かくたろうである。

 この角太郎はがっしりした体格であり、柔術などの武術の心得もある。しかし、もうすぐ二十五になるのに身を固める気配がない。

 この角太郎が、殺された娘と話しているのを見た者がいたのだ。

「ああ、やけに仲良さげな様子で話してたよ。だから、てっきり姪っ子かなんかだと思った」

 そんなことを言っていた者がいたかと思うと、

「ここだけの話だけど、おさよちゃんが殺されたって聞いた時、あたしゃ角太郎が怪しいと思ったんだよ。あいつ、小さい女の子とよく遊んでたからさ……あれは、単なる子供好きじゃないね」

 したり顔で語る女もいた。こんな話を聞かされて、それでも角太郎を怪しいと思わなければ……それは、もはや同心を廃業すべきであろう。

 にもかかわらず、山田弥右衛門は亀吉を捕らえたのだ。


「旦那、筧屋はかなりの金を持ってます。やはり、惣兵衛が裏で動いてもみ消したんじゃないですかねえ……」

 源四郎の言葉に、左内は頷いた。

「ああ、そうだろうな。でもよ、これだけじゃ怪しいってだけだ。はっきりとした証拠が――」

「旦那!」

 鋭い言葉と同時に、左内の腕を掴む源四郎。そのただならぬ様子に、左内は顔を上げた。

 数間ほど先に、話題の主である山田弥右衛門が立っている。掴みどころの無い表情で、こちらをじっと見つめていた。

「野郎、何しに来たんでしょうね……」

 源四郎は表情を歪めながら、左内が耳元で囁いた。だが、何しに来たかなど分かっている。弥右衛門の目は、じっと左内を見つめているのだから。

 一瞬の間を置き、弥右衛門は歩き出した。どんどん間合いを詰めてくる。

 それに反応し、源四郎が動いた。左内を守ろうとするかのように、彼の前に立つ。十手を抜き、鋭い表情で弥右衛門を睨む。

 だが、弥右衛門はお構い無しに進んで来る。

 両者の距離が、一間(約一・八メートル)ほどに詰まった時、弥右衛門は立ち止まった。








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