無知無情 六
「はいはい、そこの人たち寄ってきなよ。この白塗り一座が、とっておきの芸を見せるからさ」
満願神社の前で、軽薄そうな細身の若者が道行く人に声をかけている。
隼人と沙羅は、思わず顔を見合わせた。今、声をかけている若者は小吉だ。ただで居候させてもらうのは申し訳ないからと、大道芸の手伝いをしているのである。
小吉は体格も大きくないし、顔つきも軽薄だ。頭の切れる感じはない。しかし、その風貌が逆に相手を油断させ、警戒心を起こさせないのだ。むしろ、親しみを感じさせる。
それゆえ、客引きとしてはぴったりであった。
「そこのお嬢さん、ちょっと見ていきなよ。今、江戸じゃちょいと流行ってるんだぜ。見ていかないと、流行りに付いて行けないよ」
へらへら笑いながら、小吉は若い女たちを誘う。小吉という男は、相手の警戒心を消して懐に飛び込むことが出来る。したがって、情報を集めるにはもってこいなのだ。
その長所が、ここでも存分に活かされている。普段よりも、多くの人が足を止めてくれていた。
大道芸が一段落し、三人はひとまず神社の裏で休憩した。小吉はにこにこしながら、沙羅の作った握り飯を食べていた。
「助かったよ、小吉。お前は客引きの天才だな」
隼人がそう言うと、小吉は嬉しそうに頭を掻く。
「そ、そうかなあ! まあ、俺もただで居候させてもらう訳にもいかないからね――」
不意に隼人の手が伸び、小吉の口をふさぐ。と同時に、さりげなく目線を変えた。つられて、小吉もそちらを見る。
そこには、中村左内がいた。十手をぶらぶらさせながら、しかめ面でこちらに歩いて来ている。小吉は、慌てて立ち上がった。
「これはどうも、お役人さま。お務め、ご苦労さまです」
そう言って、小吉は頭を下げた。すると、左内はいかにも偉そうな態度で彼を睨む。
「おい小僧ども、こんな所で何をやってるんだ。まさか、悪事の相談をしてるわけじゃねえよな?」
高圧的な表情で言いながら、顔を近づけていく左内。小吉は思わず顔をそむける。
「お、お役人さま……ち、近いですよ」
「近くなきゃ、話できねえだろうが。いいか、後で隼人の家に集合だ。やっと、馬鹿どもの素性がわかったんだよ」
夜になり、隼人と沙羅の住みかである廃寺へと皆が集まった。犬の白助は、来客の存在が嬉しいようだ。いかにも楽しそうに、皆の周りをうろうろしている。
そんな中、左内は皆の顔を見回した。
「先日、小吉をさらおうとした一太とかいう奴だがな、どうやら音松って破落戸とつるんでいるらしい。その音松は、俺たちを潰すと息巻いていたそうだ」
その言葉に、市が不快そうな表情で口を開いた。
「そいつらを殺して、金になるのか?」
「ならねえ。だからよ、今回は外れてくれても構わねえぞ。どうせ、相手は雑魚ばかりだ」
「そうかい。だったら、俺は降りる。金にならねえ殺しはしたくねえ」
そう言うと、市は涼しい顔で立ち上がる。振り向きもせずに去って行った。
「けっ、相変わらず仲間意識のねえ野郎だな。で、お前らはどうするんだ。いざとなれば、俺一人でも殺るがな」
「俺はやるぜ。ここんとこ一人も殺してねえからな、頭ん中に霞がかかってきてんだよ」
冗談めいた口調で鉄が言った。続いて、隼人も同意の首肯をする。
左内はにやりとした。
「まあ、さっきも言った通り相手は雑魚だ。ただ問題なのは、その雑魚が何で俺たちを狙ったか……なんだよ。お前らが手伝ってくれるならちょうどいい。音松を捕まえて吐かせてやらねえと」
「そいつぁ、俺に任せな。全身の骨を一本ずつへし折って、何もかも吐かせてやるからよ」
そう言うと、鉄は愉快そうに笑みを浮かべた。
「となると、後は奴らをどうやって誘き寄せるかだな……」
その夜、鉄と小吉はひとけの無い道を歩いていた。両方とも千鳥足で、動きもおかしい。
「ばぁか野郎……市の奴め、ちいとばかし面がいいからってな、調子に乗るんじゃねえよ」
「そうだそうだ! あいつは、顔を合わせりゃ金の話ばっかり……仲間意識ってのが無いんだよ!」
二人は大声でくだを巻きながら、草むらを歩いていく。端から見れば、完全なる酔っぱらいだ。
しかし、鉄の目はさりげなく辺りを窺っている。
「小吉、来てるぞ」
鉄が囁くと、小吉が頷いた。
「分かってるよ。しかし、奴らは本当にど素人だね」
そう、彼ら二人の後を一太が付いて来ているのだ。相撲取りのような巨体で、のっそりと歩いて来ている。気づかない方が無理だろう。
だが鉄は、別の者の存在にも気づいていた。あと三人来ている。ひょっとしたら、巨漢の一太に注意を惹き付けさせ、その隙に残りの三人が仕留める……という手口なのかもしれない。
いずれにしても、奴らは今日で終わりだ。
不意に、草むらから立ち上がった者がいる。小柄な若者だ。その若者は、素早い動きで鉄たちの行く手を塞ぐ。その手には、短刀が握られていた。
さらに、ぼろぼろの着物を着た浪人風の男も立ち上がる。彼は自信たっぷりの態度で動き、刀を鞘から抜いて構える。
最後に、音松が姿を現した。彼もまた、抜き身の短刀を構えている。
「あんたら、仕掛屋の鉄さんと小吉だな?」
その声を発したのは、音松である。彼は短刀をちらつかせ、じりじり間合いを詰めていく。
「だったら、どうしたってんだ?」
鉄は、平然とした表情で言葉を返す。
「だったら、あんたには死んでもらおう。小吉さんの方は生かしといてやるけどな。その代わり、元締の居場所を吐いてもらう」
そう言う音松は、勝利を確信しきった者の顔つきをしていた。だが、それも当然だろう。鉄はともかく、小吉が雑魚であるのは知られている。
ならば、実質的には四対一だ。いくら鉄が腕が立つとはいえ、この状況ではどうしようもあるまい。
だが、音松はまだ気づいていなかった……罠にかかったのが、自分たちだという事実に。
「お前たち、そんな所で何をやってるんだ?」
不意に背後から声がした。音松らが振り返ると、そこには同心が立っている。言うまでもなく、中村左内だ。
音松たちの顔に、緊張が走る……だが、左内はにやりと笑った。
「そんなに驚かなくていいよ。俺も同業だ。本当、お前らはど素人だな。だが、俺たちを敵に回したのが運の尽きだ。全員、死んでもらうぜ」
左内の言葉の直後、悲鳴が上がる。見ると、小柄な捨吉が喉から血を流し倒れていた。
その後ろには、鎌を持った隼人が立っている。
浪人の八郎は、他の者より反応が早かった。刀を構え、すぐさま左内へと斬りかかる。
だが、八郎は左内の腕を舐めていた。左内は相手の太刀筋を見切り、躱した直後に瞬時に間合いを詰めた。そして、急所に刀の一撃を見舞う――
八郎は、その一太刀で崩れ落ちた。だが、左内は返す刀でなおも斬りつける。
血がほとばしり、八郎は完全に絶命した。
それを見るなり、一太は怒りで体を震わせる。
「くそがぁ! お前ら! ぶっ殺してやる!」
吠えると同時に、凄まじい勢いで手近な標的である鉄に突進して行く一太。彼の三十貫(約百十二キロ)を超える巨体のぶちかましは、それだけで凶器となりうる。
しかし、鉄は微動だにしない。彼は一太の体当たりを、真正面から受け止めたのだ。
驚愕の表情を浮かべる一太。だが、鉄は涼しい顔でにやりと笑う。
「へへっ、お前みたいに図体だけじゃねえんでな。こちとら、佐渡の金山で鍛えられてきたんだよ」
低い声で言った直後、鉄の腕が伸びる。一太の首を掴み、同時に脇に抱える。そのまま、一気に絞め上げた――
頸動脈と気道とを絞められ、一太は瞬時に意識を失う。だが、鉄の動きは止まらない。そのまま、一瞬で首をへし折った。
音松は、唖然とした表情でその場に突っ立っている。彼は最後のへまをした。死んでしまった者たちのことなど忘れ、すぐに逃げ去るべきだったのだ。
しかし、音松にはそれが出来なかった。
「い、一太……」
音松は一太の身を案じていたわけでも、一太の仇を討とうとしたわけでもなかった。何が起きたのか把握しきれず、ただ立ちすくんでいたのである。
この場面では、致命的な失敗であった。
その時、背後から首に腕が巻きつく。気づいた時にはもう遅い。一太と同じく頸動脈と気道を絞められ、音松は一瞬にして意識を失っていた。
気絶した音松を、無言のまま見下ろす隼人。彼の技により、音松は抵抗すら出来ずに絞め落とされたのである。
「おし隼人、よくやった。後は、締め上げて吐かせるだけだ。終わったら、俺がきっちり始末しておくからな」
いかにも嬉しそうな表情で、鉄は言った。一方、隼人は無言のまま倒れている音松を見下ろす。
音松は、頭もいいし度胸もある男だ。だが、江戸の裏社会の事情に無知であった。無知であるがゆえに、仕掛屋を敵に回し……挙げ句、命を落とす羽目になった。
「馬鹿な奴らだな……お前らは、あまりにも物を知らなさ過ぎたんだよ。少しでも分別があれば、そんな腕で仕掛屋に喧嘩を売るような真似はしなかっただろうに」
意識を失い連れて行かれる音松を見ながら、左内は誰にともなく呟く。
これから音松は、鉄に凄まじい拷問を受ける。何もかも吐かされた挙げ句に、誰にも知られずに殺されるのだ。哀れな話ではある。
だが、それは裏稼業に足を突っ込んだ時点で誰もが覚悟しなくてはならないことだ。左内とて、打つ手を間違えれば立場は逆になる。敵に回す相手を見極めるのも、重要な仕事である。
音松は仕事の見極めが甘かったのだ。その甘さもまた、無知ゆえである。
この業界では、無知であることは、それだけで罪なのだ。
それこそ、死罪に値するくらいの……。
・・・
翌日、町外れにある市の家を訪れた者がいた。
それは鉄だった。彼にしては珍しく、険しい表情である。
「市、お前にちょいと頼みたいことがある」
「言っておくが、金は貸さねえぞ」
すげなく言い放つ市。だが、鉄はにこりともしなかった。
「馬鹿、違うよ。昨日、仕掛屋に喧嘩を売った音松って名の餓鬼を捕まえたんだよ。そいつが、こう抜かしたんだ……利吉に依頼された、ってな」
「利吉だと?」
「ああ。利吉と言っても江戸にゃ大勢いるが、こんなことに首を突っ込むのは、よろず屋のお佐代んところの利吉だろうな」
鉄の言葉を聞き、市は顔をしかめた。よろず屋お佐代と言えば、市の育ての親である秀二の妾である。裏の世界でも、顔の利く大物だ。
「そこでだ、是非お前に聞いてきてもらいてえんだよ。お前は、あいつとも顔見知りだしな。ちょいと聞いてみてくれねえか」




