無知無情 五
「いいか、はっきり言っておく。お化けなんか、この世にはいないんだ」
胸を張って、自信満々の様子で語っているのは拝み屋の呪道である。
彼の前には、若い町娘が座っていた。だが、呪道の言葉に戸惑いを隠せない様子だ。
「で、でも……京夏先生は、この世には不思議がいっぱい、お化けもいっぱいいると――」
「お嬢さん、あの京夏は詐欺師みたいなもんだよ。あいつの顔がいいからって、信用しちゃ駄目だ。いいかい、拝み屋にとって重要なのは顔じゃない。腕だ」
真剣な表情で言いながら、呪道は自分の腕をぺちぺちと叩く。娘は困ったような表情を浮かべていた。
ここは、呪道の住居兼道場である。彼はここで、祈祷師の看板を掲げているのだ。
その仕事は、祈祷より悩み相談の方が多い。呪道は人当たりがよく、また口の上手さもあり、祈祷以外の部分で人気を集めていたのである。
もっとも、ここを訪れる客たちは、彼が江戸最大の組織『龍牙会』の幹部であることを知らないのだが。
「おい呪道、話がある」
妖怪や物の怪の話が好きな町娘を適当に言いくるめ、お布施をもらった呪道。ところが、次に現れたのは現物の鉄だった。
呪道の表情が、にわかに渋くなる。何せ、この男は一年のうち三百六十日くらいは「金がねえ」とぼやいているのだ。呪道の顔を見ると「金貸してくれ」と言ってくるのも彼の特徴である。裏稼業でそれなりに稼ぎは有るはずなのだが、宵越しの銭は持たねえ……というのが、鉄の美学であるらしい。
だが、そんな美学は呪道からすれば、はなはだ迷惑である。
そんな呪道の思いなどお構い無しに、道場にずかずか入って来た鉄。板の間に、どっかと腰を降ろす。
「おい呪道――」
「ちょっと待ちなよ鉄さん。まずは、今までの借金を返してくれ。話はそれからだ」
鉄の言葉を遮り、呪道は言い放った。鉄には、かなりの額を貸している。もはや放っておけない額だ。せめて、そちらに対する言い訳だけでも聞かないと納得できない。
しかし、鉄は怯まない。
「おい呪道、いいから俺の話を聞け。とんでもねえことが起きた」
「へっ、どうせ借金の話だろうが。馴染みの女郎がどうのこうのとか言って、金借りようって魂胆だろ。こっちはお見通しだ」
呪道の態度はにべもない。だが、鉄は大げさな態度で首を振った。
「違うんだよ馬鹿! いいか、とんでもねえことになってんだよ!」
怒鳴りつけた後、鉄は鋭い目付きで辺りを見回す。付近に誰もいないことを確認した後、呪道に顔を近づけていった。
すると何を思ったか、呪道は慌てて飛びすさる。
「ちょ、ちょっと待てよ鉄さん! 俺が好きなのはお勢さんだ! 男と寝る趣味はない!」
「はあ? 何わけわかんねえこと言ってんだ馬鹿! いいから耳貸せ!」
そう言うと、鉄は呪道の襟首を掴んだ。力任せに強引に引き寄せる。
「いいか、仕掛屋に喧嘩を売ってきた馬鹿がいる。一太とかいう、相撲取りみたいにでかい奴らしい。お前、知らねえか?
その言葉を聞いたとたん、呪道の表情が変わった。
「何だと? そいつぁ穏やかじゃねえなあ」
「ああ。その一太って馬鹿は、間違いなく玄人じゃねえんだよ。昼日中に、うちの小吉をさらおうとしてたらしいからな」
「おいおい、何だそりゃ」
呪道は顔をしかめた。その話が本当だとすれば、やり方があまりにもお粗末すぎる。
「相手は素人に毛の生えたような連中だ。だがな、仕掛屋と知ってて小吉を狙った以上、俺はこのまま済ますつもりはねえ。俺は、そいつらを潰す」
その言葉を聞いた呪道は、神妙な顔つきで口を開いた。
「鉄さん、この際だから言っておくがな……仕掛屋の元締ってのは、いったい何者なんだよ?」
その途端、鉄の表情が変わる。
「はあ? そいつは今は関係ないだろうが」
「関係あるんだよ。いいか、俺は龍牙会の人間だ。一応、龍牙会と仕掛屋は同盟を結んでる。なぜかといえば、元締は仕掛屋を評価しているからだ。他の連中とは違い、仕事はきっちりこなすし、裏の世界の仁義も分かってくれている」
呪道は、そこで言葉を止める。鉄は何も言わず、じっと黙って聞いていた。
「しかしだ、仕掛屋の存在を快く思わない連中も、龍牙会の中にはいる。その理由はだ……うちの元締が面を晒しているのに、そっちの元締は面を晒してないからだよ。こんなこと、いちいち言わなくても分かってるよな?」
呪道の表情は、いつになく神妙なものだ。鉄もまた真剣な顔つきになった。
「悪いがな、そいつは無理だ。仕掛屋の元締は最後の切り札なんだよ。元締の正体を明かす時は、仕掛屋が潰れる時だ。こいつぁ、前にも言ったはずだぜ」
「そうかい。まあぶっちゃけた話、俺はそれでも構わないんだよ。しかしな、それじゃ納得できねえ連中もいる。それだけは覚えておくんだな」
その言葉に、鉄は顔をしかめた。だが、呪道はなおも語り続ける。
「仕掛屋の元締さんが面を晒してくれれば、うちと仕掛屋さんとの関係は、より強固なものになる。そうすれば、こんな時も龍牙会が総出で一太を探すことも出来るんだよ。だが、今のまままじゃ無理だ」
・・・
「おい一太、何でしくじったんだよ?」
ここは、町外れに建っている物置小屋だ。四人の人相の悪い若者たちが座り込み、何やら良からぬ雰囲気の会合を開いている。
一座の中心人物は、ざんぎり頭の若者である。体はさほど大きくないが、目付きが鋭く頭の回転も良さそうな男だ。一太に向かい、語気鋭く迫っている。
「しょ、しょうがねえだろうが。いきなり奉行所の役人が来やがってよお、しつこく聞いてきやがったんだよ。あまりしつこいから、あの岡っ引きをぶちのめして逃げようかと思ったぜ」
「馬鹿野郎!」
言うと同時に、ざんぎり頭は一太の額をはたいた。
「痛えな音松!」
顔をゆがめ、一太は怒鳴った。彼は六尺近い背丈と、三十貫(約百十二キロ)の目方を誇る巨漢である。こんな男に怒鳴られたら、大抵の者は怯んでしまうだろう。
だが、音松と呼ばれた男は怯まなかった。逆に一太を睨み返す。
「おい、分かってんのか? お前はな、昼間に小吉をさらおうとしたんだ。それだけでも、呆れ返るくらいの馬鹿さ加減だ。いいか、お前が無事でいられるのは、お前を捕まえた役人が昼行灯の中村左内だからだ! 他の役人だったら、取り調べはまだ終わってねえよ!」
言いながら、音松は一太の頭をはたいた。ぱちん、という派手な音が響く
一太は思わず顔をしかめたものの、何も言えず下を向いた。そう、音松は彼らの頭領格である。逆らうことなど出来ないのだ。
「それより音松、この先はどうするんだ? 小吉がいねえとなると、仕掛屋をどうやって探す?」
別の男が尋ねた。体は小柄だが、頭は切れそうな雰囲気だ。ぼさぼさの髪をいじりながら、音松を見つめている。
「利吉さんからの依頼だ。俺たちの初仕事でもあるし、しくじるわけにはいかねえ。仕掛屋は必ず潰す」
言いながら、音松は短刀を抜いた。刃をじっくりと見つめる。
「だったら、次はどうするんだ?」
「残るは、現物の鉄と竹細工師の市だ。その二人のうち、どちらかを狙うしかねえな」
短刀をいじくりながら、音松は答える。
「しかしよ、二人は手強いらしいぜ――」
「おい捨吉、お前怖じ気づいたのか? 俺たちが上がっていくためには、仕掛屋だろうが何だろうが潰していかなきゃならねえんだよ」
そう言うと、音松は短刀を振り上げ、思い切り床に突き刺した。
ぐさりという音とともに、短刀が畳に突き立った。
「いいか、俺みたいな島帰りには、まともな暮らしなんか出来やしねえんだ。一太、捨吉、八郎……お前らだって、似たようなもんだろうが」
鋭い口調で言いながら、音松は皆の顔を見回す。
「いいか、利吉さんは言ったんだ……仕掛屋を潰したら、五十両くれるとな。五十両を四人で分けたら、幾らになるんだ一太?」
音松の言葉に、一太は戸惑うような顔になった。
「わ、分からねえよ……い、幾らだ?」
「お前、このくらいの計算も出来ねえのか。いいか……一人頭、十二両二分だ」
「そ、そうか」
頭を掻く一太。この男、図体は大きく力も強い。だが頭は悪く、気も弱い。半年前までは、木場で人足をしていたのだが……周りからは軽く見られ、ひどい扱いを受けていた。
ある日、彼は酔っ払った雇い主から殴る蹴るの暴行を受ける。一太は暴行を止めるため突き飛ばしたところ、相手が死んでしまったのだ。
以来、一太は無宿者となる。あちこちをさまよい歩き、食うために争う。そのままいけば、いずれは野垂れ死んでいたであろう。
そんな中、出会ったのが音松である。
「お前、そんだけの馬鹿力があんのに、もったいねえことしてるなあ。俺についてこい」
音松は、優しげな表情でそう言った。頭の悪い一太は、音松に付いていくしかなかったのだ。
捨吉もまた、似たような境遇である。明日をも知れぬ無宿渡世の身であった。たった一人で荒野をさまよい、地面を這い泥水をすするようにして生きていた。
しかし音松に拾われ、彼らと共に江戸へとやって来たのだ。
「いいか、お前ら。十二両あれば、俺たちも違う暮らしが出来るんだ。今までみたいに、二束三文でこき使われることはねえ。僅かな金のために、切った張ったになることもねえんだ。この仕事は、是非とも成功させる。そうすれば、俺たちはもっとましな生活が出来るはずだ」
言った後、音松は皆の顔を見回す。
「しかし音松、現物の鉄と竹細工師の市は凄腕だという話を聞いた。どうやって仕留めるのだ?」
八郎が尋ねる。この男は貧乏浪人の息子だった。だが父親は仕官に失敗し、やくざの用心棒に身を落としたのだ。
八郎は、そんな父親から幼い頃より剣術を叩き込まれる。だが、つまらない言い合いから人を殺し……江戸に逃げて来たのだ。
「なあに、いくら凄腕とはいっても、四人がかりで行けば仕留められる。いいか、一人に四人で行くんだ。そうすれば、必ず上手くいく」
そう言うと、音松は短刀を磨ぎ始めた。




