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必殺必滅仕掛屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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24/55

無知無情 一

 昼の江戸の町は、人通りが多い。誰もが、様々な用事を抱えて思い思いの方向に歩いている。

 この男もまた、とても大事な用事を抱えていた。それを表しているかのように、男の表情は堅い。

 もっとも、その顔は二枚目役者のように端正なものである。堅い表情が、彼の魅力をさらに引き出していた。たまにすれ違う女が振り返り、彼の後ろ姿をうっとりと見つめていることがある。だが、男はまったく気づいていなかった。

 その男こそ、市である。




 市は一人、町中を歩いている。足はまだ少し痛むが、普通に歩くのには支障がないくらいには回復している。あと五日もあれば、仕事には復帰できるだろう。

 自身の体の調子を確かめるように、市はゆっくりと歩いていく。やがて、一軒の質屋の前で立ち止まった。『大滝屋』という看板が掲げられた店だ。店の前には、人相の悪い若者が掃除をしていた。

 ややあって、若者は顔を上げ市を睨み付ける。ここで何をうろうろしているんだ? とでも言わんばかりに。だが、その表情はすぐに変わった。

「あ、市さんじゃありませんか。お久しぶりです。どうかしましたか?」

 いかにも三下がご機嫌を取るかのような表情で、若者は話しかけてきた。だが、市の態度は冷たい。

「叔父貴はいるかい?」

「へい、中にいますよ」

「そうかい。入らせてもらうぜ」

 そう言うと、市はずかずか入って行く。




「おう、市か。あの不死身の巌堂を仕留めたそうだな。いや、大したもんだ」

 店の奥に座っていた秀次は、感心したような口ぶりでうんうんと頷く。

 だが、市の表情は冷たいままだ。

「ああ、巌堂は仕留めた。残りの三十両を、さっさと払ってくれねえか」

「三十両? お前は何を言ってるんだ?」

 そう言って、秀次は首を傾げた。

 そのとたん、市の表情が変わる。鋭い目つきで、秀次を睨み付けた。

「叔父貴、冗談は顔だけにしといてくれよ。言ったじゃねえか……巌堂を仕留めれば、五十両だと聞いた。俺はまだ、前金の二十両しかもらってないんだぜ」

 語気鋭く、秀次に迫る市。すると秀次の表情にも、僅かながら変化が生じた。

「待てよ市。そいつぁ話がおかしいんじゃねえのか? そもそも巌堂を仕留めたのは、おめえじゃねえよなあ?」

「ああ、俺じゃねえ。仕掛屋の連中が殺ったんだよ」

「だったら、おめえに後金を払うのは筋違いじゃねえのかい?」

 涼しい顔で、秀次は言い放った。彼も裏の世界の大物である。度胸はあるし口も回る。この程度のやり取りなど日常茶飯事だ。

 しかし、市の方も引く気はない。

「叔父貴、勘違いしてんのはあんたの方だ。あんたは俺に、巌堂を仕留めるよう依頼した。そこで俺は、仕掛屋に巌堂を仕留めるよう依頼した。ただ、それだけだよ。あんたが、いつもやってることじゃねえか」

 言いながら、秀次を見据える市。秀次の方も、その目線を涼しい表情で受け止める。

 だが、次に放たれた市の一言が、その場の空気を変えた。

「それとな、あんたはもう一つ勘違いしてることがある。これは俺とあんただけの問題じゃねえんだ。あんたと仕掛屋の問題なんだよ。あんた、仕掛屋を敵に回す気かい?」

 市の言葉に、秀次の表情が僅かながら変化した。一瞬、その目に殺気が宿る。

 しかし、その殺気はすぐに消えた。秀次はにこやかな表情に戻り、部屋の奥にある戸棚の引き出しを開ける。

 中から何かを取り出すと、市の前に差し出す。それは、紙に包まれた小判だった。

「そういうことなら仕方ねえ。後金の三十両だ」

 そう言って、余裕の笑みを浮かべる秀次。彼も、裏の世界では大物として知られた男だ。この程度の金額で揉めていたのでは、自身の評判を下げる……そう判断したのだろう。

 だが、市の方はそんな事情は関係ない。ものも言わずに小判を掴み取り、懐に入れる。と同時に、彼は立ち上がった。

「叔父貴、邪魔したな」

 その一言を残し、市は立ち去ろうとした。だが、足を止める。

「忘れるとこだったよ。叔父貴、あんたに一つ聞きてえことがある」

「何だ?」

「あんた、あの用心棒のことを教えてくれなかったな……どういう訳だ?」

「用心棒だと? 何のことだか分からねえなあ」

 秀次は平然としている。しらを切っているのか、あるいはは本当に知らないのか。市は鋭い目で、秀次を見つめる。

「あの巌堂には、凄腕の用心棒がいたんだよ。 巌堂だけなら、俺一人でも仕留められたはずなんだよ。あんたが、あの用心棒のことを教えてくれりゃあ、ここまで拗れずに済んだんだ」

 市の語気は鋭い。だが、秀次は知らぬ存ぜぬといった風情だ。

「そんなこと、俺に言われても困るぜ。巌堂に用心棒がいた、なんて話は初耳だよ」

 涼しい表情で、そう言ってのけた秀次。その態度を見て、市の眉間に皺が寄った。

「なあ叔父貴、俺は思うんだよ。今回の件は、拗れることを計算の上で仕組まれていたような気がするんだがね」

「考え過ぎだよ。市、俺はお前を息子も同然に育てて来た。その俺が、お前を裏切ると思うか?」

 そう言って、秀次はにやりと笑った。だが、市は冷たい表情のままだ。この秀次は、目的のためならば母親でも殺すような男なのだ。肉親の情など、欠片もないであろう。

 秀次が、腹の底で何を考えているか……恐らくは、市を犠牲にするつもりだったのだ。巌堂の命を狙った市が返り討ちに遭い、怒った巌堂が龍牙会に乗り込む。秀次は、そこまでは計算していたのだろう。


 だが、その先は?


 その先が、市には分からない。秀次は頭の切れる男だし、計算にも長けている。意味のないことはしないはずだ。

 秀次は、最終的に何を期待していたのだろうか?

 いずれにしても、一つはっきりしたことがある。

 もう、秀次は信頼できない。




 市が帰った後、秀次は一人で忌々しそうに呟いた。

「巌堂め……使えねえ奴だ。こうなると、奴らを呼び寄せるしかないな」


 ・・・


 その翌日。

 隼人と沙羅は、いつものように満願神社前にて大道芸をしていた。

 顔を白く塗った隼人が、沙羅の吹く笛の音色に合わせて踊っている。だが、足を止める者はほとんどいない。というより、今日はいつもより人通りが少ない気がする。

 やがて、笛の音が止まった。沙羅は踊っている隼人に近づき、肩を叩く。

「ねえ、少し休も。お客さんもいないことだし」

 その言葉に、隼人は苦笑しながら頷いた。

「それもそうだな」


 二人は神社の裏で座り、作っておいた握り飯を食べる。

「白助の奴、市がいなくなって寂しがってるだろうなあ」

 隼人の言葉に、沙羅は笑った。

「そうだね。白助は、市さんに懐いてたし」

「あいつ、悪い奴じゃなかったな」

 言いながら、隼人は市との生活を思い出す。口数は少なかったが、その根底の部分には、優しさを感じさせる男だった。


 その時、隼人は奇妙な闖入者を見つけた。

 神社の境内で、じっと二人を見ている者がいる。男のようななりをしているが、よく見ると女だ。年齢は十代半ばだろうか。泥で汚れた顔をしてはいるが、器量は悪くない。もっとも口元には締まりがなく、目の動きもおかしい。有り体に言うと、彼女からは知性の働きが感じられない。

 その少女は、何のためらいも無くとことこ歩いて来た。

 隼人の前で立ち止まると、無言のまま彼の食べていた握り飯に手を伸ばす。隼人は抵抗もせず、されるがままになっていた。

 一方、少女は隼人の握り飯をむしりとると、むしゃむしゃ食べ出した。少女が知恵遅れであるのは、誰が見ても分かる事実である。それゆえ、隼人も沙羅も黙ったまま、少女の好きなようにさせていた。


 その時、遠くから声が聞こえてきた。

「おい、お夏! 何やってんだ!」

 叫びながら、こちらに走って来たのは中年の男である。腹掛に股引姿で、慌てた表情を浮かべていた。

「こら、お夏! 勝手に出歩くなと言ってあっただろうが!」

 叫ぶと同時に、男は少女の手を掴む。さらに隼人と沙羅に向かい、ぺこぺこ頭を下げた。

「すまねえ! こいつは……その、あれなんだよ! あんたらの扮装が物珍しいから、ついふらふらと来ちまったんだ!」

「いや、俺たちは大丈夫だよ。その娘は、お夏というのか?」

 尋ねる隼人に、男は面目なさそうな顔で頷いた。

「ああ。可哀想に、親に捨てられちまってなあ。仕方ねえから、俺が親代わりに育ててんだよ。けど目を離すと、すぐにふらふら出歩くんだよ……すまなかったな」

 そう言うと、男は頭を掻いて見せる。

 隼人と沙羅は、お夏を見つめた。彼女の器量は悪くない。口を開かず動かずにいれば、男を惹き付けることは充分に可能だろう。

 もっとも、お夏が知恵遅れだと周囲の者たちに知られた場合、その器量の良さゆえに別の問題が生じる。

 下劣な性根の男たちがお夏の正体を知った場合、彼女は確実に慰み者になるであろう。

 そう考えた時、隼人は思わず顔をしかめていた。

「あんた、名前は?」

 男に尋ねる隼人。

「えっ? 俺は大工の勘助だが――」

「勘助さん、お夏が妙な連中に手込めにされたらどうするんだ?」

「えっ……」

 勘助の表情は、みるみるうちに曇っていく。しかし隼人は、構わずに言葉を続けた。

「俺は、見ての通りの大道芸人だ。あまり偉そうなことを言える身分じゃないがな、お夏さんはこのままだと……下衆な男たちの慰み物にされるぞ。目を離さない方がいい」

 隼人の言葉に、勘助は複雑な表情で頷く。

「ああ、そうだよな。俺が迂闊だったよ。これからは気をつける」

 勘助はぺこりと頭を下げると、お夏の手を引いて去って行った。


「あの勘助さんて、いい人だね」

 沙羅が呟くように言い、隼人も同意する。

「そうだな」

「ねえ、勘助さんが死んだら、お夏ちゃんはどうなるのかな?」

 尋ねる沙羅の声の奥には、深い悲しみがある。その問いに対する答えがどんなものであるか、聞くまでもなく自分でも理解しているのだろう。

「運がよければ、どこかの尼寺にでも世話になるだろうよ。だが、下手をすれば男たちの住む飯場にでも連れて行かれるだろう。その後はただ同然で体を売らされ、最後は体を壊してあの世逝きだ」

 感情を交えず、淡々とした口調で隼人は語る。彼とて、そうした事情に詳しい訳ではない。それでも、お夏のような少女の末路は容易に想像できる。

「悲しい話だね」

 言いながら、沙羅はうつむいた。その時、またしても声が聞こえてくる。

「おおい、隼人!」

 叫びながら、こちらに走って来るのは小吉だ。隼人とさして変わらない年齢のだが、彼と比べると軽薄かつ落ち着きのない青年である。

 小吉は、脇目もふらずこちらに走ってきた。そして、隼人の前で嬉しそうに立ち止まる。だが隼人は無言のまま、彼の襟首を掴み引き寄せた。

「おい、人前で俺の名前を大声で呼ぶな」

「あ、そうか。すまねえな。ところでよ、最近付き合い出した女から、干物をもらったんだ。良かったら、白助にあげてくれよ」

 そう言うと、小吉は持っていた包みを差し出す。中を見ると、大きな魚の干物が入っている。それも、かなりの量だ。

「えっ、犬の餌にしていいのか?」

 戸惑う隼人に、小吉はにこりと笑う。

「ああ、もちろんだ。そのために持ってきたんだからよ。じゃあ、俺は行くぜ。今日は、あちこちの女と約束があってよ……忙しくて身が持たねえや」

 そう言うと、小吉は来た時と同じく唐突に去って行った。

「あいつ、おかしな奴だ」

 くすり、と隼人が笑った。お夏の件で、荒んでいた気持ちが少しは晴れたような気がする。

 一方、沙羅は干物を見て目を丸くしていた。

「これ、白助に全部あげるの?」

「いや、それはもったいないよ。俺たちが食べても問題ないだろう」







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