義賊無情 四
かつて、江戸を騒がせた三人の大盗賊がいた。
世直し小僧と名乗っていたその盗賊は、金持ちの悪徳商人から金を盗み、貧しい人たちに分け与えていたのだ。あちこちの貧乏長屋に金子をばら蒔き、時には小判を投げ入れたりもしていた。世直し小僧について書かれた瓦版は飛ぶように売れ、奉行所は躍起になって世直し小僧を捕らえようとした。
奉行所の役人たちは、血眼になって捜索したものの……世直し小僧を捕らえることは出来なかった。彼らは神出鬼没な上、腕もなかなかのものだった。そして五年前、世直し小僧は忽然と姿を消す。以来、世直し小僧の噂は聞かれなくなった。
世直し小僧は決して殺生を行わず、また金持ちからしか盗まなかった。そのため、庶民からの人気は高かったが……彼らもしょせんは盗賊である。金が盗まれたとなれば、必ず割りを食う者がいる。金倉を作った大工、見張り番、錠前師などなど。彼らは責任を取らされ、給金を減らされたり馘にされたりした。中には、世直し小僧の仲間であるとの疑いをかけられ、奉行所で拷問された者もいる。
裏稼業の人間に世直し小僧の始末を依頼した者がいても、何ら不思議はなかった。
「今回の相手はな……その世直し小僧の宗太郎、健次、竹蔵の三人らしい。そうだな鉄?」
中村左内の言葉に、鉄は頷いて見せる。
「ああ、その通りだ。こいつはな、猿の小平次のとっつあんに頼まれた仕事だ。とっつあんは、その三人の誰かに殺られたらしいがな。だから、こいつはとっつあんの仇討ちでもある。俺は、一人でも殺るぜ」
「小平次だと?」
鉄の言葉が終わらぬうちに、市が口を挟んだ。
「そう、猿の小平次だよ。お前、とっつあんを知ってんのか?」
尋ねる鉄に、市は顔を歪めながら頷いた。
「まあ、名前だけはな」
「そうか、小平次ってのは有名だったんだな。ちなみに金は一人一両らしい。どうするよ、みんな?」
言いながら、左内は机の上に二分金を一枚ずつ並べていく。
「俺は殺るぜ。相手が誰だろうと関係ない」
真っ先に立ち上がったのは隼人だ。机の上の二分金を手に取り、懐に仕舞う。次いで、小吉も立ち上がった。
「やるに決まってるでしょうが。でなきゃ、おまんまの食い上げだよ」
続いて、鉄が金子に手を伸ばす。三人の動きを見届けた左内は、市の方を向いた。
「さて、あと残るはお前だけだが……どうせ、やらねえんだろ」
「いや、今回はやらせてもらう」
そう言うと、市は二分金を手に取り懐にしまう。左内は思わず首を傾げた。
「珍しいこともあるもんだな、お前がこんな安い仕事を引き受けるとは」
左内の言葉に、市は僅かに顔をしかめて見せた。
「こっちも、色々と事情があってな。とにかく、俺もそいつらを殺る」
淡々とした口調で言うと、市は机の上の二分金を手に取った。
「そりゃ助かるぜ、今回は急ぎの仕事だからな。うかうかしてると、奴らは島に帰っちまうんだよ。ここ二〜三日が勝負だ。いいな?」
鉄の発した言葉に、皆が頷いた。
・・・
「何よあんた、あたしが何したって言うのさ!」
怒鳴りつけるお八。しかし、左内は全く怯まない。
「いいから、さっさと番屋まで来い。お前の話を聞かねえと始まらねえんだからよ」
一時(いっとき・約三十分)ほど前のことだ。お八と三人組の目の前で、引ったくりが起きたのだ。
若い男が風呂敷包みを片手に、彼女たちの少し前を歩いていた。すると、後ろから走って来た小柄な男にいきなり突き飛ばされたのだ。男は派手に転んだ挙げ句、腰を押さえてうんうん唸っている。
一方、引ったくりの素早さは尋常ではなかった。お八らが反応する間も無く姿を消したのだ。
「泥棒! 待ちなよ!」
お八は、おっとり刀で後を追おうとした。だが、宗太郎が彼女の前に立つ。
「お八、やめとけ。関わるんじゃねえ」
そう言う宗太郎は、いつになく厳しい表情を浮かべている。
「えっ……わ、分かった」
さすがのお八も、宗太郎の表情からは異様なものを感じ、従わざるを得なかった。
その時、何者かが遠くから走って来る。宗太郎ら三人は警戒し、思わず身構えた。この前の、見知らぬ老人に襲撃された件を思い出したのだ。
だが、そこに現れたのはとぼけた顔つきの同心である。馬のような長い顔をしかめながら、面倒くさそうに口を開いた。
「俺は南町の中村左内だ。お前ら、何があったんだよ?」
言いながら、四人の顔を見回す同心。すると、倒れていた男が叫び出す。
「お役人さまぁ! 引ったくりです! 引ったくりに遭いました!」
「なにい、引ったくりだとぉ? ひょっとして、こいつらがやったのか?」
じろりとお八を睨む左内。すると、お八は血相を変えた。
「んな訳ないでしょうが! あたしたちは、ただ歩いてただけだよ!」
「本当か?」
左内は倒れている男の方を向いた。すると、男はうんうんと頷く。
「へい、その通りです。この人たちじゃありません」
「そうか……なあ、お前。ちょっと番屋まで来てくれねえか」
男に声をかける左内。だが、男は首を振った。
「無理です。さっき引ったくりに突き飛ばされて、腰を打ってしまったもので……いててて」
うめき声を上げながら、腰をさする男。すると、左内は首を捻る。
「そいつぁ困ったな。仕方ねえ、お前が来い」
そう言うと、お八の腕を掴む左内。
「えええ!? ちょっと待ってよ! 何であたしが行かなきゃなんないのさ?」
お八は抗議の声を上げるが、左内はお構い無しだ。
「引ったくりについて聞かなきゃならねえんだ。番屋で話を聞かせてもらう」
さらに、宗太郎ら三人も動く。
「でしたら、あっしら三人も一緒に行きますよ」
しかし、左内は首を振った。
「いや、駄目だ。お前ら三人は帰れ」
「な、何でだよ?」
健次が左内に食ってかかる。だが、左内は引かなかった。
「馬鹿野郎、あんな小さい番屋にお前ら三人まで来たんじゃ、狭苦しくて仕方ねえだろうが。それに、話を聞くだけなら一人で充分だ。おら、行くぞ」
言いながら、お八の手を引く左内。
「ちょ、ちょっと! 待ってくださいよ! だったら、せめて外まで付き添わせてください!」
慌てた様子で竹蔵が言った。すると、いきなり男が喚き出す。
「いててて! 腰がいてえよお! 動けないよお!」
それを見た左内は、宗太郎ら三人に顔を向ける。
「なあ、悪いんだけどよう……お前ら三人で、あいつを家まで送ってやってくれねえか。そいつの話は、明日聞くからさ」
「えええっ? 何で俺たちが?」
納得いかない様子の宗太郎。だが、左内の態度は変わらない。
「仕様がないだろうが。そいつは動けねえし、誰かが送ってやらなきゃならねえんだからよ。この娘は、俺が責任持って送り届けるから」
左内が言い、次いでお八も口を開く。
「お父ちゃんたち、あたしはいいよ。その人のことを助けてあげて」
お八にそう言われては、三人も何も言えない。仕方なく、男を家まで送ることとなった。
「お役人さま、頼みましたよ。お八を、きちんと宿まで送ってください」
宗太郎の言葉に、左内は笑って頷いた。
「ああ、任せとけ。このお嬢ちゃんには指一本触れさせねえよ」
そう言って、左内はにやりと笑った。
「このお嬢ちゃんだけは、無事に送り届けてやるよ」
三人は、男の指示通りに歩いていく。竹蔵が男を背負い、宗太郎と健次が脇を固めている。
やがて四人は、ひとけの無い野原へとやって来た。右手の方には荒れ果てたぼろぼろの家屋が建っており、周囲は草が生えている。どう見ても、まともな人間の暮らしている場所ではない。
「おいあんた、家はどこなんだよ? まさか、ここじゃないよな?」
不審に思った宗太郎が、男に尋ねた。すると男はう頷いた。
「へ、へい。ここでさあ。すみませんが、ここで下ろしておくんなせえ」
「えっ? 大丈夫かい?」
尋ねる竹蔵に、男は愛想笑いを浮かべた。
「へい。ここまで来れば大丈夫でさあ」
不思議に思いながらも、男を下ろす竹蔵。すると次の瞬間、男はすっと立ち上がった。怪我人とは思えぬ速さで、あばら家へと入って行ったのだ。
「何だ、あいつは?」
首を傾げる健次。しかし、宗太郎の反応は違っていた。
「おい、こいつぁ罠だぞ……お前ら気を付けろ」
その言葉の直後、草むらから二人の男が姿を現した。さらに三人の後ろから、もう一人がゆっくりと歩いて来る。
・・・
「お前ら、世直し三人小僧だな」
低い声で言うと、鉄はゆっくりと歩いて行く。彼の隣には隼人がいる。鎖鎌を構え、鼠を狙う猫のような佇まいで進んで行く。
「何だお前ら……俺たちに何の用だ?」
身構えながら、宗太郎は尋ねた。もっとも、相手が何の用であるかは聞くまでもない話だ。鉄と隼人、そして後ろにいる市は……どう見ても堅気ではない上に、体から放つ殺気は隠しようもない。
「分かってんだろうが、お前らを殺しに来たんだよ」
淡々とした口調で、市が言葉を返した。すると、宗太郎の顔が歪む。
「どうせ、どっかの悪徳商人に雇われたんだろうが……この腐れ外道が」
その言葉を聞いた鉄は、歪んだ笑みを浮かべた。
「お前、何も分かってねえなあ。正義の味方のつもりでやってたんだろうが、お前らはしょせんは盗人なんだよ。お前らのやらかしたことは、全て弱い所にしわ寄せがいく。お前らに荒らされた倉の番人や錠前師たちの中には、奉行所の役人に取り調べられて自害した奴だっているんだよ。俺たちは、そんな連中に雇われたんだ」
鉄の言葉に、三人の顔色が変わった。
「な、何だと……」
「お前ら、こいつは剣劇みてえな絵空事じゃねえんだよ。あのお八って娘には手を出さねえから、安心して地獄に行け」
鉄がそう言った直後、隼人が鎖を投げつける。それが戦いの合図となった――
隼人が投げた鎖は、健次の足に絡まる。
直後、ぐいと引っ張る隼人。健次は不意を突かれ、仰向けに倒れた。
次の瞬間、疾風のごとき速さで駆け出す隼人。健次に接近し、鎌を振り上げる――
健次は抵抗する間もなく、隼人の鎌で喉を切り裂かれていた……。
「健次!」
叫ぶ宗太郎。と同時に、慌てて駆け寄ろうとする。だが、それは間違いであった。彼の取るべき行動は死にもの狂いで反撃するか、あるいは逃げ出すべきであった。
だが、彼はそのどちらも選らばなかった。竹蔵とともに、健次を助けようと動いてしまったのである。
そのため、宗太郎は市に背中を見せてしまった――
宗太郎は、首に何かが突き刺さるような感触を覚えた。慌てて振り返ろうとする。
だが、時すでに遅し。宗太郎の延髄を、市の竹串が貫いていた。
そして竹蔵には、鉄が組み付いていた。
「最後はお前だ。死んでもらうぜ」
言うと同時に、竹蔵に掴みかかる鉄。竹蔵も腕力には自信がある。必死で抵抗するが、鉄の腕力はさらに上をいっていた。竹蔵の腕を掴むと同時に、力任せに引き寄せる。
直後、一瞬で肘の関節を極めた――
肘を破壊され、思わず悲鳴を上げる竹蔵。だが、鉄の攻撃は止まらない。さらに背後に回り込み、首に腕を回していく。
竹蔵は必死でもがくが、片腕しか使えない状態では勝ち目などあるはずがない。鉄の腕は、竹蔵の首をへし折った。
「地獄へ行っても忘れんじゃねえ。お前ら、しょせんは盗人なんだよ。俺たちと同類だ」
竹蔵の死体を見下ろしながら、吐き捨てるように言った鉄。隼人や市、さらには彼らを誘き寄せる役目を担った小吉もその場に立ち、死体と化した三人を見下ろしている。
その時、珍しく隼人が口を開いた。
「俺たちも、いつかは地獄でこいつらと再会するかもしれないんだな」
妙に感傷的な隼人の言葉に、市がふんと鼻を鳴らした。
「そん時はそん時だろうが。地獄で会ったら、また殺してやれよ。それより、さっさとずらかるぞ」
言うと同時に、その場を離れる市。鉄と隼人も、なに食わぬ表情で去って行った。
・・・
その数日後。
大衆食堂『喜多屋』には、元気な声が響き渡っていた。
「いらっしゃい!」
元気な声で、客を迎えるお八。父親代わりの三人が先日亡くなったというのに、そんな悲しみは露ほども見えない。
「お八ちゃんは、健気な娘だねえ」
たまたま店に来ていた大工の源太が、定食屋の主人である猪之吉に言った。すると、猪之吉はうんうんと頷く。
「ああ、ついこないだ父親を亡くしたらしいんだよ。なのに、笑顔で頑張って働いてるんだからな……泣けてくるぜ」
だが猪之吉は、お八の内に秘めた思いを知らない。
お八は、自身の父親たちを殺した者を探すため江戸に留まっているのだ。
今のお八を動かしているもの……それは復讐の念であった。下手人を必ず殺す、その思いだけが今の彼女を突き動かしているのだ。




