商売無情 二
鉄の家には、今日も客が訪れていた。
「鉄さん、本当にいいのかい?」
申し訳なさそうな顔で、ぺこぺこ頭を下げる中年夫婦。だが、鉄は豪快に笑い飛ばした。
「構わねえよ。どうせ、お前ら金ねえんだろうが。お前らから金を取り立てる手間ぁ考えたら、この大根もらった方がよっぽど助かるぜ」
そう言って、大根を指差す鉄。この中年夫婦が、料金の代わりとして持って来たものだ。
「そ、そうかい?」
「ああ。下らんこと言ってないで、さっさと帰って仕事しろ。次は鯛の尾頭付きでも持って来てくれよ」
中年夫婦が帰った後、鉄は大根を刻み始めた。
鉄の表稼業は、骨接ぎと揉み療治である。しかし彼の客というのは、ほとんどが近所の貧乏長屋の住人たちだ。まともに金を払える者など、ほとんどいない。
そのため鉄は、料金の代わりに何かしらの物を受け取り治療を行なっている。時には、一本の大根で骨接ぎをやることもある。現物の鉄という二つ名は、そこから来ているのだ。
「鉄さん、ちょっといいかい?」
言葉と同時に入って来た者がいる。誰かと思えば呪道だ。相変わらずのぼさぼさ頭と、派手な袈裟を着た姿である。
「おう、呪道じゃねえか。どうかしたか?」
「ちょっと来てくれねえか。大事な用事があるんだ」
「はあ? ここじゃあ駄目なのかよ?」
首を傾げる鉄。だが、呪道はかぶりを振った。
「いや、駄目だ。ここじゃあ、誰に聞かれるか分からねえからな」
呪道の顔つきは、普段とは全く違う。これは、ただならぬ事態であろう。
「分かった」
「ふざけるな!? 源兵衛を殺したのは俺じゃねえぞ!」
血相を変え、怒鳴りつける鉄。だが、呪道は怯まない。
「ああ、俺もそう思うよ。あんたは、そこまで阿呆じゃねえ。だがな、龍牙会の他の連中は違う。あんたを良く思わない奴も少なくないしな」
言いながら、呪道は鉄の肩を叩く。
「とにかく、誰かが龍牙会の獲物を横取りしやがったのは確かだ。その誰かが何者かは知らねえが、一つ確かなのは……元締は、そいつを生かしてはおかないだろう」
「だから俺じゃねえ。おい呪道、お前からも言っといてくれよ……俺は関係ないってな」
言うと同時に、鉄は呪道の襟首を掴んだ。そのまま力任せに引き寄せる。
「俺はどうなるんだよ、呪道?」
「まあ待てよ。決めるのは俺じゃねえ、元締だ。俺も、出来るだけのことはする。だから、今は下手な真似せず大人しくしてなよ」
呪道が去った後、鉄は一人で頭を抱えていた。
龍牙会が殺すはずの獲物が、首をへし折られて殺された……これは一大事である。しかも、死んだ黒木源兵衛は仕掛屋にも依頼が来ていた。つまり、かなりの数の人間に恨まれていた、ということになる。
しかも鉄の場合、龍牙会が黒木源兵衛の殺しを引き受けた、ということを知っていたのだ。にもかかわらず、先に源兵衛の殺しをやってしまったとなると……これは、ただでは済まされない。
しばらくした後、鉄は顔を上げた。こうなると、自力で身の潔白を証明しなくてはならない。
その日、中村左内は十手をぶらぶらさせながら歩いていた。いつものことではあるが、この男には同心として町の平和を守ろうという心がけなど、欠片ほども無い。
面倒くさそうな表情で、町のあちこちを見回していた左内。だが、そんな彼の目に入って来たものは……大柄な坊主が、落ち着きの無い様子でうろうろしている姿である。しかも、時折こちらに意味ありげな視線を送ってくる。
「鉄の野郎、今度は何の用だ?」
呟きながら、さりげなく近づいていく左内。すると、鉄は歩き出した。その後を、左内は追って歩いた。
そして二人は、いつものごとく物置小屋の壁を挟んで会話を始める。鉄は、自分の置かれた立場を説明したのだが……。
「ほう、源兵衛が殺られたってのか。そいつは笑えるな」
事態の深刻さを、全く分かっていないような左内の言葉。鉄は苛立ち、ぎりりと奥歯を噛みしめた。ひとけの無い場所に連れ込み、腕の関節でも外してやりたい気分だ。
しかし、今はそうはいかない。頼りになるのは、この男だけなのだ。
「笑い事じゃねえんだよ。いいか、俺は下手したら龍牙会に殺られるかもしれねえんだぞ」
「安心しろ。葬式には顔を出してやるから――」
「ざけんじゃねえ……お前、絶対に面白がってるだろうが」
物置小屋の中で、鉄は壁越しに毒づいた。このままでは、本当に洒落にならない。
「冗談だよ。いいか、仮にお前が殺られたら……俺は龍牙会に殴り込みをかけなきゃならねえんだ。そんなのは御免だからな」
言いながら、左内は立ち上がった。
「俺の方も、それとなく調べてみるよ。だがな、本当にお前じゃないのか? 素手で首をへし折れるなんて、お前くらいしかいねえだろうが」
「違うって言ってるだろうが……いい加減にしろ」
十手をぶらぶらさせながら、町を歩く左内。彼としても、これは厄介な事案である。そもそも、鉄は龍牙会をひどく恐れていた。龍牙会では客分格という立場らしいが、龍牙会の下請けである事実は変わりない。
もっとも左内としても、鉄が龍牙会にいてくれるのは、ありがたい話なのだ。龍牙会の内情については、今までにも色々と教えてもらっている。むざむざ見殺しには出来ない。
「仕方ねえな。まずは、源四郎に当たってみるか」
左内はまず、番屋へと向かった。すると、中では源四郎が茶を飲んでいる。左内の姿を見ると、慌てて立ち上がった。
「あ、旦那」
「源四郎、すまねえがな、ちょいと来てもらえるか」
そう言って、外に出て行く左内。源四郎は、その後を追った。
「じゃあ源兵衛を、鉄の野郎が殺したんじゃねえか、と疑われているって訳ですか?」
ひとけの無い川原で、顔をしかめる源四郎。左内も顔を歪めながら頷いた。
「そうなんだよ。なあ源四郎、お前も力は強いよな。仮にだが、源兵衛みたいな親父の首をへし折って殺すことは出来るか?」
「まあ、出来ねえこたぁねえでしょうが、相当手こずるでしょうね。首をへし折るには力だけじゃなく、それなりに技が必要でしょうから」
「そうだよな」
頷く左内。人を殺すというのは、簡単なことではないのだ。左内にしても、動き回る相手の急所を一刀の下に切り捨てるのがどれだけ困難であるは、よく知っている。
鉄にしても、ただ力任せに首をへし折っている訳ではないのだ。相手が騒ぎ出す前に、一瞬で絶命させる……これは、按摩と骨接ぎで人体の構造を知り尽くしている鉄だからこそ、可能な芸当である。
「旦那、鉄がやったという可能性は無いんですか?」
案ずるような顔で、源四郎は聞いてきた。しかし、左内は首を振る。
「いや、それはないな。いくら鉄でも、そこまで阿呆じゃねえよ」
「そうですかねえ……ところで旦那、万が一にも鉄が殺られたら、旦那はどうなさるんで?」
「そうだなあ……気は進まないが、龍牙会に殴りこみかけるしかねえだろ。俺が、お勢を斬る」
その言葉を聞いた瞬間、源四郎の表情が変わった。
「ちょ、ちょっと旦那! 本気ですかい!?」
「ああ、本気だよ。仲間が殺られたら、俺が殺る……仕掛屋の元締としての務めだからな。政吉だって、きっとそうしただろうぜ」
言いながら、左内は笑みを浮かべた。思い出にひたるかのように。
「政吉なら、きっとそうしただろうぜ。あいつは、そういう男だ。俺は政吉から、直々に言われたんだよ……仕掛屋を継いでくれ、てな。だったら、殺らねえ訳にはいかないだろう」
そこまで言って、左内は言葉を止めた。源四郎が下を向き、ぷるぷる震えているのだ。
「おい源の字、何がおかしいんだ。笑ってんじゃねえぞ――」
「だ、だんなあぁぁ!」
叫びながら、抱きついてきた源四郎。肩を震わせていたのは笑っていたのではなく、泣いていたせいだったのだ。源四郎は涙を流しながら、左内を抱きしめる――
「お前! 何しやがんだ! 気持ち悪いんだよ!」
渾身の力を込め、源四郎を突き飛ばす左内。やはり、この男は男色の気があるのではないだろうか。
「す、すいやせん。政吉さんのこと思い出したら、急に泣けてきて……」
涙を拭きながら、頭を下げる源四郎。
「泣いてる場合じゃねえぞ、この唐変木が。お前に頼みたいことがあるんだよ」
「な、何なりと言ってください!」
言いながら、源四郎はぐいと顔を近づける。左内は思わず顔を背けた。
「近いんだよ、お前は。いいか、お前に黒木源兵衛の殺しを依頼してきた奴を調べろ。そいつが、別の連中に依頼したのかもしれねえからな。まずは、そこからだ」
・・・
顔を白く塗った隼人が、手裏剣を構える。
彼から二間(約三・六メートル)ほど離れた位置には、顔に布を巻いた沙羅が立っていた。沙羅は小さな板きれを持ち、隼人をじっと見つめている。
そんな隼人と沙羅の周囲を、大勢の観客が囲んでいる。今日、二人は場所を変えてみたのだ。いつもより人通りの多い所へと来ている。
やがて、隼人は沙羅に合図を送る。すると、沙羅は板きれを宙に投げた。と同時に、隼人が手裏剣を投げる――
手裏剣は見事に、板きれに突き刺さった。
おお、と観客はどよめく。そんな中、沙羅はまた板きれを投げた。板きれは宙に舞い、隼人が手裏剣を投げる――
沙羅の投げる板きれに、次々と刺さる手裏剣。観客たちは歓声を上げ、次々と小銭を放っていく。
だが、そこに乱入してきた者たちがいた。
「おうおう、誰に断わってここで商売してんだ!?」
罵声と共に、数人の男たちが現れた。いずれも二十代から三十代、見るからに堅気でない雰囲気を漂わせている。彼らはずかずかと近づいて行き、隼人の胸をどんと突いた。
「おいこら、誰に断って商売してんだ? ここいらはなあ、夜桜の達二親分が仕切ってるんだよ。分かってんのか、そこんところを?」
言いながら、威圧的な態度で近づいて行くごろつきたち。
隼人は、愛想笑いを浮かべて頭を下げる。これは予想していたことだ。こいつらに金を払えばいいのなら、それで済ませるつもりだった。
「へい、どうもすいません。ちゃんと、お代は払いますので……」
そう言うと、隼人は懐から金を出した。僅かな額で済むなら、さっさと払っておけ……左内に、そう教わっている。これも必要経費なのだ。
しかし、彼らは隼人の襟首を掴む。
「おい、こんな物で済むと思ってんのか? 俺たちへの挨拶が無かった詫び料もよこせ」
隼人は思わず顔をしかめた。相手は、幾ら渡せば引くつもりなのだろう。揉め事を避けるためには、金を払うしかないのだが……。
一瞬、隼人は迷った。だが、その迷いがさらなる厄介事を招く。
「お前、ずいぶん背が高いな。本当に女か?」
男たちの関心は、今度は沙羅に移ったらしい。隼人は口元を歪めた。やはり、この辺りに来るべきではなかったのか。
「すみません、お金はこれで全部ですから……勘弁してください」
言いながら、隼人はざるの中の金も全て渡した。だが、男たちは止まらない。馴れ馴れしく沙羅の肩を抱き、顔に巻かれた布に手を掛ける。
「なあ、お前はどんな顔をしているんだ?」
男たちは沙羅の体のあちこちを撫で回しながら、頭巾を剥ぎ取ろうとする。だが沙羅は男たちの手を躱し、ぱっと飛び退いた。
「お戯れは、おやめください!」
沙羅の言葉に、男たちは怒りの表情を浮かべる。
「何だと!」
「この女、調子に乗りやがって!」
「ちょっと来い!」
怒りの声を上げ、女に近づいて行くごろつき。その時、一人の男が割って入った。
「やめんか。お前たち、みっともないと思わんのか」
そう言って、中年男はごろつきたちを睨み付ける。肩幅は広くがっちりしており、伸ばした髭と鋭い目付きが特徴的である。
「何だお前は!」
ごろつきの一人が、中年男に掴みかかっていく。だが次の瞬間、ごろつきの体は宙に舞う。くるりと一回転し、地面に叩きつけられた。中年男の一瞬の早業で投げ飛ばされたのだ。
一方、中年男は涼しい表情だ。
「寛水流柔術師範・渋沢権蔵だ。憶さぬならば、かかって来い」
睨み付ける眼光は鋭く、構えにも隙がない。単なる町の腕自慢とは、明らかに違う風格が漂っている。ごろつきたちは怯み、その表情も変わった。だが、それでも吠えかかる。
「こ、この野郎! 俺たちはな、夜桜の達二親分の身内だぞ!」
「俺も、達二親分とは古くからの知り合いだ。渋沢権蔵の名を出せば知っているはず。それにだ……お前らのそうした振る舞いが、親分の男を下げることにもなるのだぞ。分かっているのか?」
渋沢と名乗った男の言葉を聞き、男たちは顔を見合わせた。どうするか迷っているようだ。ここで引く訳には行かないが、親分の知り合いともなれば下手な真似も出来ない。
「くそが……行くぞ、お前ら。俺たちも暇じゃねえんだよ。こんな奴らに構ってられるか」
男たちの一人が言い、野次馬を睨み付けながら去って行く。すると、他の者たちも後に続いた。
「あ、ありがとうございました」
渋沢に近づき、頭を下げる隼人。すると、渋沢はにやりと笑った。
「構わん。それより貴殿の手裏剣の腕、まことに見事なものであった。俺は感服したぞ。それに、貴殿のその拳……素手の方もかなりのもの、とお見受けした」
言いながら、渋沢は隼人の手を握る。
「貴殿らに相談がある。来て下さらんか?」




