商売無情 一
江戸の町外れにある雑木林。その中に、一軒の小屋が建てられている。普段は鍵を掛けられているが、たまに怪しげな連中が集まることもあった。
今も見るからに悪そうな連中が集まり、怪しい話し合いに興じている。
「今回の標的は、黒木屋の黒木源兵衛とその手下たちだよ。頼み料は、一人三両だ。どうするんだ、お前ら?」
そう言うと、中村左内は皆の顔を見る。すると、鉄が血相を変えて立ち上がった。
「黒木屋だと? おい、あいつはやめとけよ!」
不意に叫んだ鉄。彼は左内に近づいて行き、肩を揺さぶる。
「な、何だよ鉄……藪から棒に?」
困惑する左内。だが、鉄は喋り続ける。
「いいか八丁堀、黒木源兵衛はな、龍牙会が始末することになってるんだよ。そんな時に、俺たちが下手に横槍を入れたら確実にまずい。今回の仕事は、やめておけ!」
口から泡を飛ばすような勢いで、鉄は皆に向かい力説した。すると今度は、隼人が不満そうな表情を浮かべて立ち上がる。
「鉄さん、どういうことだよ? 俺たちは、龍牙会とは関係ないだろうが。何で奴らの顔色を窺わなきゃならねえ?」
鋭い目付きで、鉄に迫る隼人。それに対し、鉄は苦り切った表情で応じる。
「なあ、ちょっと待てよ……落ち着けって。いいか、お前は龍牙会の怖さを分かってねえから、んな気楽なことが言えるんだよ。龍牙会の元締のお勢は、おっかねえ女なんだぞ。あいつの一声で、江戸の裏の連中が大勢動くんだよ」
「俺も鉄に賛成だな。龍牙会を敵に回して、得することなんざ一つもねえよ。今回は、降りた方が得策だ」
横から口を挟んだのは市だ。彼は冷めた表情で、壁を見つめている。どうでもいい、とでも思っているかのような態度だが、そもそも市は無駄口を叩かない男である。乗るか降りるか、基本的にはそれしか言わない。その市が、自身の意見を述べるというのは、非常に珍しいことなのだ。
そんなやり取りを見ていた左内は、ふうと息を吐いた。
「だったら仕方ねえ。今度の仕事は中止だ」
「な、中村さん、ちょっと待ってくれよ!」
「隼人、悪いこたぁ言わねえ。今回は降りた方がいいぞ。龍牙会の仕事を邪魔した、なんてことになったら、本当に洒落にならねえんだよ。な、この通りだから……」
揉み手で、隼人に迫っていく鉄。六尺近い大男の鉄が、小柄な隼人にぺこぺこする様は滑稽であった。だが、隼人はまだ納得できていない様子だ。
「その龍牙会ってのは何なんだ? そんなに恐ろしい連中なのか?」
語気鋭く尋ねる隼人。すると、左内が割って入る。
「おい隼人、いい加減にしとけ。お前は江戸に来たばかりだから分かってねえようだがな、龍牙会は江戸の裏社会を束ねてんだよ。龍牙会がいるから、江戸の裏社会は均衡を保っていられるんだ……とにかく、ここは俺の顔を立てろ。そのうち、いい儲け話を持っていってやるから」
左内の言葉に、隼人は不本意そうな様子ながらも引き下がった。すると、今度は市が動く。ぴょんと立ち上がると、左内の方を向いた。
「まあ、どっちにしろ三両じゃ引き受ける気はなかったがな。今度は、もっといい仕事を頼むぜ。じゃあ、またな」
涼しげな表情で言うと、市はさっさと出ていった。いつものことではあるが、本当に仲間意識の薄い男である。
皆を見ようともせず出ていく市の後ろ姿を睨みながら、左内は舌打ちをした。そして、隼人の肩を叩く。
「隼人……さっきも言った通り、そのうち儲け話を持って来てやる。だから、しばらくの間はおとなしく表稼業に精を出すんだ。自棄を起こして、妙な真似はするなよ。いいな?」
「ああ、分かったよ」
隼人と小吉が去り、小屋の中には左内と鉄が残っていた。左内はおもむろに、鉄に向かい口を開く。
「なあ鉄、ここだけの話だが……龍牙会のお勢は、仕掛屋のことを何か言ってるのか?」
「ああ、言ってるよ。龍牙会の邪魔になるようなら、仕掛屋でも潰す! ってな。あれは、おっかねえ女だぜ」
「そうか……」
左内は、思わず顔をしかめた。
そもそも龍牙会は、ここ数年ほどの間に出てきた新興の組織である。それが今や、江戸中の闇の稼業のうち、約半分を束ねているのだ。
そんな龍牙会だが、仕掛屋に対しては一目置いている。鉄を客分格としているのも、その証であろう。もっとも左内は、その状況がいつまでも続くとは思っていないが。
「あと、お勢はこうも言ってたぜ……仕掛屋の元締と、一度話がしたいとな」
「冗談じゃねえや。俺は会わねえよ」
吐き捨てるように言った左内。
「ああ、分かってる。俺も、うちの元締は誰とも会う気はないと言っておいた。だがな、気を付けろよ八丁堀。奴らは、本当に面倒だぜ。お前は、俺たちの切り札なんだからよ。お前の面が割れたら、俺たちゃお仕舞いだぜ」
鉄が引き上げた後も、左内は一人でじっと座っていた。壁を見つめながら、物思いにふける。
この先も、龍牙会なる組織と上手くやっていけるのだろうか……正直に言えば、不安である。この先、龍牙会はさらに大きくなっていくだろう。やがて、仕掛屋をも呑み込もうとしてきた時、どう動けばいいのだろうか。
もっとも、龍牙会に対しては評価している部分もある。龍牙会の存在により、平和を保たれているのは確かなのだ。
・・・
左内たちと別れた後、隼人は足早に寝ぐらへと戻った。憮然とした表情を浮かべながら、廃寺の本堂へと入っていく。
「沙羅、帰ったぞ」
その言葉を発すると同時に、とことこと出迎えに来た者がいる。犬の白助だ。白助は嬉しそうに、隼人の顔を見上げて尻尾を振っている。
隼人の表情も、少しだけ和んだ。不快な気分も、少しだけ収まった気がする。
「ただいま、白助」
手を伸ばして、白助の頭を撫でる。白助は嬉しそうに、隼人の手をぺろぺろと舐めた。
「あ、おかえり」
不安そうな表情で、姿を現した沙羅。
「仕事は中止になっちまった。金は入らねえ」
言いながら、不満そうな様子でその場に座り込む隼人。だが、沙羅はほっとしたような顔つきだ。
「そう、残念だったね」
「ああ、ふざけた話さ。中村さんも鉄さんも臆病すぎる。いざとなりゃあ、龍牙会なんざ俺が殺ってやるのにな」
苛立った表情で、不満を洩らす隼人。彼の大道芸の稼ぎは、決して多いものではない。そもそも、隼人は地元のやくざや的屋とは交流が無い。したがって、人の集まりやすい場所で下手に商売をしようものなら、地回りと揉める可能性が高いのだ。
そのため、満願神社のような場所でしか商売が出来ない。結果、稼ぎは少ない。裏の仕事があってこそ、かろうじて生活が成り立っているのだ。
それが無くなってしまうと、今の生活は成り立たない。
「ねえ、もっと他の仕事は出来ないかな?」
不意に、沙羅が聞いてきた。
「他の仕事? たとえば、どんな仕事だ?」
「何でもいいよ。人殺し以外なら、何でも」
言いながら、沙羅は哀しげな瞳を向ける。
「ねえ、神は見ているんだよ。あんたのしたことの全てを、神は見ているの。いつか、この世界にも裁きの日が来る……今からでも遅くない。悔い改めて、神に祈りを捧げて――」
「その件は、断ったはずだ。今の俺には、人殺ししか出来ない」
冷たく言い放つ隼人。沙羅の表情が、哀しみで歪んだ。
「どうして……」
「俺は、お前の信じるものを否定しない。だが、俺にはお前のような生き方は出来ないんだ」
・・・
「こいつは、どういうことだよ?」
思わず呟いた呪道。彼の目の前では、葬式が行われている。黒木屋の主人である黒木源兵衛が亡くなったのだ。大きな屋敷はしめやかな空気に包まれており、奇妙な扮装のいかさま祈祷師・呪道の存在は明らかに場違いであった。
龍牙会に、黒木源兵衛を始末してくれという依頼が来たのは二日前である。そのため、幹部である呪道が直々に下見に来たのだ。 ところが、標的である源兵衛は既に死んでいる。これでは、依頼人から金を受け取ることは出来ない。
ついてねえなあ、と思いながらも、念のため周囲の人たちに聞いてみた。
「おいおい、源兵衛さん死んじまったのかよ。参ったねえ。俺は、あの人に金を借りてたんだがな。何で死んだんだ?」
「なんでも昨日、道ばたに倒れたらしいぜ。首の骨が折れてたって、役人が言ってたなあ」
野次馬の一人が、訳知り顔でべらべら喋る。
「首の骨だぁ? どういうことだよ?」
訝しげな表情を浮かべる呪道に、野次馬は声を潜めて語り出す。
「川原を歩いてて、転んで首の骨を折った……て話だけどな、殺されたんじゃねえかって噂もあるぜ」
その話を聞き、呪道の表情が険しくなった。龍牙会に殺しの依頼が来た直後に、転んで首の骨を折り死亡。そんな偶然があるだろうか? 出来すぎている、としか言いようがない。
この死んだ黒木源兵衛という男は、四十を過ぎているにもかかわらず相当な女好きであったらしい。あちこちで女を作り、様々な人間と揉めていたとも聞いている。
その揉めていたうちの一人が、たまりかねて龍牙会に依頼したのだ……そこまではいい。問題なのは、龍牙会が仕留めるよりも早く、誰かが源兵衛を殺してしまったということだ。
それも、首をへし折って殺した。
「まさか、なあ」
帰り道、呪道は歩きながら呟いた。彼の知る限り、首をへし折るような殺し方をするのは一人しかいない。しかも、その男は龍牙会にもかかわっている。龍牙会が、源兵衛を殺すことも知っていた。
にもかかわらず、先に源兵衛を殺す……これはどういう訳だろう。
まさか、その男が依頼人を探し出して勝手に接触し、龍牙会より安く仕事を受けたのか?
「鉄さん……いくらあんたでも、そこまで阿呆な真似はしねえよなあ」
呟きながら、呪道は足を早めた。今後、どうなるかは簡単に予測できる。ただでさえ龍牙会には、鉄を嫌っている者も少なくない。鉄が龍牙会を裏切った、などと言い出す奴も出てくるだろう。
全ては、元締のお勢がどう判断するかにかかっているが……最悪の場合、龍牙会と仕掛屋との間で戦争にもなりかねない。
その前に、何とかしなくては。