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狂気乱舞

 贅を尽くした客室に私を通し、宴の時間まで休むようにと言い残すと、明智探偵は部屋を出て行きました。私はそっと部屋の戸を開けてみましたが、扉には鍵も掛かっていません。廊下を伺ってみても、人の気配はありません。明智探偵は私が逃げ出すとは考えないのだろうかと私は訝しみましたが、すぐに、ここが島である事を思い出しました。船無くしては、どこに行けようはずもありません。私は諦めて、自分に充てがわれた客間を見回しつつ溜息をつきました。囚われ人であるものの、丁重にもてなされてはいるようです。

 私は、疲れた身体を寝台に投げ出しました。

 ああ、色々な事が重なり、私はすっかり混乱しているのです。信頼していた小林君が、誘拐犯だった。和華子さんは私を裏切っている。尊敬していた両親と男爵夫妻には、穢らわしい秘密が。そして和寿君は、仮にも兄である和明君を殺そうとした……。

 どのくらい時間が経ったのでしょう。ホトホトと扉を叩く音がし、私は寝台の上で跳ね起きました。どうやらウトウトしていたようです。窓から外を見ると、辺りは暗くなりかけていました。

 また扉を叩く音がしました。

「どうぞ」

 扉が開くと、そこには一人の老人が立っていました。

「明智様から、お世話を申しつかっております。どうぞ、夜会のお支度をなさいませ」

 老人の召使は慇懃にそう言い、部屋に入ってきました。彼が洋服箪笥を開けるとそこには、立派な夜会服がちゃんと用意されていたのです。

「小林君は、どこにいるんだね。彼に会えるだろうか」

 老人に着替えを手伝わせながらそう聞くと、彼は無愛想な態度を崩さず、

「夜会にはいらっしゃいます」

 と、言葉少なに答えました。


 老人に案内された広間は、大勢の人達で大変賑わっておりました。この島にこんなに沢山の客がいたとは、と、私は些か驚かされました。

 広間の中央では楽団が演奏し、その周りでは、華麗な衣装を身にまとった異国の娘達が踊りを披瀝しています。その豊満な肉体が弾むように軽やかに、緋色の絨毯の上で舞っていました。中央のテーブルには世界中のありとあらゆる美味珍味が並べられ、良い香りをさせています。あちこちから、グラスを合わせる音が聞こえてきます。客達は皆、顔に仮面を付けていて、それが宴の雰囲気を何とも淫靡なものにしていました。ある女性などは、とうていここに書き記す事も出来ぬ卑猥な衣装に身を包んで平然としており、私は彼女と視線を合わさぬよう慌てて目を逸らしました。広間の一角に置かれた長椅子で、何人かの男女が何やら怪しげな水パイプをふかしています。私が傍を通り過ぎた時、その中の一人の女が、くつくつとみだらがましい笑い声を立てました。

 明智探偵はどこにいるのかと、私は辺りを見回しました。すると広間の奥の方に、真っ赤な更紗のカーテンで区切られた一角があります。私はつかつかとそちらへ歩いてゆきました。

 カーテンを引くと、やはり明智探偵はそこにいました。まるで王座の様な豪奢な椅子に腰掛け、子供が人形遊びでもするように、片膝に振り袖の少女を乗せています。明智探偵は傍のテーブルからオレンジの一欠片を取り、ゆっくりと少女の口元に運びました。そうすると少女は、まるで小鳥がついばむようにそれを噛りました。明智探偵は少女を眺めて、満足気に微笑んでいます。

 直ぐ側に、少年のブロンズ像があります。しかしよく見るとそれは、身体中に蜜のようなものを塗りたくった、生きた少年なのです。傍にいるもう一人の少年が、その蜜を舐めとっています。

「明智探偵」

 私は無遠慮に彼に近づきました。

「おやおや、和真君。ようこそ、僕の夜会へ。どうだい、楽しんでいるかね」

「僕は、僕は……、貴方とは違います。このような不道徳な行いを楽しむ人間ではありません」

 私は顔を上気させ、彼に抗議しました。

「それよりも、小林君に会わせて下さい。夜会まで待てば会わせてくれるという約束です。一体、小林君をどうしたのです。まさか手荒な真似を……」

「まあまあ、落ち着きたまえ。もちろん私は約束は守るよ。小林君なら、ほら、ここに」

 そう言われて、私はハッとしました。明智探偵の膝の上の少女が、黒目がちの大きな瞳でじっとこちらを見つめているのです。少女と思ったのは、何と、少女のように装った小林君だったのです。

 その美しさに、私は思わず目を見張りました。小林君はまるで汚れを知らぬ乙女の様に、長い睫毛を伏せ、ただ無表情のままじっとしています。その様はまるで、本当に人形になってしまったかのようでした。

「小林君」

 私は勢い良く彼の手を引くと、明智探偵の膝から引きずり下ろしました。

「明智探偵、貴方は間違っています。こんな愛し方は……、愛ではありません」

「いいねえ、いいねえ」

 明智探偵は上ずった声で、舌なめずりをするように言いました。だがふと真剣な顔になると、私に向かって言ったのです。

「君にはきっと分からないね。共に苦痛を味わうという愛し合い方もあるのだよ……」

 みなまで聞かずに私は踵を返し、小林君の手を乱暴に引くと、その狂喜乱舞の宴を後にしました。

 

「君はきっと、すっかり僕を軽蔑しているだろうね」

 月の輝く塔のテラスで、小林君は悲しげに呟きました。その様は何とも痛々しく、私の胸を打ちました。

「そんな事あるものか」

「すまない、どうか許してくれたまえ。全て僕が悪かったのだ」

 小林君はただ、すまない、すまないと繰り返すばかりです。

「どうして君は、あのような変態趣味の明智探偵の言いなりになっているのだ。そうか、分かったぞ。君は脅されているんだろう」

「違う、違うのだ。脅されてなどいない。明智先生はそんな方ではないのだ。僕は……」

 小林君が悲しげに頭を振るばかりなものですから、私はなんだか、私の方が小林君に辛く当たっている様な気がしてきました。

「先生は、養父母に早くに先立たれた僕を育ててくれた。そうして助手としての仕事を与えてくれたのだ。明智先生がいなかったら、僕はどうなっていたか分からない。だから僕は……」

「恩義を感じているのは理解出来るよ、しかし……」

「先生は悪い方ではないのだ。この島にしたって、君からすれば異常で不道徳な場所に見えるだろうが……」

「だが、小林君、」

 私は、何と言えば良いものやら言葉に迷いました。小林君と明智探偵の結びつきが、並々ならぬものだと感じ取ったからです。小林君の生い立ちを考えれば、無理もない事です。しかし、ここで引き下がる訳にいきません。確かに明智探偵は悪人ではないのかもしれませんが、やはり、小林君はこのままここにいてはいけないのです。

「しかし……、しかしだ。こんなのは、君のためにならない」

 そう言う私の言葉が、どこか力なく私自身の耳に響きました。今日一日で、私もこの島の狂気の毒気にあてられてしまったのでしょうか。改めて考えてみると、どこがおかしいのか、何がいけないのか、分からなくなってくるのです。私が今まで信じていた良識や常識の方が、間違っていたような気すらしてくるのです。

「僕は、明智先生の傍を離れる訳にはいかない。明智先生はゆくゆくは僕を後継者として、この島も含め全てを僕に託すおつもりだ。それが僕の決められた道なのだ。だからこそ、母にだって名乗りを上げずにいたのだ」

 小林君は私に近寄ると、私の傍にまるで跪くように寄り添いました。

「心配しなくて良い。君の事は、僕が責任を持って家に帰してあげる。少し待っていてくれ。機会をみて、僕がきっとなんとかするから」

 突然ばあんと大きな音がしてハッと顔を上げると、見た事も無いような大きな花火が頭上いっぱいに広がっていました。花火は立て続けに打ち上げられ、塔の下から歓声が上がりました。見下ろせば花園の中の温泉で、生まれたままの姿で戯れ合い、花火にはしゃぐ男女の姿が、花火の明るさに照らされていました。

 ふと隣に目をやると、黙して花火を見つめる小林君の漆黒の瞳が、宝石のように輝いています。 

 その夜私達は黙ったまま、長いこと花火を眺めていました。嗚呼、この島はまるで、夢の中にぽっかりと浮かぶ幻の様でした。


 数日が過ぎました。毎日私はただぼんやりと、無為な時間を過ごしていました。小林君は私を家に帰してくれると言いましたが、よくよく考えてみれば、家に帰って私はどうしたら良いのでしょう。信じていた家族の秘密を知った今、以前と変わらず暮らしてゆく事など到底出来ません。それを考えると、我が家に帰るのが恐ろしくすらあるのです。しかしこの島にいれば、そんな悩みはまるで遠い世界の出来事のようでした。

 パノラマ島の居心地は決して悪くありませんでした。明智探偵は変態趣味の持ち主ではありますが、それでも優れた芸術家である事は否定出来ません。私は毎日様々なパノラマを訪れては、その想像力の豊かさに感服するばかりでした。

 この島には、美しいものしかありません。ここにいる限り、この世界の醜い部分を見ずにすむのです。

 思えばこの島は、まるであの「人間椅子」のようではありませんか。閉鎖空間に抱かれ、平和の中に閉じ篭っていられるのです。ここで育った小林君が、何故ああまでも、明智探偵一人をまるで世界の全てでもあるかの様に頼りにするのか、少しだけ分かる気がします。閉鎖空間で与えられる愛情は、それだけ大きいものなのでしょう。たった一人を頼りにする世界。それは恋の狂気とよく似ています。

 ある朝の事でした。私は塔の天辺にある展望台で、ぼんやりと座り込んでおりました。ここは島の中で一番高い場所で、島の全てが見渡せるのです。上から見渡すパノラマ島は、一つ一つのパノラマが花びらの一枚一枚となって、島全体が巨大な花に見えるよう設計されています。海に浮かぶ巨大な花。それは世にも不思議な眺めでした。

 私は塔の下で繰り広げられる狂喜乱舞よりも、静かなこの場所で一人、パノラマ島の全景を眺めているのが好きでした。こうしていると、自分一人だけが人間世界のありとあらゆる物事から離れ、ぽっかりと空に浮かんでいる様な気分になれるのです。それは一種の優越感なのかもしれません。そうして時々望遠鏡を取り出しては、様々な欲望を満たす種々のパノラマを楽しむ人々をこっそりと眺めるのです。これはこれで、また別の快楽とも言えましょうが。そしてこの場所は、そういう目的の為に用意されているのだと私には分かっていました。覗き穴から椅子の外側の狂気の世界を眺めるのと同じ様に、私はここでパノラマの世界を俯瞰していました。

 私はふと、黒の薔薇園を通って塔の方に近づいてくる人影に気づきました。ここからでは小さく人形のように見えるだけですが、その歩き方にどこか見覚えがあります。私は望遠鏡を手にし、照準を合わせて覗き込みました。

「あっ」

 私は思わず声を上げました。歩いてくる人物、それは、あの書生だったのです。


 死体だったはずの人間が生きて歩いているのを見るのは、何とも奇妙なものでした。明智探偵の言った通り、やはりあの書生は死んでなどいなかったのです。しかしなぜ彼が、この島にいるのでしょうか。

 書生が塔の入り口から中へ入ったのを見届け、私はすぐさま塔の下へと続く階段を駆け下りました。吹き抜けになっている螺旋階段の上から、書生が廊下を歩いているのが見えます。私は彼に気づかれぬよう、後をつけて行きました。書生は明智探偵の部屋に向かっているようです。

「先生、僕です。お呼びですか」

 書生は扉を叩いてそう声をかけると、中に入ってゆきました。幸い辺りに人気はありません。私はそっと扉に近寄り耳を当てました。室内の声が聞こえてきます。

「やあ、よく休めたかね」

「は、はい。先生」

 書生は妙におどおどした声で答えました。

「今回の事は大変だったね。辛い思いをしただろう。だがそれも、君が僕に内緒で勝手な真似をしたからだよ。特に、和華子さんから手紙を貰った事を僕に黙っていたのは、いただけないね……。想定外の事件が起こったとはいえ、計画が失敗したのは君にも責任の一端があるよ……」

 いつもよりゆっくりと穏やかに話す明智探偵の声音は、妙に冷たい響きを含んでいて、何故か私は身震いしました。

「あ、あの、先生。申し訳ありません」

「まあ、その事は良いよ。今回は許してあげよう。結果的には、目的を果たせた訳だしね。ただ、二度は無いよ、二度はね……」

「は、はい」

「まあ、これであの男爵家も終わりだね。身内で殺し合いをしたとあっては、どう考えても爵位返上せざるを得ない」

「そうですか……」

「なに、僕に言わせればいい気味さ。ハハハ……」

 明智探偵はカラカラと小馬鹿にした笑い声を立てました。その時です。

 突然肩を掴まれて、私はもう少しで叫び声を上げるところでした。慌てて振り返るとそこには、私がこの島に来た日から身の回りの世話をしてくれている、あの老人の召使が立っていました。

 しまった。私は身構えました。聞いてはならぬ話を聞いてしまったのかもしれません。今ここで捕まったら、事によると、今度こそ本当に……。

 しかし私の予想に反して、老人はシッと唇に指を当てて私を制しました。そして物音を立てぬよう静かに私の手を引き、その場を離れるよう促したのです。


 老人は付いて来るよう身振りで示し、私は躊躇いつつも後に従いました。しかし、この老人は明智探偵の部下であるはずです。これは一体どういう訳なのでしょう。

 老人は、塔の裏側にある小部屋へと私を連れてゆきました。素早く室内に入ると、そっと廊下に顔を出し、辺りに誰もいないのを確かめて扉を閉めます。そして老人は私の方を振り返り、にやりと笑いました。驚いた事に、その笑い方はどう見ても、老人のそれではないのです。

「貴方は一体、」

 言いかけた私は、途中で言葉を失いました。老人が、その皺だらけの頬に手を当てたかと思うと、いきなり皮膚を引っ張ったのです。ずりずりと、その皮膚は見る間に老人の顔から剥がれてしまいました。そうして剥がされた染みだらけの老人の皮膚の下には……。あの日見た、怪人二十面相の顔があったのでした。

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