パノラマ島へ!
出口を抜けるとそこには、見渡す限りの大渓谷が広がっていました。私はその麓に立っていたのです。左右両側には天を穿つかの様な大絶壁がそびえ立ち、その間には五十メートル程の川幅で、しかし河というにはあまりに滑らかな、鏡のような水が湛えられていました。それは私の遥か前方に向かって緩やかに流れています。絶壁があまりに高くて陽がここまで差し込まないようで、川べりは薄暗く、そのため水はまるで艶やかな漆の様な色をして見えました。見上げればその左右の絶壁の間から、抜けるような青空が覗いています。その空色の帯の右から左へ、次々と雲が走ってゆきました。
「君はパノラマというものを知っているかい。一種の見世物なのだが、客が薄暗い通路を通って小屋の中に入ってゆくと、突然目の前に違う世界の光景が広がるのだ。もちろんそれは、単に目の錯覚なんかを利用した作り物なのだが、実に良く出来ていてね。客はまるで自分が突然、日常世界を離れてどこか遠くの異世界に迷い込んだ心持ちになってしまう。日常と非日常の境目をひょいと超えてしまうのだ。現実から、幻想へ。この島はそんなパノラマの島なのだよ」
私は驚きのあまり声も立てられず、ただその絶景に見とれながら、明智探偵の言葉を聞いていました。するといつの間にか音も立てずに、白鳥を象った白い小舟が傍らに寄って来ていました。舵を握っているのは、まるでギリシャ神話に描かれているような、オリーブ色の肌の美しい少年です。薄衣を身に纏っただけの姿で、物言わず、こぼれるほどの大きな黒い瞳でじっとこちらを見つめています。
「この船が僕達を運んでくれるのだ。さあ、乗り給え」
明智探偵に促されて私が乗り込むと、少年は巧みに櫂を操り、船は水面を滑るように走り出しました。
黒い蜜のような水面に一筋の軌跡を描き、船は音も無く進んでゆきます。河沿いに野生馬がいるなと思って目を向けると、馬もこちらを振り向きました。するとその馬は、頭部に一本の角の生えた一角獣だったのです。木陰からやはりオリーブ色の肌の少年が現れ、一角獣を撫でつつこちらに向けて手を振ります。
突然、水面にぽかりと白いものが浮かび上がりました。それは先程の、水の精のような少年達でした。
「あっ」
少年達は二人して、戯れ合いながら船に付き添うように泳いでいます。次第に三人、四人とその数は増してゆき、終いには若魚の群れさながらに、幾人もの少年達が船の周りに集いました。無邪気に船と競争して泳いだり、戯れ合ったり、くるりと身体を一回転させて背泳ぎをして見せたり。黒い水と少年達の白い肌が、くっきりとしたコントラストを水面に描きます。川沿いの岸辺には、一角獣にまたがった数人の少年達が駆けています。所々に滝壺があり、絶壁の上からキラキラと光を反射しながら水が流れ落ちてきます。
私はだんだん自分が、夢を見ているのか、正気を保っているのか分からなくなってきました。今まで確かだと思っていたものがあやふやになる。私と外の世界とを区別する私の身体の輪郭が、どろどろと溶け出して曖昧になり、やがて私の身体はこの幻想世界に溶け込んでひとつになってしまう。身体を無くした私は魂だけになって、ふわふわと花びらの様に風に舞う。そんな突拍子もない空想が、私の頭に浮かんでは消え、また浮かんでは消えました。それとも私は、気づかぬうちいつの間にか死んでいて、今、死後の世界とやらに辿り着いたのでしょうか。
いや、しっかりするのだ。私は自分自身を鼓舞しました。先程の鍾乳洞といい、この大渓谷といい、よくよく見れば自然のものではなく、巧みに作り上げられたものだという事が分かります。私は、この怪しくも美しい人口島に幻惑されているに過ぎないのです。
私は、船に揺られている明智探偵の横顔をふと見つめました。一体何を考えているのかさっぱり解りませんが、このようなものを創る人は、芸術家と呼んで差し支えないでしょう。
「貴方がこれを作ったのですか、明智探偵」
私は尋ねました。
「うん、全部を僕が作った訳ではないのだ」
明智探偵は想い出に浸る人のような表情で、渓谷の遥か向こうを見つめました。
「最初にこの島を創った男は、その為にある大罪を犯してまで建設の費用を手に入れた。彼は生涯、このパノラマ島の妄想に取り憑かれていたのだ。島は完成したが、男は罪が露見してこのパノラマ島に散った。そういう曰くがあるものだから、この島はその後、買い手も付かずに放置されていたんだ。それを僕が買い取って、僕の好みに合うように多少改装したのさ」
この美しい光景に影の様に寄り添う、何かしら重たく暗いもの。私はそれを感じていました。しかしこの島の曰くを聞き、それが何であるのか分かったような気がしました。どんな罪を犯してでも、どんな犠牲を払ってでも実現させようという美。そのような美は、狂気と呼ぶのが相応しいに違いありません。この美しいパノラマの島にそこはかとなく漂っているのは、狂気の美なのです。
「彼は、作り物でなく本物のパノラマを作ろうとしていた。現実と幻想を飛び越えるのでなく、その境界線自体を消して、二つの世界を一つにしようとしていたのだ」
「……正直言って、僕には良く解りません。狂気じみています」
「そうかい? 和真君。だけど人は誰でも心の中に、秘密の幻想世界を持っているものじゃないかね……」
明智探偵の言葉は棘の様に私の胸に刺さりました。どこにでもある普通の家族。清楚で可憐な許嫁。幸福が約束された生活。信頼できる友人。そういったものが全て、私の心が作り出した幻想世界に過ぎなかったのだと、私は知ったばかりなのですから。
そうして、美しい少年達の白魚のような生き生きとした肢体を眺めているうち、船の行く先に何があるのか見えてきました。両岸の絶壁は少しづつ幅が狭くなっており、終いに白い大理石の階段を挟んで一つに繋がっていました。ここが船の終点のようです。
船を降り立った私は、その白く輝く大きな階段を下から見上げました。見た事も無い程高い階段です。天に向かってそびえ立つ階段の上の方は霧がかっていて、そこに何があるのか見る事も出来ません。まるで天国への階段です。どこからか、管弦楽の音が密やかに響いてきました。私はキョロキョロと辺りを見回しましたが、演奏者の姿はどこにも見えませんでした。しかしそれが却って、音色に一層神秘的な印象を与えるのでした。
「さあ。ここを登って、次のパノラマの世界へゆくのだよ」
そう言いながらも明智探偵は、既に階段を登り始めていました。
私も、まるで夢遊病患者のように、この数百段もあろうかという階段をゆっくりと登り始めたのです。
「おや」
私は思わず声を上げ、たった今登ってきた階段を振り返りました。明智探偵は悪戯っぽい目をして、楽しそうにくすくす笑っています。
天まで届くかと思われた階段を、私は一瞬のうちにあっさりと登りきってしまったのです。それはまるで、登っている間の記憶を切り取られてしまった様な、おかしな感覚でした。よく夢を見ている時にまるで芝居のように、一つの場面が一瞬で次の場面に切り替わる事がありますが、ちょうどそんな風でした。
遥か階段の下では、少年達がまだ水しぶきを上げています。
「これは一体」
首を傾げている私に、明智探偵が説明してくれました。
「なに、岸壁の傾斜と、階段の設計に秘密があるのだよ。この階段は上にゆくにつれて少しづつ、高さや奥行きが短く作られているのだ。それが目の錯覚を起こさせ、下から見上げるとあのように果てしなく高いように見える」
私はすっかり感心しつつも、まだ信じられないような気がして、階段をもう一度振り返りました。それから次の「パノラマ」へと目を移したのですが、辺りには濃い霧が立ちこめていて、様子がよく分かりません。しかしそこはどうやら平坦な芝生の広場の様な所らしく、目の前には一本の道がありました。
「さあ、行こう」
明智探偵に付いてしばらく歩くと、霧の道の先に何か見えてきました。
道はどうやら深い森に入って行くらしく、森の入口に2頭の驢馬が繋がれているのが見えました。
「さあ。この森は、僕が特に気に入っているパノラマの一つだ。君に見せてあげる事が出来て、とても嬉しいよ」
そう言うと明智探偵は私を驢馬に乗せ、自らももう一頭にまたがりました。綱を解くと、驢馬は、命令された訳でもないのにゆっくりと歩き始めました。
深い森の中を縫うように進む道を、二頭の驢馬はどこまでも分け入ってゆきます。道の両側は木がまるで壁の様に密生していて、奥の様子が見えません。見上げてみれば、空も殆ど樹の枝葉に覆われています。そのせいで辺りは鬱蒼として薄暗く、ただ単調な暗い色彩だけが続きます。
驢馬は音も立てず歩き、明智探偵も、ひとつも口をききません。森は静寂に支配されていました。
驢馬の背に揺られて枯葉の細道をウネウネと行くうち、ふと見ると、前方の道の片側に、樹の幹の壁が途切れた箇所がありました。驢馬がその前を通り過ぎようとした時、私は何気なく、その三十センチ程の隙間から向こう側を覗きこみました。
「あっ」
私は思わず手綱を引き驢馬を止めました。隙間の向こう側に、思いがけない光景が広がっていたからです。
そこには純白の睡蓮を湛えた池がありました。薄暗い池の表面に浮かぶ睡蓮は、木樹の枝葉の間から差し込む光の具合で、青白く発光しているように見えました。おそらくどの位の光線を入れるか計算の上で、枝葉の手入れがなされているのでしょう。見事なものです。そして池の畔には一人の少年がいて、じっと池を覗き込んでいるのでした。少年は飽く事無く、水面に映る自分の顔を眺めています。
私はふと、その光景をどこかで見たような気がしました。そしてはたと気が付いたのです。
「明智探偵、これはまるで一枚の絵画のようですね。ぼくはいつか帝都美術館で、これとそっくりの光景を描いた絵画を見た事があります」
「そう。その通りだよ。この森はね、生きている美術館なのだ」
「生きている美術館?」
「こうして自然の木樹を額縁にして、その向こう側に絵画の世界をそのまま生かしてあるのだ。謂わば生きた絵画、という訳だよ」
それから先の道中、木の幹の隙間が現れると、私は胸ときめかせながらそこを覗き込みました。そしてその度に、様々な絵画の世界の生きた姿を目にしたのです。
ある場面では、森の広場で踊りに興じる少年達がいました。別の場面では、一人寂しく木の実を拾う少年が。またある場面では、麦わら帽子をかぶった少年が、木の幹に腰掛けのんびりとシャボン玉を吹いています。親しげに頬を寄せ、何かを熱心に語り合う二人の少年。また、人のいない風景画もありました。ある風景画などは、ただ木と草と岩とが配置されているだけなのに、それが完璧な構図を持っているのです。また別の風景画では、小川に古びた木の橋が架かっていました。そしてその真上にはちょうど空を覆う樹の枝葉が無く、まるでその池を照らすように天上から光が差し込んでいます。光がまるで空気に金粉を散らしたようにきらきらと輝き、私は眩しくて目を細めました。またある大木の幹には、巨大な人の顔が彫刻されていました。また別の樹では幹が丸くくり抜かれている箇所があり、そこから覗き込むと、遠くの丘の上にたわわに実を付けた林檎の樹が見えました。またある場面などは、驚いた事にそこだけ一面の紅葉なのです。季節までこの森では自由自在なのでしょうか。
何と贅を尽くした美術館でしょうか。先程の渓谷では、色彩は単調なセピア色と白だけに統一されていました。それが真っ白な霧を抜け、やはり単調で暗い色をした森の中に入り込んだかと思うと、突如として樹の幹の額縁の中にだけ鮮やかな色彩が現れるのです。さらに、作り上げられた一つ一つの絵画は、動きを持ちながらも完璧な構図の美を崩す事なくいるのです。
こうして感嘆の溜息をつきながら「絵画」の鑑賞をしているうち、森を縫って進む道は次第に狭くなり、驢馬が通るのがやっとと云う位の道幅になりました。そして並木が途切れたかと思うと森はそこで終わり、突然目の前が開けました。広漠とした緑の草原が、地平線まで広がっています。
ここは一体、どこなのでしょう。私は唖然としました。
「明智探偵、この島は一体どれだけの広さがあるのです」
「ウフフ。この島の本当の広さを言ったところで、君はきっと信じないだろう。この草原も先程の階段と同じなのだよ。このように果てしない広さに見えるが、本当はそうじゃない。気付かない程度に草原の周囲が高く作ってあって、向こう側を隠しているのだ。それで、まるで大陸の平野のように見えるのだよ」
「この、草原が……?」
私は目をこすり、風に吹かれてたなびく草原を見渡しました。この草原がただの広っぱだとは、やはり信じられません。
私達は驢馬に乗ったまま、草をかき分けて進む道を行きました。草の匂いと、さわやかな空気の匂い。東京で生まれ育った私なのに、懐かしい場所に帰ったような気がするのは何故なのでしょう。
やがて、道が二つに別れる所に来ました。明智探偵が言います。
「この道を左に行くと、島の全てのパノラマを順に巡るようになっている。ここまで君が見てきたのはほんの入り口で、この島にはまだ何十となく様々なパノラマがあるのだ。そして右の道は、僕の宮殿に繋がっている。今日は君も疲れただろうし、パノラマを巡るのはこれくらいにして、宮殿に向かおう」
そうして明智探偵は、私を連れて右の道を行きました。草はだんだん深くなり、終いに驢馬の背と同じ位の高さになりました。いえ、草が深くなったと言うよりは、道の方がだんだん窪みに入ってゆくようです。そうしている内に草は私達の両側から迫ってきて空を覆い、道は再び穴蔵を行くように薄暗くなりました。
「さあ、ここで驢馬を降りるのだよ」
明智探偵の言葉にハッと我に返ると、そこは蔦で作られた天然のアーチの下でした。彼はひらりと身軽に驢馬から飛び降りると、私が降りるのに手を貸しました。解放された驢馬は誰に命令された訳でも無いのに来た道を戻ってゆき、すぐに姿が見えなくなりました。
私の鼻が芳しい芳香を捉えていました。蔦のアーチを抜けた先にあったのは……、一種の、薔薇園でした。しかしありきたりの薔薇園ではありません。一面、黒い薔薇だけの薔薇園なのです。漆黒が、花園を埋め尽くしています。花は明るい色をしているものという先入観が私の頭を混乱させ、目がおかしくなったのかと錯覚してしまいます。しかし不気味でありながら、不思議に魅惑的な薔薇園でした。
「この薔薇園はね、墓標なのだ」
明智探偵が、ぽつりと呟きました。
「墓標? 一体、誰の」
「親に捨てられ、人知れず死んでいった悲しい少年達の墓標だよ」
明智探偵の顔に、何とも複雑な表情が現れました。その表情を見ながら私は小林君の身の上を思い出し、もしかするとこの人にも同じ様な事情があるのではないかと、何となく感じたのです。
「少年達が寂しくないように、宮殿の入口にあたる場所に薔薇園を作ったのだ。宮殿に行く人は必ずここを通るからね」
明智探偵はそう言うとゆっくりと歩き始め、先へ進んで行きました。
薔薇園を抜けると、そこに一台の蓮台が私達を待ち受けていました。担ぎ手はやはり少年達です。一糸まとわぬ姿で、花で飾られた蓮台を捧げ持っています。
「さ、これに乗ってゆくのだよ」
さすがに私は、気恥ずかしい思いと後ろめたさで躊躇いました。この島の異常な常識に、少し慣れ始めてはいるものの。
私達が乗り込むと、少年達は蓮台を担ぎ上げ静静と進み始めました。道は桜の並木に入ってゆきます。満開の桜から、はらはらと雪のように花びらが舞い落ちました。
「僕はね、花は桜と薔薇が一番好きなのだ。全ての花は美しい。だが畏怖を感じさせるのは桜と薔薇だけだ。ほら、何かこう、美しくも恐ろしい感じがしないかね」
明智探偵は蓮台の上から、舞い散る花びらと戯れるように手を伸ばしました。
「確かにそうかもしれません。でもそれは、この島も同じです。美しくも、また恐ろしくも思えます」
「そうかね」
どこか物悲しい桜の並木を抜けるとそこは一変し、賑やかな花の園となりました。ありとあらゆる種類のダリアが咲き乱れています。百合の群れが力強い芳香を放ち、チューリップが慎ましやかに風に揺られています。コスモスはまるで万人に微笑みかけるかの如く咲き乱れています。
それは広大な花園でした。むせ返る様な花の香りは酔いしれるほどに強く、私は目眩すら覚えました。
そうしてついに、私達の行く手に、あの塔のような建物が見えて来ました。海の上から見えていた、あの塔です。あれが、明智探偵の言う宮殿なのでしょうか。
近くまで来てみると、その「塔」の風変わりさは、この島の中でも際立っていました。全体がぐねぐねと渦を巻いた形をしており、まるで子供の無邪気な粘土遊びです。当たり前の形に一度完成したものを、わざわざぐるりとひねったかのようでした。全体は三角錐に近い形をしているのですが、天辺に近い部分に、まるで帽子のつばのように広くなった場所がありました。どうやらそこは展望台になっているようです。塔の外壁は柔らかな紫色をしていて、不思議な模様が描かれています。塔の周りには、様々な動物を象ったトピアリーが並んでいました。
突然、きゃっきゃとはしゃぐ子供の声が聞こえました。そちらに目を向けると、塔からほど近い花園の一角に窪地になった箇所があり、そこに温泉が湧いているのです。まだ羞恥を知らぬ幼い少年達が、そこで一糸まとわぬ姿で子犬のようにはしゃいでいます。
「おや、これは」
立ち止まって少年達の様子を眺めていた明智探偵が、ふと、傍に植えてある椿の若木に歩み寄りました。そうして、まだ植えたばかりらしいその若木を、憎々しげにじいっと見つめているのです。
「その椿がどうかしたのですか」
「僕はね、僕は……、椿が大嫌いなのだ。それを知らぬ庭師の誰かが、ここに植えたのだろう。すぐに始末させなくては」
「どうしてです。こんなに綺麗に咲いているじゃありませんか」
今が盛りと咲き誇る椿の花にそっと触れ、私は言いました。しかし明智探偵は苦い顔で地面を指さしました。
「ほら、椿はこうやって花のまま落ちるだろう。そうして見苦しくいつまでも屍を晒している」
確かに辺りの地面には、まだ美しく咲いた花がいくつも、そのままの姿で横たわっています。明智探偵はその花を無残にも踏み潰しました。ひとつ、ふたつ、みっつ。花々は踏みにじられ、散り散りになりました。その様子を、私は黙って見守りました。花を踏み潰す明智探偵の顔には、恍惚の表情が現れています。
「明智探偵」
「うん? なんだい」
「見苦しい屍」を始末し終わった満足気な顔で、明智探偵は私の方を振り向きました。
「貴方はなぜ僕をここへ連れてきたのですか。貴方は……、その、小林君を愛しているのでしょう。僕には、同姓に対してそういった感情を持つというのが正直理解できません。しかし、ともかくも小林君が僕を愛しているというのなら、僕は謂わば貴方の敵ではありませんか」
「ウフフフフ」
明智探偵は、鼠を狙う猫のように舌なめずりしました。
「そう、そう。僕は君に嫉妬しているよ。小林君が誰かに心を奪われていると思うと、この胸がシクシク痛むのだ。ああ!」
明智探偵は天を仰ぐかのような身振りで叫びました。
「なんと甘美な痛みなのだろうか。君に分かるかい。僕はまさに、この甘美な劇薬を味わう為に君をここに置くことにしたんだ。それに僕はこう見えても、小林君の幸福を願っているのだよ。彼が欲しがるものは何でも手に入れてあげたいのだ。この僕が、ね……」
私はゴクリと唾を飲み込みました。
「小林君に……、小林君に会わせて下さい」
「もちろん。だが今はだめだ。今夜君のために歓迎の宴を催すから、そこで会わせてあげよう」
明智探偵は微笑みました。