魔女と幽霊と異世界人
深い霧に覆われた灰色の荒野。
草木は枯れ、土は乾き、冷たい風が静かに吹く。
人呼んで”絶望の地”。
思わず手を前に突き出して進みたくなる霧の中を、そこから更に先へと進む。
すると急に霧が開け、太陽の光に照らされた一軒の小屋が姿を表した。
そこに、一人の老婆がいた。
「・・・」
老婆は無言でこちらを見つめている。
長い白髪が不気味に揺れ、何をする訳でもなく佇んでいる。
突然、その目をくわっと見開いた。
鬼の形相で睨むと、凄まじい勢いで走ってくる。
そして——。
「遅かったじゃないの!」
スパコーンッ!と語り手、こと俺の頭を引っぱたいた。
「あたっ!?」
「どこほっつき歩いてたのさ! 全く、ほんといつまで経っても心配かけて!」
「お、お袋みてぇな真似すんじゃねえよ!」
俺は川崎真。
この世界へ来てから10年以上経つ”転生者”だ。
元々は二十歳を越えていたのだが、この婆さんが用意した体が子供だったせいで、今は16歳くらいの少年だ。
容姿は黒目黒髪、飛び抜けてハンサムでもなく極めて平凡。
誰だ、異世界に生まれ変わったらイケメンになれるとホラ吹いた奴は。
「あたしがお袋みたいなもんじゃないのさ、生意気言うんじゃないの! ほら、さっさと中に入る! 手を洗う!」
「はいはいはい」
「はいは一回!」
何でもない日常。
本当に異世界か、と思わず突っ込みたくなるほどの。
けれど、ここには魔法があり、魔獣だっている。
聞く話によると、獣人族とかいう獣と人間が一緒になったような種族までいるらしい。
俺は会ったことがないけど。
この世界に生まれたからには俺にも魔法が使えるし、魔獣ともしょっちゅうやり合っている。
しかし、婆さん以外の「人間」には、生まれてこの方会ったことがない。
何故なら、俺はこの”絶望の地”から外へ出たことがないからだ。
小屋の中の一室、蜘蛛の巣が角に入っている狭い自室に入り、ベッドの上にゴロンと寝転ぶ。
ボロッちぃ小屋と、死が漂う絶望の荒野。
それ以外、俺はこの世界について何も知らないも同然だった。
せっかく異世界に生まれ変わったってのに、冒険のぼの字もないとはなんたることか。
「ぷーくすくす! おっこられてやーんのっ!」
「でたな・・・」
訂正だ。
他の人間には会ったことがないが、”人間みたいな存在”になら毎日会っている。
肩程度に伸ばされた銀色のサラサラな髪。
猫のような悪戯な瞳に、足下まである丈の長いワンピースドレス。
薄く青白い光を帯びた身体。
少女は空中を浮遊して部屋に侵入してきた。
「サラ、ノックしろって言ってるだろ」
幽霊。
死んだ人間になら、毎日のようにというか、毎日会っている。
主にコイツ、サラだけだけど。
「はー? どうやって扉に触ればいいのよ? あたし幽霊なんですけどー」
「声かければいいだろ! ”入ってもいい?”くらい言えないのかよ?」
「何をそんなに心配してんの? あ、ひょっとして一人でしてるとこをみられたくないとか?」
「お、お前・・・思春期男子の触れられたくないことNo.1をずけずけと・・・。てか女が堂々と恥じらいもなく言うな」
「きゃははっ」
くるくると空中をはしゃいで回る。
はぁとため息をついて、俺は彼女を見上げた。
サラは幽霊だ。
死んで何年になるのか、それは聞いたことがないが、俺とは7年以上の付き合いになる。
幼馴染みのような存在であり、同時に家族のような存在でもあった。
俺と婆さんとサラ。
3人仲良く、人里離れたこの乾いた土地で暮らしてるって訳だ。
実はそれが、俺がこの世界に召還された理由でもある。
スキル『観測者』。
距離や概念を越えて観測し、この世のあらゆる事象を観察する。
魔女という異名を持つ婆さんの、この世でたった一つの特殊能力だった。
それが故に、婆さんは国から煙たがられ、身を追われ、この絶望の地に逃げ込んで誰にも知られずに暮らすこと数十年。
自分がいつ死んでもおかしくない年齢にさしかかった時、ふと猛烈な寂しさに襲われた。
誰かに看取られたい、また人肌を感じたい、一緒に笑いたい、記憶に残りたい。
そんな感情が抑えきれずに、婆さんはとある禁を犯した。
それは、魔法により命を創造すること。
魔法では生命を人工的に作り出す禁術がある。
何故”禁術”なのかと言うと、倫理的問題もあるが、それ以上に人工的に作り出された肉体には、魂が宿らないというのが最たる理由だった。
言わば、魔法で人間を作り出すことは出来るが、植物状態の人間しか作り出せないのだ。
しかし、ここで婆さんのスキル『観測者』が絡んでくる。
観測者の力とは、普通の人が認識できない物を認識し、触れない物に手を伸ばす力。
婆さんは、魂さえも観測できた。
そのスキルでこことは別の世界、地球にいた俺の魂を観測し、この世界に引っ張って来て子供の肉体に入れたって訳だ。
こうして語るとまさに”魔女”って感じだな。
俺の許可なく勝手に魂を異世界に引ってきたことに、婆さんは引け目を感じているらしい。
時折、その瞳に憐憫や自責の念が宿る。
だけど、俺は全く気にしていない。
元々俺は心臓の病気で死ぬ筈だった。
もっと生きたいと病院の個室でいつも願っていた。
それを見て知っていたからこそ、婆さんは俺を選んだのだ。
まぁともかく、そうして俺は婆さんと一緒に暮らすことになり、いつの間にかひょっこりサラも加わり今に至るって訳だ。
魔女と幽霊と異世界人。
つまはじきものが寄り集まった、三人だけの小さな生活。
しかしそこには確かに幸せがあって、俺はかけがえのない何かを感じていた。