8話 吸血
空に星が輝きだしてしばらくが経った。俺はプルミエに与えられた自室で、胸をどぎまぎさせていた。
「これから何されるんだ、俺……」
去り際に見せた妖しげな笑顔、あれがどうしても気にかかる。ただの少女であったプルミエが、突然獲物を狙う肉食獣に変わったかのような笑み。
(まさか今までの全部が演技だったなんてことはないと思うけど……覚悟した方がいいかもしれないな)
あり得ない仮定かもしれないが、もしプルミエに命を狙われたとしたら俺に勝ち目はない。魔法は特訓中とはいえまだ人に危害を与えられるレベルのものは使えないし、対するプルミエは明らかにその道のプロだ。
コンコン、と戸がノックされ、プルミエが部屋へと入ってくる。そのウキウキとした表情の真意を、俺には読み取ることができない。
「待たせたの、アスカ」
「いや、全然」
俺はなるべく平静を装い、努めて平坦な声を出そうとした。
それを見たプルミエはくすっと小さく笑う。
「なんじゃ、緊張しておるのか? 体を楽にせえ。ただ、ちーっと血を吸うだけじゃあないか」
プルミエはプクッとした唇から桃色の舌をだし、舌なめずりをする。俺より二回りは小さい身体だと言うのに、その仕草は艶めかしさで溢れていた。
「久しぶりの血じゃの……。あぁ、楽しみじゃ……」
プルミエは頬を手で押さえる。その頬は朱に染まっていた。
「その、プ、プルミエさん? ちょっと怖いんですけど……」
「逃げるでない、アスカ。すぐに終わるのじゃ」
距離を取ろうした俺の腕を、プルミエは素早い動作で掴む。掴まれた俺は距離をとることが叶わない。
俺はベッドの上に追い詰められた。
「いただきます、なのじゃ」
恐怖で身を固くした俺の首筋に、プルミエが勢いよくかぶりつく。
痛みを覚悟して目をつぶった俺だが、ほとんど痛みはない。
「んくっ……んむ? ぷはっ」
「あれ……もう終わったの?」
あっけなく首筋から離れたプルミエは不思議そうな顔で首をひねった。
「いや……お主、硬い身体をしておるの。まさか妾の牙が通らんとは……こんな丈夫な身体の人間は初めてじゃ」
(俺は別に人より丈夫な身体だと思った事なんて一度も……あ、まさか……!)
俺は死ぬ間際のことを思い出す。
『丈夫な身体にしてくれ』
たしか死に際にそんなことを願った記憶がある。つまり、その願いに従って俺にチートが与えられた……ということなのだろうか。
それならば、以前木から飛び降りたときに無傷だったことも説明が付く。多分、身体に力を入れたときにだけ身体が頑丈になるのだろう。
(だとしたら地味すぎる……。丈夫な身体って、地味すぎるだろ。しかも疲労はなくならないみたいだし)
この屋敷に来てからなんども疲労感を感じてきた。もしこの身体が疲労まで無効にしてくれるのならば、そんな思いはしなくてすんだはずだ。つくづく微妙な能力である。
(ま、怪我しにくいのは嬉しいけど)
「アスカ、身体から力を抜いてくれるかえ? このままお預けはあまりにも惨いのじゃ……」
先ほどまでの威勢はどこへやら、プルミエは本当に悲しそうにガックリと項垂れる。
「いいけど、怖いことしないでね?」
「妾は純粋に血を欲しておるだけじゃ。誓ってそれ以上の危害は加えん」
「わかった……はい、どうぞ」
俺はおそるおそる身体の力を抜いた。最初にかぶりつかれた時だって、血を吸おうとする以上の行為はしなかったし、多分大丈夫だろう。
それに、プルミエを疑うことはあまりしたくなかった。プルミエと別れたら、俺はこの世界で天地無用の一人者になってしまうのだから。
「では改めて……いただくのじゃ」
プルミエは俺の首筋に再度噛みつく。歯の中でも特に鋭く尖った2本の犬歯が、俺の皮膚に深く突き刺さった。
「んくっ……んくっ……」
プルミエはごくごくと俺の血を飲んでいるようだ。
俺はというと、痛みを感じないどころかむしろ心地よい気分になっていた。血を吸われる前に何か快楽物質でも流し込まれたのだろうか。
プルミエの顔が桃色に色めき、息遣いが熱を帯びていく。
「んっ……はぁっ……」
耳元で色っぽい声を聴かされて、俺の煩悩はもう爆発寸前だ。さらに不味いのは、ここがベッドの上だということである。
(頼むから変な声出すのをやめてくれ……!)
俺はこのもどかしく、ある意味地獄のような時間をただ耐え続けた。
「んくっ……ぷはぁっ」
やっとプルミエが俺の首筋から顔を離す。その上気した顔が、俺の血が満足のいくものだったことを言葉より雄弁に示している。
「すまんの。お主の血が珍しい味なもんじゃから、つい夢中になってしまったのじゃ」
「いや、それはいいんだけどさ……体に力が入んないんだけど」
俺はベッドに倒れ伏した。
「あ、アスカ!? まさか血を吸いすぎてしまった!? ど、どうすれば……アスカ、しっかりするんじゃ~!」
(心配そうな顔も絵になるなぁ……)
必死な顔で俺の肩をゆするプルミエの顔を見ながら、俺の意識は深くへと沈んでいった。