7話 花
この屋敷に来てあっという間に1ヶ月が過ぎた。
あれからもう一度屋敷を訪れてきたロペラは、「仲がよさそうでなによりです」と言っていた。俺に向ける表情も少し柔らかいものになっていた……気がする。少しは信用されてきたのかもしれない。
野菜を持ってきたロペラは、なんやかんやのやり取りで何度目かの「次が最後」という約束を交わして帰って行った。
そして今日。いつもの一日が始まる。
今日のプルミエは黒いハイソックスにガーターベルトを着けていた。スカートとハイソックスの間のわずかな素肌が、本人も意図しないほどに扇情的なことになっている。
(エデンはここにあったのか)
そんな馬鹿なことを考えてしまうのも無理もないほどに、プルミエは綺麗だった。
俺がプルミエをみつめていることに気づいたプルミエは、椅子から飛び降りて部屋の扉へと歩き出す。
「お花の手入れの時間じゃ。アスカも行くじゃろ?」
「う、うん」
美しい黒い翼が揺れる背中の後を追って、俺は城を出た。
花壇までついたところで、プルミエは俺の方を振り返る。スカートが風になびいてブワッと膨らみ、深い赤の髪もサラサラと風に流れる。
「アスカのおかげで大分お花も回復してきたんじゃ」
「確かに、最初に比べると元気な気がするような……」
俺は花壇に咲く花々を見てそう漏らした。瑞々しい潤いを持ち、生命力に溢れているという感じがする。
「それは勘違いではないぞ、アスカよ。長年見てきた妾にはわかる。今この瞬間の花壇はこの100年の間でもっとも美しく飾られておるとな!」
「100年って、実際見たわけでもないのに――あれ、プルミエって年いくつ?」
「ん? たしか400歳くらいじゃったかのぅ」
プルミエの答えに、俺は内心度肝を抜かれる。
(さ、さすがヴァンパイア……! こんないたいけな少女が400歳とか、実際に目の当たりにしても考えられないぜ)
「俺、プルミエの方が年下なのかと思ってた」
「ふふっ、妾から見ればアスカは赤子じゃぞ? ほ~らアスカちゃん、よちよちしてあげまちゅからね~」
俺の驚いた顔を見て気分を良くしたのか、調子づいたのか。
プルミエは翼をはためかせ、俺より高い目線から俺を見下ろす。そしてその白い手を俺の頭に乗せてからかうように撫でてきた。鼻につく声で話してくるのがとても屈辱的だ。
(いい気になりやがって……)
「……年増」
「だ、誰が年増じゃー!」
俺が呟いた言葉に、プルミエは大層ご立腹した。
怒った顔で俺を睨んでくるが、なにぶん元が可愛らしい造形の顔なのでまったく威圧感がない。
「言ってない言ってない。聞き間違いじゃないの?」
「言ったじゃろーが! 年長者は尊敬するのじゃ!」
「プルミエ、尊敬してるー」
「じゃから、その言い方は何なのじゃー!」
プルミエの怒りは収まるところを知らない。
あまりにうるさいので、俺はプルミエを制すことにする。
両手をプルミエの前に出して、
「どぅどぅ」
「……妾は地竜じゃなーい!」
プルミエは金切声をあげた。
(あれ、おっかしーな。余計に怒らせたみたいだ)
そんなこんなでプルミエの怒りが収まるまで相当の時間を要した。
テンションをあげすぎたのか、ばてて木陰で膝をついているプルミエをみて、俺は思う。
(ちょっと言い過ぎたかな……?)
少し反省した俺は、プルミエに謝罪することにした。
「プルミエ、言い過ぎてごめんね。もう言わないから」
「べ、別に本気で怒ったわけじゃないのじゃ。むしろ憎まれ口を叩き合う相手がずっと欲しかったから、嬉しいと言うかなんというか……。……それに妾が本気で怒っていたら今頃アスカの姿はこの世にないからの」
(最後に恐ろしい言葉が聞こえた気がしたけど……聞き間違いだな、そういうことにしておこう)
精神衛生上のことを考えそういうことにした。
にしても、やっぱり本気で怒ってたわけじゃなかったんだな。プルミエが良いと言うなら、俺はこのままの感じでいこう。
そう決めた俺は息の上がっているプルミエに近づく。
「花に水あげるの、手伝うよ」
「うん、なのじゃ」
プルミエは立ち上がり、2人分のじょうろを持ってきた。ピンクのジョウロと水色のジョウロだ。
水色のジョウロをプルミエから受け取った俺は、花に水をあげていく。
初めての作業なので少し慎重に、水をあげすぎないように注意しながら俺は花々に潤いを与えた。
「……よし、終わった」
「ご苦労様じゃ、アスカ。見ろ、お花たちも喜んでおる。妾はこの光景を見るのが好きなのじゃ」
水に濡れた花々は、太陽の光を反射して眩しく光っていた。それはたしかに心が洗われるような光景であった。
俺は半ば無意識に、視界の中にプルミエを入れる。
輝く花々を慈しむ目で愛でるプルミエはさながら女神のように思え、俺は思わず心を奪われた。
「――カ……アスカ?」
「あ、あっ、うん。な、何?」
(や、やばい。見惚れてた……)
俺は恥ずかしさから必死で取り繕う。その甲斐あってか、プルミエに気づいた様子はなかった。
「妾の自慢のお花たちをお主に紹介するのじゃ」
そう言ってプルミエは花壇の傍にしゃがみこむ。先ほどのことは忘れていないのか、きちんとスカートを抑えながらしゃがみこんだ。
「これは霊薬草といってな、全てを癒す霊薬の元になる花じゃ。といっても霊薬を作るにはもっと大量に必要じゃがの。花言葉は『輝く未来』だったかの。この花はヴォルヌートというヴァンパイア仲間にもらったやつじゃ」
プルミエが指差したのは、純白の、紫陽花のような形をした花だった。その花は自らの汚れのなさを誇るかのように、凛と力強く咲いている。霊薬の元になるだけあって、他の花と比べても存在感が一際大きい。
「綺麗な花だね。俺も気に入った」
「じゃろ!? じゃろ!?」
俺の同意を得たプルミエは、声を弾ませて本当に嬉しそうだ。その感情と呼応するかのように、背中の黒い羽根がパタパタと動いているのも微笑ましい。
「まだまだあるのじゃ、これは――」
プルミエの花紹介は長時間に及んだ。
「これで粗方は紹介したかの? どうじゃ、花に興味がでてきたかえ?」
「お、おう……」
俺は口の端を痙攣させる。説明続きで頭から脳が溢れそうだ。
「それにしてもそんなに詳しいなんて、本当に花が好きなんだなぁ。プルミエって意外と女らしいところあるんだね」
「意外ととはなんじゃ、意外ととは! 妾はどうみても女らしいじゃろうが! 妾のナイスバディ―がみえんのか!?」
プルミエは腰に手を当てて、前かがみになった。そして端正な眼をぱちくりぱちくりウィンクする。
「プルミエって冗談も言うんだな」
そう言うと、プルミエは拳を握ってぷるぷると震えだした。
「? どうしたの?」
「冗談じゃないのじゃ、このスカポンタン! アスカなんて嫌いじゃー! 嫌いなのじゃー!」
まるで癇癪を起こした子供のように、悪口を捲し立てるプルミエ。しかし語彙が少ないのか、頭に血が上っているのか、後半は「嫌い」しか言えていない。
(まるで400歳には思えないな……プルミエらしいっちゃらしいけど)
「ごめんごめん、お詫びに血を吸っていいからさ」
俺はほんの軽い気持ちでそう言った。
瞬間、背筋に寒気が走る。
先ほどまでとはうって変わったプルミエが、見る者全てを釘付けにする怪しい笑みを浮かべていた。
「……言ったな、アスカよ。今晩、楽しみにしておくとよいぞ……?」
(な、なんか雰囲気変わった……?)
プルミエはそれっきり一言もしゃべらず屋敷へと入っていく。
俺はあまりの変わりように、一体どんなことをされるか戦々恐々としながら屋敷へ帰るのだった。