67話 決着
「弱い癖にいきがる。……ああ、あなた私が一番嫌いなタイプだわ」
本気の殺気が俺に向けられた。
その視線だけで、ナイフで刺されたような痛みを感じる。
「……あ」
足腰に全く力が入らない。腰が抜け、俺は尻もちをつく。
「坊やはそこで腰でも抜かしているのがお似合いよ。プルミエが殺されるところを惨めに眺めていなさい」
メドゥーサがゆっくりとプルミエに近づく。俺はそれをただ黙って見ていることしかできない。
なんとか動かせる首を動かしてプルミエの顔を見た。
プルミエの顔は汚れている。魔法に突っ込んだりなんかするからだ。
人に無理するなと言っておいて、一番無理するのはいつもプルミエの方だ。
「……ふ、ざけんな」
俺は立ち上がる。
失くしちゃいけないものは胸に刻んだ。あとは自分の後悔しないように、すべきことをするだけだ。
「ふうぅっ! ふうぅっ!」
恐怖は勇気で打ち消せ。臆病は憤怒で塗り替えろ。
俺はやれる。俺はやれるっ。俺はやれるっ!
「良い顔になったじゃない。弱い人間がいきがるのは嫌いだけれど、無様に足掻く姿を見るのは好きよ?」
メドゥーサの左手から闇の奔流が、右手から流魔法の氷が俺へと襲い来る。
俺は歯を食いしばる。歯が折れるほど強く。
血が滴り、右目の視界が潰れる。
だが俺は倒れない。
それを見たメドゥーサはパチパチと俺を讃えるように手を叩く。
「その頑丈さに免じて、一撃入れられたらあなたの勝ちってことにしてあげてもいいわ。希望があった方がよりやる気が出るでしょう? ほら、精々みっともなく足掻きなさいな。ぼ・う・や?」
メドゥーサが白く細長い舌を出して俺を挑発する。
(この野郎……)
一撃入れる。それで気絶させて、その隙にプルミエを外へ運ぶ。それしかない。
勝機はある。おそらくメドゥーサは魔力切れが近い。
魔法の威力がだんだんと落ち始めていた。じゃなきゃ俺は今立っていられていないだろう。
メドゥーサにとってもプルミエとの戦いは楽じゃなかったってことだ。
俺はナイフを構えてメドゥーサと対峙する。
「なぁに、それ? ……まさかその刃物で私に立ち向かうつもりなの?」
「そうだ」
シャルが選んでくれたナイフだ。シャルの力も借りて、俺はこいつを倒す!
(耐えられる回数ももう多くない。勝つには、攻めなきゃ駄目だ)
俺は重い脚を引きずってメドゥーサに近づこうとする。
だが、それを見越したメドゥーサがとめどなく氷の弾丸を飛ばしてくる。
「くそっ……」
(威力を捨てて数で来たか……!)
息もつかせぬ連撃に、俺の脚はプルミエの近くで釘づけとなり、前に進むことができない。
「呆れるほどの耐久力ね……。でも攻撃もしないでどうやって勝つつもりなのかしら。ほら、攻撃してきていいのよ?」
メドゥーサがどんどんと距離を詰めてくる。
メドゥーサはすでに勝利を確信しており、俺のことはもう視界に捉えていない。メドゥーサの眼は伏しているプルミエにのみ向けられていた。
(チャンスだ……。このチャンス、絶対に生かす!)
俺はナイフを思い切り振りかぶり、目前に迫ったメドゥーサに振り下ろす。
しかし、右腕は意思に反し振り下ろすことができない。
「――っ!?」
まるで全身を流れる血液が突然固まったかのような感覚。
(動けっ! 動けよ、俺の腕だろ!)
「だから言ったでしょ? 『あなたじゃ私に触れることすら出来ない』って」
メドゥーサの額には目の模様が浮かんでいた。
邪眼。ヴォルヌートから聞き及んでいたその恐ろしさを、俺は身をもって体験する。
「ほら、私は目の前よ。その高々と掲げた腕を振り下ろせればあなたの勝ち。ただ振り下ろすだけでいいのよぉ?」
メドゥーサはゆっくりと俺の顎を撫でる。
そんな屈辱的なことをされても、俺の身体は全く動いてくれない。
頭が、心が煮えたぎっているのに、身体は俺のものじゃないみたいに動かない。
「……くそがぁ……っ!」
「あなた程度の魔力じゃそれを打ち破るなんて無理よぉ。あなたはそこで、愛しのプルミエが命を落とすところを何もできずに眺めていなさい」
「……そ、が……っ!」
呂律が回らなくなってくる。呼吸ができなくなってくる。
俺はすでに半分石になっていた。
(殺す! 殺す! 俺はこいつを殺さなきゃならねえんだ!)
回らなくなり始めた思考で、なおも目の前の女を睨みつける。
「あぁぁ、その目は中々いいわぁ……!」
メドゥーサは溶けたような表情を浮かべる。
(プルミエは、俺が…………)
ついに声さえ出せなくなった俺は、意識を失った。
ぽん、と。
足首に何か温かいものが触れる。
それは足首の辺りから体全身に広がっていく。
その温かさはあっという間に俺の身体の芯を溶かした。
思考ができる、息ができる、身体が動かせる。
――メドゥーサを、殺せる。
「おらあぁぁああっっ!」
目の前のメドゥーサにナイフを振り下ろした。
メドゥーサの皮膚とナイフがぶつかり、金属同士がぶつかり合うような高音が洞窟内に反響する。
「な、なんで……」
メドゥーサが混乱を声に表した。
なんでだって? 決まってる、プルミエのおかげだ。
あの温かいものはプルミエが手から流してくれた魔力だったのだ。
「妾をだれ、だと、思って……おる……」
「『血流操作』……!? 他人の血は操れないはずじゃ!?」
たしかにプルミエは他人の血は操れない。だが俺の血にはプルミエの血が混ざっている。
プルミエは俺の中のプルミエの血を操作して、俺を邪眼から解放したのだ。
(でも俺ももう限界が近い……)
だがメドゥーサも満身創痍だ。
プルミエと戦ったダメージに加え、先ほどの一撃でもう動くことはできそうにない。
「終わらせる……俺が、終わらせる!」
俺はナイフにありったけの魔力を込める。
泣いても笑っても、これが最後の一撃だ。
俺の全部を、この一撃に込める。
「くらえぇぇっ!」
気力も体力も全てを限界まで振り絞った一撃。
俺は最後の力を振り絞り、メドゥーサの胸にナイフを突き出す。
メドゥーサは避けるそぶりも見せず、それを受け入れた。
その身体から鮮血がほとばしる。
メドゥーサの体から魂が抜けていく感覚を、俺はナイフを通して感じていた。
「そ、そんな……! 私、が……負ける……?」
「俺の、勝ちだ……」
メドゥーサの体が灰へと変わっていく。
ああ、目がかすむ。
もう一歩も動けない。
「まさか、こんな死に方をするとはね……。ああ、そうだ。坊や、あなた名前は?」
メドゥーサは灰になっていく自らの身体を呆気なさそうに見つめ、俺に名を聞いてきた。
しかし俺は答えない。すでに空っぽで声も出せないのだ。
「言わないなら最期に愛しの誰かさんを殺しちゃうかも。ほら、私って寂しがりだから」
「……飛鳥っ! 俺は飛鳥だっ!」
喉から無理やり声を絞り出す。
叫んだつもりだったが、なんとか聞き取れるだけの大きさにしかならなかった。
「アスカね、覚えたわぁ。四大英雄を殺すなんて……あなた、中々やるじゃない」
その言葉を最後にメドゥーサは完全にその姿を消した。
俺たちは勝ったのだ。
その余韻を味わう余裕もなく、俺の意識は闇に沈んだ。




