32話 誓いの紋
思い立ったが吉日。森に入る準備を始める。
(ヴォルヌートのところまで何日かかるか。プルミエの屋敷から四日だろ……って四日?)
俺は準備の手を止めた。四日では一人で行くのは無理がある。
ただでさえ森の中は危険が多いのだ。
満足に休めない中で四日も歩き続けるのは無理だ。
(……いや、あの時はプルミエが抱えて飛んでくれての四日だ。歩いて進んだら一週間以上かかるだろうな)
一週間かかるのでは、ヴォルヌートのところに行くのは絶望的と言っていい。
(森を迂回する方法とかあるのかな。いや、でも迂回できたとしても一人で行くのは厳しいか)
俺は頭を抱えてベッドの上に寝転がる。
そして体を左右に回転させながら頭のなかで打開策を考える。
良い案が浮かばずに困っていると、コンコンとドアがノックされた。
開けると、相変わらずホットパンツを履いたシャルが俺を見上げていた。俺の顔を心配そうに見ている。
「ごそごそどうしたの? 何かあった?」
「シャル! シャル、お願いがあるんだ」
「にゃ?」
俺はシャルに全てを話した。
聞き終えたシャルは自分の中で話を整理するように「うんうん」と何度か頷く。その度に猫耳がぴくぴくと小さく動いた。
「にゃるほど。そのヴァンパイアのところに行くのに付いてきてほしい、そういうことかにゃ?」
「その通りだ。頼めるか?」
「しょうがにゃいにゃあ。あたしに任せてよ」
「サンキューシャル!」
「任せるにゃ!」と胸を張るシャルに、ヴォルヌートの住んでいる場所を伝える。といってもプルミエに一度連れて行ってもらっただけなので、わかるのはかなり大雑把な位置までだが。
「森を通らないでこの辺に行く方法ってあるか?」
「う~ん、難しいね。もしかしたら西から行けば森はにゃいかもしれないけど、かかる時間は大幅に増えるし……。にゃにより西側は人の手が回ってにゃいから強力な魔物がいる可能性がある」
「なら、森の中を抜けるしかないか……」
森の中を今の俺たちが進むのはあまり気が進まない。なぜなら純粋に力が足りないからだ。
イマドの群れを下すことに成功したとはいえ、あれは全力を出し切ったうえでの結果である。
あの戦い方ではヴォルヌートのところまではとてもたどり着けやしないだろう。
「冒険者を雇うのはどうかにゃ? そうすれば戦力も増すし、安全に森の中を抜けれるんじゃ」
「いや、それはダメだ」
「え、どうして?」
首をかしげるシャルに俺は、それがわからないならシャルは大丈夫だな、と安心する。
「人間や亜人とヴァンパイアは、100年前まで戦争をしてたんだろ? 今は平和になったとはいえ、ヴァンパイア――人間が言う吸血鬼だな――に恨みを持っている人間がどこにいるかわからない。だから信用できる人以外は連れて行きたくないんだ」
不安要素はなるべく排除したいと俺は考えていた。ヴォルヌートたちに不信感を持たれたら、教えてもらえるものも教えてもらえなくなってしまうのだから。
「にゃるほど……。じゃあロペラさんは? 昨日の会話からして、あの人はプルミエさんと知り合いにゃんでしょ?」
「ロペラさんか……。そうだな、力になってくれるかもしれない」
俺はシャルを連れ立って、今日二回目の王宮へと向かった。
王宮に着いた俺は門を守る兵士にロペラを呼んでもらう。
「セレシェイラ様の次はロペラ様に用とは……人は見かけによらないな、っと失礼」
「あはは、お気になさらず」
(どうせ俺は一般人ですよ……。まあ言いたくなるのもわかるけどな、あの人たちオーラヤバいし)
兵士に愛想笑いを返し、ロペラさんがやって来るのを待った。
しばらくしてやってきたロペラさんは滝のような汗をかいていた。
髪が顔にペタッと付いているというのに見苦しい感じがしないのは、やはりこの人が持つ雰囲気によるものだろう。
「待たせて申し訳ございません、鍛錬を行っていたものですから。アスカさんに……すみません、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「シャ、シャルロッテだにゃです!」
(緊張しすぎだろ……)
近衛騎士団の団長という職に就いているロペラに緊張しているのか、シャルはおかしな話し方になってしまっていた。
だが、ロペラはそれに呆れるような様子も見せず、ただ軽く会釈をする。
「ありがとうございます。それで、アスカさんにシャルロッテさん。何のご用でしょうか」
「鍛錬中にすみません。でも、ロペラさんに協力してほしいことがありまして……」
俺はロペラさんにもシャルにしたのと同じ説明を行った。
「霊薬草……傷を治す霊薬、ですか」
「はい、それがあればきっとプルミエも――」
「行きたいのはやまやまなのですが、難しいと言わざるを得ません」
「なんでですか!?」
まさか断られるとは思っていなかった俺は、理由を求めてロペラの顔を見る。
ロペラは苦汁を飲むような顔で苦々しく理由を語り始めた。
「近衛騎士団団長として、あまり長い間セレシェイラ様から離れるのは私としては避けたいのです。片道一週間とすれば、行き返りでは二週間……その間セレシェイラ様の元を離れるというわけには……。もちろんプルミエ様も大事ですが、私にとって何においても守らねばならないのはセレシェイラ様なのです。ですから――」
「あら、随分面白そうな話をしていますね」
何者かがロペラの言葉を遮る。自然と俺たちの視線は超えの出どころへと向いた。
「セ、セレシェイラ様!」
「ロペラ。私にとってプルミエさんは命の恩人なの。あの方がいなければ、今の私はない……貸し借りで考えるのは嫌なのだけれど、私はプルミエさんに返しきれないほどの借りがあるのよ。なんとかならないかしら」
どうやらセレシェイラは俺たちの提案に好意的であるようだった。
主であるセレシェイラに頼まれたロペラは、逡巡するように目線を下に向けた。だが、すぐに目線をセレシェイラへと戻す。
「っ……いえ、やはり私はセレシェイラ様のそばを離れるわけには参りません。行けるとしてもプルミエ様の屋敷までが限界の距離です。それ以上は……申し訳ございませんセレシェイラ様、アスカさん、シャルロッテさん」
「あなたが心配性になったのはあの日あなたから離れていた私の責任だもの、責める気はないわ。……ならこういうのはどう、ロペラ? アスカさんとシャルロッテさんをあなたが鍛えてあげる、というのは。もちろんお二方が望めばの話ですけれど」
セレシェイラの提案に、ロペラは勢い良く頷いた。
「それならば可能です! 私としても是非!」
力になりたいのになれない自分をもどかしく思っていたのだろう。ロペラは今まで俺が聞いた中で一番喜んだ声を出した。
「お二方はどうでしょうか? 自慢ではないですが、ロペラは団長の名に恥じないだけの実力は兼ね備えています。必ず実力が付く、と私が断言しても良いです」
「ロペラさんの実力に疑問はありません。ですが……その間にプルミエが死なないと言い切れますか?」
俺はセレシェイラに尋ねる。
ここで言いよどむ様なことがあれば、俺は危険を冒してでも今からヴォルヌートの屋敷を目指すつもりだった。
俺に見つめられたセレシェイラは開いた右手を自身の心臓に押し当てて、はっきりと宣言した。
「はい。ヒュマン国国王、セレシェイラの名において、プルミエさんは死なせません」
「セレシェイラ様、誓いの紋までっ……!」
ロペラが唖然とする。
「誓いの紋?」
その重要さがわからない俺に、ロペラは声を震わせながら説明してくれる。
「右手を心臓に押し当て、自らの名を宣言しながら行う約束のことです。それを違えた場合は竜に殺されるとされ、口約束はもちろん婚姻の儀などでさえ使われることのない、非常に重い契りです」
「私が賭けられるのは自分の命くらいですので。どうでしょう、信じて頂けましたか?」
セレシェイラは平然と俺たちに笑いかける。
その顔には慈悲深い笑みを携えていた。
「……その提案、ありがたく受けさせてもらいます」
「アスカ兄ちゃんが受けるならあたしも受けますにゃ」
こうして、俺とシャルはロペラに鍛錬をしてもらうことになった。




