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20話 窮地

「助けに来たぞ、シャルロッテ。安心しろ、生憎体は丈夫なんだ」


 俺はシャルロッテをおぶって国へ戻ろうとする。しかし、その行く手をイマドが遮った。


「火が消えた途端にこれか……。節操のないやつらだ」


 火という脅威がなくなった今、俺とシャルロッテは確かに絶好の獲物だろう。


(少し無茶しすぎたか……もう魔力が心もとない)


 俺は体内の魔力量を推定する。おそらくあと魔法一発分というところだ。

 だがそうやすやすと食われてやるわけにもいかない。


 俺は闇魔法の煙幕を発動させる。


(イマドたちにとっては初見の魔法だ。おそらく警戒して突っ込んではこないだろう。その間に……)


 俺は傷だらけの身体を酷使し、森を抜けるために走り出す。

 闇魔法が発動している間が勝負だと俺は感じていた。この間に距離を開けておかなければ、2人分の重量がある手負いの俺はすぐに追いつかれてしまう。


 全身に気を張り、力の限り走る。

『頑丈』のおかげか、それとも俺の意思の力ゆえか、ともかく俺はかなりの速度で地を駆けた。


「グルウウゥゥ!」

(ちっ、煙が晴れた)


 魔力が切れ、俺の周りを包んでいた煙が霧散する。俺の姿を認めたイマドたちは、一目散に俺を追ってくる。


(シャルロッテは必ず俺が助ける! 今度こそは役に立つんだ……!)


 俺は必死に走るが、所詮俺は手負いの人間、対するあちらは野生動物だ。俺が懸命に稼いだ距離は徐々に詰められてきていた。


 森の出口まではあと50メートルほど。その50メートルが、今の俺には限りなく遠い距離に思える。


「グルルルッ!」


 ついにイマドの牙が俺の脚に届いた。バランスを崩しかけるが、なんとか気合いで持ち直す。

 しかし一瞬減速してしまった代償は大きく、俺はイマドたちに囲まれてしまった。


(畜生、あと少しだってのに……! いや、恨み言言ってもしょうがない。こうなりゃ正面突破しかねえ)


 俺は覚悟を決めた。『頑丈』のおかげで一撃での致命傷は避けられるはずだ。

 だとすれば俺がするべきは、シャルロッテを守る事。

 そして立ち塞がるイマドたちに突っ込もうとした刹那、背中からシャルロッテの声がした。


「……兄ちゃん。目、つぶって……!」

「っ!」


 咄嗟に目をつぶると、瞼越しでもわかる強烈な光が辺りを照らした。

 まともに喰らったイマドたちが悲鳴じみた鳴き声を上げる。


「今だっ! シャルロッテ、しっかり掴まってろよっ!」


 俺は統率がきかなくなったイマドの間をすり抜け、森の外へと走った。

 チラリと後ろを振り返るが、イマドたちは鳴き声を上げながら苦しそうに辺りを飛び跳ねているだけだ。

 俺は無事シャルロッテをおんぶして森から出ることに成功した。






(これだけ離れればイマドたちも追ってこないだろう)


 森から数百メートルほど離れたところで俺は背中からシャルロッテを下ろした。


「あー……マジで死ぬかと思った」


 死んでもおかしくなかった。というか、普通に考えたら死んでいた。


「シャルロッテも大丈夫か? ……シャルロッテ?」


 シャルロッテの反応がない。


「シャルロッテっ!」


 横たわったシャルロッテの顔を軽く叩いてみるが、何の反応も示さなかった。

 俺は改めてシャルロッテの身体の状態を見る。体のいたるところからひどく出血していて、今は意識もない。


「……まずい。医者!」


 俺は再びシャルロッテを抱えて国に戻った。







 意識のないシャルロッテを抱えて街中を走る。

 すでに俺の体力は底をついているが、ここで立ち止まれるはずはなかった。俺は記憶を頼りに施術院を目指す。


「くそっ、施術院が遠い……!」


 街の人間は一瞬俺たちを気の毒そうに眺めるが、すぐに目を逸らす。この時代の人間にとってこのような事態は日常茶飯事なのだ。


 やっとの思いで施術院までたどり着いた俺は、倒れこむようにドアを押し開ける。


「ようこそいら――きゃあっ!」


 シャルロッテを見た看護師は鋭い悲鳴を上げた。


「シャルロッテを、この子を手当てしてやってくれ、意識がないんだ。金ならいくらでもあるから!」


 俺は必死で看護師に訴える。

 看護師はすぐさま表情を冷静なものに入れ替え、白服が汚れるのも厭わずにシャルロッテを抱えた。

 看護師はシャルロッテを抱えて奥へと走りながら、振り返って俺を見る。


「あなたも付いてきてください! この子だけじゃなく、あなたも酷い怪我ですよ!?」

「え? ……あっ」


 言われて気が付いた。そういえば倦怠感が酷い気がする。

 俺は振り返って走ってきた道を見る。そこにはおびただしい量の血痕が染みを作っていた。明らかにシャルロッテ一人の血の量ではない。


「……意識したら急に痛みが戻ってきた」

「ちょっと!? 大丈夫ですかっ、ちょっと!」


 戻ってきた痛みが許容量を超えた結果、俺は施術院の入り口で白目をむいて気絶した。










 目を覚ますと、金髪の猫耳少女が心配そうに俺を見つめている。少女は俺が意識を取り戻したことに気付くと、ピクンと猫耳を動かした。


「…………夢?」

「現実だよ、兄ちゃん!」


 何が何だかわからない俺は脳内で情報を整理する。


(えーっと、この子はシャルロッテだ。それで、シャルロッテを助けに森に入って、施術院に駆け込んだところまでは記憶があるんだけど……なんで俺が入院してるんだ?)


「心配したんだぞ兄ちゃん! おい姉ちゃん、兄ちゃんが起きたぞ!」

「やっと起きたんですか。良かったです。記憶に混濁は見られませんか?」


 シャルロッテを運んだのと同じ看護師が俺に優しく微笑んで言う。いわゆる仕事上の笑みであることはわかっているが、目線を俺に合わせようと屈んだ彼女の姿は寝起きの俺には少々刺激が強かった。


(ナース服ってなんかエロい……)


「……あのー」

「あ、ああ! 全然大丈夫、記憶もばっちりです!」


 訝しげな表情に変わった看護師にそう伝える。


「それはよかったです。それで、いきなりで大変心苦しいのですが、お金の方は払えますか? 見たところ貧民街にお住みのようですが……」


 看護師は申し訳なさそうにしながらも、はっきりと金の話題を持ち出した。


(いきなり金の話かよ……。まあ仕方ないか。金がもらえない可能性があるのにスラムの人間の俺たちを救ってくれただけ感謝しないとな)


 俺が院長だったら、正直スラムの人間なんて助けたくない。十分な治療費を払えるだけの金を持っていない可能性が高いからだ。


「いや、あなたがたも仕事ですしね。大丈夫です、そのくらいは理解してますから」

「助かります。こちらも慈善事業ではないのですが中々納得してくれない方も多くて……」


 看護師はほっとしたように表情を和らげた。

 金をためといてよかった。家にはシャルロッテに渡すための金が置いてある。


「安心してください。家に帰れば……って、家に帰ってもいいで……すか?」

「……申し訳ありません、普通の方ならともかく、貧民街の方ですとその……」

「そのまま帰ってこにゃいんだろ? あたしだってそうするしにゃ」

「まあ、そうなります」


 シャルロッテの言葉に看護師は同意を返した。


(ですよね~。だけど困ったな、このままじゃ金が払えないぞ。こんな世界だし、金が払えなかったら最悪奴隷行きとかもあり得るかも……?)


 自分の想像に身の毛がよだった俺は、なんとか金を持ってくる方法を探す。


「……そうだっ! 俺がここで待ってるから、シャルロッテが金をとりに行くってのはどうですか?」

「……にゃ!? あ、あたし!?」


 シャルロッテが驚いた顔で俺を見る。しかし当の俺は名案だと感じていた。


「戻ってこなかった場合、あなた――」

「あ、アスカです」

「あ、これはどうも。アスカさんは奴隷として売られることになりますが……」

「はい、それで構いません。……頼んだぞ、シャルロッテ」

「ちょ、ちょっと待つにゃ! あたしが兄ちゃんを裏切ったらどうすんだ、兄ちゃん終わりだぞ?」


 シャルロッテは焦ったようにぶんぶんと手を横に振る。

 そうか、シャルロッテが裏切ったら俺終わりだな。その可能性を全く考えてなかった。


「それは困る。だから裏切らないでくれ」

「兄ちゃん言ってることが無茶苦茶だにゃ! スラムに住んでるやつなんて碌なやつじゃにゃいんだから、信じちゃ駄目なんてこと常識だにゃ!?」


 シャルロッテはしっぽをぶんぶんと振りながら、俺がどれだけ危険なことを言っているかを力説する。

(やっぱり動揺すると語尾がにゃになるんだな)

 その内容よりも、俺はシャルの尻尾と口調に気がいった。


「そもそも自分で取りに行けばいいじゃにゃいか!」

「だって俺動けないし」


 そう、先ほどから体を動かそうとしているものの、全く動かせないのだ。


「回復魔法の効きを良くするために体の働きを弱めましたから、あと半日はこの状態ですよ」


 看護師がそう補足する。

 そんな魔法もあるのか。


「シャルロッテに任せることより、スラムで夜中大金もって出歩く方がよっぽど怖い。だからシャルロッテに任せるよ。俺の家は知ってるだろ? 床の下に埋めてあるから多分誰にもばれてないはずだ」

「うぅ……」

「頼むよ、シャルロッテ」

「……わかったにゃ! あたしが帰ってこにゃくても恨むにゃよ!」


 シャルロッテは走って病室を出て行った。

 部屋には俺と看護師のお姉さんが残される。


「あ、そういえばシャルロッテはもう身体大丈夫なんですか? 走っていきましたけど……」

「もう少しくらいの無茶なら平気なはずです。シャルロッテさんは一週間ほど前に目を覚ましていましたから」

「……俺どのくらい寝てたんですか?」

「10日です。驚きましたよ。こういっては何ですが、アスカさんは生きているのが不思議な状態でしたから」


(普通なら死んでた……生きてるのも『頑丈』のおかげか……?)


 おそらくそうだろうな、と俺は確信に近いものを持った。

 平和な未来でのうのうと暮らしてきた俺は、元々痛みに強いタイプじゃない。

 そんな俺があんな怪我をして尚走ることができたのは、おそらく『頑丈』のおかげだ。


(なんにせよ、シャルロッテを助けられて良かった……)


 俺は病室で安堵のため息をついた。

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