2話 少女の名は
30分ほど飛び続けただろうか。やっと目的地に到着したらしく、俺は地面に降ろされた。
「ふぅ……」
地面の感触をこれほど頼りに思ったことはなかった。
最初こそヴァンパイアの少女と密着できることに気がいっていたが、冷静になってみると結構な高さを命綱なしで飛んでいるのである。
それに気づいてからは目をつぶり、拳を握り、無事に地面に降りられることだけを願っていた。
「どうじゃ、妾の屋敷は?」
「……え、この家に住んでるんですか?」
「そうじゃ」
俺と少女の目の前には、城としか言いようのないものがそびえ立っていた。
白を基調とした城は、どことなく高貴なイメージがする。この城に住んでいるのが少女というなら納得だ。
「すっごく大きい城ですね」
「じゃろう!? じゃろう!? 妾の自慢の屋敷なのじゃ!」
少女は自慢げに胸を張り上げる。
あ、なんかこの子ちょろそう。
失礼ながら、少女の反応から俺はそんな感想を抱いた。
城の中をあらかた案内された後、一番広い部屋で俺と少女は向かい合って、ソファに腰掛ける。
「これからここで暮らしていくにあたって、何か質問はあるかの?」
「俺は飛鳥と言います。名前、聞いてもいいですか?」
「おお、そうじゃったそうじゃった。うっかりしておったわ、すまんのアスカ。妾の名はプルミエ。見ての通りのヴァンパイアじゃ」
「やっぱり聞き間違えじゃなかったんだ。……その羽も本物なんですよね?」
「不思議なことを聞くのぅ。もちろん本物じゃ。触ってみるか、ほれ」
プルミエは立ち上がり、俺に背中を向ける。大胆に露出した背中から目をそらしながら、俺は翼に触れてみた。
「うわ、何これ! すごいすべすべしてる!」
そのあまりに滑らかな手触りに、俺は無我夢中で翼を撫でる。
「ちょっ、触りすぎ、触りすぎじゃアスカっ!」
俺の暴挙を制止したプルミエははぁはぁと熱い吐息を吐いている。
やばい、なんかとんでもなくやばいことをしてしまったような気がするぞ……!
「ご、ごめんなさいっ……!」
「い、いや、妾が気軽に触らせたのが悪かった。今後は触ってはならんぞ?」
「えっ……」
「な、なぜこの世の終わりのような顔をする!?」
「そんな……」
俺がじっと見つめると、プルミエはきょろきょろと眼をせわしなく動かした。
「わ、わかった! たまには触らせてやるのじゃ」
「ありがとう、プルミエさん!」
「プルミエ、で良い」
「プルミエさんは俺にとって命の恩人だけど、いいの?」
「よいよい。それに妾はお主の血をもらうからのぅ。それでチャラじゃ」
血をもらう……? あ、そうか、ヴァンパイアだもん、血を吸うよな。
……あれ、俺死ぬ!? ヴァンパイアがどのくらいの量の血を吸うかによっては、俺死ぬんだけど!
「お、俺、殺されるの……?」
「妾はそんなことはしないのじゃ」
「最初は助けるだけ助けておさらばのつもりだったのじゃが、気分が変わっての。お主はたまに死なない程度に血を吸わせてくれれば嬉しいのぅ。それで命を救った分はチャラじゃ」
プルミエは足を組み替える。ゴスロリの服から覗く白い柔肌の細足が俺の煩悩を刺激した。
死なないんだとしたら、こんな美少女に血を吸われるって、考えようによっちゃご褒美か……?
うん、そうだな! ご褒美だな!
それに俺、一度吸血鬼――じゃなくて、ヴァンパイアに血を吸われてみたかったんだ。
「うん、じゃあ血を吸われる時を楽しみに待ってるよ」
「……お主はつくづく変わっておるのぅ」
プルミエはなぜか呆れたようにため息をついた。
「それにしても、こんなに広い城にプルミエ一人で住んでるの?」
「ああ、そうじゃ。使用人たちは皆、妾に愛想を尽くして出ていってしもうた」
「なんでまた」
「『あなたにはついていけません』とか言われたような気がするのぅ。なんせ、妾は人間を屋敷に連れ込むような魔族じゃからの、あやつらのいうこともわからなくはない」
(部下に見放されたってことか。まあでも、そのおかげでプルミエと2人っきりになれたんだから俺にとっちゃ幸運かもな。)
「魔族と人間って仲悪いんだ?」
「悪くはないが良くもない、といったところじゃの。100年前まで戦争しておったからな」
「せ、戦争!?」
俺は戦争という言葉に驚いた。戦争なんて俺が生きていた未来では夢物語だった。というか、戦争なんて記録にすら残っていない。
「……なんでそんなことも知らんのじゃ?」
プルミエは怪しそうに俺の顔を覗き込む。
「あ、あっ! こんなに広いと掃除とか大変そうですね!」
「……闇魔法があれば無問題じゃがの。ほれ」
触れてほしくない話題だと察したのか、プルミエは俺の話題に乗ってくれた。
(危ない危ない……未来から来たなんて言っても頭おかしいと思われるしな)
ほっと汗をぬぐう俺の前で、プルミエの影がプルミエから分離する。そして実体となった影は宙を自在に飛び回った。
「こんな風に影に家事をさせればいいだけの話なのじゃ」
「うわ、すげー……」
目の前の非現実な光景に俺は目を奪われた。
影は呆然としている俺の周りを自由自在にクルクルと飛び回る。その動きは重力に全く囚われていない。
「なんじゃ、闇魔法は初めて見たか? 魔族が使う魔法として人間からは嫌われているが、こんな使い方もあるのじゃ。要は使いようじゃの」
「お、俺にもそういうのできたりするのかな……?」
「ふむ? 魔法は基本的に才能が全てじゃ。じゃが、一つも使えないというものはほとんどいない。望むなら、妾がお主の才能をみてやろうかえ?」
プルミエは俺に手を差し出すよう促す。
「ありがとう!」
俺はプルミエに手を差し出した。
(魔法! 魔法! 魔法だぁぁ!)
俺は興奮していた。未来では使えなかったが、魔法に関しては未来よりもこの時代の方が格段に進んでいる。もしかしたら俺にも魔法が使えるのではないかと思ったのだ。
「何をそんなに興奮しとるんじゃ。よくわからんのぅ……」
プルミエは俺の手を握る手に少し力を込めた。プルミエの白い手から、俺の手に暖かい気が流れてくる。
まるでひなたぼっこでもしているかのような、穏やかな気分だ。
「火と闇じゃの……ほう、ちょうど妾と同じではないか。都合がよい、妾が教えてやってもよいぞ」
「マジっすかプルミエさん!」
「マジじゃ」
「パねえっすプルミエさん!」
「なんじゃその中途半端な敬語は」
プルミエが苦笑するが、そんなことでは俺の興奮は収まらない。魔法など俺には生涯使えないと思っていたのだ。
それが使えるというのに、平静など保っていられるわけがない。
「一生ついていきます、プルミエさん!」
俺は片膝を立てるように座り、頭を垂れてプルミエに片手を伸ばした。
「……?」
しかし、返事がいつまでたっても聞こえない。
不審に思った俺が頭を上げると、プルミエは真剣な表情で俺を見下ろしていた。
「……のう、アスカよ。妾が半ば強制的に連れてきてしもうたが、お主にも家族や親しいものなどがいるのじゃよな。ここにいてよいのか? 名残惜しいが、帰りたいと言うならすぐに帰してやるぞ」
(あ、そゆこと)
俺のことを心配してくれたのか。というか、魔族と人間の仲ってそんなに良くないんだよな? それなのに俺の心配してくれるって、プルミエっていいやつだな。
俺はプルミエの質問に笑顔で答える。
「いや、いないよ。だから問題ナッシング」
「いない……? 一人もか?」
「うん、一人も」
プルミエは気まずそうに俺から目をそらした。
「あ、その、なんというか……元気を出せ、な?」
「慰められた!?」
「……強く生きるのじゃぞ?」
「ねえ目をそらさないで!? なんで目をそらすのさ!?」
「と、冗談はここまでにしてじゃな」
「あ、うん」
「今日は妾はもう疲れたのじゃ。アスカも疲れたじゃろう?」
「うん、そうだね」
ぶっちゃけ心身ともに一杯一杯だ。色んなことがありすぎた。
今ならベッドに入った瞬間に気絶する自信がある。逆に言うと、耐えれる自信は全くない。
「じゃから、今日はもう解散じゃ。お主には隣の部屋をやるから、自由に使ってよいぞ」
プルミエはあくびした口を手で押さえながらそう言った。プルミエも本当に眠たいようだ。
「ありがとう。じゃあ俺は寝るね、おやすみ」
「うむ、おやすみなのじゃ」
こうして俺の過去生活1日目は終わりを告げたのだった。