18話 想い
「お前は……アスカ、か」
ヴォルヌートは落胆を隠せない声色で俺の名前を呼んだ。
つばの深い黒いハットを被った彼の表情は窺い知ることはできない。だがしかし、きっと今の俺と同じ表情をしているであろうことは容易に推測出来た。
「今までどこへ……いや、あの日ここで何があったのだ?」
ヴォルヌートが俺に近づいて質問を投げかけてくる。
距離が詰まったことで確認できたその顔には、わずかに希望の色が見え隠れしていた。俺ならプルミエの居場所を知っていると思っているのだろう。
(そうか、ヴォルヌートはどうしてプルミエがいなくなったのか詳しくは知らないんだよな)
俺はヴォルヌートにあの日の顛末を包み隠さずに教えた。
屋敷が襲撃されていたこと、人間を助けたことで軍が来たこと、プルミエの予想よりも魔物が強かったこと。そして俺が何もできなかったこと。
全てを聞き終えたヴォルヌートは天を仰ぎ、「……そうか」と小さく呟いた。
「あいつが死ぬなど、想像もしていなかったな」
なんと言ったらいいのかわからない俺は黙ってヴォルヌートを見る。
「伝言を受け取ってすぐに駆け付けたのだが、すでに屋敷はもぬけの殻だったんだ。頭では『そうかもしれない』ということは浮かんでいたんだが……やはり、仲間の死というのは幾つになっても受け入れがたい」
ヴォルヌートが何歳なのか俺は知らないが、彼も戦争に参加していたのだろう。
彼は遠い目をして虚空をみつめる。戦友たちを想起しているかもしれない。
俺はその物悲しい雰囲気に、口をはさめずに立ち尽くしていた。
しばらく焦点が合わなかったヴォルヌートの目が現実に戻ってきたのを見計らって、俺はヴォルヌートに質問を投げかけた。
「ヴォルヌートさん、そのジョウロは……?」
「ああ、これか。霊薬草を枯らしたくなくてな。プルミエが一番喜んでくれたものだったから。……まったく、我ながら女々しいことだ」
ヴォルヌートはジョウロにチラリと視線を移し、自嘲したように口に笑みを浮かべた。
そういえば前にプルミエが花の紹介をしてくれた時、霊薬草はヴォルヌートから貰ったのだと言っていた気がした。
霊薬草は俺にとってだけでなく、ヴォルヌートにとっても重要な思い出であったのだ。
物悲しい背中で花に水をやりはじめたヴォルヌートの背中には哀愁が漂っていた。
「……すみませんヴォルヌートさん。俺にもっと力があればこんなことには……!」
「仕方ない、終わったことだ」
背中を向けたままのヴォルヌートの言葉に俺は違和感を覚える。
(仕方ない? 終わったこと? そんな簡単なものじゃないだろうが……!)
「終わったことって、そんな言い方は……」
「人間の一生は短い。引きずりすぎるな」
冷静に発されたその声に、俺はヴォルヌートの襟首に掴みかかった。
「なんだよそれ! プルミエのことをそんな簡単に割り切れるわけないだろうが!」
ヴォルヌートはプルミエの死を軽視している。死ぬってことはそんな軽いものじゃない。
そう食って掛かった俺を、ヴォルヌートはふらつきもせずに受け止める。
そして俺を見下ろしながら抑揚のない声で言った。
「顔がやつれているぞ、アスカ。貴様食事はきちんととっているのか? きちんと眠っているのか?」
「今はそんなことどうでも――」
「どうでも良くなどない! ……貴様の命を救ったプルミエに、貴様は同じ言葉を吐けるのか? プルミエは貴様にそんな顔をさせるために死んだのでは、断じてない!」
「っ!」
俺の否定を遮って口に出されたヴォルヌートの言葉は俺の心に真っ直ぐ響いた。
見上げると鬼気迫る顔のヴォルヌートが目に映る。
「プルミエが死んだのはお前のせいではない。だが、プルミエはお前を守って死んだのだ。そのプルミエの意思を蔑ろにするようなら、俺が貴様を許さんからな。何があっても天寿を全うしろ」
「……はい」
その通りだと、俺は思った。
プルミエの分まで生を全うする。それが俺にできるせめてもの罪滅ぼしだったのだと気付かされた。
ヴォルヌートは乱れた襟を正そうともせずに、俺と真摯に向き合ってくれる。
「怒鳴って悪かった。だが、今のが俺の正直な気持ちだ」
「ありがとう、ヴォルヌート」
俺は素直に心からヴォルヌートに礼を言うことができた。
ヴォルヌートは無言で俺を見つめ、花壇に体を向いて地面に腰を下ろした。
そして俺の方を見ながら手で地面を叩く。
それを「座れ」という意味だと解釈した俺は、ヴォルヌートの隣に座った。
露を含んだ朝風が吹く。
いつの間にか太陽が地平線から顔を出していた。
俺たちはしばらくの間ただ無言で花壇を眺めていた。
「……アスカ。前に話したな。プルミエは我らにとって英雄であると」
朝焼けに照らされたヴォルヌートは静かに口を開く。
「戦時における英雄とは、敵を皆殺しにしてくれる存在に与えられる称号だ。あいつもその例に漏れず、たくさんの人間、亜人、魔族をその手にかけてきた」
戦争。争い知らずの平和な未来を生きてきた俺にはあり得ない事のように感じる言葉だが、この時代では未だ小競り合いが絶えないとプルミエに聞いた。
人を殺すというのはどういう感覚なのだろうか。平和な日本に生きてきた俺には、その衝撃の大きさなど想像することすらできないのだろう。
「近頃は平和な世だったが、それでもこの世の絶対の理は弱肉強食だ。……だから仕方ないのだ」
彼の言葉には何か深い情感が含まれており、俺は目の端で彼の姿を盗み見る。
だがその眼に光るものが溜まっているのに気が付き、何も言えなくなった。
俺より何十倍も長い付き合いなのだ。その分悲しみも深いだろう。
俺はヴォルヌートの顔を見なかったことにして花壇に目を戻す。満開に咲いた霊薬草が、朝風にゆらゆらと揺れていた。