15話 行ってらっしゃい
「……アスカ」
カチャリ。固い金属の音が俺の手首から聞こえてくる。
「――え?」
そこには手錠がつけられていた。
俺は訳も分からないままプルミエを見る。だがプルミエは俯いていて感情は読みとれない。
「……プルミエ? なんだこれ?」
呆けている俺の腕は闇魔法によって出現した鎖に繋がれ、固定される。
バランスを崩した俺は受け身も取れず無様に転がった。
「なっ、何してんだよプルミエ! 今は遊んでる場合じゃ――」
「アスカ。お主は妾に囚われて血を吸われておった。……そういうことじゃ」
プルミエに口から発された言葉の意味が咀嚼できない。目の前のヴァンパイアな彼女は何を言ってるんだ。
「何を言ってるんだ……? 言ったじゃないか、討伐軍は王様の名前を出したらどうにかなるって!」
「状況が変わったのじゃ。今感じた魔物の強さは常軌を逸しておる。全盛期ならばまだしも、平和に浸って力の衰えた今の妾では勝てぬ……間違いなく。つまり、人間がやってきた時には妾はもう死んでいるということじゃ」
プルミエは極めて冷静に、自らが死ぬことを断言した。
絶句する俺を置いてきぼりにして、プルミエは淡々と言葉を紡ぐ。
「ならあとは簡単な話じゃ。人間たちが来た時に、ヴァンパイアの擁護をする人間とヴァンパイアに囚われた人間、どちらを手厚く保護するかは明白じゃろ? それにヴァンパイアに恨みや因縁をもつ人間がいたら、妾を庇ったらお主の身まで危うくなってしまう。アスカには妾がいなくなっても幸せに暮らしてほしいのじゃ」
「何を言ってるのかわからないよ。プルミエが勝てないって、死ぬって……冗談きついって。だってあんなに強いじゃないか。嘘だろ? 嘘だよな……?」
縋るようにプルミエを見た俺に、プルミエは無言を貫いた。
それはつまり、嘘ではないということだ。
今言ったことは全て真実だということだ。
魔物はプルミエより強くて、今からプルミエはその魔物相手に勝ち目のない戦いを挑みにいくということだ。
――そして俺はプルミエが死ににいくというのに、何もできないということだ。
「……嘘だって言ってくれよ」
俺の脳は差し迫った現状を認識することを拒否した。
だってつい昨日まで何の問題もなく、幸せに暮らしてきていたのだ。それが突然こんな形で壊されるなんて、到底納得できるはずがない。
そんな俺に、プルミエは優しく微笑んで言うのだ。
「安心せえ、命を懸けてでもこの屋敷には近づけさせぬ。腐っても戦争時代の英雄じゃからの」
その笑みに演技の色は全くない。そのことが俺には許せなかった。
(なんで笑ってられるんだ! プルミエは今から死ににいくんだぞ! なんでそんな状況で、俺なんかの心配をしてるんだよ!)
俺は手首を拘束する手錠を乱暴に揺らす。
このままプルミエを行かせるわけにはいかない、なんとしても引き留めないと。
俺は思っていることを飾らずにそのまま吐き出した。
「違うっ! 俺が心配してるのはそんなことじゃない! 俺はプルミエのことが――」
「……アスカ」
「それに、まだ血も一回しか吸わせてないぞ! これじゃ命まで救ってもらった俺の気が済まないじゃないか! だから生きてくれよ!」
「……アスカ」
「そ、そうだ! 約束! 約束したじゃないか、満開になった花を俺に見せてくれるって! なあプルミエ、そうだろ!」
「アスカ。妾は今から死にゆくというのに、あったはずの未来を口にするでない。……覚悟が鈍るであろうが」
プルミエの表情がわずかに苦々しさを帯びた。
「覚悟なんてもん捨ててくれ! 俺はまだプルミエのことを全然知らない。俺はもっとプルミエと一緒にいたい! 一緒に食事をしたいし、一緒に花に水をやりたい! もっと一緒に話をしたいんだ、プルミエっ!」
「……まったく、つくづくお主は――」
俺の目からはとめどなく涙が溢れていた。泣いたのなんていつぶりだろうか。堰を切ったように流れだす涙は俺の視界を滲ませた。
滲んだ視界の中、プルミエが泣きそうになりながら呆れたように笑っているのが見えた。
嗚咽を漏らす自分が情けなく感じた俺は目をぎゅっと瞑り、目から零れ出る涙を止めようとした。
――唇に柔らかいものが当たる。ほんのり甘い味がしたそれが口づけだとわかったのは、唇と唇が離れた後のことだった。
「え……」
「アスカ、妾はお主を好いていた」
目を開けた俺の目の前には、プルミエの顔があった。
わずかに顔を赤く染めながら、プルミエは凛とした目でまっすぐに俺を見つめる。
心臓の音がバクバクとうるさい。あまりの事態に頭が働かない。
だが、それでも言わなければいけない事だけはわかる。
俺はプルミエの目を見つめ返した。
「俺も……俺も好きだよ、プルミエ」
今度は俺から唇を重ねる。
「いたっ」
勢い余った俺は、歯をガチンとぶつけてしまった。
プルミエがジトッと半目で俺を見る。
「締まらんのぅ……」
「し、しょうがないじゃないか、初めてなんだから!」
「そんなこと言ったら妾だって初めてなのじゃ」
「……400年も生きてるのに、今まで一回もキスしたことなかったの? プルミエってもしかしてモテない?」
「余計なお世話じゃ!」
プルミエと軽口をたたきあう。
空気が弛緩していくのを俺はありありと感じていた。
願わくばこのまま、何事も起きなければいいのに。そう思わずにはいられない。
しかし、時間というものはすべての者に平等に、そして無慈悲に訪れる。
「そろそろ行かねばならぬ」
プルミエがチラリと外を見て言った。
そして俺が何かを言う前に、続けざまに告げる。
「さっきお主はまだ一回しか血を吸わせていないと言うたな。ならば今、この場で吸わせてもらうのじゃ」
そう言い切るか切らぬかで、プルミエは俺の肩にカプリと齧り付いた。
拘束されている俺には、それから逃れるすべはない。
俺は血を吸っているプルミエを見る。間近で見るプルミエの深みがかった紅髪は本当に綺麗でなめらかだ。俺はプルミエの頭を撫でようとしたが、拘束具に阻まれてしまう。仕方ないので口で伝えることにした。
「綺麗な髪だね」
プルミエは肩から「ぷはぁっ」と口を離し、恥ずかしそうに「じろじろ見るでない」と言った。
その口の端から少し垂れた鮮血は、プルミエの白い肌と相まってとても魅力的だった。
服を着たプルミエの両手から黒い鴉のような鳥が飛んでいく。
「今のは何の魔法?」
「セレシェイラとヴォルヌートに魔物のことを伝えたのじゃ。妾が倒せなかったときは後処理を頼むとな。……のうアスカ」
「何?」
プルミエは両手で俺の手を握った。
「妾は死なぬ。必ずここに戻ってくる。じゃが万が一妾が死……いなくなっても、アスカには幸せに暮らしてほしい。妾からの最期の願いじゃ」
そう言い残し、俺を残してプルミエは屋敷を出ようとする。
「嫌だよプルミエ……っ!」
俺はその背を必死で呼びとめた。
俺にもっと力があれば。俺がもっと強ければ。
そんなことを考えずにはいられない。
プルミエは去り際に俺を振り返り、自らの指で口角をクイッと上げた。
「アスカ。こういう時は『行ってらっしゃい』と、ただそう言ってくれれば良いのじゃ。それだけで、妾はアスカの『お帰り』を聞くために頑張れるのじゃから」
……ああ。俺がプルミエにできることの、なんて小さいことだろうか。
結局言葉を投げかけることしか俺はプルミエにしてやれないのだ。
俺は無理やりに笑顔を作ってプルミエに笑みをみせた。
「……行ってらっしゃい、プルミエ」
「うむ、行ってくるのじゃ。……元気での、アスカ」
プルミエは翼をはためかせ、屋敷に張った闇魔法をすり抜けて出て行った。
プルミエが出ていってから1時間がたった。まだプルミエは帰ってこない。
遠くからはかすかに戦闘音が聞こえてくる。
プルミエが出ていってから2時間がたった。まだプルミエは帰ってこない。
戦闘音が止んだ。
プルミエが出ていってから3時間がたった。まだプルミエは帰ってこない。
プルミエが出ていってから6時間がたった。まだプルミエは帰ってこない。
(もう外は真っ暗だっていうのに……)
俺は次々と脳内に浮かんでくる嫌なビジョンを必死でかき消す。
プルミエが死ぬはずがない。プルミエがいなくなるなんて、そんなはずがないのだ。
とその時、玄関の方からガチャガチャと音がした。
(わざわざ玄関から入って来るってことは……魔物じゃない! プルミエ!)
やはりプルミエは凄い。
俺は手錠を手首が千切れんばかりに振り回しながら、喜びを体で表現した。
しかし、俺は不審なことに気が付いてしまう。
(明らかに一人じゃない……)
何人もの足音が、屋敷に響いているのだ。その足音はコツコツと俺のいる部屋に近づいて、そして俺はその正体をみた。
そこには武器を持った人間がいた。
リーダーらしき男が呆然とする俺に気が付き駆け寄ってくる。
「君、大丈夫か? おい、男性が一人囚われている! だれかこの魔法の解除を頼む!」
男が仲間に魔法の解除を頼む。俺の身体を縛り付けていた鎖は消えてなくなった。
「大丈夫か? 吸血鬼に変なことはされてないか?」
「プルミエはっ!?」
俺は男に掴みかかり、ただそれだけを尋ねる。
男はよくわからないと言うような顔で俺を見た。
「ぷるみえ? なんだそれは」
「ヴァンパイアの女の子の名前です、プルミエを見なかったですか!?」
「ああ……安心しろ、吸血鬼の脅威は去った」
吸血鬼の脅威は去っただって……? それじゃ、まるで……。
「ど、どういうことですか……?」
「君の前にあの吸血鬼が姿を現すことは二度とない、ということだ。吸血鬼が魔物と相打ちになっているのを我々が発見した。安心していいぞ」
その言葉はさながら死刑宣告のように、俺の心に響き渡った。
プルミエはもういないのか。プルミエと二度と会えないのか。
目の前の光景が遠いものになっていくのを感じる。
お帰りはずっと言えないままだ。