1話 少女との邂逅
もしタイムマシンがあるなら、未来と過去どっちへ行きたいか。
俺がもしそう問われたら、一切の躊躇なくこう答える。
「もちろん過去である」と。
「浪漫は過去にある」
これが俺の唯一にして絶対の持論だった。
(なんで俺、一万年前に生まれなかったんだろうな……)
学校への道のりを歩きながら、俺はもう何度目かもわからない疑問を思い浮かべる。
人間以外の生き物が生きていたのは今や遠い過去の話。人間と植物以外の生命体が絶滅してから、もう一万年がたっていた。
記録によると、一万年前までは吸血鬼やエルフ、ドワーフや亜人がこの世界にはたしかに存在したのだ。
だが、一万年前のある時を境に皆揃ってこの星から姿を消した。唯一生き残った人間も、その数をかなり減らしたと言われている。絶滅の危機に瀕した人間は手を取り合ってなんとか復興を成し遂げ、今現在へと至っていた。
(せめて魔法でも使えりゃいいけど……)
俺は自分の手を見つめる。そこから火がでることをイメージするが、当然何も起こらない。
何度繰り返したかわからない、変わらない現実に俺はため息をつく。
一万年前には誰でも使えていたと言われている魔法も、今ではまともに使えるのは限られた才ある人間のみ。
一応古代の魔法を模した魔道具なんかはあるが、俺にはそれを使うだけの魔力もなかった。
魔法が使えない人間は多いが、魔道具を使えない人間は少ない。つまり俺の魔力はこの世界で最低レベルだということだ。
これでどうやってこの世界に希望を持てばいいのだろうか。
とぼとぼと歩く俺の横を子供たちが通り過ぎていく。
「勉強したくないー!」
「駄目だよ。大人になったら植物学者になるんでしょ? そのためには勉強しなきゃ」
「そっか……。俺、頑張るよ!」
すれ違う子供たちは無邪気な笑顔で夢を語り合っていた。
何もあの子供たちだけが特別なのではない。子供も大人も、世界中の人々がまだ見ぬ未来に魅了されていた。
だけど、俺は過去に行きたいのだ。
これから無限に広がっていく未来よりも、かつて存在したはずの過去に魅力を感じるのだ。
吸血鬼やエルフ、魔物と呼ばれた異形の生物を一目見てみたいのだ。
そんな俺は、この世界では変わり者だった。
「……って、やばい! ゆっくり歩きすぎた!」
始業時間がもう目前に迫っている。俺は学校に入り、階段を一段飛ばしで登っていく。
「――え?」
そして、俺は足を踏み外した。
大抵の人なら考えたことがあるだろう。「自分はどうやって死ぬのだろうか?」と。
俺の理想は寝ている間に死ぬことだった。痛いのは嫌だからだ。
「これだから、事故死なんてのは嫌だったんだ……」
俺は頭からとめどなく溢れていくる血を、焦点の合わない眼で眺めながら呟く。
床は俺の血で赤く染まっていた。
「こんな死に方はねえだろ」と言いたかったが、もう痛みでそれどころじゃない。
頭ががんがんと割れるように痛い。――というか流れてくる血の量から考えて、実際に割れているのだろう。
意識は今にも途切れそうで、だけどなかなか途切れてくれない。
死にたくない。そう思うのと同時に、早く殺してくれとも思っていた。
痛みはやまないどころか強くなり続ける。
周りに人の輪ができ始める。思えば平凡な俺にとって、人の中心に立ったのは初めての経験かもしれなかった。いくら頑張っても誰にも注目されなかった俺だが、死にかけるだけでこんなに注目されるんだな。知らなかった。
ああ、目が開けていられなくなってきた。酸素が脳に運ばれていないのだろう。
(……に、しても空虚な人生だったな。せめて一度くらい女の子と付き合ってみたかった)
「来世は……――」
来世は人並み以上の魔法の才能が欲しい。丈夫な体にしてくれるならもっと良い。ついでに女の子とたくさん知り合えるなら最高だ。
願いが次から次へとあふれ出てくる。
(……でも)
でもやっぱり一番は――過去に行きたい。人間以外の生物が生きていた、一万年前の過去に。
そんな俺の願いは最後まで言い切られることはなかった。
俺、飛鳥は17年の生涯を閉じたのである。
「そう、確かに死んだはずなんだけどなぁ」
俺は生きていた。あれほど痛かった痛みが嘘のように引いている。
頭に触れて確認してみるが、傷は一つもなかった。見慣れたいつもの身体である。
「んで、ここはどこ?」
辺りを見回すが、視界に入るのは今俺がいる禿げた山と白い雲、青い空のみ。こんな場所は俺の記憶にはなかった。
「一体何が起こってるんだ……?」
古典的な手法に立ち返って頬をつねってみるが、状況に変化はない。
突然こんな場所に放り出されて、俺はどうしたらいいんだ?
「……お?」
……地面が、揺れてる?
じっとその場で事態を把握しようとするが、揺れはどんどん増していく。
遂に立っていられなくなった俺はその場に屈みこんだ。
その時、山の頂上から赤い噴水が吹き上がる。
「なんだあれ――って、もしかしてここ、火山? ……今の、爆発?」
吹き上がった赤い噴水――マグマは上昇をやめ、落下に転じた。
俺はその場から少しでも離れようと立ち上がって走るが、自然活動に一人の人間が勝てる道理もない。
俺とマグマの距離はみるみるうちに縮まっていく。
すでに背後ではマグマが俺を飲み込まんとジュウジュウ音を発していた。
「あ、俺死んだ」
そう確信した俺の身体から力が抜ける。
その瞬間、風を切る甲高い音が聞こえたかと思うと、その音は一瞬で俺の耳元まで接近した。
数秒たっても覚悟していたマグマの熱さを感じなかった俺は、恐る恐る目を開ける。
「おお、助かったか? お主、大人しそうな顔をして危なっかしいことをするのぅ」
俺は少女に抱えられて空を飛んでいた。俺は驚き、少女の顔を凝視する。
少女は深みがかったワインレッドの髪に、同色の眼をしていた。
顔にはあどけなさが残っているが、鋭く尖った犬歯は見る者に獰猛な、あるいは血の気の多い印象を与える。
「なんじゃ、呆けおって。……そうか、妾を恐れておるのじゃな?」
「あ、いや、助けてくれてありがとうございます! 恐れるなんてとんでもないです!」
少女はきょとん、と不思議そうな顔をして俺を見た。
「お主、妾が怖くないと申すか」
「え、はい。……むしろすごく美少女で、胸がドキドキしてます」
俺は少女に両腕で包み込むように腰を持たれている。それがどういうことか……ずばり、当たっているのだ。
少女の胸のふくらみが、俺の頭に当たっていた。膨らみかけながらも、しっかりと女の子であることが伝わってくる。
女子と手をつないだこともない俺がそんな経験をしたらどうなるかって?
「お、おいお主! 鼻血が出ておるぞ!」
――こうなります。
少女は突然鼻から血を噴き出した俺を心配し、地上に着陸してくれた。
「一体どうしたのじゃ? 鼻を負傷したのか?」
「……おお」
俺は初めて少女の全身を見て、思わず感嘆の声を漏らした。
少女には黒い翼が生えていた。その質感はとてもしっとりとしていて、まるで濡れているかのようだ。
そして全身を黒と赤のゴスロリ調の衣服で包んでいる。その服装は彼女の雰囲気にとてもマッチしていた。
(……ん? 羽? 人間に羽なんて生えてたっけ。……というか人間って空飛べたっけ?)
俺は少女の姿を疑問に感じ、目の前の少女がいったい何者なのかと考える。
(……吸血鬼? もしかして、吸血鬼じゃない!?)
「あ、あの! もしかして吸血鬼ですか!?」
「もしかしても何も、どうみてもそうじゃろ? まあ、妾としては『ヴァンパイア』と言ってほしいがの」
少女の答えに俺は確信を持つ。
ここは過去だ。俺は過去に来れたのだ。
(マジかよ! マジかマジかマジか! マジかっ!)
俺は言葉にならないほどの嬉しさを感じていた。これまで生きてきた17年間の中でも、断トツで一番の喜びだ。
突如興奮し始めた俺を見て、少女は眉をピクリと動かす。
「随分元気そうじゃが、鼻は大丈夫か?」
「もちろん大丈夫! ……です!」
「そうか。それはそうとその、さっきの話じゃが……」
「へ?」
(さっきの話?)
過去へと戻れた興奮で、何を話していたか全く覚えていない。
何のことか理解できていないとわかった少女は、付け足すようにその桃色の唇を開いた。
「お主、本当に妾が怖くないのじゃな?」
「はい、全然! むしろ興奮してるっていいますか、そんな感じです!」
むしろこんな可愛い子を怖がる人とか実在するのか? しかも吸血鬼――じゃなくて、ヴァンパイアの子を。
俺の答えを聞いた少女は、おもむろに両手を顔の横に寄せる。
「がおーっ! ……これでもかえ?」
「俺の心を鷲掴みにする気ですか?」
可愛すぎるだろ! 悶え死ぬかと思ったわ!
「……クックックッ。お主、面白いの。気に入ったぞ。お主を妾の右腕に任命するのじゃ!」
少女は鋭い白い歯をキラリと見せて満足そうに笑った。
「……ん? なに、どういうこと?」
「さあ、妾に掴まるのじゃ。愛しの我が家へ帰るぞ」
その押しの強さに流された俺は、訳の分からないまま再び少女に掴まって空を舞うことになるのだった。