拡張するセカイ ♯.6
「いらっしゃい」
俺を迎え入れた声には抑揚というものが無かったが、それまで感じていた孤独と恐怖を拭い去ってくれるのには十分だった。
足を踏み入れた建物の内装は観光都市の雑貨屋という雰囲気で、俺は王都で訪れたプレイヤーショップを思い出していた。
「あ、悪い。客じゃないんだ。道を知りたくて」
と、断りつつ、声のする方に進んでいくとそこには懐かしい顔、というより懐かしい仮面が待ち構えていた。
「アンタは――」
「おー、これはこれはお客サンではありませんか。お久しぶりですね、元気でしたかな?」
「あ、ああ」
知り合いの顔に俺はほっと胸を撫で下ろしていた。
「アンタも、変わらないみたいだな」
「ハイ。御蔭様でこうして店も持つことがデキマシタ」
「それはおめでとう。で、ここは何の店なんだ?」
雑貨屋といえばその通りなのだろうが、この店に置かれているアイテムの種類は様々。武器や防具もあるがそれはダンジョンやエリアで見つかる類いのものでプレイヤーが作ったものではないらしい。その証拠にそれらには銘が入っておらず持つ雰囲気もバラバラ。
プレイヤーが作る場合はどうしてもどこかに共通する雰囲気が残ってしまう。それがそのプレイヤーの特色となり、それを気に入ったプレイヤーが常連になるのだと以前リタが言っていたのを覚えている。
そう言う意味では俺もリタの作る防具が気に入っているということになるのだろう。
最初に作ってもらってからというもの、俺は常に素材を集め新たな防具を作るのではなく強化を繰り返してきたのだ。
今やその回数は十や二十では収まらない。細かな調整も含めると強化回数はゆうに五十回は超えていた。
自分の防具に思いを馳せていると目の前の仮面のプレイヤーは口元だけで微笑い、告げた。
「ここは何でもアリなんです。武器でも防具でもアイテムでもゴミでも、ありとあらゆるものがここでは商品と成り得るのデス」
その言葉通り。棚に並んでいる商品には規則性など微塵もない。気になるものもあれば、全く使い道のわからない、それこそゴミのようなものまで、まるで場所を埋めるのが目的であるかのように所狭しと並べられている。
「なあ、そろそろ名前を教えてくれないか? 正直どう呼べばいいのか解からなくて不便なんだけど」
この仮面の店主と会うのがこれが三回目になるのだが、俺はいつまで経っても名前を教えてもらえていない。最初こそ滅多に会うことが無いからとやんわり断られ、二回目はそのことを聞く暇もなく消えてしまった。
そうして今が三回目。遅過ぎる自己紹介だとは思うが、やはり名前というものは知らなければ不便でしかないのが現実だった。
「そうですね……ま、イイデショウ。その代わり――」
「解かってる。偶にはここに寄らせてもらうさ」
場所が解かればだけどな、と心の中で付け加えた。
この仮面の店主の元に訪れるのはいつも偶然が引き金だった。
偶然道の端で露店を出しているのを見つけたり、偶然新たに訪れた町で出会ったり、偶然道に迷って辿り着いたように。
「ではフレンド登録をしましょうかな?」
「ああ、頼む」
と、言いながらも俺はふと仮面の店主の手を止めた。
「どうしたのかな?」
「あー、その、なんだ。俺から申請してもいいか?」
「別に構いませんよ」
よくよく考えてみると俺が自分からフレンド申請をしたことがあっただろうか。
ハルもリタもヒカルもセッカも、これまで出会いフレンドになった人みなその時の流れで向こうから申請してくれたような気がする。
だから何だ、という話でもあるのだが、たまには自分から申請してみるのも悪くはない。
コンソールを出現させマップ画面を表示する。
そこには現時点のマップの他にもう一つ、近くにいる人の名前を表示する機能がある。これは近くの人と野良でパーティを組んだりする時に用いられるもので、近くの人とフレンド登録を申し込む時も同じ機能を使うことになる。
この瞬間、近くにいるのは目の前の仮面の店主だけなのだが、表示される名前には知らないものがいくつも連なっている。これは表示範囲が付近となっている現象であり、町には他のプレイヤーが多くいることを表していた。
この機能を用いてもなお問題となるのは名前の解からない相手の場合だ。その場合に使う方法はたった一つ。目の前に立つ男の頭上に見えるHPバーをタップすること。
これは俺の視界に表示されているものに触れていることになり実際には空中を触っているようにしか見えないのだが、こうすることでHPバーに触れた相手との個別のウインドウが現れ、そこからトレードを申し込んだり、パーティを申し込んだり、フレンド登録を申し込んだりができるようになっている。
「フム、これでいいのかな?」
俺の申し込んだフレンド申請は正しく受理されたらしく、コンソールのフレンド一覧に新たな名前が刻まれた。
「ライヴンズ。それがアンタの名前か」
「ハイ。ユウサンこれからもよろしくお願いシマスね」
「こちらこそ、よろしく」
「サテサテ、ではそろそろユウサンがここに来た理由をお訊ねしましょうか? 勿論ワタシの店と知って来てくれたわけではありませんヨネ?」
「あ、ああ。悪いけどそうなんだ」
申し訳ないという顔をして俺は頷いていた。
ここに来たのはあくまで偶然。こう言ってしまえば悪いのだが、来たくて来たわけではないというのが本当の事だった。
「道を知りたいんだけど」
「道……ですかな?」
「自慢できることじゃないんだけど、俺は道に迷ってここに来たんだよ。だから――」
「元の場所に戻る道を知りたい、ということですかな?」
「そういうことだ」
マップを見れば一目瞭然だという人もいると思う。現に俺もそうすることでいとも容易く元の場所に戻れると思っていた。
だが現実はそう甘くなかった。
町の形状が渦巻きのようになってでもいるのか、歩くたび歩くたび地図が回転し、現在の立っている場所が常に一定でも、見ている方角から通ってきた道筋まで動いてしまったのだ。
マップの端に常設されているコンパスを使えば方角は知ることが出来る。
しかし、それだけでは元の道に戻ることは困難だという他ない。
同じ景色が続いているのもさることながら、この周辺は同じような路地が幾重にも重なってる作りになっているらしく、一つ別の路地に出ても同じような場所に出て、何回も繰り返しているうちに元の場所に戻って来てしまったかのような錯覚に苛まれてしまう。
そのせいで道に迷い続けるということにもなりかねないということだ。
「ここから表の通りにでる道順を記しておきましたよ」
近くの棚の上に置かれたものは適当な紙に黒いインクで記された地図に赤いインクで道順を書き込んだものだった。
渦巻状のようになっているとしてもその正しい道順さえ解かれば戻ること自体はさほど難しい事ではない。マップを見ながら地図を照らし合わせて進めばすむ話しだ。
「ありがとう。助かるよ」
「それで、他にも御用があるのでは御座いませんかな?」
他に、ライヴンズにそう問われ思い出した。
俺が左手に付けている呪蛇の腕輪が完成した暁には一度見せると約束していたことを。
「成程、成程。これは、なかなか珍しいものに仕上がったようですね」
「解かるのか?」
一度腕から外して渡した呪蛇の腕輪を鑑定するライヴンズは先程よりも口角を上げさも当然だと言わんばかりに笑って見せた。
「ええ、もちろんですとも」
「ライヴンズが知っているのだとすると、この魔石自体は前のキャンペーンイベント限定だってわけじゃないみたいだな」
「ハイ。呪蛇、カース・ヴァイパーは今も王都の先に広がる岩山の洞窟最奥で戦うことが出来ますよ。もっとも魔石のドロップ率はかなり低いみたいですが」
「なら俺のクエスト報酬はこっちってわけか」
と、俺は自分の指にはまっている妖精の指輪を見つめた。
あの時何故二種のアイテムを報酬として獲得できたのか疑問だったのだが、単純にボスドロップも重なっていたということらしい。
それはそれで幸運なのは間違いないが、今になって判明するとは思いもしなかった。
「あのぅ、それはなんですかな?」
「これもそのイベントで手に入れたものを使ったアクセサリだよ」
「ホウホウ。よろしければそれも見せて戴けますかな?」
「別にいいけど」
「ではでは、こちらはお返ししますね」
ライヴンズから返却される呪蛇の腕輪を受け取り、今度は妖精の指輪を手渡した。
自分の手を離れていく妖精の指輪を見ながらふと考えた。どうして俺はそれを使いリリィを呼ばなかったのだろう。そうすれば一人で道に迷うことは最低限回避できたはずなのに。
それにしても、だ。他人がするアクセサリの鑑定というのは見てて面白い。
ルーペのようなものを使い、指輪や腕輪の表や裏、それに付けられている石を確認していく。まるで現実の宝石鑑定のように、貴金属の真偽確認のように。
むろん、この世界で偽物も本物もありはしない。
あるのは単純にそれがより効果の高い能力を持っているかいないかだけだ。
一般的に効果の高いアイテムが高価だと判断され、効果の低いアイテムが安価になってしまう。しかし、アイテムの価値というのはそれだけではないはずだ。
他人から見れば同一の価値観でしか判断できないものだとしても、本人から見ればそれに対する思い入れや思い出などが金額に変えられない付加価値となっている。
俺で言えばその指輪はリリィとの絆を表したアイテムであると同時に、ヒカルとセッカと共にクリアしたイベントの記念品のようでもある。それこそが他人には解からない付加価値であり、俺にとって何物にも代えられないアイテムとなっている理由だった。
「どうだ?」
「これは、かなり珍しいものですな。ワタシが買い取りたいくらいです?」
「残念だけど、売るつもりはないよ」
「そうでしょうね。では、お返しします」
受け渡された妖精の指輪を再び指に付ける。
これで元通りなわけだが、不思議といつも付けているアクセサリが戻ったということに安堵している自分がいた。
「それにしても、やはりアナタは面白い御方だ」
仮面の奥の瞳が笑ったように見えた。
「私がお渡しした腕輪をこのようなものに変えてしまうとは」
「貰ったアイテムをどうしようとも俺の勝手だ」
「ええ。そうですとも。アナタを責めるつもりなど微塵も御座いません。むしろ称賛しているのです」
「は?」
「一つ、種を明かしましょうか」
そうライヴンズが言うと俺になにかを促すように手を動かした。促された先にはそれまであったのかどうかすらはっきりしない椅子が一つ、まるでたった今出現したかのように置かれていた。
「座ってくださいな。少し長い話になりますよ」
この一言には俺を座らせるには十分な効果をもっていた。
いつの間にか用意された椅子はどこにでもあるパイプ椅子でも背もたれの無い簡易なものでもなく、過度な装飾こそ施されてはいないものの、適当に持ち歩ける椅子にしては明らかに作りがしっかりしている。
「それでは話を始めましょう」
俺が椅子に座るのを見届け、ライヴンズはゆっくりと語り始める。
「ワタシはアナタにお譲りしたものと同種のアイテムを複数の別のプレイヤーにも渡していました」
それは初めて聞く事実だった。
俺一人が特別ではない、なんてことは重々承知していたのだが、いざ面と向かって言われるとどこか釈然としないのは何故だろう。
「渡した時の条件も同じ、好きなように作り変えても構わない、けれど必ずワタシにその変えたアイテムを見せること」
「そう、だったな」
俺が言われた時とは言い回しは違うが、意味はたいして違っていない。俺が腕輪を強化するのに躊躇いが無かったのもそれが理由の一つとなっていることは間違いない。
「ですが、見せてくるアイテムはどれも平々凡々。特にワタシの興味を惹く強化をしてきた人はごく僅かでした」
心底残念そうな顔をするライヴンズは一転、俺を見て喜びの表情を向けた。
「その点、アナタはスバラシイ。その腕輪はワタシが見せてもらった中でもかなり良い出来ですよ」
「あ、ありがとう」
向けられる熱意に戸惑いを覚えつつもライヴンズに褒められたようで俺はどこか嬉しく感じていた。
「一ついいか?」
「なんですかな?」
「他のプレイヤーはどんな強化をしてきたんだ?」
「それは……秘密です」
「……」
絶句。
茶目っ気を前面に押し出した態度を取られてもライヴンズの姿では可愛くも何も無い。ただ、苛っとさせるのには抜群の態度であり表情だった。
「冗談です」
キッパリと言ってのけた。
「そうですねぇ。では平々凡々なものからいくつか見せましょうか」
「見せる?」
「はい。こうして画像を撮ってありますから見られますよ」
コンソールにではなく直接宙に浮かぶように出現する写真はどこかの宝石店のウェブページの写真のようなものばかり。アクセサリだけがアップで写されているだけならどのような性能なのか知りようもないが、これには性能を記したコンソール画面も一緒に映っていて、それがどのようなものなのか解かるようになっていた。
平々凡々、そういうライヴンズは辛口だと思っていたのだが、こうして見せられると確かにそうだと思ってしまった。
確かにNPCショップで売っているものよりも性能は高いが、だからといって特出したものがあるわけでもない。いってしまえば珍しく大成功したアクセサリという程度。特別な追加効果があるわけでもなく、単純に能力値が他より高いだけなのだ。
「他にもあるのか?」
「そうですね。ではアナタの呪蛇の腕輪のようにワタシが良いと思ったものから数点お見せしましょうか」
浮かんでいたいくつかの画像が掻き消え、新たない別の写真が現れた。
これは明らかに先程の写真とは別格。
基本性能が高いのはデフォルトで、それらには必ず追加効果が付加されている。見たことも聞いたこともない名称の追加効果の他にも複数の追加効果が連なっているものまであった。
「どうですかな?」
「確かにこれは凄いな。正直どうやって作ったのか見当もつかない」
「ソウデショウ、ソウデショウ。こういうものを見るのがワタシの楽しみの一つなんですよ」
その意見には同意だ。
思いもしなかった性能のアイテムができた時には自然とテンションが上がるのは俺も何度も経験してきたことだった。
「というわけで、これをアナタに」
と、渡してきたのは一枚の金属板に細く長い鎖が通されたもの。
そのままでもネックレスやストラップとして使用できそうなそれは磨き上げられた鏡のように光を反射している。
「それを差し上げましょう。それを――」
おそらく、俺にこのアイテムを強化して見せてくれと言いたいのだろう。しかしその台詞は突然開けられた店舗のドアのキィィという甲高い音によって遮られた。
新たに現れたのはなにかの格闘技の道着のような防具を纏い、手甲というよりは格闘家のグローブのようなものをつけた短髪の男。それはファンタジーものであるこのゲーム世界ではおよそ見たこともないビジュアルのキャラクターだった。
無理矢理に解釈するなら、あのプレイヤーは格闘家というものをロールしているのかもしれない。
「おや、いらっしゃい。今日は何をお求めで?」
「いつものヤツを頼む」
「はいはい。ちょっとお待ちを」
慣れた様子で応対するライヴンズとそれを受け入れている格闘家風の男から察するにこの男はここの常連なのかもしれない。
店の奥へと引っ込んでしまったライヴンズを余所に、俺は格闘家風の男をじっと見てしまっていたらしく、その格闘家風の男がこちらを見て訊ねてきた。
「何だ?」
「あ、いや、その、別に」
「そうか」
しどろもどろになってしまった理由は単純明快、格闘家風の男の顔がかなり強面なのだ。
本人からすればただ普通にしているだけなのだろうが、無言で見つめるその様からは自然と威圧感を発しているように感じてしまう。
「お待たせしましたかな?」
店の奥から戻ってきたライヴンズが持っているのは何も書かれていない小さな木箱。
「確かめさせてもらう」
「どうぞ、どうぞ」
木箱の蓋を強引に外し中身を見た格闘家風の男は納得したように頷き、
「問題ないな」
といった。
「当然ですとも」
「それは?」
「知りたいのですかな?」
「ま、まあ」
俺のいる場所からは木箱の中身は分からない。
それ以前に他人の買い物に興味を持つなど決してマナーの良いものでもなかったが、その前に名も知らない人の作ったアイテムの画像を見せてもらっていたせいだろうか、自分の知らないアイテムかもしれないという想像が俺の好奇心をかき立ていた。
「よろしいですかな?」
「別に構わんぞ」
「ならこれを」
ライヴンズが渡してきたのは先程のものと同じ木箱。
俺も格闘家風の男に倣い強引にその蓋を開けようとするが、
「ああ、蓋は閉じられていませんので」
注釈してきたライヴンズの言葉を受け普通に開けることになった。
「なに、これ」
木箱の中身は澄んだ青色の液体が入った細い瓶が一ダース。
自分の作ったポーション類のどれとも違う。こうなると自分の知識の無さが悔やまれる。こんなことならもう少し町に出て様々なアイテムに触れておけばよかったと思ってしまう。
「それは使用者の防御力を激減させる代わりに戦闘で得る経験値を増大させるアイテムだ」
俺の質問に言葉を返してきたのは格闘家風の男。
その男の言う通りの代物ならば確かに俺の知らないアイテムであることは変わらないのだが、それを使う心理が解からない。
このゲームでは戦うモンスターと自分とのレベル差が開けば開くほど得られる経験値が下がる。だから常に戦う相手を変える必要があるのだ。そうすることで得られる経験値は常に変わらず、平均して手に入るように出来る。
自身の防御力を低下させてまで下位レベル帯の相手と戦う必要など無いのだ。
「このお方はそれを使って自分よりレベルの高い相手と戦っているのでしたよね?」
「そうだ」
「まさかっ」
淡々と肯定する格闘家風の男に俺はただ信じられないと驚いて見せた。
自分よりモンスターのレベルが高い場合、それだけで獲得できる経験値は多くなる。それ以上増やすとすれば過度なレベル上げを望んでいるとしか言いようがない。
「何でそんなことを?」
「それが俺のプレイスタイルだからだ」
胸を張るわけでも謙虚に細々と告げるのでもない。ただの事実として淡々と告げる男の言葉に俺は再び目を丸くしてしまった。




