理想の小妖精 ♯.12
強化術を施したことでカース・ヴァイパーに与えるダメージ量が誰の目にも明らかなほどに増加した。
時折後方からセッカが回復魔法を発動させてくれているおかげもあって前線で戦っている俺とヒカルのHPは常に全快近くでキープすることができてる。
この戦闘での俺たちの明確な役割分担はこうだ。ヒカルがカース・ヴァイパーの注意を惹きつつ、俺が強化した攻撃を当てていく。ダメージを受ければ回復、カース・ヴァイパーの強力な攻撃の予備動作が見られればセッカが教えてくれる。
皆が自分の行動をはっきりと認識していることとカース・ヴァイパーが通常攻撃しか繰り出してこないせいもあって戦闘自体は滞りなく進んでいった。
問題なのはいつカース・ヴァイパーの行動に変化が現れるかだ。
これまで通りHPバーが消失することが行動変化のトリガーになっていることは俺の経験からも間違いないのだろうが、どういうわけか一本目のHPバーが消え、二本目も半分近くまで減らしているというのにも関わらず一向に違いは現れる気配すら無い。
「この調子なら勝てそうですね」
「……だね」
ヒカルが息を切らしながらいった。
「おい、油断するなよ」
と、言いつつも若干拍子抜けなのは否めない。ヒカルの言うようにこの調子で戦闘がすすめば俺たちはそれほど苦労することなく勝てるはずなのだ。だが順調に戦闘を進められているはずなのにいまいち手応えというものを感じられない。
確実に勝利に向かっているはずなのに俺は未だ勝利に近付いているとさえ思えていないのだ。
「二人とも気を付けて。もう直ぐ二本目のHPバーが消える」
「おっけーおっけー、わかってるよぅ」
注意喚起するセッカに楽観的に応えるヒカルは一歩下がって仕種だけで俺に攻撃を促した。
短剣よりも剣銃の方が与えるダメージが多いのはこれまでの戦闘でも明らか。一撃を当てて離脱するにしても同じだけのダメージを与えるのに掛かる攻撃回数が少なくて済む俺の方が適任だと判断したのだろう。
その考えには俺も概ね賛成だ。
何かが起こるかもしれないと攻撃を躊躇していてはいつまで経っても事態は変わらない。悪くなることもなければ当然良くなることもない。
ただ同じ状況が続くだけだ。
「二人ともヤツの変化に備えておけよ」
と、言い残し俺はカース・ヴァイパーへと攻撃を仕掛けた。
強化術によって強化されているスピードは移動だけでなく攻撃速度も影響を及ぼす。連続攻撃を仕掛けるにしても通常時とは比べ物にならない速度と威力を叩き出すことができる。
だからと言ってこの状況で俺は通常攻撃以外をするつもりはなかった。
次なる三本目のHPバーが待っているとしてもここでアーツを発動させて技後硬直を招くのは得策とはいえないだろう。
俺とヒカルによるこれまでの攻撃で無数の傷がついている場所を狙い、俺は剣形態の剣銃を思いっ切り振り降ろした。
(何だ? これは……)
手に返ってくる衝撃が今までのそれとは違っているように感じた。
それはまるで実体のない何かを斬りつけているかのような感触に、俺は知らず知らずのうちに大きな隙を作り出してしまっていた。
「危ないっ!」
遠くでセッカが叫ぶ。
その声が誰に向かって放たれていたのか。それを俺は真上から迫ってくるカース・ヴァイパーの顔を見た時に理解した。
「しまっ――」
あまりの事に身構えることすらできず、俺はカース・ヴァイパーに丸呑みにされてしまった。
全身を生暖かいものが覆い、鼻孔を生臭い悪臭が襲う。
カース・ヴァイパーに呑み込まれてしまい、強制的に俺の脚が地面を離れ、宙に浮いた。
微かに聞こえてくるヒカルとセッカの声は驚きと恐怖が織り交ぜられた悲鳴のようでもあり、俺の身に起きた緊急事態を必死に訴えてきているかのようだ。
重力に従い、身体が暗い闇の中へと吸い込まれていく。
このままではカース・ヴァイパーに食べられてしまう、と、俺は思考を巡らせた。
助かる為にはどうするべきか。
俺の出来ることは、
「これしか無いっ」
散々考えた結果、俺は呑み込まれるわけにはいかないと剣銃の刃を深々と壁に突き立てた。ここでいう壁とはカース・ヴァイパーの口だ。
この時ほど流血表現がなくて良かったと思ったことはない。
もし、これが本物のようなら俺の全身はカース・ヴァイパーの返り血に濡れていることだろう。
剣銃を突き立てられて痛みを感じているのか、カース・ヴァイパーの口が微かに開閉した。
差し込んできた光に、脱出の光明を見た。
「よしっ。そのまま開けていろよ」
口が開かれていればそこから脱出することは容易い、はずだった。
脱出しようにも剣銃を突き立てたままでは俺は動けない。逃げ出そうとして剣銃を引き抜けばその瞬間、俺は咀嚼されてしまうことだろう。
俺がここから抜け出すためには外からの支援が不可欠だということだ。
「聞こえるか?」
『ユウ!? 無事なんですか?』
「なんとかな」
右手で剣銃をしっかり握ったまま、左手でコンソールを出現させ、フレンド欄にあるパーティ通信をONにした。
形をもたない電話のような機能がこんな時に役立つとは。俺は以前雑誌の記事かなんかで読んだことを思い出していた。あの記事には戦闘時の連絡にはフレンド通信のパーティ版が効果的と記されていたがこういうことか。
『よかったぁ』
「でもそう持ちそうもない。どうにかこいつの口を開けたままでいさせることは出来そうか?」
『え?』
『……やってみる』
戸惑うヒカルとは対称的に、セッカが簡潔にそう答えた次の瞬間、大きな揺れが俺を襲った。
おそらくセッカが何かをしたのだろうと思いながらも、実際にはなにが起こったのか解からないまま、どうにかここから落ちてしまわないように踏ん張った。
「なにをした?」
『あの、セッカちゃんがカース・ヴァイパーのお腹を思いっ切り殴ったんです』
『吐き出させようと思って』
「だから、まだ呑み込まれていないって」
『そうなの?』
「そうなの! 俺はこいつの口の中にいるから、口を開かせて頭を下げさせてくれさえすればどうにか脱出できるはずだ」
『何か一個増えてません?』
「気にするな」
『ん……解かった。やってみる』
自信たっぷりにセッカがいった。常に冷静な性格なのかと思っていたが案外思いきりがいいのかもしれない。
二人に頼ってばっかりもいられない。自分でも脱出の目処を立てる必要があるかもと考えたその時、俺の身体が一瞬浮き、すぐに地面に叩きつけられた。
深々と突き刺さっていたはずの剣銃が抜け落ちている。慌ててそれを拾い上げた。
「――っ、今度は何だ?」
『どう? これで出れそう?』
「は?」
不意の衝撃に目を白黒させている俺の目の前に光が差し込んできた。
遂にカース・ヴァイパーが地面に頭を垂れ、その巨大な口が開かれたのだった。
「大丈夫?」
「あ、ああ。助かった。ありがとう」
カース・ヴァイパーの口から這い出てくる俺を満足気な眼差しで見つめるセッカと理由も解からないが何度も頭を下げて謝っているヒカルが迎えてくれた。
「これは……スタンしてるのか?」
「そう。打撃武器の特性」
「ああ、成程な」
セッカが自慢したそうにメイスを見せつけてくる。
打撃武器の攻撃はモンスターの頭を狙うことでスタンを引き起こすことがある。確立こそ低いものの敢えてそれを狙うのが打撃武器の戦い方の基本の一つだ。
「ユウ、セッカちゃん、カース・ヴァイパーが復活します」
「了解」
「わかった」
ポーションを飲んで思いの外減らされてしまっていたHPを回復させつつ俺とセッカはカース・ヴァイパーから離れ、一定の距離を取った。
ふと先程斬り付けた時に返ってきた感触のことが気になった。
まるで実体のないなにかを攻撃したかのような。
アストラル系のモンスターと戦うのは俺たちのクエストではなくセッカのクエストだったはず。ならばあの妙な感触の正体は、
「あれは……抜け殻、か?」
俺たちが呑み込まれる前に戦っていた場所にはカース・ヴァイパーと同じくらいの大きさの蛇の抜け殻。ヒカルの短剣と俺の剣銃によって付けられた傷があることからカース・ヴァイパーのものであることは間違いないはずだ。
脱皮をしたということは、成長したということなのか?
HPバーの減少と消滅がもたらしたカース・ヴァイパーの変容が脱皮だけとは思えない。むしろそれが成長の残滓なのだとすれば、現在のカース・ヴァイパーは今まで以上の強さを身に付けたということになる。
「気をつけろっ!」
ヒカルとセッカ、そして自分に向けて叫ぶ。
身体を起こし、こちらを睨む無機質な瞳は俺たちを捉えて離さない。
動くことを禁じられた俺はさながら蛇に睨まれた蛙だ。
「ユウ、後ろ」
「なにっ?」
長く太い身体を鞭のように撓らせて俺に向けて振り被ってきた。
唯一離れた場所に移動していたセッカだけがそれを感知することができ、ヒカルもそれに倣うように一歩下がっていたおかげで直撃は免れたが、俺は成す術もなくその尻尾に薙ぎ払われてしまう。
防御態勢を取りつつも著しく減少していく自身のHPバーを食い止める術はない。
ようやく減少が止まったのは俺の身体が洞窟の壁に強く打ち付けられた時だった。
「ユウ!」
「大丈夫だ。それよりも気を付けろ、来るぞ」
俺を案じるヒカルの奥でカース・ヴァイパーがその体でとぐろを巻いた。遠くから見ると瞬く間に大岩が出現したかのよう。
カース・ヴァイパーが全身をバネのようにして跳び上がり、再び全身を鞭のようにして強く叩きつけた。
地面を大きく揺らす衝撃が俺たち三人の足を止める。
次なる攻撃は鋭い紫色をした牙を剥き出しにした一撃。
あの牙の色が示してることが俺の想像通りなのだとすればこの一撃だけはまともに受けるわけにはいかない。
直線的な動きを見せるカース・ヴァイパーが狙うのは俺ではなくヒカル。
これまでの戦闘で与えたダメージは俺の方が多いけれど、その攻撃回数自体はヒカルの方が上。そのために溜まってしまったヘイト値もヒカルの方が多かったのだろう。
「――くっ」
助けようにも受けたダメージの影響かすぐに動きだすことができない。
俺もセッカもヒカルも持っている武器は片手用の武器であり機動力は高い代わりに防御に使うには心許ない。
身体を庇おうとして構えてもその防御力は実質無いも同然だった。
「――このっ」
受けたダメージを回復させるべくポーションの瓶を咥えたまま俺は駆け出していた。
目の前ではカース・ヴァイパーの牙に襲われそうになっているヒカルがその身を縮みこませ、その場で立ち尽くしている。
「間にあえっ」
空の瓶を吐き捨て、地面に当たると同時に砕けて消える。
俺と反対方向から駆け寄ってきたセッカが、僅か数メートルで立ち止まり、膝から崩れ落ちた。
「……そんな」
巨大なカース・ヴァイパーが通り過ぎた後には何も残っていない。ヒカルの姿も、なにもかもがそこから消え去ってしまっていた。
「ぼーとするなっ。まだ、まだだ。まだヒカルは生きている」
「……え?」
愕然としているセッカを励ます。
視界の左上にある三人分のHPバーの内ヒカルのものだけが著しく減少し、残すところ三割程度となってしまっている。
だが、ゼロではない。
まだ確かに残っているのだ。
生きているのならばどこにいるのか。
俺たちは必死にヒカルの姿を探す。
カース・ヴァイパーに轢き飛ばされてしまったかもしれないとキョロキョロ辺りを見渡したが、その姿はどこにもない。
「どこに……」
行ってしまったのだろう。
こうしている間にもヒカルのHPバーは徐々に減少を続けているというのに見つけることができない。
「こっち、こっちだよー」
「リリィ?」
存在を忘れてしまっていた声が頭上から聞こえてきた。
その音量を大きくしていくクロスケの羽音に誘われるように見上げるとヒカルがクロスケに掴まれているではないか。
無事だったことに安心したのかセッカがクロスケの真下へと駆け寄ってきた。
クロスケがそっと下ろしたヒカルは地面に横たわったまま、力なくその手を振った。
自分が無事だと伝えたいのだろうが、その見た感じでは全く無事とは思えない。
「セッカ、回復を」
「はい」
戦闘中に行っていた回復魔法をヒカルに掛けようとして愕然となった。
横たわるヒカルには回復魔法が効かないのだ。
「どうして?」
未だ減少を続けるHPに戸惑いを見せるが、ここでじっとさせていられる余裕などありはしない。
俺達でいう所のアーツ使用後の技後硬直なのか、カース・ヴァイパーは天井を這うような動きをして更なる追撃の気配はない。
やはりヒカルを回復させるにはこの瞬間しかないのだろう。
とはいえ、回復魔法が効かないのでは通常のアイテムなども通用しない可能性だってある。
原因をつきとめるしかない。
考えろ。
時間はないんだ。
(回復が効かないということは何か別の要因があるはずだ。それに今もHPが減少しているのだって何かがあるはずなんだ)
自分でも気が動転してしまっていたのだと、後になって冷静になれば思う。攻撃を加えてきたモンスターの名前と姿を考えればその答えなど明白だっただろうに。
焦る気持ちを抑えつつ、ストレージにあるポーション類を一つ一つ確かめていく。
HPを回復させるポーションもMPを回復させるポーションも今はいらない。必要なのは回復を阻害している要因を排除させる何かだ。
「セッカ、確か呪いを解く魔法を使えるって言っていたよな?」
「え、あ、はい。使えます」
「だったらそれをヒカルに使ってくれないか」
「……解かりました」
理由を聞き返したいだろうに、セッカは何も言わず魔法を発動させた。
ヒカルの身体を白いオーラが覆っていく。
これが解呪というものか。初めて見た。俺の考えが間違っていなければ必ずこれで上手くいくはずだ。
白いオーラが消えた。
(解呪に成功したのか?)
「なら、次はこれだ」
ストレージにあった解毒ポーションをヒカルにそっと飲ませる。
回復を阻害していたのがカース・ヴァイパーによって付与された呪いの効果だと仮定して、HPを今も減少させているのは毒の効果のはず。
順番さえ間違わなければいつも通りに回復させられるはずだ。
「よしっ。これなら――」
「ユウさん、カース・ヴァイパーが」
「解かった。あいつは俺が引き付けるからセッカはこのままヒカルを回復させてくれ」
「解かりました」
「MPはまだ大丈夫か?」
「はい。当分は問題ないと思います」
「なら、頼んだ」
カース・ヴァイパーには俺を狙って貰わなければならない。銃形態の剣銃に変形させて銃撃しつつ、俺はセッカとヒカルから離れるように駆け出していた。
《リロード》を繰り返すことで俺のMPがこれまで以上に早く無くなってしまう。
「そうだ。オマエの相手は俺だ!」
牙を剥き出しに俺を威嚇するカース・ヴァイパーの視界にはヒカルもセッカも入ってはいないようで、完全にその敵意は俺にだけ向けられている。
解呪の手段を持たない俺は先程の攻撃を受けるわけにはいかない。だが、あの攻撃は予備動作も大きい。注意してさえいれば安全圏までは慣れることだって不可能ではないはずだ。
距離を詰めていくカース・ヴァイパーと対峙して俺は三度剣銃を剣形態へと変える。
回避に意識を置きつつ、攻撃の手も緩めない。
三本目のHPバーを一人で削っていく。
斬る。
避ける。
斬る。
斬る。
斬る。
立ち止まり乱舞の如く剣銃を振るう。
体躯の差が表す速度の差こそ俺たちプレイヤーにある唯一のアドバンテージだ。
「ユウさん」
「もう大丈夫ですっ」
離れた場所からセッカとヒカルの声がする。
一度カース・ヴァイパーから離れ呼吸を整え、横目でセッカの様子を窺うと、どうやらヒカルの回復に成功したようだった。
「私も行きます」
短剣を構えるヒカルは完全に元通りといった風だ。
「よし。仕切り直しだ」
「はいっ」
俺とヒカルが並び、その後ろでセッカが構える。
カース・ヴァイパーのHPバーは残り一本と六割。




