理想の小妖精 ♯.9
それはユウがハルとマオと出会う少し前。
ヒカルがユウの工房に妖精とダーク・オウルと共に残された時のこと。
「おっそいねー。どこまで買いに行ってるんだろう?」
リリィの声はいつもとても綺麗。
プレイヤーの声は現実のそれに酷似していて、いつも少なからず現実味というものを含んでいた。それに比べてリリィは作られた声でもあるせいか淀みのようなものが微塵もない。
「遅いって、まだ三十分も経っていないんだよ」
「じゅーぶん、遅いってば。ねークロスケ」
リリィの問いに応えるかのようにクロスケが一鳴きした。
小さくなった頃からクロスケの鳴き声も変わっていた。それまでは巨大な鳥のモンスター然としていたそれが今は実際のフクロウと同じものに。
「美味しいケーキを買ってきてくれるって言ってたんだからもう少し待っていようよ」
「もー仕方ないなぁ」
手を頭の後ろで組んで横たわるような体制のまま空中を浮遊している。
止まり木で羽を休めているクロスケと絶えず動き回るリリィ。
対称的な二人を見ているとペットショップにいるみたいでヒカルはおもわず笑ってしまっていた。
このままユウが戻ってくるのを待っているのだろう椅子の背もたれに体を預けたその時、ヒカルの元に一通のメッセージが届けられた。
「何だろう?」
ユウがどんなケーキを買ってくればいいのか聞いてきたのだろうと、何気なしにそのメッセージを開いてみればその送り主が別人だったことに驚き、その内容に言葉を失くした。
ヒカルがこのゲーム内で唯一リアルを知っているプレイヤー。現実の学校で出会った友達はこのキャンペーンクエストを一人でやってみたいと言っていてヒカルもそれを了承していた。
「どうしたのさ?」
リリィがヒカルの見ているメッセージ画面を覗き込もうとしている。もう少しで見えるというその刹那、ヒカルは立ち上がりユウの工房から飛び出して行った。
必死の形相で走って行ったヒカルを追ってリリィもユウの工房から文字通り飛び出した。
「ねぇ、どうしたってのさ」
「私の……友達が……なんか変な人に絡まれてるって、助けてって……」
走りながら説明するヒカルにリリィも神妙な面持ちに変わる。
「それなら、ユウにも言っておいた方がいいんじゃない?」
「え?」
「いきなりあたしたちがいなくなってたらビックリするよ、ゼッタイ」
「そ、そうだよね」
ユウに送るメッセージの内容に困ってしまう。ヒカルだって友達の身に何が起こっているのかはっきりと分かっていないのだ。ただ切羽詰まった状況なのだろうと思っただけ。
それならばと送られてきたメッセージをそのまま送ろうとした。しかし、走ったままでは上手くメッセージを打ち込むことができない。
仕方なく異変が起こったことだけを分かるようにメッセージを送り、そのままヒカルとリリィは町の外へと走っていった。
ヒカルからのメッセージを受けて、俺は一目散に自分の工房へと戻った。
道中何度もヒカルに連絡しようとフレンド通信をいれたが反応はない。ただ気付いていないだけならまだいいが、通信に出られないのだとすれば問題だ。
「ヒカルっ」
勢い良く工房のドアを開け、中で待っているはずの人を探す。けれど、そこにいるのはクロスケだけで、ヒカルの姿はおろかリリィもいなくなっている。
「何があったっていうんだ。こんなメッセージだけ送って来られても訳がわからないって」
もう少し説明をして欲しかった。でなければ俺にできることがあるかどうかすら解からない。
それに、リリィがいないのではキャンペーンクエストが進められないはず。リリィが自発的について行ったのだとすれば、やはりただごとじゃない気がする。
「出てくれよ……」
もう一度フレンド通信を入れる。
これで駄目でももう一度、しつこいと嫌がられるかも知らないが、そこは説明をしなかったヒカルが悪いと思って割り切ろう。
「ヒカル? 無事か?」
何十回目かのコール音の後、ようやく繋がった。
『ユウ? 見てくれたんですね?』
「ああ。でも、何が起こったんだ? 助けてくれだけじゃ分からないぞ」
『すいません。でも、今はそれくらいしか』
「どういうことだ?」
『私の友達が変な人達に絡まれているって、助けてほしいって言ってきたんですだから――「なんか沢山人が集まってるよ」――え、リリィ?』
「リリィもそこにいるのか?」
『はい。あの、すいません切ります』
「ちょっと待て、俺も行くからどこにいるかだけでも教えてくれ」
『ウィザースターから東に進んだ先の――』
そこで通信が途切れてしまった。
東側、といえばメインとなるのは平和そうな川とその周辺でもある河原か。
思い浮かべる限り東のエリアは広くたった一人のプレイヤーを探すのは困難。もう少し手掛りが欲しいところだが、突然切れてしまった通信を思うとそう悠長なこと言ってられないだろう。
「とりあえず行ってみるしかないよな」
幸いミレイアの丘から戻ってきたばかりでエリアに出るためのアイテムもまだ十分残っている。新たに補充する必要はないはずだ。
「クロスケ? お前も一緒に行くのか」
工房から出て行こうとする俺の肩に止まったクロスケに訊くとすぐに返事が返ってきた。
「なら、行くぞ」
肩にクロスケを乗せたまま、俺は東側のエリアへと駆け出した。
大通りを駆け、門を抜けるとそこには広大な川が遥か彼方まで続くエリアが広がっていた。
「どこにいるんだよ、ヒカル」
東側のエリアは決して見晴らしがいいというわけではない。所々に巨大な岩があり、横から伸びる木々がしなだれて遮蔽物となっている。
どんなに注意深く進んだとしても見逃してしまいそうになるほど。
まず探すべきはヒカルが通ったと思われる道を特定すること。その為にはここから見える三本の道から正しい道を選ばなければならない。
三方向に別れた道のうちどれを選ぶべきか。
立ち止まり考え込んでいる俺の肩からクロスケが飛び上がり、我先にと一つの道を選んで行ってしまった。
「あ、おい」
クロスケを追いかけて進むことを余儀なくされてしまう。
迷わずに飛び続けるその姿は目指すべき場所を知っているように見える。
それならば、と俺は黙ってその後を追うことにした。
川沿いに進むのかと思いきや、途中で木々の中を通り抜け横道に入ったり、再び川の近くへ出たりを繰り返して進んだ。
そうこうしていると離れた場所が妙に賑わっているのが見えてきた。
こんなところで何か人を集めるものがあるのだろうか、と視線を凝らす俺とは対称的に、クロスケはその人だかりの真上まで飛んで行きそこで旋回を繰り返した。
「そこにいるのか?」
口では半信半疑のようなことを言っていても、クロスケのことを信じきっていた俺はその人だかりの元へと行く。
ヒカルがその中にいるのだろうと思ったこともあるが、集まっている人が何を目的にしているのか知りたいという好奇心もあった。けれど、その人だかりの正体が俺の想像していた物と違っているのを目の当たりにして肝を冷やす。
それがいないとは思っていなかった。
いつか出会うことになり、戦う機会もあるだろうとは思っていた。
しかし、実際にそれを目の当たりにしてみるとそれが決して喜ばしいものではないことを思い知らされたのだ。
集まって来ていたのがプレイヤーなどではなく生きる屍。骨だけになった人型のモンスターや腐った死肉が爛れた人型モンスター。
アンデッド系と呼ばれるそれらの中心に探し求めていたプレイヤーと妖精の姿をみつけることができた。
「ヒカル! 返事をしてくれ!!」
叫ぶことでモンスター達が俺に気付くことになるだろうが、それよりも合流を優先させるべき。
クロスケを見つけることができ、俺の声が聞こえたのならばここに俺が来たことを気付けるはずだ。
合流する為にも俺はここで待っているべき、と思わなくもないが、あの数では中央から突破してくることが難しいかもしれない。
剣銃を抜き、剣形態へと変形させてモンスター達の中へと飛び込んでいく。
数体俺に気付いたアンデッド系のモンスターがいるが、こちらへ攻撃を仕掛けてくる前に斬り伏せてしまえば問題ない。
アンデッド系は総じて攻撃強いイメージがあるが、それはダメージを受けたというリアクションを起こさないだけで、実際は防御力総HP共に他の雑魚モンスターより低い。
生きる屍であるアンデッド系を一撃で葬り去ることに特化した魔法属性だってあるほど。
それにましてここはウィザースター近隣の初心者でも比較的安全に活動することができるエリア。滅多に出会わないアンデッド系だとしてもそのレベルが高くもなく、倒すことも容易だ。
直線的にヒカルがいるであろう場所を目指しアンデッド系のモンスターを倒し進む。
崩れ落ちるようなモーションを残して消滅するモンスターの奥に一人のプレイヤーが肩で息をして戦っている。
「誰?」
そこにいるのは知らないプレイヤー。
全身を鎧で覆っているのはそれほど珍しいわけではなかったが、被っている兜が独特だ。バケツをひっくり返した台形のような形をした金属製の兜。
目の辺りが長方形でくり貫いているようでそこからプレイヤーの瞳が見えた。
「って、驚いている場合じゃないな」
誰であろうとこのままでは倒されてしまう。
助けなければと、飛び出そうとしたその瞬間、俺はふと共闘時に生じてしまうペナルティを思い出していた。
それは一体のモンスターに複数のパーティで攻撃出来ないようにするためのもの。雑魚モンスターはその体格もあって複数のパーティが一度に戦ったのではまともな戦闘にならないが、ボスモンスターくらいの体格があれば話は別。プレイヤーの数が多ければ多いほど一人のプレイヤ-が受けるダメージ量は減り、反対にダメージを与える速度は飛躍的に増していく。
ボスモンスターとの戦闘を簡単にし過ぎないための措置が共闘ペナルティで、確か受けるペナルティは対峙中のモンスターのステータスの異常上昇。さらにプレイヤーにアーツ使用禁止などの状態異常不可。無視できない状況になってしまうことを危惧するならば俺は戦闘に参加するべきではないはずだ。
手を止めアンデッド系モンスターから離れようと一歩下がろうとしてもう一度立ち止まる。
思い起こせば最初にこのモンスターが密集する場所に飛び込んだ時、剣銃で斬り付けたにもかかわらず共闘ペナルティは発生しなかった。
理由は同じモンスターを攻撃したわけではないから。
この数全てと同時に戦闘しているように見えて実際は対峙している数体だけが戦闘中だと判断されているようだ。
なるべく鎧を纏ったプレイヤーから離れたとこにいるモンスターを狙いつつ、モンスターの数を減らしていく。
「そこのアンタ。こっちまで来れるか?」
「無理っ」
きっぱりと断言された。
兜越しで籠って聞こえる声はその見た目に反して高く、女性のようだった。
小柄ではあるのだが、全身鎧を纏っている知り合いがハルだけだったことから勝手に男性なのだと思ってしまっていた。
予想していた性別が違う。たったそれだけのことなのに自然と距離を取ってしまう。
いくらモンスターに囲まれ危機的な状況だったとしても知らないプレイヤーに突然来いと言われれば咄嗟に断ってしまうのも仕方のないことのように思える。
「やっと見つけたっ。セッカちゃーん!」
俺が来たのとは違う道から来たらしきヒカルの声が轟いた。
アンデッド系のモンスターの隙間から見る限り、リリィもその隣にいるようだ。
「ヒカルちゃん!? 来てくれたんだ」
セッカと呼ばれた全身鎧のプレイヤーが嬉しそうにいった。
俺の時とは雲泥の差だ、なんて思いながらも友達の到着に喜ぶその気持ちは俺にも分からないわけでもない。なにより危機的な状況に置かれていれば尚更だ。
「ヒカル。俺の声が聞こえるか?」
「ユウ!? なんで」
よかった。アンデッド系のモンスターに囲まれていてその呻き声の中でも俺の声は届いているらしい。
「知り合いなの!?」
ヒカルに声をかけた俺に驚き、セッカがこちらを見た。
「話は後にしろ。今はここを切り抜けるぞ」
「は、はい」
友達の知り合いということで俺に対する警戒心を解いたようで、素直に俺の言葉に耳を傾けてくれている。
「ヒカルは俺と一緒にセッカ…さんと戦っていないモンスターを狙え。セッカ…さんはそのまま目の前のモンスターに集中して」
「ねぇ、あたしは、あたしは?」
「リリィは……何ができるんだ?」
「えっと、戦闘はパス」
「だったら上にいるクロスケと一緒に戦闘が終わるのを待ってろ」
「はーい」
飛んでいくリリィを見送り、俺たちは本格的にアンデッド系のモンスターとの戦闘に集中し始めた。
少ない手数で倒せるとしても問題はその個体の数。
倒した数より出現してくる数の方が多く感じるのは錯覚などではないだろう。
「とはいえ、このままじゃ……」
セッカは離れた所で自分に迫ってくるアンデッド系のモンスターを倒している。ヒカルも俺のいる場所に向かってくる道中に、近くのモンスターを葬っているようだ。
倒しているのだから数は減っている。そのはずだが、実際に見える範囲では何の変化もみられていない。
詰まる所、この戦闘は一向に終局へとは向かっていないということだった。
なにか打開策を見つけなければならない。
けれど、その打開策が解からない。
無限に湧いてきているかのような錯覚に、冷や汗が背中を伝った。
(どうする?)
目の前のアンデッド系モンスターを倒しながら、俺はそのことだけを考え続けた。
事象には全て原因がある。だからその原因を取り除けば問題は解決するはず。
ならば、この戦闘の原因はなんだろう。
普通ならエリアにいるモンスターにこちらから攻撃を仕掛けたことが戦闘の始まり、つまり原因だ。けれどこの数は異常だ。これだけの数のモンスターが連鎖的になってしまっているとしても一度の戦闘で戦う相手になることは通常ありえない。
だとすれば、ありえる異常を考えるべき。
思い当たるのは迷宮探索イベントで戦ったゴブリンの群れだろうか。
あのときは宝箱を開けたことに反応して数多くのゴブリンが一度に襲い掛かってきた。だから宝箱を開けたことが原因だと断言できる。
今の状況で近くに宝箱があるとは思えない。だからきっかけは別にある。
そもそもアンデッド系のモンスターと戦うこと自体が稀だと言えるかもしれない。実際アンデッド系のモンスターと戦うのはこれが初めてだ。それは通常のエリアに出現しているモンスターの大半が動植物、もしくはゴブリンなどある種ベタな姿をしたものばかりだったから。
アンデッド系というのは動く骸骨やゾンビなど。現れることがあれば墓地やそれこそ迷宮のような場所だと思っていた。だから河原のような何の変哲もないエリアで戦うことになろうなんて想像もしていなかった。
感慨深く戦っているモンスターを観察しているうちにその数がこれまで以上に無視できないものになってしまっていた。
遠くから見れば一つの巨大ななにかの群れが移動しているように見えていることだろう。それほどまでにモンスターの数が増えてしまっていたのだ。
「二人とも大丈夫っ?」
どこからかヒカルの声が聞こえてきた。
それまでどうにか見えていたヒカルとセッカの姿もアンデッド系モンスターの陰に隠れてしまって確認できていない。
ヒカルが無事なのは左上にあるHPバーが消えていないことから知ることができているが、セッカはその限りではなかった。
むしろ一人で戦っているセッカの方が俺たちよりも危険であることは間違いない。
「……大丈夫」
と、セッカが消え入りそうな声で応えた。
ひとまずの安心を感じながらも、俺はどうしてもこの状況の異常さが頭から離れないでいた。
あきらかにおかしい。この数はたった一人のプレイヤーが戦える数を遥かに超えている。俺たちが来たことでセッカは一人で戦わずにすんでいるが、もともとセッカは一人。キャンペーンクエストの課題だとしてもこれは尋常ではない。
(キャンペーンクエスト?)
そうだ。これは普通の戦闘ではない。セッカが受けたキャンペーンクエストの一環なのだ。だとすればこの妙な戦闘はセッカの選んだアイテムによって引き起こされているか、そのアイテムこそが戦闘を終局に向かわせるための切り札になっているかのどちらかだ。
「セッカ、アンタが選んだアイテムってのは何なんだ?」
「なんで?」
「それがこの戦闘を終わらせる鍵だからさ」
さも自信あり気に告げた。
「私が選んだのは変な十字架なんだけど」
「それよっ」
叫んだのはヒカルだった。
アンデッド系のモンスターが現れるクエストを受けているプレイヤーが選んだアイテムが十字架とは、これまたベタ過ぎる。
「でも、使い方なんて知らないわよ」
ここからは見えないが、おそらくセッカは十字架を取り出していることだろう。それでいて使い方が解からないときた。
一体一体に十字架を翳していたのではキリがないのは誰の目にも明らか。だとすれば十字架には別の使い方が隠されているはずだ。
「ねぇ、ねぇ」
「なんだ?」
声のする方に顔を向けると、リリィがゆっくりと舞い降りてきた。
「あたしその十字架見たことある」
「え?」
思いもよらないところからの助言がやってきた。
「あれって多分、魔法を増幅させてくれるものだったと思う」
「魔法の増幅って、威力が上がったりするのか?」
「それだけじゃないよ。効果範囲が広がったりするんだから」
アンデッド系に魔法の広範囲化のアイテム。だとすれば解答は一つ。アンデッド系を一撃で葬り去ることのできる浄化魔法の攻撃だ。
「セッカは浄化魔法を使えるのか?」
「出来る」
「なら十字架を使ってその魔法を発動させろ」
「だから十字架の使い方が解からないんだって」
「はぁ?」
おもわず声を荒げてしまった。
「十字架を握ったまま魔法を使うんじゃないのか?」
と、リリィに問い掛ける。現状、十字架の使い方を知っているのは彼女だけだ。
「違う違う。魔法をその十字架に当てるんだよ。そうすればいっきに広がるはずだから」
「聞こえてたか?」
「何が?」
やはりとでもいうべきか、当然というべきか、セッカにはリリィの声は届いていないようだった。
「魔法を十字架に当てろ。それでその戦闘が終わるはずだ」
「え?」
リリィの言葉をセッカに伝えた。
半信半疑のような声の後、セッカは解かったと言い、魔法を発動させたみたいだった。
みたいだった、と俺が思ったのは直接その場面を見ていないから。それでも目を覆うほどの光が一瞬で広がったその時、俺たちを囲んでいる無数のアンデッド系モンスターが姿を消した。
終わりの見えない戦闘が終わった瞬間だった。




