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ガン・ブレイズ-ARMS・ONLINE-  作者: いつみ
第二十一章
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境界事変篇 07『高坏円事務所にて』


 ライトモールで爆発事件が起こるよりも半日以上も前のこと。

 朝の八時を過ぎたばかりの朝。

 とある雑居ビルの入り口にくたびれたコートを着た五十二という初老と言われることも出始めたくらいの年齢の男がいた。現場一筋三十年。この町の警察官、大沢叶(おおさわかのう)その人である。日々の捜査で目を凝らすことや睨むことが癖となり刻まれた眉間の皺は深く、年齢に合わず鍛え上げられた肉体も若々しい。荷物を持たず空いた手をコートのポケットに突っこんだまま直立する大沢の隣には彼の子供と言われても信じてしまいそうなくらいに年が離れている一人の女性が立っていた。スーツではなくストレートパンツにシンプルなシャツの上にカジュアルなジャケットという普段着。背負っているリュックも高級ブランドの製品ではなく、働く人御用達の店で売っているような大量生産の量産品だ。癖のないストレートの黒髪ロング、身長は隣に並ぶ大沢に比べて頭一つ分だけ低い女性の名前は”井上なつみ”。

 大沢の身長は意外にも高く百八十センチ後半、それに比べて二十センチほど低いだけならば十分に高身長と言っても過言ではないだろう。それに井上が履いているのがヒールの高い靴ではなく動きやすさ重視のスニーカーであることから、然る場で然る服を着ることになれば並ぶ他の人たちよりも頭が飛び出てしまうことも日常茶飯事だった。


「ここですか」

「ええ。そうです」


 雑居ビルを見上げて井上が言った。

 並ぶ二人の前にある雑居ビルに入っているテナントは一つだけ。数か月前に大沢がここを訪れた時にはまだ一つ二つ別のテナントが入っていたはずだが、この数か月の間にそれらは出て行ってしまったらしい。

 今この雑居ビルの入り口にある入っているテナントを知らせる案内板に記されている名前は一つだけ。【高坏円事務所(たかつきまどかじむしょ)】。相も変わらず何の事務所なのかわからない名称だと大沢は心の内で呟いていたことを顔に出さず、素直に受け答えている大沢だったがその表情は晴れない。

 井上は大沢と同じ所轄に勤めているわけでもない。彼女の所属は本庁、役職は警視。それこそ自分とは永遠にかかわることがないいわゆるキャリアと呼ばれている人間の一人なのだ。


「では行きましょうか」


 まず重いガラスの扉を開けて井上が雑居ビルに足を踏み込んだ。それに遅れまいと大沢もビルの中へと入ると思っていたよりも掃除が行き届いている様子が目に入った。汚れ一つないは言い過ぎだが、どこかの清掃会社を雇って定期的に掃除をしているかのような清潔さがある。


「えっと、事務所は三階です」


 ビル内に入ってすぐ足を止めていた井上に大沢が目的地を告げる。


「それとここにはエレベーターは無いので階段を上っていくことになりますので」

「そうなのですか? ではあれは……?」


 少し歩いた先にある階段を指さして大沢が言うと井上は怪訝な顔をして廊下の一角に視線を向ける。


「昔は使っていたみたいですけど、今は動いてません」

「故障中ということですか?」

「いや、そういうわけじゃなかったはずですが」


 思えば故障したなどという話を聞いたことがない。ただこのビルにいる数少ない入居者から直接エレベーターは使えなくなったと言われただけであることを思い出していた。もしかするとまだ動くのかもしれないが、何故かそれを試す気にはなれず大沢は率先して階段を上り始める。

 一階から三階へ。それだけならば大した労力ではない。加えて日々鍛えていることもあって何一つ問題ないと大沢は平然と階段を上っていたのだが、問題は連れ立って階段を上っているはずの井上だった。

 肩で息をして、額に大粒の汗を滲ませているというあからさまに疲弊した様子。運動不足や体力がないの一言では片付けられないほどの醜態を晒している。


「あの……」

「お、お気にならさず。私は、平気、ですので」

「は、はあ」


 息も絶え絶えに頑張って階段を上って辿り着いた三階のフロアは大沢が知るそれよりもはるかに整理整頓がされていた。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 壁に寄りかかり呼吸を整えている井上が落ち着くのを待って目的地へと向かう。

 その道中キョロキョロと周辺を見回しているという不審な様子を見せる大沢に今度は井上が、


「どうしたのですか?」


 と問い掛けてきた。


「いえ、自分が知るよりも綺麗になっている気がして」

「そうなんですか?」


 大沢の記憶の中にある事務所前の廊下の光景は何十個にも及ぶ段ボールが雑多に積まれていた。その中身の大半は資料だという話だが、それならばそれで随分不用心だと苦言を呈したことも一度や二度じゃない。

 さすがに社外秘や部外秘となるものがあるとは思えなかったが、あれだけの数ではすぐに目的の資料を取り出すことなど不可能だと言わざるを得ない。それが今は綺麗さっぱりなくなっている。廊下は広く、壁も見える。外の明かりが入る窓も遮るものは何もない。

 これが普通だろうと言われればその通りだが、元が普通じゃなかったのだから困惑するのも無理はないはずだ。

 などと心の中で呟きながら歩いているとすぐに事務所の入り口が見えてきた。

 代表して大沢が扉をノックして声を掛けると中から「どうぞ」と声が返ってきた。

 ガチャっとドアを開けて大沢が事務所へと入る。そして大沢がドアを開けたままにして井上が軽く会釈をして事務所へと足を踏み入れた。


「お久しぶりです大沢さん。そしてこうして実際に顔を突き合わせるのは初めてですね。井上なつみさん」


 二人を迎え入れたのは高坏円。文字通り高坏円事務所の所長である。


「初めまして、な感じはしないんですけど、一応初めましてなんですよね。高坏円さん。井上なつみです」


 知己であるような、そうではないようななんとも掴みづらい物言いで挨拶を交わす二人に大沢は微かに小首を傾げている。


「それで本日はどのようなご依頼で?」


 一瞬にして仕事モードに入った(まどか)が二人にソファに座るように促して問い掛けた。


「ここ最近起きているシステム障害や様々な電子機器の異常事故は知ってるよな?」

「ええ。多少は」

「それについてなんだが」


 ここで大沢は一旦言葉を区切った。

 本来それは他言無用、外部に漏らしてはならないこと。円が適任だと自分は思っていたとしてもそれが受け入れられるかは話が別。そもそもからして自分がここを訪れることは誰にも話していない。だというのに井上なつみという人物には大沢が自宅を出ようとしたその直後に声を掛けてきて高坏円事務所に行くのならば自分も同行すると言ってきたのだ。最初は断ろうと考えていた大沢だが、井上が自分の階級と所属を明かしたことで断ることもできなくなった。

 車の中という密室で数十分。到着するまでの間にその理由を聞くこともできたはず。大沢がそれをしなかったのは驚いたことに井上が助手席に乗り込んだ途端眠ってしまったから。車や電車に乗ったらすぐに寝てしまうなどという話は多分に聞くが、これはそれよりもタチが悪い。到着しても起きないことに一縷の望みを掛けたが、残念なことに事務所の近くの駐車場に車を停めた途端パチッと目を覚ました。

 現実逃避するように関係のないことを考えていた大沢だったが、気付けば自分に変わり井上がことの詳細を円に説明しているではないか。それもご丁寧にいつまとめたのかもわからないほどちゃんとした資料さえ机の上に広げられている。


「それ!」


 思わず声を張り上げて立ち上がる大沢に二人の視線が集まる。


「大丈夫です」


 焦った表情を浮かべている大沢を見上げている井上が短くそう言い切った。


「高坏さんはある意味でクローズネットの関係者ですから」

「そ、れは。どういう意味ですか?」

「端的に言えば民間の技術協力者というヤツさ」


 井上が用意してきた資料の内の一枚。そこにある名簿を指さした円がトントンと軽く机を叩いてアピールするとそこには”madoka takatuki”と記されていた。


「私が協力したのはクローズネット内で活動するためのアバター関連だ。本来ゼロから作り上げることが好ましいのだろうが、生憎とそうするだけの時間も人員的なリソースも足りなかった。そこで白羽の矢が立ったのは既存のバーチャルネット、そこで使用されているアバターの技術流用。中でも昨今のバーチャルネットの根幹を成しているゲーム【ARMS・ONLINE】の技術だ」

「別に(まど)ちゃんがそのゲームの開発者だといかいうわけじゃないだろう?」

「そこはほら蛇の道はなんとやらですよ。私が件のゲーム技術を用いてネット系の依頼を解決しているのはそれこそ知る人は知っている話でしょうから」

「高坏さんはある意味でゲームという限られた媒体から外部への技術転用の第一人者的な存在というわけなんです」


 それが合法か違法かはさておき、それができる技術があることは間違いないのだろう。改めてそう説明されてもどこか釈然としないものがあるとソファに浅く腰掛ける大沢は腕を組み悩む素振りを見せた。


「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だ。勿論公にはなっていないが、開発者とも運営の人達とも話は付けてあるし技術共有もしている。そういう事情もあって私もそれに手を貸していたというわけだ」

「なるほどな」

「そんなことよりも。こんな朝早くにここに来た理由を話してくれないか? 他言無用だからと折角従業員が来る前に会ったというのに、本題に入らないのでは時間が無くなってしまう」

「事務所が開く時間は何時だったっけ?」

「午前十時開業だから、出勤はそれよりも前だね」

「まだ二時間くらいあるじゃねえか」

「いや、彼は中々にして真面目でね。いつも三十分は早く出社してくるのさ。それに仕事があれば一時間以上速く来る場合も」

「……は?」

「今その人が担当している仕事は?」

「安心してくれ。少し前に大きな仕事を終えたばかりで新しい仕事は入ってきていない。とはいえそんなに悠長にはしていられないと思うがな」


 などと円が言い放った途端、井上は本題となる事柄が記されている資料をピックアップし始めた。愕然としている大沢が何かを言おうとして深くため息だけを吐き出す様子を平然と受け流している円はふと視線を窓の外へと向けた。

 言葉に出さず心の中で「もしかするとその方がいいのかも知れないが」と呟たことは当然誰も知りはしない。


「これ、これです!」


 円の思惑に気付かず、井上は数枚の資料を差し出してきた。

 そこに記されていたのは最近起きた事件のこと。シャドーマンと呼称した何者かによってクローズネットのシステムが破壊、あるいは操作されたということだった。


「ほう」


 資料を見るとGM05という装備を使ってシャドーマンを打破、その後確保したとある。ゲーム的とはいえゲームとは根本的に違うクローズネットという場所で行われた戦闘の結果と様子が記されている資料に殊更興味深そうに目線を送っている円に井上は手応えがあったと微かな笑みを浮かべた。


「これが大沢さんがここを来た理由ですか」

「ああ。このGM05とかいうやつを使っているのはおれの後輩なんだ」

「大抜擢じゃないですか」

「かも知れねぇ。けどそうじゃないかも知れねぇ」

「というと?」

「おれにはどうもこの件はそれだけで終わるようには思えないんだ」

「それだけとはどういうことですか?」


 真剣な表情で話す大沢に井上が問う。


「今はあいつで対処できてるけど、この先、あいつだけでは対処できないような事態になる気がしてならないんだ」

「人員を増やしてほしいという話ならここに来るのではなく、上司に直訴する方が適当なのではないか?   それこそ彼女はまさしくこの件の上司にあたる人物だろう」

「それは…」


 何か言おうとして閉ざし唇を嚙む大沢を円は正面から見つめている。


「大沢さんはいったい何を心配しているというんだ?」


 そう問いかける円に大沢は意を決したような顔をして告げる。


「そう遠くない将来、あいつの手では負えないような事態に発展する、気がする」

「確証はあるのですか?」


 今度は井上が問い掛けた。


「いや、そんなものはない。けどおれにはそう思えてならないんだ」

「カンですか」

「ああ、そうだ。おれの刑事のカンがそう囁いてやがる」

「なるほど」


 微かな笑みを浮かべて納得した素振りを見せる円とは対照的に井上は釈然としない様子で大沢を見つめている。


「大沢さんがここに来た理由はわかった。次は井上なつみさんがここに来た理由だな。こんな資料(もの)を用意してまで、私に何を聞きたいんだ?」

「今、クローズネットの脆弱性が問題になり始めてるんです。このままだとクローズネット計画は頓挫してしまう。だから脆弱性なんてものはないと証明するために力を貸して欲しいんです」

「だが、シャドーマンという外部が侵入してきているのは事実だろう?」

「だから! 早急にその侵入を阻むようなシステムを作る必要があるんです!」

「それは貴女の仕事ではないのでないですか?」


 どこか追い詰められているかのように余裕がなく見える井上に円は敢えて”何故”と問うた。


「クローズネットは父の悲願なんです」


 今度はそう口火を切った井上に二人の視線が集まる。


「秘匿性の高いネットワークインフラ整備は急務です。それが無ければ二年前のような事件がまた起きても」

「二年前のネットワーク事故か。確か大型客船のシステムに何者かが侵入して沈没事故を起こしたっていうやつだったな」

「あの船は旧来のネットワークに繋がっていて、その時代の最先端セキュリティを積んでいました。けれど世界と繋がっているために侵入自体できる状況ではあった。だからこそ侵入できないように隔絶されているネットワークが必要となるんです」

「しかしシャドーマンという侵入者が現れた」

「それこそクローズネットというものの脆弱性を露見させるのが目的みたいに、か」


 何気ない大沢の一言に井上は深く頷いた。

 実行犯ではなくその技術を与えている犯人の正体は不明。だがある程度の目的は想像できる。どうやら井上はそれが犯行理由なのだろうと考えているみたいだ。


「これから先にはもっと話題になるような事件に発展する可能性があると?」

「はい」


 井上の懸念と大沢の心配事は違うようで同じ。つまるところより二人そろって苛烈な事件が起きると考えているらしい。


「必要なのはシステムのアップデート、そして大沢さんの後輩を助けられるような人材」


 円が二人の目的を端的に告げる。


「それならばどうにかできるかも知れない」


 ふと立ち上がり窓の外を見つめる。


「ちょうどいい。かなり早いが最適な人物が来たようだ」


 円が窓から見下ろした先では二十歳そこそこの青年がこのビルに入るのが見えた。

 机の上に広げられている資料を纏めて整頓しながら待っていると五分と経たずに事務所のドアが開く。


「おはようございます」


 大沢にとっては顔見知り。井上にしたら正真正銘の初めまして。そして円にとっては唯一無二の従業員、今では二人三脚で高坏円事務所を営んでいる相棒”相馬悠斗(そうまゆうと)”がのほほんとした顔をして現れた。



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