境界事変篇 06『化け蜘蛛』
サイレンを鳴らして急行した大型のバンから降りた進藤は目の前に広がる光景に絶句してしまう。日常は楽し気な雰囲気で満ちているライトモールが今や紛れもない事故現場だ。開かれた建物の窓からは黒煙が立ち込め、恐怖と困惑に満ちた表情の買い物客が建物の外、駐車場に大量に避難している。
「これは想像以上ですね」
などと篠原が運転席から降りて呟く。
よくよく目を凝らせば黒煙のなかに赤い揺らめきのようなものがある。どうやら施設内の一部では火災が発生してしまっているらしい。
「篠原さん。ここのクローズネットの状況はわかりませんか?」
「やってみます」
居ても立っても居られないというように訊ねる進藤に篠原は後部座席へと移り、積まれた複数のコンピュータを操作し始めた。
「確かにここにもクローズネットは入っているみたいです。ただ…」
ものの数分でクローズネットの存在を確認してみせた篠原が何故かわからないといった顔で言葉を詰まらせている。
「状況はどうなってるの?」
突然バンのドアが開きいつもと違う服装の榊が現れた。
「榊さーん」
「いいから報告。クローズネットの探知くらいは済ませているんでしょう?」
「はい! ただ……」
「はっきり言いなさい」
「ここのクローズネットは火災が起こるような場所と繋がっていないんです」
「そう。副署長の言っていたことは間違っていなかったみたいね」
「はい?」
「だったらこの爆発の原因は何?」
仮にクローズネットと全く関係がなかったのだとすれば空調設備の老朽化からくる何かだろうか。それとも人為的に起こされた爆発か。後者の場合明らかに事件性が出てくるが。
「消防無線によれば燃えているのは天井に取り付けられている空調ということみたいですが」
わからないと言外に告げる篠原。
自分たちが出るべき場面か悩んでいると突然大きな音がした。
空気が震え、買い物客の悲鳴が轟く。
完全ブラインドとなっている後部座席から外を見るにはバンに取り付けられているカメラの映像を見るしかない。
篠原が操作しているのとは別のモニターに外部の映像に切り替えるとそこには一層強い勢いで黒煙を吐き出している建物が映った。
「とりあえず安全圏まで移動するわよ」
ここにいては避難の邪魔になるとクローズネット接続圏内を維持したまま再度運転席に移動した篠原はバンを動かした。
先ほどまでよりも距離を取って避難している人を誘導しているのは消防の人とこの近くの警官たち。その中にはゲームセンターの件で出会った警官たちもいた。
「この辺りなら大丈夫ですよね?」
バンが止まったのはライトモールから100メートルほど離れた場所にある道の路肩。クローズネットがローカルネットであるためにあまり離れすぎては繋ぐことができない。この距離がラグなく繋げられるギリギリの位置。
「篠原君手伝って」
「手伝うって何をですか?」
「ショッピングセンターのクローズネットを調査するの。私の予想が正しいなら、多分バックドアが仕込まれているはず」
そう断言した榊に続いて篠原もライトモールで使われているクローズネットの調査を始めた。現時点で運用されているは既定の範囲内のことばかり。正しく運用実験が行われいている証左だ。
「あ。。。見つけた。見つけました!」
およそ十分。手を止めた篠原が見つけ出したのはクローズネットの内部にある本来は無いはずの通路。それとその先にあるどこかと繋がっているであろう道。
「進藤君。ここからはあたなの出番よ」
「はい!」
まずは篠原が見つけ出したバックドアへと向かう必要がある。ダイブに使うための専用の椅子に座り課の世界へと向かう。現実世界のモニター越しでは数回のクリックで操作可能となるが、VR空間ではそうもいかない。物質的な道として回線が存在し、バックドアは言葉通りに何かしらのオブジェクトや空間の異変として現れることが多い。
つまり今から進藤は自らの足でそれを見つけ出さなければ目的の場所へと向かうことさえできないというわけだ。
体感一秒と満たない時間でクローズネットを訪れた進藤が目を開けると同時に視界と同期した映像がバンのモニターと異常課のモニター、それから今回は副署長室のモニターにも映し出された。
『聞こえてる? 進藤君』
「はい。聞こえてます」
『今回はそちらの状況をより詳しく把握するためのドローンも投入するからより的確なサポートができるはずよ』
何もない虚空に二つの球体が出現した。球体の中央にはカメラが内蔵されており、重力など関係ないと言わんばかりに浮遊している。このドローンから転送されてくる映像はゲームの三人称視点のようにGM05を纏った進藤を含む周辺の様子を客観的に映し出していた。
『まずはこちらから誘導する道を進んで。バックドアはその先にあるはずよ』
「はい」
装飾の施されていない道を行く。
ゲームなどに出てくる迷宮のように入り組んだ構造をしているわけでもなく、道と言えば一本道。目的の場所か最奥にまで続いているが、進藤が目的地と定めているバックドアがそこにあるかどうかは話が別。聞こえてくる篠原の声に従い進んでいくと最奥一歩手前、変哲のない道の最中にそれはあった。
空間の歪みとでも呼ぶべきか、規則的なポリゴンの枠組みが歪んで見えるそれはちょうど人ひとりが通れるくらいの大きさだ。
『その先にライトモールのシステムを攻撃している存在がいるはずです』
こくりと頷き進藤は歪みの中へと飛び込んだ。
一瞬浮遊する感覚に襲われながらも先にある地面をしかと踏みしめる。
進藤の後を追って歪みに突入にしたドローンが映し出した光景は驚いたことにデジタル然としたものではなく、廃棄されて長い時間が経過したどこかの工場の中のような光景だった。
『クローズネットにこんな描写ありましたっけ?』
聞こえてくる篠原の問いに答えは返ってこない。それは投げかけられた問いに対する答えを異常課の誰もが持っていないから。
慎重に歩を進める進藤は足の裏越しに感じる感触に違和感を覚えていた。
クローズネットが作り出す世界では床はどれもスポーツを行う室内コートのような印象を受けた。しかし今の立っている場所ではそれこそ本物のコンクリートで固められた地面に立っているとしか思えない。
歩く度に聞こえてくるじゃりっとした音。それは時間と共に積み重なった微細な石や埃などによって発生する音。
それだけじゃない。
使われなくなった工場というイメージを具現化したかのように用途不明な大型の機械がいくつも室内に点在している。
「誰もいないのか?」
小さく声を潜めて進藤が呟く。
周辺を警戒しながらも歩みを止めないことでどんどん進んでいると程なくしてぼんやりとした明かりが工場の奥の方から差し込んできた。
「あれは!」
すかさずGM05Sを出現させて身構える。
『いい? 進藤君。普段のクローズネットと状況が違うから慎重に接触してみて』
「わかりました」
またしても小声で答え、壁に張り付きながらゆっくりと明かりの元へと近づいていく。
背後から追ってくるドローンは現実のそれとは違い特徴的なプロペラ音がしないことから、それが原因で気付かれる心配はない。
なおかつ死角となる背後の警戒はサポートしている篠原たちによってある程度カバーされている。
警戒に抜かりはない。
じりじりと忍び足で近づいた先でほんの少し身を乗り出すと角から顔だけを僅かに出して奥の様子を探った。
「シャドーマンを発見しました」
そう報告する進藤の視界はモニターで異常課の面々も把握している。即座に榊がシャドーマンが行っていることの分析を篠原に指示し、進藤には待機を命じた。
すぐにでも飛び出して確保するべきという衝動をシャドーマンが行っている何かが元でこれ以上の悪い影響が出てはいけないという理性が進藤の中でせめぎ合う。
時間にして僅か数分。だというのに動くなと命じられている状況ではそれが何倍にも感じられた。
『わかりました。あそこでライトモールの空調を遠隔操作しているみたいです』
「それで爆発事故が起こるんですか?」
『システムにないほどの過剰な稼働が確認されてますし、もしかするとショートするように予め空調自体が細工されている可能性も』
『そこからモール内部も監視できるのよね?』
『はい』
短い肯定を受けて榊は腹を決めたというようにかっと目を見開いた。
『作戦を伝えるわ。進藤君がシャドーマンと接触してすぐ捜査員と消防隊員はモール内に侵入。発生している火災の鎮火と仕掛けられていると仮定して探索。見つけ次第排除して。篠原君はシャドーマンの接続先を探って。判明次第近隣の警察に連絡確保してもらうように』
『はい』
『進藤君はシャドーマンの注意を引き付けて。消火作業や爆発物探索に気付かれたらアウト。いい?』
「はい」
『難しいとは思うけどあなたならやれないことじゃないから。信じてるわよ』
「行きます!」
先陣を切るのは自分と飛び出した進藤がシャドーマンに姿を晒す。
GM05Sを構えて銃口を向けつつ叫ぶ。
「動くな! 両手を上げて、ゆっくりと振り向け!」
シャドーマンにはそれを操っている人間がいる。だから自分の言葉は通じるし、意思疎通もすることができる。それはこれまで三度の接触で進藤が確信していることのひとつだった。
ちらりと振り返るような仕草を見せたシャドーマンだがGM05を纏った進藤の姿を一瞥するとそのまま興味がないと言わんばかりに元の体勢に戻ってしまう。
やむを得ず進藤は引き金を引く。撃ち出された弾丸がシャドーマン頭を掠め、工場の壁に一つの焦げ跡を付けた。
「動くなと言ったはずだ。次は当てる!」
シャドーマンの体の影にあるのは何世代も前のコンピュータ。色褪せた灰色のモニターは大きく、昔の資料などで見るブラウン管テレビのよう。本体に繋がっているキーボードも昨今珍しいほどの大きな代物だった。
あれでシステムを操作しているのだとしたらまずはそこからシャドーマンを離すことだ。
自身に対して障害となる相手だとGM05を認識したのかようやくシャドーマンは振り返った。目も鼻もない黒塗りの姿からはどことなくGM05を舐め回して観察しているような視線を感じる。
「両手を上げて壁際に移動しろ!」
銃口を向けたまま指示を出す進藤の指示にシャドーマンは意外なほどすんなりと従っていた。
反抗的な態度を見せるでもなく、ただ従順に左の壁際へと移動している。
決してGM05Sに怯えたわけではないはず。少なくともこれまで自分が対峙してきたシャドーマンは全て怯えることもなく襲い掛かってきた。仮想世界では痛覚は感じても現実ではないという意識がGM05Sのような武器に対する怖れを軽減させてしまうのだろうというのが現時点での異常課の共通見解だった。
だからこそ異様に見える従順さ。
得体の知れない不気味さを覚えながらも今の進藤ができることはシャドーマンをコンピュータから離して時間を稼ぐことだけ。
そんな光景を固唾を飲んで見守っている異常課の研究室では忙しそうに各部署に連絡をしている三雲がいる。他の人たちは榊たちから送られてくる情報分析に追われているようだ。
「わかりました。直ちに被疑者確保に向かわせます」
篠原から来た接続地点判明の報告を受けて三雲は更なる指示を該当部署に出した。
彼もまた机の上のモニターで現場の様子を見守っている一人。そして進藤と同じようにシャドーマンの様子に違和感を強く覚えた人物でもある。
「気を付けてください。このシャドーマンはこれまでの金庫破りなんかとは比較もできないほど危険な事件を起こしています。空調設備に事前の細工も確認されました。そこには明らかな害意がある。どうか油断はしないように」
聞こえていないと知りつつもそう言わずにはいられない三雲は浮かない表情でモニターを見つめ続ける。
実際にシャドーマンと対峙している進藤の耳にも操作の進捗状況は伝えられている。
シャドーマンの接続先と接続している人物が解明されたこと。空調設備に小規模な爆発が起こるような仕掛けが施されていたこと。そして徐々にではあるが建物内の火災が鎮火されつつあること。鎮火には機能しないように細工されていたスプリンクラーがシャドーマンがコンピュータから離れた際に起動するように篠原によって操作されたことも大きい。
もしそれらがシャドーマンの知られたら。危険なのは爆発物の処理に当たっている人たちと鎮火に勤しんでいる人たちだ。
「ここでログアウトして出頭しろ。これ以上罪を重ねることもないだろう」
ならばこそ自分に注意を引き付け続ける必要があると進藤はあえて言葉を投げかけていた。
するとシャドーマンはそのはっきりとしない顔で嗤った。少なくとも対峙している進藤にはそう見えた。
知らぬ間に握られている”何か”。
「動くな!」
慌てて制止する進藤の声も届くことなくシャドーマンはそれを自身の首元へと押し付けた。
そこでようやくその”何か”が奇妙な形をした注射器であることがわかる。ぐっとシリンダーを押し込んで中身を注入する様は出来の悪いホラー映画を見ているかのよう。
初めて目にする行動に虚を突かれたのは進藤だけじゃない。モニター越しにこの様子を見守っていた人たちのほとんどはその奇妙さに表情を歪めている。
衆人環視の中、シャドーマンの体が崩れ始めた。まるで固められていた泥人形が大粒の雨を受けて溶けていくみたいだ。
それがただの泥人形ならば元の泥に戻るだけ。仮にその内部に形状を保持するための支柱が仕込まれていたのならばその支柱が露出するだけ。が、シャドーマンは泥人形なのではない。泥ではなく影が溶けていって露出するのは支柱ではなくその中にいる存在。
ある者はそれを見て怪物と言った。
ある者はそれを見て化け物と言った。
悲鳴を上げてモニターから目を逸らす人も珍しくない。それほどまでにシャドーマンの内側から現れたのは異形という言葉が相応しい存在だった。
「な、なんだ…あいつは……」
全身のシルエットは人。だが頭部や胴体の至る所に蜘蛛の意匠が見受けられる。それこそ朝の特撮番組に出てくる敵役のスーツみたいだとやや場違いながら篠原が独り言ちている。
「化け蜘蛛はあからさまだから、えっと」
「今はそれどころじゃないでしょう。別に化け蜘蛛でいいわよ」
「そうですか? 捻りが何もなくて微妙じゃないですか?」
「捻りなんていらないから」
戸惑いながらもそれが自分が対処すべき事案であることを本能で理解した進藤は誰の指示を受けるでもなくGM05Sの引き金を引いた。
撃ち出される弾丸が命中すれば小規模な爆発を起こし、相手に衝撃とダメージを与える。
少なくともこれまで戦ってきたシャドーマンはそうだったし、変貌したといえ元はシャドーマンなのだから目の前の異形にも効果があるはず。
疑うことなく行った攻撃も結果は想像とはまるで違う。
起こるはずの爆発は起こらず、硬いコンクリートの地面に弾丸が落ちる金属的な音だけがした。
「え? なんで……?」
何かの間違いだと自身に言い聞かせて進藤は尚も引き金を引く。
聞こえてくる発砲音は変わらずも生憎と結果はそぐわない。またしても化け蜘蛛に届くことなく音を立てて落ちた弾丸が露となって消えた。
「あっ」
思わず後退しそうになる自分を必死に押し止めて対峙しようとした瞬間、突然の衝撃が進藤を襲った。
気付けば自分は地面に転がされており、いつの間にか近づいてきていた化け蜘蛛が感情の無い瞳で自分を見下ろしていた。
「GM05、胸部に甚大なダメージ! って、進藤さん!?」
モニターを見て報告するという自分の仕事をこなしながらも篠原がバンの後部にある特別席に座っている現実の進藤を見たその瞬間、進藤の体がびくんっと大きく跳ねた。
「榊さん、これって進藤さんは大丈夫なんですか?」
「進藤君。聞こえてる? 攻撃を受け続けるとあなたも危険よ。できるだけ防御して!」
「今そんなこと言ったって!?」
苦渋の表情を浮かべて告げた榊とそんな彼女を責めるような視線を向ける篠原。
当の進藤は化け蜘蛛に蹴られた勢いを利用して距離を取り、よろよろとよろめきながらもどうにかこうにか立ち上がっていた。
既にGM05Sは彼の手を離れ消えている。もう一度出現させれば使えないこともないが、それが通用するか分からない。自分の生命を守るという本能に駆られたのか、次に進藤が選んだ装備はGM05G。つまり盾。
大型の盾に隠れるように立ち、近づいてくる化け蜘蛛を待ち構えていた。
「あっ、うわっ」
化け蜘蛛が盾の上から進藤を殴りつけてくる。
一度目は盾に阻まれたが、次の拳では盾が凹み、三度目ともなれば進藤は盾もろとも大きく殴り飛ばされてしまう。
またしても進藤の現実の体が動く。それはまるで現実でも殴り飛ばされてしまったかのような動きだ。
明らかに想定外の事態だと榊は自分が否定していたGM05のパラメータの操作を行った。真っ先に行ったのは防御パラメータを最大値にまで引き上げること。榊の想定ではこれでどのような攻撃もGM05には効かなくなり進藤の身は守られるはずだった。
だが現実では防御パラメータの増加などまるで意味がないというように化け蜘蛛は進藤を殴り飛ばす。
工場にある何かの機械に激突して倒れこむ進藤は痛む体を引きずってその機械の影に身を潜めた。
「……、…、…………」
言葉として聞き取れない音で何かを言いながら化け蜘蛛が近づいてくる。
息を殺して隠れる進藤はGM05Bという剣を掴み、逃げ出したい衝動に駆られてもそれでもと反撃の機会を伺っていた。
「ハアッ」
大きな音を立てて機械が吹き飛ばされてできた空間に進藤は意を決して飛び出した。
GM05Bを振り上げて剣道の面の要領で斬り掛かる。
警官という職業柄一般人よりは特異な剣道で正確に化け蜘蛛の頭を捉えたが、その刃は届くことなく軽々と掴まれてしまった。
「くっ、放せ!」
押し切ろうとしても、引き戻そうともしてもビクともしない。
「うあぁああああああ」
尋常ならざる力で掴まれたGM05Bごと進藤は工場の端にまで投げ飛ばされてしまった。
榊たち三人がいるバンのモニターに映るGM05の現状を反映した映像に全身に渡る多大なダメージが与えられた事実が表示される。律義にもそれを一つ一つ読み上げていく篠原の声には微かに涙声が滲み出していた。
『進藤君聞こえる? これ以上の戦闘は無理よ。すぐに離脱しなさい!』
「で、でも……」
『いうことを聞きなさい! 今あなたを失うわけにはいかないの!』
外部からできる援護は文字通りの援護射撃のみ。同行させていたドローンで異形を捉え、虚空に展開した銃口から無数の弾丸を撃ちだした。
「弾幕にもならないってわけね」
落胆の色を濃くした榊が呟く。
榊が行える攻撃はGM05に与えた装備と同等。つまりGM05の攻撃が通用しなかった時点で結果は見えているようなものなのだ。
それでもこの射撃に紛れて離脱してくれればいい。そんな風に思って無意味と知りつつも弾丸をばらまいたというのに、どういうわけか進藤はボロボロの体を引き摺って化け蜘蛛に向かっていくではないか。
「何をしてるの!」
と叫ぶ声すらもはや届いているかどうか怪しい。
度重なる化け蜘蛛の攻撃を受けて壊れるはずのないGM05の装甲が砕かれ剥がされ素体の黒い素体が剥き出しになっている。
ドローンの映像を映しているモニターが半分真っ黒になってしまった。知らぬ間に化け蜘蛛によって破壊されてしまったらしい。
残る一台も万全とは言い難い。映像は乱れに乱れノイズ塗れになっている。
肝心要の進藤の視界と同期しているモニターですら大きく揺れて、まともに化け蜘蛛の姿を捉えることさえもできていない。
突然ガクンと映像が揺れた。
地面すれすれに横たわる映像と辛うじて残るドローンの映像から進藤が倒されてしまったことが分かった。
「榊さん、こちらから進藤さんをログアウトすることはできないんですか?」
「さっきからやっているけどどういうわけか妨害されてるみたいなの」
「そんな…」
モニターに映る進藤は動かない。否、動けない。
それでもどうにか頭を動かして近づいてくる化け蜘蛛を睨みつけた。
ガンッと大きく映像が揺れる。
化け蜘蛛が進藤の頭を思い切り蹴り飛ばしたのだ。
「進藤君、起きて! すぐにログアウトしなさい! 進藤君!」
バンのモニターにある付属のマイクを掴み叫ぶもその声は進藤に届かない。
殴り飛ばされ、蹴り飛ばされ、体が飛び、壁に地面に激突する。
息も絶え絶え。この状態で意識が残っているのはそれこそGM05という装備のお陰か。
戦闘の最中、爆発物の除去が終了したという報告も、完全鎮火の報告もこの戦闘を見守っている誰の耳にも届かない。しかし当の本人である進藤はどこか意識の片隅で聞こえてきた報告に胸を撫で下ろしていた。
これ以上の被害は出ない。
自分が戦った意味はあった。
自分を慰めるわけではないが、その思いが途切れてしまいそうになる意識のなか微かに感じられた希望となった。
後は榊たちがどうにかしてくれる。そう信じて最後の抵抗に出ようと覚悟を決めた進藤が立ち上がる。
銃も盾も剣もない。あるのは自分の拳だけ。
よろよろでへろへろな拳を振り上げて残る力を振り絞って殴りかかる。
この一撃が逆転の一手になるなんて漫画のようなことは起こらない。平然と受け止められた拳は反対に化け蜘蛛に掴まれ、しこたま強く投げられて地面に叩き付けられてしまった。
呼吸が途切れる。
動けない。
微かに聞こえてくる榊と篠原の声。
これで終わったと諦めかけたその時、化け蜘蛛が動きを止めた。
化け蜘蛛の視線は工場に現れた歪みに向けられている。
どうにか進藤もその歪みの方に頭を動かすとそこには眩い光の中に立つ別の人の影があった。