境界事変篇 05『爆発』
最初の実戦が行われてから一か月。この期間にあったシャドーマンとの戦闘は二回。頻度としては数週間に一度の割合だが、これまで音沙汰もなかったことを思えば明らかに異常な増加数と言える。進藤新が纏うGM05の成果で全てのシャドーマンを討伐。それと同時に操っていた犯人を確保することができていたがクローズネットの存在を知った経緯やシャドーマンの姿を得た経緯などは繰り返される取り調べを経た今でもまだ不明のまま。シャドーマンを操っていた犯人たちを含めそれに付随して行われた犯罪の実行犯は皆、口を揃えてネットでその日払いのバイトを受けただけと供述している。
「どうです? 何かわかりましたか?」
異常課のオフィスとでもいうべき研究室で進藤がパソコンに向かっている篠原に声を掛けた。
「さっぱりです。こうも綺麗に破壊されていると復元することさえも難しくて」
「あー、その、すいません」
「いやいやいや、進藤さんのせいじゃないですから」
篠原が今行っているのは逮捕された被疑者が操っていたシャドーマンの復旧作業。痛覚軽減機能が組み込まれていないクローズネットの影響下ではアバターを破壊するだけのダメージを与えた場合どうなるかわからない。これまでの数少ないケースでは重大な障害が残ることはなく、一時的な影響しか出てなかったが、これからもそうなる保証はない。安全に被疑者を確保するための手段が必要に迫られているのだ。
「進藤さんはいつも相手を無力化して確保しようとしているじゃないですか」
「ですが、シャドーマンが戦闘不能状態になると、その…」
「自爆しますからね」
「はい」
最初の一件。
相手を無力化するために衝撃弾を使った。その結果シャドーマンは消えた。それがシャドーマンというアバターを破壊するための自壊行為だとわかったのは最初の被疑者を拘束し、使用したツールの確認の最中にシャドーマンを解析しようとした時だ。それがあった痕跡はあった。が、それがどういうものなのか分からないほど、シャドーマンというもののデータは復元不能な状態にまで崩壊していたのだ。
最初の事件だけが特別ではなかったと判明したのはそれに続く二件の結果も同様だった時のこと。これでは相手のことが何もわからないと復旧が命じられ、目も当てられない状態のデータが用意されたが現状はあまり芳しくないらしい。
両手を上げて降参だというポーズをする篠原の隣に腰掛けて進藤は彼のパソコンの画面を覗き込んだ。謎の数字とアルファベットが羅列している画面を一瞥しただけではそれが何を指しているのか理解できない。とはいえじっくりと見たところで進藤が理解できるかと問われれば答えは否でしかないのだが。
「自爆の影響はなかったんですよね?」
「らしいですよ。まあ僕が実際に会ったわけじゃないんで、実際は何か影響があったかはわからないんですけど」
「そこは本職の刑事ですから。信用できると思いますよ」
「だとすれば、僕たちはシャドーマンの解析を頑張らないと」
話をして休憩を挟んだことでやる気を取り戻した篠原は再度自身のパソコンに向き合った。
「そういえば、榊さんはどこに行ったんですか?」
「何か呼び出されていたみたいで、三雲さんと一緒に本部に行ったみたいですよ」
「そうなんですか」
「何かあれば連絡が入ると思いますから、今は進藤さんは体を休ませてください。実際に戦うのは進藤さんなんですから」
「ありがとうございます。といっても実際に動くわけじゃないんですけどね」
「確かにそうですね」
和やかに談笑しながら丸められた白衣が雑に置かれている主のいないデスクを眺める進藤はひと時の休息に身を任せていた。
同時刻。
とある町の警察署。
珍しくも身形を整えた榊が皺ひとつないスーツを着た三雲の隣に立ち、眉間に皺を寄せてしっかりとした椅子に座る初老の男性と向かい合っている。
この男はこの町の警察署の副署長。机の上にある名札には”高木一朗太”と記されている。この高木という男。この警察署における副署長となって日が浅い。それもそのはず。彼が赴任してきたのは同じ地域に異常事態対策課が設立されることが決定したのと同時期。つまりは明言されていないが彼は異常事態対策課を滞りなく運営するために移動してきたと言っても過言ではないのだ。
本来首都に設立されるような異常課が都会からわずかに外れたこの町に作られた理由は複数ある。まずはクローズネットのテストケースとしてこの町が選ばれていたこと。もう一つはクローズネットに繋ぐことができるほどの大きな公的機関の施設と大きな企業の関連施設があること。少し前に実施された首都機能移設の施策もそのさなかに起きた台風に伴った大雨による河川の氾濫と高速道路脇の崖崩れによる一時的な通行止めにより中断を余儀なくされた。そのため大半の機能は現状を維持したままそこで実施される予定だった次世代ネットワーク機能テストが先んじて行われることになったのだった。
そこで役員の一人として任命されたのが副署長である高木。それと町にある大きな県立病院の院長クラスの人間と有力企業の役員などがそこに並ぶ。
何か起きた時という念のために派遣、新設されたのが異常事態対策課。榊が所属する実働部のトップが三雲竜太という人物である。
本来技術屋の一人で篠原と同じオペレーターの一人に過ぎない榊がこの場に同席しているのはおかしな話ではあるのだが。
「それでどうですか? GM05は量産することができそうですか?」
前置きを置かずいきなり本題に入った高木の問いは三雲ではなく隣に立つ榊に向けられている。
「どのようなレベルで量産するのかはわかりませんが、現在運用されているような状態でということならば、まだ量産の目処は立っていません」
きっぱりとそう言い切った榊に高木が若干表情を曇らせる。
「あなた方が【シャドーマン】と呼称したクローズネットで使用されているアバターとGM05との戦闘記録は読みました。なんとも輝かしい戦績ではないですか。それが複数運用されるようになればより迅速に、より安全に事件を解決できるのではないのですか?」
「まだ実戦データが足りていませんから」
頑なに首を縦に振ろうとしない榊を見かねて高木の視線は隣に立つ三雲に向けられた。
「私が”命令”だと言っても同じ返事ができますか?」
警察組織に属している者にとって上からの命令は絶対。それは通常の枠組みから多少逸脱している異常課であっても変わらない。榊の直属の上司が三雲であり、三雲にとって上の立場にいるのが高木だ。本来榊の立場で突っぱねることなどできるはずもないのだが、彼女は自身の技術者としての矜持から無理なものは無理と相手が誰であっても言い切る。そして大概にしてその知見は正しいのだが、結果できる状況になることがままあるせいか、理解に乏しい相手だと今すぐにできるだろうと言って聞かないのだ。
「粗悪品でよろしいのならば」
高木がそんな理解に乏しい上司であるかというと、そんなことはない。どちらかといえばちゃんと現場の意見を聞き入れて、自分の経験則なんかよりも専門家の見識というものを重要視する男だ。
「わかりました。上には巧く報告しておきましょう。実際、まだまだ課題は多く残されているみたいですからね」
などと言って視線を落としたのは彼の手元にある分厚いファイル。クローズネットの異常に対応する部署から寄越された報告書はデータではなくアナログな紙の束なのは、改ざんと情報漏洩を懸念してからのやり方だった。
「それよりも榊さん」
「なんでしょうか?」
「GM05の完成度はどのくらいなんでしょうか?」
「完璧、とは言いづらいですね。その資料にもあるとおり、被疑者に悪影響が出てしまう懸念が未だに」
「いえ、そうではなくてですね」
「というと?」
「今のままでこの先も確実に相手を制することができると思いますか?」
机の上にファイルを置いて、鋭い眼光を榊に向けた。
「それは私のGM05が倒されてしまうということでしょうか?」
睨むように視線を返した榊に高木はふっと笑みを浮かべて椅子の背もたれに体を預けた。
「榊さんには釈迦に説法でしょうが、現実ではないバーチャルな世界では個人の筋力なんてものに何の価値もありません。必要なのは高いパラメータ。何者にも傷つけられない肉体、全てを破壊するような攻撃力。真に必要なのはそれらではないですか?」
「随分と子供のようなことをおっしゃりますね」
「こう見えて私はゲーム好きですから。だからこそ旧来からあるチートを使った時のように盤石な能力値を与えておくべき、ではないのかと思うのです」
言い分は子供のよう。だが、これが実戦であるからには強すぎる力を求めることも間違ってはいない。二人の会話に口を挟まなかった三雲もまた心の隅では高木と似たようなことを思ったこともあった。
「以前から進言していますが、それはどこまで効果があるのかわかりません」
「ほう?」
「シャドーマンという存在。それが通常のアバターではないことはクローズネットという本来公開されていない空間に現れてシステムを弄れるということも合わせれば明らかです。こちらが考える常識の範囲内にいるかどうかも分からないのですから、副署長が言うようにGM05の性能の数字を上げた所で意味があるとは思えません」
「だが、全くの無意味だというわけでもないでしょう」
「では副署長は傷一つ付かない自分というものはイメージできますか? ナイフを突きつけられても、銃口を向けられても傷付かないから問題ないと平然としていられますか? 攻撃力も同じです。自分の拳が簡単に相手を打ち砕くものだとして、それを扱う自分がどの程度コントロールできるとお思いですか?」
淡々と告げる榊に高木は自身の拳を見つめ、何かが思い当たったように目を伏せた。
「無論。こちら側から随時GM05のパラメータは操作することが可能です。これから先、高い能力値でも動けるように訓練をする必要が出てくると思いますが、そうなると更に量産化は遠のくと思ってくださって結構です」
「わかりました。とはいえ確実に私が言うようなことを言ってくる人が出てくることは覚悟しておいてください」
「当然です」
鼻息荒く答えた榊に隣に立つ三雲は密かに嘆息していた。明らかに不敬な彼女の態度に内心冷や冷やしていたのは言うまでもない。
この辺りで切り上げて退室したいと三雲が本気で考え始めた頃、部屋の外が慌ただしくなった。
「何事です?」
『郊外のライトモールで爆発事件発生です』
「怪我人は?」
『確認されていません』
机の上にある内線の電話を操作して訊ねた高木は返ってきた言葉に大きく顔を顰めた。
ライトモールというのほこの町にある大型ショッピングセンターの名前。そこで爆発事件というならば誰かが爆発物を仕掛けたということが想像できるのだが。
「どういうことですか?」
『それが、爆発したのはライトモールの空調設備の一部のようで』
決して爆発物が仕掛けられたわけではないと暗に告げる言葉にさらに高木は眉間の皺を深める。
「わかりました。ではまずは現状の把握と買い物客の避難誘導に努めてください。仮に爆発物らしきものを発見した場合は速やかに爆発物処理班の出動を要請します」
本来自分が指示を出す立場ではないとわかっている高木も知ったからには”任せます”の一言で済ますことはできなかった。後からフォローが必要だろうと話を通しておく人の顔を思い浮かべながら立ち上がり、目の前にいる二人の顔を見る。
「聞いての通りです。これから忙しくなるのでこの話はここまでに」
自分たちを追い出す前置きを口にした高木はふと言葉を区切った。一瞬彼の脳裏に嫌な予感が過ったのだ。そしてその予感は目の前の二人も抱いたようで先程までとは違う真剣な面持ちに変わっている。
窓の外、ライトモールがあるであろう方を見る。そこには思っていたよりも多い黒い煙が空に向かって伸びていた。
「爆発はまだ続いているのですか?」
「火災が発生した可能性もありますが、無いとは言い切れないでしょう」
三雲の問いに高木が答える。
「そのショッピングセンターはクローズネットに繋がっているのでしょうか?」
異常課として最優先で知るべきことはそれだと榊が訊ねる。
「一部試用されていたはずです。ですが、空調設備ではなく、店内の在庫管理などに用いられていたはずですが」
聞かれてすぐに答えられるのは高木がクローズネットの状況を把握しているから。日々増えたり減ったりを繰り返している実地場所の現状はその日ごとに出される報告書で更新される。しかも情報を纏めたデータ上だけではなく高木の頭の中の情報も日々更新されているのだ。この驚異的な記憶力が彼が今の立場に置かれた理由の一つでもあった。
「わかりました。念のため異常課も現場に向かいます」
高木、そして三雲に礼をして榊は副署長室を飛び出した。
廊下を早歩きで移動しつつ榊は携帯でなにやらメッセージを送り、すかさず通話を繋ぐ。
「進藤君。出番よ」
数回の呼び出し音が鳴って相手が出た途端に勢いよく告げた。