極大迷宮篇 Ep.23『霞む咢』
白いワニのモンスターが体を起こすとその大きさは自分よりも遥かに大きくまるで怪獣のよう。
基本的な体勢が四足歩行であることと体を起こせば極端な猫背になっていることを合わせればその全長は軽く七メートルを超えているだろうか。
本来頭の上にあるHPゲージと名前はここから見上げたとしても確認することはできず、その代わりに腹部に重なるようにHPゲージと名称が表示されていた。
素早く目を凝らして確認したその名前は【ホロウクロコダイル】。
驚いたことに表示されているHPゲージは一本ではなく二本も存在した。
「えっと、俺は初見の相手なんですけど、イナミナさんはどうですか?」
「私も初めて見るモンスターだと思います」
「わかりました」
吼えて動物の威嚇の体勢に似たポーズをとるホロウクロコダイルに警戒しながら聞くとイナミナは知らないと大きく首を横に振った。
全体像が見渡せないほど大きいモンスターも存在しないわけではない。けれどそれと戦うシチュエーションの大半は広い場所で大勢のプレイヤーが共闘する戦闘。いわゆるレイドバトル的なものを指す。今回のように決して広くはない閉じられた空間では珍しいと言わざるを得ない。
所見の相手はその攻撃手段を代表にその挙動を見極めなければ不意の大ダメージを負ってしまう。遠い距離から観察できるような状況ならば良かったのだが、現状安全な距離を取ることは物理的に不可能に近い。
「戦闘を回避することは無理みたいですね」
二人とも逃げ場などないことはわかっている。それでも一度は戦闘を避けることを考えてしまう気持ちもわかるような気がした。
戦い終えたばかりでまた大きな戦闘になるのかと自分たちの引き運の悪さを恨みそうになる。
けれどここが第十層。ひとまずの区切りの階層であることを思えば、それが待ち構えていることも想定しておくべきだった。そう想定していれば階層の奥で何かを守るために配置されたボスモンスターをいち早く見つけられたことを幸運だと感じられていたはずだ。
「回復アイテムは残っていますか?」
「この一戦を乗り切るくらいならなんとか」
「俺も似たようなものです。イナミナさんももし自分が危なくなったら躊躇なく使ってください。足りなくなったら俺が持っているものを渡しますから」
「ありがとうございます。私もいざと言う時はユウさんを回復します」
「心強いです」
互いの現状を報告しあい、それぞれの武器を構える。
既に戦闘は始まっていて、二人の視線はホロウクロコダイルに釘付けになっていた。
「まだ動かないんでしょうか」
緊迫した状況で攻撃もせずただ待ち構えているだけでは疲弊してしまう。
痺れを切らしてこちらから攻撃を仕掛けた方がいいのかと思い始めた矢先のことだ。ホロウクロコダイルがさらに背中を丸めてその大きな頭を下に向けた。
「見られてる」
まるで蛇に睨まれた蛙のように体が竦む。
どうにか動かせた目でイナミナの様子を見ると彼女も自分と同じように固まってしまっていた。
生暖かい鼻息がかかる。
漂ってくる生臭いにおいに顔を顰めつつもその匂いによって体の硬直が解けた。
質の悪い気付け薬だと内心悪態を付きながらこちらを見てくるホロウクロコダイルに銃口を向ける。
「<カノン>」
撃ち出した射撃アーツの光線がホロウクロコダイルの顔面で小規模な爆発を起こした。
「イナミナさん!」
爆発にかき消されてしまわないように叫んで名前を呼ぶとハッとしたようにイナミナが駆け出した。
「<シル・エアル>」
走りながら自己強化のアーツを発動させるとイナミナの体は青い風に包まれた。
イナミナ自身が突風のように駆け抜けて、鋭い細剣の刃を巨大な体を支えている大木のような脚に切り付けた。
爬虫類の鱗など無いも同然に足首の近くがスパっと斬り裂かれる。
「さすがです」
変身を獲得したから、ではなくこの階層で一度帰還することを予め決めていたからこそ出し惜しみをする必要がなくなったであろうイナミナはMPを使い切ることさえ厭わず全力で攻撃を仕掛けている。
MPが切れたらアイテムで回復、アイテムが無くなればそれ以上は自然回復に身を任せるしかない。けれどここが手札の切り処だと判断したのならばそれさえ考える必要もなくなる。
もし、万が一ホロウクロコダイルを倒した後にも何かが待ち構えている可能性は残っている。それを考えればイナミナの選択は悪手。けれど本当にここが正念場だとするのならば、余力を残して出し惜しみする方が自分たちを危険に追い込む可能性が高くなってしまう。
冷静に見極める必要があると自分に言い聞かせつつも自然と全力で立ち向かっているイナミナに引っ張られるように、自然と短縮したリキャストタイムが終了した端から再度射撃アーツで攻撃を行っていた。
「さすがに純粋に体力が多いだけってことはないはずだけど」
現状そこまで動きが速いわけではなく、接近して攻撃を仕掛けているイナミナすら捉えられていないホロウクロコダイルだが、反対にこちらの攻撃に怯んだ素振りも見せない。
二本あるHPゲージが順調に減らされているとはいえ、こうも連続してアーツを発動させていることを思えばその減り方は些か鈍重であるように感じられる。
全身の鱗によって攻撃が効いていないわけじゃない。<カノン>の光線が当たれば爆発を引き起こし焼け焦げて、イナミナが切り付ければ大した抵抗も見せずに切り裂かれる。つまり自分たちの攻撃は正しく効果があるというわけだ。
それでもHPの減りが少なく感じられるのであれば総量が自分が想定していたよりも多いということだろう。
「やっぱりある程度までHPを減らさないと変化は起こらないってことか」
引き金を引き続け攻撃を繰り返しているが戦況は変わらない。
突然自分たちが危険な状況になることもなければ、突然有利になることもない。
凪のような停滞した空気が漂い出した頃、それは起こった。なんと信じられないことにホロウクロコダイルがドロドロと解け始めたのだ。
「これってどういうことなんです?」
「さ、さあ?」
攻撃を中断して合流して第一声リタが困惑の表情を浮かべつつ聞いてきた。
無論この状況を正確に把握することなど、自分もできていない。同じように戸惑いつつわからないと返答することがやっとだ。
溶解していても攻撃は有効かもしれないと一度撃ってみたが、結果は無意味。ダメージを与えることはおろか溶けているその体表を焦がすことさえもできなかった。
「効果なし。つまり今はこの変化を見届けろってことみたいですね」
そっと銃口を下げて溶けるホロウクロコダイルを見つめていると程なくしてその溶解は止まる。
全貌を把握できないほどの大きさがあったホロウクロコダイルが二回りほど収縮してその内側からより濃い白色の鱗をした体が現れた。
初めてその顔をちゃんと見た気がする。
爬虫類特有の縦に長い瞳孔。
鋭く尖った無数の歯が並ぶ大きな口。
体が小さくなったはずなのにそれから感じる圧は何倍にも増しているようにさえ感じられた。
「ユウさん! 何をぼーっとしているんですか!? 攻撃が来ます!?」
叫ぶイナミナの声でようやく自分がホロウクロコダイルに見惚れてしまっていたことを知った。
慌てて攻撃範囲から逃れようとして後ろに下がろうとするも体が小さくなったことで俊敏性の増した爪が予想外に早く迫ってきていた。
偶然なのか幸運か。
何もない床に足を滑らせて仰向けに倒れこんでしまう。
受け身を取れずにしこたま強く背中を打ち付けたが、この転倒によって攻撃を回避することができたのだ。
倒れた俺の目の前。もともと自分の頭があった場所をホロウクロコダイルの爪が斬り裂くのを目撃すると思わず「うわぁ」っと声が出た。
簡単に自分の頭が吹き飛ばされる光景を幻視しつつ、空振りをしたホロウクロコダイル攻撃を見届けてすぐにその場で転がりながら離れてから素早く立ちあがる。
転んで背中を打っただけではダメージにはならない。
痛みは感じず、ただ衝撃を受けただけ。それでも背中を擦りたくなるが、そんなことしていられる暇はないと背中に残る衝撃を意識の外に追いやった。
「大丈夫ですか?」
いきなり転んだ俺を見てイナミナが心配そうに声を掛けてくる。
問題ないと手振りで答えて、すかさずに<カノン>を放つ。
狙ったのはホロウクロコダイルの顔。
ようやくまともに攻撃を当てられる位置にそれが来たのだ。これまで狙いたくても狙えなかった頭部ならば与えられるダメージも違うかもと狙ったというのに、全身を覆う鱗の鎧はホロウクロコダイルの顔までも満遍なく覆い、こちらの攻撃の威力を削いでしまう。
「くそっ」
射撃では効果的なダメージを与えられないのかという苛立ちと、転んでしまったことに対する気恥ずかしさが短い言葉となって出た。
そんな俺の言葉を聞こえていても無視をしてイナミナは果敢に攻撃を仕掛けている。
「ふっ」
勢いよく息を吐き出して気持ちを切り替える。
同時に剣銃を剣形態へと変えて前に出た。
先んじて接近戦を仕掛けていたイナミナに合わせるようにして斬りかかる。
体のサイズは変わってもそのフォルム自体は変わらない。
身を起こした大きなワニの姿をしているホロウクロコダイルの四肢は短く太い。本来ならば武器として使うのであろう尻尾も体を起こしているせいでバランスを取り体を支える支柱としての役割のみに集中せざるを得ないようだ。
ならば次に、あるいは最も警戒すべきなのが、無数の鋭い歯が並ぶ大きな口。現実のワニのように獲物に噛み付き仕留める最大の武器であるはずなのに何故かまだ一度として攻撃には使ってこない。
それでも噛み付かれれば一巻の終わりを想像させる口には近づけない。
俺もイナミナも攻撃はホロウクロコダイルの側面からばかり。
近接攻撃は全て重い体を支えている脚を集中していた。
「これで! <シル・ファード>」
駆け回りながら攻撃を仕掛けている俺の耳にイナミナがアーツを発動させる声が届いた。
風を纏い、光を宿すイナミナの細剣がホロウクロコダイルの白い鱗を斬り裂き、左足に大きな傷を刻みつけた。
積み重ねた小さな傷は、渾身のアーツで与えた大きな傷がホロウクロコダイルの脚の肉を大きく抉る。勿論実際に肉が抉り取られる光景が繰り広げられるのではなく、体表が大きく削られて深く素体のポリゴンが露出するというダメージ表現が露わになるだけだが。
片足を深く傷つけられてその自重を支えることができなくなったのか、ホロウクロコダイルは斜めに倒れて地面に沈む。
そのHPがゼロになっていないのは視認できるHPゲージからも把握できる。が、倒れこんだホロウクロコダイルに向けて追撃のアーツをイナミナが放ち、命中したことで一本目のHPゲージが砕けるように消失したのだ。
「やった!」
「流石です」
喜ぶイナミナに合わせて賞賛の言葉を投げかける。
倒れこんだホロウクロコダイルがじたばたと手足を動かして藻掻いているせいで近づいて追撃を行うことができない。
それでもいずれ動きを止める。その瞬間こそが狙い目だと息を潜めていると確かにホロウクロコダイルは動きを止めた。
だが、次の瞬間にまたしても体がドロドロに溶けて先程よりも短い時間で内側からさらに一回りほど小さくなって出現したのだ。
「こう言ってはあれですけど」
脱皮して古い皮を脱ぎ捨てるようにドロドロに溶けた元の体の中から新たな姿を見せたホロウクロコダイルを見てふとイナミナが呟く。
「ちょっと綺麗な気がしません?」
「…確かに」
思わず同意してしまうほど目の前のホロウクロコダイルは美しい。
全身を覆う鱗が全て磨き上げたクリスタルのように輝き、全身の毛を逆立たせる猫のようにぶわっと広がった。
その上、若干それまでと姿が違う。
短かった手足がそれこそ二足歩行の恐竜のように成長し、自身を支える役割を担っていた尻尾がゆらゆらと揺れ自由になっている。
「これじゃ、ワニじゃなくて怪獣ですね」
「確かに」
変貌したホロウクロコダイルを見て出た感想にイナミナは先程の俺と同じ言葉で頷いていた。
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レベル【7】ランク【4】
HP【B】
MP【C】
攻撃力【D】
防御力【F】
魔攻力【E】
魔防力【F】
速度 【C】
専用武器
剣銃
↳アビリティ――【魔力銃】【不壊特性】
魔導手甲
↳アビリティ――【フォースシールド】【アンカーショット】
防具
頭防具――【イヴァターレ・H】
胴防具――【イヴァターレ・B】
腕防具――【イヴァターレ・A】
脚防具――【イヴァターレ・L】
足防具――【イヴァターレ・S】
一式装備追加効果【5/5】――【物理ダメージ上昇】【魔法ダメージ上昇】
アクセサリ【6/10】
↳【生命の指輪】
↳【精神のお守り】
↳【攻撃の腕輪】
↳【魔攻の腕輪】
↳【魔防の腕輪】
↳【速度の腕輪】
↳【変化の指輪】
↳【隠匿の指輪】
↳【変化のピアス】
↳【―】
所持スキル
≪剣銃≫【Lv132】――武器種“剣銃”のアーツを使用できる。
↳<セイヴァー>――“威力”、“攻撃範囲”が強化された斬撃を放つ。
↳<カノン>――“威力”、“射程”、“弾速”、が強化された砲撃を放つ。
↳<インパクトノーツ>――次に発動する全てのアーツの威力を増加させる。
↳<ブレイジング・エッジ>――剣形態で極大の斬撃を放つ必殺技。
↳<ブレイジング・ノヴァ>――銃形態で極大の砲撃を放つ必殺技。
≪魔導手甲≫【Lv20】――武器種“魔導手甲”のアーツを使用できる。
↳<ブロウ>――“威力”を高めた打撃を放つ。
≪錬成強化≫【Lv110】――武器を錬成強化することができる。
≪竜化≫【Lv―】――竜の力をその身に宿す。
≪友精の刻印≫【Lv―】――妖精猫との友情の証。
≪自動回復・HP≫【Lv―】――常時発動。一秒毎に生命力が回復する。
≪自動回復・MP≫【Lv―】――常時発動。一秒毎に精神力が回復する。
≪状態異常無効≫【Lv―】――状態異常にならない。(特定の状態異常を除く)
≪全能力強化≫【Lv100】――全ての能力値が上昇する。
残スキルポイント【7】
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