極大迷宮篇 Ep.01『出発前に』
その日、世界に一つのダンジョンが姿を現わした。
世界の中心に楔を打ち込むかのように地中深く延びる極大迷宮。
上層があり中層に続きさらに下層へと繋がっている。それでもまだ終着点ではない。下層の下には深層があるらしい。
何よりも驚くべきことはこれだけの熟練のプレイヤーが揃っているというのに未だ下層にすら到達していないという事実。公開されて日が浅いとしてもこれだけ長い公開期間があり、いち早くクリアすることを目的としている人がいるゲームでは異様なことだった。
攻略できない原因は単純明快。単にこのダンジョンの各階層が広大なのだ。過去の【ARMS・ONLINE】に登場したダンジョンのようにだいたい数十分で、長くとも数時間で踏破できていたものとは比べるまでもないと言われているほど。
入り口から入ってすぐの数層はこれまでのダンジョンと同じような感覚で進むことができる。が、こと極大迷宮に限ればそれ以降、中層に向かうことさえも困難を極めるというのだ。
出現するモンスターが特別強力というわけでもない。
誰かがダンジョンに入る度に道が変化するということでもない。
次なる階層に続く道を目指して一直線に走ろうにも最短ルートが確保されていない現状では、ある程度探索に時間を掛ける必要がでてくる。
加えて一つだけ。他のダンジョンとは大きく異なる事象がある。それは極大迷宮では簡易マップが使用不可となっているのだ。地図を頼りに進むことはできず、それもまた数多のプレイヤーの歩みを滞らせている要因となっていた。
極大迷宮がある町“タルタロス”。
アップデートと同日、ダンジョン公開と同時にリリースされたばかりの新しい町であるはずのタルタロスは意外なくらいに古くからある町という印象があった。
ボロボロではないが古い建物。
他の町のようにギルドがあるが、その建物もまた築数十年という面持ちがある。
まるで昔からある町だと錯覚してしまいそうになるこの町に俺は来ていた。
「えっと、待ち合わせ場所は――この先みたいだな」
きょろきょろと辺りを見渡して目的の建物を探す。
ダンジョンとは異なりタルタロスでは簡易マップが使えることもあって、目的地をマーキングしてあるからそれを頼りに進めば良い。
見慣れない道を進む最中見かける様々な建物や店舗に興味を引かれるが、それを必死に振り払って件の場所を目指す。
暫くして辿り着いたのは大勢の人で賑わっている酒場。
騒がしく活気に溢れている店内には数名の店員が忙しそうに駆け巡っているのが見て取れた。
「いらっしゃいませ」
自分の前を通り過ぎようとしていた店員の一人が足を止めて声を掛けてきた。
「お一人様ですか?」
ハキハキとした話し方をしている店員の格好はシンプルなエプロンドレス。変わっているのは黄色い生地のドレスに白いエプロンが組み合わされていること。周りを見れば色取り取りなエプロンドレスがあり、どうやら店員一人一人に違う色が宛がわれているみたいだ。
黄色いエプロンドレスを着た店員は短めに切り揃えられた黒髪と活発そうな顔が特徴的な女性。
「えっと、待ち合わせ…です」
「お名前をお聞きしても宜しいですか?」
「ユウです」
自分の名前を告げると店員は支払い場のカウンターで何かを確認すると軽く頷いた。
「こちらですね。ご案内します」
「あ、はい。よろしくお願いします」
店員の先導で店の奥のテーブルへと向かう。
どんどん奥に進むに連れて薄暗くなっていくことが心細くて仕方ない。
「こちらでお連れ様がお待ちです」
案内されたのは店の奥にある個室。硬く閉ざされた扉はここが後ろ暗い取り引きをするために用意された場所だと言われれば信じてしまいそうになる出で立ちだ。
「ユウです」
コンコンとノックをして名乗る。
すると扉の内側から、
「どうぞ」
と声が返ってきた。
ドアノブに手を伸して扉を開ける。
殊の外に重い扉に驚きつつも現実に比べると強いフィジカルを持つこの世界では少しばかり意識するだけで軽く開けることができるのだが。
「お待ちしていました」
俺が部屋に入った瞬間に椅子から立ち上がった女性が勢いよく声を掛けてきた。
水色の髪と水色の瞳。
細いながらも鍛えている体を覆うアーマー。
いつもは腰に提げているであろう細剣がテーブルに立て掛けられている。
「えっと、イナミナさん。…ですよね?」
「はい、そうです。それで、あなたがユウさんですね。マドカさんから聞いています。わたしの依頼を受けてくれるんですよね」
「ええ。ですが、その依頼っていうのが今ひとつ解っていないんです」
自分の正直な気持ちを打ち明ける。
円から一応の説明を受けてはいるものの今回のよく分からないことがあったのだ。だから合流した暁には真っ先にそれを聞こうと心に決めていたのだ。
「その話をする前に」
にこやかに笑みを浮かべてイナミナが言う。
「扉を閉めてこちらにどうぞ」
促されるまま扉を閉めて指示された席に付く。
イナミナと向かい合う位置に座った俺の前の椅子に彼女もまた腰掛けた。
「で、確認ですけど、あなたの依頼というのは――」
「はい! わたしも“変身”したいんです!」
「……はい?」
目を輝かせてはっきりと告げられたその一言に目を丸くした。
「マドカさんから聞いています。ユウさんはそういうことのエキスパートなんですよね!?」
「“そういうこと”というのは?」
「何でもよく分からない奇妙な事象に巻き込まれるのが得意だとか」
「ああ……そういうことね」
当然のように自覚はないし認めてもいないが、円曰く俺は変なクエストに巻き込まれる体質らしい。
イナミナが言う変身が何を指しているのか、それが漠然とであるが理解できてしまう自分が恨めしい。
テーブルの上に並べられている料理は実際に食べることができる。この数々の料理は体力回復アイテム扱いということになっているのだ。体力が減ることのない町中でそれを取る必要があるのかは甚だ疑問だが、保存の利く食料は町の外での回復手段の一つとしてポピュラーな手段となっていた。
「確か“変身”能力を獲得するには対象のストーリークエストをクリアすれば良いいと公表されているはずです。まあ、変身には個人によって姿形や能力云々が異なるようですが、それは試さなかったのですか?」
「実は……既定のランクを超えていると獲得できないみたいなんです」
「えっ!? そうなんですか?」
「はい」
「それで既定のランクとはどのくらい?」
「ランク【5】です」
「はい!?」
「諸事情があってストーリークエストを放置していたら対象から外れてしまっていて」
「あの…」
「なんですか?」
「ということはあなたはランク【5】なんですか?」
「いえ。最近ランク【6】になりました」
「ランク【6】ぅ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
するとまるで自分の発言を証明するかのようにイナミナは自身のステイタスを表示させたコンソールを見せてきた。
装備やスキルの類を除いたイナミナのステイタスを見てみる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
レベル【12】ランク【6】
生命力
精神力
攻撃力【C】
防御力【E】
魔攻力【E】
魔防力【F】
速度 【B】
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「本当だ。確かにランク【6】ですね」
書式と表記が変わったステイタス画面。
HPとMPは生命力と精神力に替わったが、変わらずにゲージ表記のまま。それ以外も全て表記が違う。能力値の項目にあるアルファベットが【A】から降順になっていて、仮にそこに最上位があるとすれば慣例に従い【S】になる。
ランク【6】であるイナミナのステイタスにあるそれぞれのアルファベットが下位であるのはどう考えても妙な話だ。しかしこのアルファベットがそれぞれのランク帯で能力値の範囲が異なっているのだとしたら。
慣れるまでは時間が掛かりそうな気がするが、ゲームに慣れていない人にとっては親しみがない英単語の略語よりは直感で理解できる日本語の単語の方が良いだろうというのが今回のアップデートで行われた変更の理由らしい。
「ランク【5】からランク【6】にするには何か特別な条件があるって聞いていますけど」
「そうですね。わたしの場合はとあるクエストのソロクリアが条件となっていました」
「そのクエストについて聞いても?」
「別に構いませんよ。確か角の生えた恐竜みたいな見た目をした地竜種のモンスター討伐クエストです」
「…竜」
「あ、やっぱりそこが気になりますか」
「ん?」
思わず出た呟きを耳にしたイナミナがニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「あなたは竜になれるんですよね」
「円さんから聞いたんですか?」
「まあ、似たようなものです」
何故だか目を泳がせて返答をあやふやに誤魔化したイナミナを見る。
嘘は言っていない。だけど全部を話すつもりはないらしい。
どこかで竜化して戦った自分を見たのか、偶然に残っていた映像の類を見たのかもしれない。昔ならばあまり大っぴらにすべきことではないと思っていた俺も昨今の現状ではさほど隠し立てする必要もないと感じていたこともあって、そういうものが流通していてもおかしくはない気がする。尤も偶然映り込んだ程度ならば問題ないが、自分個人をピックアップした映像だった場合は全くいい気はしないが。
「いいなぁ、羨ましいなぁ。かっこいいんだろうなぁ、りゅう」
「へ!?」
急に破顔して雰囲気が変わったイナミナに戸惑いを隠せない。
机の上でのの字を書くように俯くイナミナの奇行を見守ること数秒。こちらの視線に気付いたイナミナは短い咳払いをして居住まいを正した。
「あ、あの……」
「失礼しました」
背筋を伸ばして座り直したのを見計らって申し訳なさそうに告げる。
「一ついいですか?」
「はい?」
「期待しているとこ悪いですけど、俺、変身ができるようになる方法なんて知りませんよ」
「大丈夫です。一つ心当りがありますから」
妙なほど自信満々に言うイナミナに首を傾げて返す。
「どうしてわたしがここにあなたを呼んだのかわかりますよね」
「ああ」
思わずに頷いてここからは見えない彼方を見る。
確かにそこならば何があってもおかしくはないが、一縷の望みを掛けて挑むには中々にしてリスキーな場所だ。
「でも、あそこはトッププレイヤーと言われる人たちですら一筋縄ではいかない場所だということはわかりますよね」
「だからこそ! 可能性が残っていると思いませんか?」
身を乗り出して興奮混じりに言うイナミナに俺は曖昧な返事すらすることができなかった。
「俺が言いたいのはそういうことではなくて…」
「攻略が難しいと言いたいんですよね」
「正直に言わせてもらうのならば、例えあなたがランク【6】だとしても俺と二人の場合、攻略しようとするにはあからさまに戦力が足りない。未だに攻略が滞っているという事実を考えればあながち間違いではないはずです」
「でしょうね」
真剣な面持ちで力強く頷くイナミナに、真剣に忠告したつもりが肩透かしをくらった気分になった。よくよく考えるまでもなくイナミナは自分よりもランクの高いプレイヤーだ。どのような危険を犯すべきかそうではないのかが解っているのだろう。その上で自らの望みを叶えるためには必要なことだと判断したらしい。
「何も今日明日でどうにかしようなんて考えてはいません」
依頼を断る選択肢はない。だが、どのようなスタンスでそれを実行に移すかの裁量は自分にある。だからこそ判断を決めかねていると不意にイナミナがいった。
「じっくりと時間を掛けて準備して挑むつもりです」
「いや、まあ、それはそうなると思いますけど」
この仕事が中長期になるような気はしていた。しかしイナミナは俺が思っていたよりも長い時間が必要になると考えているらしい。
思えば円には他の仕事は自分に任せろと言われていた。つまり円にも事前に全ての話は通っていたということになる。
どうせいつものような仕事だろうと事細かな説明を要求しなかった自分にも非があるが、それでもと思わずにはいられない。
自分を責めるように溜め息を吐いて、改めてイナミナの顔を見る。
「話はわかりました。どこまで俺が力になれるかわかりませんが、イナミナさんの望みが叶えられるように協力させていただきます」
「ありがとうございます!!」
満面の笑みを浮かべるイナミナにどこまでも付き合うと決めた。
「そういえば…」
人心地付くためにテーブルの上にあるコップに手を伸す。嗅ぎ慣れない匂いの琥珀色の液体が注がれているそれを一口に含んでみると微かに甘い味が口腔内に広がった。
「イナミナさんは普段どうしてるんです?」
「どうとは?」
「いつもはソロで活動しているんですか? それとも固定パーティを組んで、あるいは野良のパーティとかですか?」
固定のパーティがあるのならばあまりこちらに掛かりっきりになることは難しいのかもしれない。
「固定のパーティはありますけど…」
「けど?」
「今回に関してはわたしは一人で動きます」
「良いんですか?」
「良いんです。だって……」
言葉尻が小さくなる。そして囁くような小声で、
「わたし以外みんな変身できるんですから」
不満というよりも固定のパーティで一人だけできないことに疎外感を感じているみたいだ。おそらく他のパーティメンバーからすれば抱かなくてもいい疎外感だと言うだろう。しかし当の本人からすれば大きな問題のように感じるのだろう。
「リーダーは大きな角や翼が生えたりして何かかっこいい悪魔っぽくなるし…ルシ姉ぇはおっきな翼がある鳥人間みたいになるし…ルヴィアは赤い狼人間になるし…フィリは背中に紺色の鮫みたいなヒレが生えるし……」
イナミナの言葉に出てくる名前はおそらく固定パーティの仲間なのだろう。その一つ一つに人外の特徴が見受けられることからも、全員が変身能力を持っているという話は事実なのだろう。それを間近で見ていれば自分もと思うのも無理はないような気がする。
だからこそと意気込むイナミナの気迫に応えたいと思う。
しかし、
(ランク【4】になったとはいえ、俺はレベルはまだ一桁台なんだよな)
ログインして真っ先に確認した自分のステイタスを思い出す。
消えたスキルと表示されなくなったもの。
そして細かな数字で表記されていたのとは異なりざっくりとしたファジー表現されたそれぞれの能力値。
ここからユウを強くすることが求められるのは必至。
であれば、今の自分に最も適した強化方法を探りたいものだ。
奇しくもこのダンジョン攻略が良い機会になることは間違いない。
人知れず気合いを入れた俺の頭の後ろで妖精猫のリリィが「にゃあ」と鳴いた。
「あや? 猫の声?」
「ああ。これは…」
自分のフードの中からリリィを掴み取り出す。
「わああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
これまでの会話のなかには無かったイナミナの叫び声が響く。
椅子から立ち上がり、俺の手からリリィを奪い取ると、屈託のない満面の笑顔で撫で回し始めた。
「猫、好きなんですか?」
「大っっっっっっっ好きです」
「な、なるほど」
いきなり遠慮無く撫で回されているリリィは全身を硬直して成されるがまま。
この部屋の声が外に聞こえていれば何事かと店員が突入してくる騒ぎになっていたことだろう。それがないということはかなり防音性の高い部屋ということになる。
涙目で俺を見てくるリリィ。
だが俺には幸せそうにリリィを撫で繰り回しているイナミナを止めることはできない。
諦めてくれと視線で伝えるとリリィのなんとも儚げな声が聞こえてきた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
レベル【3】ランク【4】
生命力
精神力
攻撃力【D】
防御力【F】
魔攻力【E】
魔防力【F】
速度 【C】
専用武器
剣銃
↳アビリティ――【魔力銃】【不壊特性】
魔導手甲
↳アビリティ――【フォースシールド】【アンカーショット】
防具
頭防具――【イヴァターレ・H】
胴防具――【イヴァターレ・B】
腕防具――【イヴァターレ・A】
脚防具――【イヴァターレ・L】
足防具――【イヴァターレ・S】
一式装備追加効果【5/5】――【物理ダメージ上昇】【魔法ダメージ上昇】
アクセサリ【6/10】
↳【生命の指輪】
↳【精神のお守り】
↳【攻撃の腕輪】
↳【魔攻の腕輪】
↳【魔防の腕輪】
↳【速度の腕輪】
↳【―】
↳【―】
↳【―】
↳【―】
所持スキル
≪剣銃≫【Lv132】――武器種“剣銃”のアーツを使用できる。
↳<セイヴァー>――“威力”、“攻撃範囲”が強化された斬撃を放つ。
↳<カノン>――“威力”、“射程”、“弾速”、が強化された砲撃を放つ。
↳<インパクトノーツ>――次に発動する全てのアーツの威力を増加させる。
↳<ブレイジング・エッジ>――剣形態で極大の斬撃を放つ必殺技。
↳<ブレイジング・ノヴァ>――銃形態で極大の砲撃を放つ必殺技。
≪魔導手甲≫【Lv20】――武器種“魔導手甲”のアーツを使用できる。
↳<ブロウ>――“威力”を高めた打撃を放つ。
≪錬成強化≫【Lv110】――武器を錬成強化することができる。
≪竜化≫【Lv―】――竜の力をその身に宿す。
≪友精の刻印≫【Lv―】――妖精猫との友情の証。
≪自動回復・HP≫【Lv―】――常時発動。一秒毎に生命力が回復する。
≪自動回復・MP≫【Lv―】――常時発動。一秒毎に精神力が回復する。
≪状態異常無効≫【Lv―】――状態異常にならない。(特定の状態異常を除く)
≪全能力強化≫【Lv100】――全ての能力値が上昇する。
残スキルポイント【3】
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇