ep.06 『忘れ去られし街の聲⑥』
「【夜翼】ってどんな形をしてるんだろうな?」
「そりゃあ、翼って字が付いてるんだからさ、やっぱり鳥とか天使とか、そんなとこなんじゃないか」、
などという会話から始まった探索もまさかこんな展開になるとは想像もしていなかった。
時間は夜。
街の明かりが人々の生活を映し出している。
路地には街灯が等間隔で並んでいて道はそれなりに明るく照らされているが、行き交っている人は驚くほど少ない。偶に見かけるその殆どがプレイヤーのようで、シャムロックの街本来の住人であるNPCは一度として見かけることはなかった。
NPCが出掛けていないだけで宿屋や飯屋はやっているのかと思えば、それすら休業中の張り紙が扉に張り出されている始末。物見遊山でシャムロックの街にやってきたプレイヤーも街をさっと一周すると先んじて部屋を取ってあった宿屋に向かうか街の外に行くかするくらいだ。
他の街に比べて圧倒的に静かな夜。俺達はそんな静寂とは相反する存在に追いかけられていた。
「次ッ、右ッ」
「了解!」
重い鎧を装備しているとは思えない速度で走るハルの指示通りに丁字路を曲がる。
息を切らしそうになる全力疾走が続く。
「あいつは――」
「後ろだ、後ろ!」
一瞬振り返ってみるとそれは真っ直ぐ違わずに俺達を追いかけてきているのが見えた。
「あれが【夜翼】か。なるほど。確かに翼をもっているな」
もう何度目かになる感想を声に出す。
シャムロックから探すように依頼された美術品【夜翼】。形状すら分からないそれも名が示す通りに翼に関連がある何かだろうと予想していたことが当たったなどと喜んでいられる余裕はない。俺達を追いかけてくる夜翼は自分よりも何倍も大きな体をした獅子に大鷲の翼があるモンスターだったのだから。
「追いつかれるぞ!」
すかさずハルが叫んだ。
ここに至るまで、俺達はただ逃げていたわけじゃない。数回ではあるが夜翼と交戦することもあった。ただしその殆どが全く戦闘になっていないのが現状だったが。
自分達に追いついたモンスターの夜翼は威圧感たっぷりに獅子の咆吼を上げた。
空気が震え、体が竦む。
膝を付きたくなるのを必死に堪えて俺はガンブレイズを、ハルは戦斧を構えた。
「あれを放たれる前に攻撃を仕掛けるぞ」
「わかった」
急旋回して夜翼と向かい合う。
対峙したその存在は漆黒の闇に濡れた艶やかな鬣が風に揺れている。獅子の体は大きく、傍から見てもその筋肉量がはっきりと窺えた。黒い体に浮かぶ白い牙。爪は血塗られているかのように真紅に染まっている。百獣の王ライオンの鋭い瞳はどこか金色に輝いて見えた。
何よりその存在を大きく見せているのが体毛と同じように漆黒に染まる巨大な翼。
「せいやっ」
ハルが戦斧を振りかぶった。
「はあっ」
剣形態のガンブレイズを水平に振り抜く。
悠々と待ち構えている夜翼の正面、二つの方向から繰り出される攻撃を夜翼は全く気にする様子もなく平然とその体で受け止めた。
「弾いた!?」
「いや、単純に効いていない感じだな」
「あの夜翼の体が硬いってことか」
「少なくとも普通の動物の体とは違うってことだ」
「それくらい見てわかるさ」
「違いない」
攻撃の効果が悪くとも手をこまねいていたのでは事態が進展することはない。それどころか反対に自分達が攻撃を受けて危機に陥ることもあるだろう。幸いにして夜翼の攻撃頻度は少ない。その代わり一撃の重さは洒落にならないが。
軽口を叩き合いながらどうにか攻略の糸口が掴めないものかと思考を加速させる。それと同時に攻撃の手も緩めないのは勇猛果敢と言えば聞こえも良いが、いま自分達がやっていることはがむしゃらに攻撃をしているだけに過ぎない。それでは必ずどこかで綻びが生じてしまう。そう、このように。
「ハルッ」
「ユート!」
二人の互いを呼ぶ声が重なった。
危機感を高まらせて俺達は即座に攻撃の手を止める。
パチパチと音を立て始める夜翼。いつしかその漆黒の翼に青白い閃光が瞬き始めていた。
「逃げるぞ」
「間に合うかッ――」
自分で想像していたよりも接近して攻撃することに集中してしまっていたらしい。
先んじて身を翻したハルの背中が見える。
「急げ――!」
ハルの声を掻き消すような轟音が轟いた。それと同時に瞬く閃光。夜の闇を掻き消すような光は最初の一回を皮切りに断続して繰り返される。
鼻をつく何かが焦げた臭い。
臭いの元を辿ると石畳の地面に白い煙を立ち込ませる不格好な丸い影が残されていた。
繰り返される閃光が迸る度にその影は数を増していく。
「ぐあッ」
無意識に苦悶の声が漏れた。
回避と逃避を繰り返して避け続けていたはずの閃光が俺の体を貫いたのだ。
「ユート。動けるか?」
「あ、ああ。ダメージは少ないさ」
だが微妙に指先の感覚が鈍い。
夜翼が迸らせている閃光の正体。それは雷と呼ばれる自然現象を模した夜翼の繰り出す魔法攻撃。
最初の一番大きな雷を除く、他の雷の魔法ならば直撃を受けても大きなダメージとなることはない。あくまでも現在の自分のパラメータがあればこそ、だが。
「回復はできそうか」
「難しいかも。それよりも先に距離を取りたいかな」
「助けは?」
「今はまだ、必要ないさ」
先に逃げているハルに助けを請おうとすればそれは戻ってくるように頼むことに他ならない。自分が窮地に追い込まれているのならば別だが、現状そこまで追い詰められているわけじゃない。
痺れている左手を振り払い、右手はしっかりとガンブレイズを掴んだままに、踵を返して駆け出す。
背中越しには未だに雷が落ちる音が轟いている。その度に地面が揺れる。振動を全身で感じながら俺は必死に走り続けた。
「音が…止んだ」
ほどなくして静寂が訪れた。
だけど俺は知っている。この静寂はただ単に雷が止んだだけであることを。次の瞬間には再び夜翼が俺達を追いかけてくるということを。
「来た!」
飛ばずに駆けてくる夜翼を見てハルがいった。
これまでの戦闘でわかったことの一つ。夜翼は走っている間は風の膜のようなものを纏い通常時以上に防御力を高めているということ。それのせいで迎撃しようと銃形態のガンブレイズで攻撃を仕掛けても全くの無意味だったのだ。
「おれが注意を引くから早くこっちに――<爆斧>!!」
立ち止まり戦斧を地面に叩きつけた。巻き起こる爆炎が夜翼を飲み込もうと指向性を抱きながら広がっていく。
雷とはまた違う明かりが夜の闇を照らす。
浮き彫りになった夜翼の全身。
もう何度も目にしているはずのそれが俺達に向けている視線に込められている意思は未だに掴みきれていない気がした。
「駄目だ、効果が薄い。ハルも早く逃げるんだ」
ハルに追いついた俺がすれ違い様にそう言うと、ハルは戦斧を背負い直して俺と同じ方向へと走り出した。
「おれはユートを待っていたんだぞ」
「知ってるさ。ありがとう」
「構わないさ」
いつしか並んで走る俺達。
背後から迫る夜翼が大きく吠えた。
「うおっ」
強制的に耳を塞ぐモーションを取らされた。横を見るとハルも同じ格好を取らされている。
「拙いッ」
動きを止められたからには何かある。
例えば攻撃。動かない相手など格好の的でしかない。
例えば逃亡。追ってこない相手ならば容易に逃げ切ることができる。
他にも可能性は浮かぶが確立として大きいのはこの二つだろう。
どっちだと、必死に動こうとを考えて体の硬直が解けるのを待ち続ける。すると不意に夜の闇を一段と濃くしたような影が差した。
「夜翼……」
黒い獣がこちらを見つめている。
「ユート」
小声で俺の名を呼ぶハルが背中に手を伸ばした。
「待って。いま動くのは拙い気がする」
「了解」
小声で返した俺にハルは背中の戦斧の柄に手を掛けたまま動きを止めた。
「夜翼。お前は何故俺達を襲ってきた?」
低く唸る夜翼が俺を見ている。
金色の瞳に映る自分の姿。
その色に宿る感情は何だ。
「ユート、危ない!」
突然ハルが叫んだ。
不意に夜翼がその手を伸ばしてきたからだ。真紅の爪が炎を映したのように煌めく。この動作を攻撃だとハルは思ったらしい。戦斧を下から上へ勢いよく振り上げたのだ。
「ハル!? どうして――」
「ユートこそ、どうして動かない!」
「だって、夜翼は攻撃してこないから」
「何を言っているんだ? 現に今だって夜翼はユートに爪を立てて攻撃してきただろう」
「え!?」
「んん!?」
互いに互いの言っていることがわからないというように顔を見合わせた。
夜翼が翼を大きく広げる。
風が吹き、漆黒の羽が舞い上がった。
まるでそれを合図にしたように空が白み始める。
「朝……」
「――あっ」
一陣の強い風が吹く。
太陽が顔を覗かせて、夜が終わった。
「夜翼が…消えた?」
いつの間にか目の前に居たはずの黒い獣が姿を消していた。
地面に付いた焦げ痕も、その漆黒の翼から抜けて舞った黒い羽もまるで元からそこには何もなかったかのように消えてしまっている。
それと同時に戻って来た。鳴りを潜めていた街の喧騒というものが。
「夜翼と戦えるのは夜の間だけってことかもな」
戦斧を背負い直して兜を外すハル。
勝者も敗者もいない。ただ戦闘が終わったそれだけだ。
「なあ。今まで他のプレイヤーはどこに行っていたんだろうな」
「ん?」
「だってさ、俺達はかなり派手に動いていただろう。なのにさ誰も近付いてこなかったなんて変じゃないか? それに――」
「それに?」
「誰もここで何があったのか知らないみたいだ」
完全に夜が明けた。
朝になって建物から大勢のNPC達や他のプレイヤーが姿を見せ始めている。
「今までおれたちが居たのはこことは違う場所だったのかも知れない」
「つまりダンジョンの中、みたいなことか」
「もしくはクエスト時だけ作成される臨時エリアとか」
「いつから、だと思う?」
「さあ。夜翼が現れてからかもしれないし、もっと前。それこそシャムロックに【夜翼】を手に入れるように頼まれた時からかも知れない」
「だったらさ。ここはどっちだと思う?」
「どっちって?」
「夜翼と戦う臨時エリアか、普通のシャムロックの街か」
もし前者だとしたらここに居る他のプレイヤーは何故いるのだろうか。そして後者だったとしたら、俺達はまた夜翼と相見える機会が残されているのだろうか。
「直ぐに分かるだろうさ。それこそまた夜になれば、な」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
レベル【17】ランク【3】
HP【9600】
MP【2680】
ATK【D】
DEF【F】
INT【F】
MIND【G】
DEX【E】
AGI【D】
SPEED【C】
所持スキル
≪ガンブレイズ≫――武器種・ガンブレイズのアーツを使用できる。
〈光刃〉――威力、攻撃範囲が強化された斬撃を放つ。
〈琰砲〉――威力、射程が強化された砲撃を放つ。
〈ブレイジング・エッジ〉――極大の斬撃を放つ必殺技。
〈ブレイジング・ノヴァ〉――極大の砲撃を放つ必殺技。
≪錬成≫――錬成強化を行うことができる。
≪竜精の刻印≫――妖精猫との友誼の証。
≪自動回復・HP≫――戦闘中一秒毎にHPが少量回復する。
≪自動回復・MP≫――戦闘中一秒毎にMPが少量回復する。
≪全状態異常耐性≫――状態異常になる確率をかなり下げる。
≪憧憬≫――全パラメータが上昇する。
残スキルポイント【7】
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇