ep.11 『幽冥の騎士⑩』
先週はお休みしてすいませんでした。
今後とも本作をどうかよろしくお願いします。
重力を無視するかのように数メートル程浮かび上がり、無感情に眼下を見下ろすバアトが握るのは漆黒に変質した大剣。本来は一振りであったはずのそれが今は両の手に一つずつ握られている。
呆然と立つ俺達に向かってバアトが大剣を振り下ろした。
俺達とバアトの間には大剣といえど刃先が届かないくらいの距離がある。それは誰の目にも明らかだ。しかしそれが攻撃をしない理由にはならないのだというかのように、当たり前のようにして攻撃を繰り出して来たのだった。
安全な距離にいる。そのはずだというのにこの瞬間に感じた警戒心、言い換えるならば恐怖とでもいうべきか。首の後ろに走った電流のような感覚に従って俺は瞬時にバアトの大剣の射線から逃れた。
刹那、聞こえてくる轟音と大地に深く刻まれた傷跡。それはバアトの持つ大剣が刻み付けたもの。
「ムラマサ!」
自分は自分の感覚に従ったことで回避することができた。けれどムラマサはどうだったのだろう。咄嗟に周囲を見渡してその姿を探す。
「問題ないさ。それよりも、また来るよ」
気付はムラマサは俺よりも安全マージンを取ってバアトの攻撃を回避しているみたいだった。その後ろにはキリエが若干表情を引き攣らせながらも無傷で立っていた。
最初の一撃が誰にも命中しなかったことなど気にすることもなくバアトは攻撃を続ける。
バアトの攻撃をよく見れば刀身が伸びたからこその射程になっているのではなく、柄の部分が鎖のように変化して伸びている。さらにはそのせいで大剣そのものが自らの意思をもつ蛇のように必死に回避する俺達を追い立ててきた。
回避だけでは避けられないと判断した攻撃はガンブレイズで撃つことによって迎撃しているのだが、当然と言えば当然のことで一瞬動きを止めることはあっても追撃が止むことは無かった。
総じて俺達はバアトの攻撃から逃げ回るだけになってしまっていた。
「くっ、どうすればいい?」
自問自答と声を潜めて問い掛ける。
最も単純な解決手段はバアトを倒すことだろう。しかしこの攻撃の雨を掻い潜ることは簡単とは言えない。
それまで大剣が一つだったからこそ攻める隙が見つけられたようなものだ。それが二つになり、片方の攻撃で生じる隙をカバーするかのように動いている。このために自分達が攻撃に転じることが出来ずにいるのだった。
「多少のダメージは覚悟して行くか?」
もはや無謀とも取れる案が浮かんでくる。俺は即座にそれを駄目だと否定して次なる案を模索することにした。
一つ一つ浮かんでは自ら否定する。
中には現実的と思えるものもあれば、非現実的としか言えないような案もあった。けれど一つとして実現に至っていないのはバアトが攻撃の手を緩める気配がなかったこと。そして大剣が大地を抉ることで足下のコンディションが一気に悪くなっていったからだ。
足元が覚束ないのであれば当然移動に制限が生じる。そんななか回避し続けることが出来ていることはある意味で奇跡にちかいのかもしれない。
急ブレーキを駆けて立ち止まった目の前をバアトの大剣が大地を削りながら通り過ぎるのを目の当たりにして内心そんなことを思っていた。
「<鬼術・氷旋華>!」
突然ムラマサの声が轟いた。
それと同時に出現する氷の華。
大気をも凍らせながら開く大輪の華はその花弁にバアトが振るう大剣までもを呑み込んでいた。
「んー、どうやら大して持ちそうにないね。ユート今のうちに行くんだ!」
「わかった」
一人で二つの大剣を引き受けたムラマサに送り出され、俺は一気に駆け出した。
ガンブレイズは銃形態のまま。牽制の意を込めてバアトに向かって射撃する。
「無駄だ」
低く重い声で告げたバアトは全身に黒い風を纏い始めた。黒い風はバアトを中心にして竜巻となり、迫る弾丸を全て風の中で消滅させてしまった。
「それでも!」
無意味なのかもしれないと思いながらも俺は引き金を引く指を止めなかった。
等間隔で撃ち出される弾丸はバアトが纏う黒い竜巻によって掻き消されてしまい小さな手持ち花火のような僅かな閃光となって弾けた。
近付くことすら憚られてしまう竜巻の持つ圧迫感を全身で受けつつも俺は敢えて前に出た。
「うおおおおおおおっ」
風の勢いを肌で感じるほど近付いて引き金を引き続けた。
弾丸が撃ち出されるのと黒い竜巻によって弾丸が掻き消されてしまうのは殆ど同じタイミング。傍からみたのではガンブレイズの銃口が光っているだけのように見えるのだろう。
全く無意味な攻撃はどれだけ続けたとしてもただ自分のMPを消費するだけ。それを理解しながらもこの時の俺は自分の指を止めることは選ばなかった。
どれだけ撃ち続けたのだろう。
何分も経過したようにも感じられるし、わずか数秒のことであるようにも感じる。
黒い竜巻を纏うバアトには目立った変化は現れなかった。
それでも、僅かな変化は見られた。それは俺が撃った弾丸が弾けたときの閃光が黒い竜巻の一点に集中しているのではなく全体へと広がっているのが見えたこと。
これが好転している証拠なのか、悪化している証なのかは分からない。それでも、と俺は射撃を続ける。
「拙いっ、氷が――!」
後ろからムラマサの焦った声がした。
射撃音に混じって聞こえてくるメキメキと何かが軋む音。その正体がムラマサのアーツによって作られた氷の華が壊されようとしている音なのは現状見なくても想像が付いていた。
ガシャーンと一際大きな音が響き渡った。
それは氷に囚われていたバアトの大剣が自由になったという証。
アーツによって生み出され砕かれた氷は瞬く間に消滅してしまう。地面には水溜まりすら残らない。唯一残るのは冷えた空気の感じのみ。
「貴様は後だ」
「…何?」
それは黒い竜巻の中から告げられた言葉。
最も接近し、最も攻撃を加えているはずの俺をまるで障害には成り得ないというように無視した言葉だった。
黒い竜巻の中でバアトが手を掲げた。すると二振りの大剣は急激に勢いを増してムラマサに襲いかかった。
自分は後回しにされている。バアトの言葉を信じるのならばそうなのだろう。しかし、この状況でバアトから視線を外すことなどできやしない。
ただ聞こえてくるムラマサの息遣いとバアトの大剣による攻撃の余波で大地が抉られていく音に耳を傾けるだけしかできなかった。
「俺を無視するなっ」
変わらずに射撃しながら叫ぶ。
しかしその言葉はバアトに届かない。
黒い竜巻によって音が遮られているからじゃない。俺の言葉など気にするまでもないとバアトが思っているからだ。
「くっ、<琰砲>!」
一際強い光がガンブレイズの銃口から迸った。
だが、それは黒い竜巻を貫くには至らない。
「<琰砲>! <琰砲>! <琰砲>!」
自分のMPの残量など無視して俺は射撃アーツを放ち続けた。
ただのがむしゃらな行動でしかなかったそれも続けることで意味を成す。残存しているMPのほとんどを使い果たした辺りでバアトが纏っている黒い竜巻がその形を保つことが出来なくなり霧散したのだ。
「馬鹿な」
驚くバアトはヘルムの奥で光る目を此方に向けた。
自動的な防御の役割を担っていた黒い竜巻が消えたことで俺を迎撃するには大剣を振るうしかない。けれど、二振りの大剣は今や離れた場所に立つムラマサに向かって行っている。
千載一遇の好機。
俺は半ば無意識にガンブレイズを剣形態へと変形させていた。
「うおおおおおおおおおおお」
俺の絶叫が轟く。
強く大地を踏み締めて、ガンブレイズを下段に構える。
MPは枯渇して斬撃アーツを使う事はできない。けれど俺の手札にはまだ使っていない切り札が残されている。
「<ブレイジング・エッジ>!!!」
MPを必要とせず、限られた回数だけ使える最大火力の必殺技。
普段の斬撃アーツよりも何倍も拡張された攻撃時に現れる光の刀身。そして何倍にも膨れ上がる攻撃力。
純粋な威力を秘めた一撃が全身鎧を纏うバアトを下から上へと一気に斬り裂いた。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
発動回数の制限された必殺技であるからこそ、与えるダメージは大きい。
みるみるうちに減少していくHPゲージを睨みつつ、俺はガンブレイズを振り上げた格好のまま一瞬だけ制止していた。
「まだ、まだだ、この一撃は終わっていないっ」
本来アーツは決められた動きが終わった段階でその効果を消失する。けれどこの時のガンブレイズの刀身には今だ光が宿ったまま。
「せいやァっ」
斬り上げた格好のまま今度は勢いを付けてガンブレイズを振り下ろした。
本来ならば終わっていたはずの一撃。それが僅かながらも残滓として残っていたことで放つことが出来た二撃目。
それはシステムに無かった一撃だったのかもしれない。
偶然に放つことができた一撃だったのかもしれない。
一瞬にして重なった二つの斬撃はバアトに極大のダメージを叩きつけた。
「ぐっ、だが、まだ……」
「<円環なる聖域>」
よろめくバアトをキリエが生み出した純白の光の柱が包み込む。
「貴様ァ」
「<聖域の裁き>」
光の柱の中に生じる高密度の魔法の気配。
一瞬の間を置いてそれは猛烈な爆発となった。
「ぐっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
バアトの絶叫が響き渡る。
視界を遮るほどの閃光が迸る光の柱。
ゲームシステム的に見えていたバアトのHPゲージが消失したのはその爆発が収まったのと同時だった。
「これで倒せた、のでしょうか?」
「んー、どうかな。ユートはどう思う?」
息を切らしながら呟いたキリエとは違っていて、未だに警戒心を残しているが故の問い掛けだったように思う。ゆっくりと近付いていたムラマサは刀を鞘に収めることなく俺にそう訊ねてきたのだった。
「多分」
HPゲージが全損してから復活するなんてことだがあり得ないわけじゃ無い。極々稀なケースではあるが特殊なボスモンスターが相手だったりすれば十分に考えられることだった。
けれど、今回は違うようだ。
光の柱の中でHPゲージを全損したバアトはその存在が揺らぎ始めた。
ボロボロとバアトの体が崩れ始めていく。
指先、足先、体の端から崩壊していくバアトはふと視線をキリエに向けたように見えた。
「な、何ですか?」
『運命は、変えられない、ということか……いや、だが…それでも……』
もはや消え入りそうな声で呟くバアト。
視線を受けて戸惑うキリエを前にバアトが自分の考えを振り払うかのように頭を振った。
バアトの崩壊と同じくして光の柱が消えていく。
鎧ごと体が崩れ消失するバアトだったが、一瞬だけその中身が垣間見えた。
あの巨体の中身とは思えないほど華奢な体。悲壮感に満ちながらも強い意思を秘めた瞳と光に揺れる長い髪。
俺とムラマサは驚いたようにキリエを見た。
一瞬見えたバアトの中身が雰囲気に大きな違いがあるとはいえキリエに酷似していたからだ。
「どうして――?」
と一段と戸惑う様子を見せるキリエ。おそらく彼女もまた垣間見えたバアトの素顔に理解が及んでいないのだろう。
「貴方は――」
答えを聞くよりも早くバアトはその姿を完全に消失させてしまった。
出現する個々人のコンソール。そこに記されているのはこの戦闘で得た経験値など。
これで戦闘が終わり、俺は一先ずのクエストの終焉を迎えることになった。
「ムラマサはこれからどうするつもりなんだ?」
「んー、オレはキリエを護衛して送り届けることになるはずさ。それでクエストは終了となると思うけど」
「なんかすっきりしない終わり方だね」
「確かにね。これじゃあまるで何かの物語のプロローグみたいだ」
「プロローグ…」
腕を組み考える素振りを見せながら言ったムラマサの一言に俺は妙に納得してしまっていた。
確かにバアトは倒した。それがこのクエストの最終討伐目標だったと考えれば確かにこのクエストは終わったのだろう。けれど、全てが解決したかと言われれば答えは否だ。途中参加だったが故に全貌を知っているわけではないが、それでも分からないことが多すぎる。
「とはいえ、このクエストに続きがあるのだとしてもだ。まずはこれを終わらせなければ始まらないからね。それに、この続きをするのがオレ達とは限らないだろうから」
「え? そうなのか?」
「んー、直接紐付いているのなら派生するとは思うけどね。そうじゃないならまた別のクエスト発生のトリガーが必要になるはずだからさ」
「なんか、別の人が始めたら悔しくないか?」
「まあ、多少はね。けれど、こう言ってはなんだけど、このゲームにはまだまだ発見されていないクエストだって無数にあるはずだからね。狙ったクエストを探し続けるのもアリだろうけどさ、あまり固執する必要はないと思うよ」
意外とドライに考えているムラマサに「かもな」と答えて、俺はこの場所から移動することにした。最寄りの町に戻り、二人と別れてこの日のプレイを終える。
翌日からはムラマサが言った通り別のクエストを初めていることだろう。
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バアトという存在とキリエの繋がりの謎。それを解き明かすクエストはどこかのパーティが始めたという噂がまことしやかに囁かれた。
何でもどこかのコンシューマRPGゲームのようなストーリーでかなりの長期間にも及ぶ連続クエストだったらしい。