ep.06 『幽冥の騎士⑤』
「上に下にと忙しいヤツだな」
その巨体に反して自分達の攻撃の機会が乏しいフォール・メガロドンを相手に悪態を吐きながらも貴重なチャンスを逃さないようにと必死にガンブレイズの銃口を向ける。
「くそっ、チョロチョロ動き回って狙いづらい」
右に左にと揺れる銃口。
突如、ガンブレイズの射線、そして俺の視線の先からフォール・メガロドンがふっと姿を消した。
これまでのフォール・メガロドンの行動パターンからその行き先を追いかける。すると地面から覗く剣先のような背びれが見えた。
「また潜ったか」
「それならオレに任せてくれ。<鬼術・逆氷柱>」
刀の切っ先を床に付け、迸るのは白い靄が漂う冷気。
ムラマサのアーツ名の宣言と同時に発生したのは地面から空に向けて伸びる無数の氷柱。
放射線状に広がった氷柱はハリネズミの棘のように地面の中に潜むフォール・メガロドンの体を貫いた。
重低音の叫声が轟き、大地が揺れる。
刹那打ち上げられた魚のように飛び出してきたフォール・メガロドンはその巨体にいくつもの傷が刻まれていた。
「今だ。<琰砲>」
いくら空宙までも自在に泳ぎ回るとはいえど、攻撃を受けて反射的に飛び出して来た瞬間ならば隙が生じる。
素早くガンブレイズを構え直した俺はアーツを発動させて攻撃を繰り出した。
銃口から放たれる一陣の光。
赤い光の光線が無数の傷が刻まれたフォール・メガロドンを貫いた。
「んー、どうやら攻撃し難いだけであまり打たれ強くはないみたいだね」
そっと切っ先を地面から放して呟くその視線の先でフォール・メガロドンは重力に従って落下していった。
まるでクジラが水面に体を打ち付ける時のように轟音が迸り、あるはずのない波が周囲に広がっていくかのように錯覚した。現実はただフォール・メガロドンが地中に潜り、近くにあったテーブルや椅子といったものを壁際まで押し込む衝撃波が広がっただけだった。
「うおっ」
近くのものに捕まり衝撃を耐えようとするもそれらは自分達よりも先に追いやられてしまっている。ならばとガンブレイズを剣形態にして地面に突き立て楔にしようとするも到底それが間に合うことはなかった。
まともに衝撃波を受けてしまい転がり壁際まで飛ばされてしまう。
「ぐはっ」
しこたま壁に体を打ち付けた。それすらフォール・メガロドンの攻撃と判断されているのか俺のHPゲージは衝撃波の直撃と壁との激突によって大きく減らされてしまっていた。
「拙い、回復を――」
ストレージから取り出したHP回復ポーションを一気に飲み干す。
瞬時に回復されるHPを視線の端で確認しつつも周囲に注意を向けた。
「ムラマサは…無事みたいだな」
自分が行ったようにムラマサも受けたダメージを回復させていた。投げ捨てることなく手の中で消滅するポーションの空瓶。それと同時に残り続けていた無数の氷柱が一斉に砕け散った。
「キリエは?」
舞い散る氷柱の欠片の中、キリエは地面にへたり込んで座っているのが見えた。幸いにも怪我は負っていないみたいで、どうやら周囲に張り巡らされていた氷柱がキリエを衝撃波から護っていたようだ。
「うおっ」
再び地面が揺れる。
またしても大口を開けて飛び出してきたフォール・メガロドンはいつの間にかその身に刻んでいた傷の全てを癒やしてしまっていた。
「けど、ダメージまで回復したわけじゃないのなら」
その頭上に浮かぶHPゲージは減ったまま。回復したのはその身に受けた傷だけのようだ。
自らの意思で宙に飛び出してきたからにはフォール・メガロドンは自在に空宙を泳ぎ回っている。緑色に光る目、そして赤く光る目。二対四つの瞳が無感情のまま身構えている俺達を捉えた。
「ムラマサ、防御を――」
「いや、このまま押し切ろう」
次の攻撃に備えるべきだと言った俺の言葉を即座にムラマサが否定した。
「現状こちらの攻撃は問題無く効いているみたいだ。それにフォール・メガロドン自体そこまで強い印象は受けない。仮にダメージを受けて変貌するタイプのモンスターだとするのなら、出来るだけ早くその段階に持って行きたいからね」
「分かった」
「足場は任せてくれ。<鬼術・氷柱>」
長短様々な氷で出来た柱がフォール・メガロドンの周囲に出現する。その内の一つがフォール・メガロドンの尾びれを貫き僅かながら確かなダメージを与えていた。
「行くんだ、ユート」
「ああっ」
程よい高さの氷柱を足場にして次々別の氷柱へと飛び移っていく。
フォール・メガロドンが体を動かして尾びれを貫いていた氷柱を壊し振り払う。
大きさが疎らな氷の塊が雨のように降り注ぐ中を駆け上り、最中ガンブレイズを剣形態へと変えた。
「<光刃>」
刀身に宿る光が拡張することで元来ならば届かなかったはずの攻撃を届かせる。
巨大なフォール・メガロドンの体を両断するかの如き勢いで振り抜かれた一撃が舞い散る氷柱の欠片を煌めかせた。
「あと少し…ムラマサ、頼んだ」
アーツの残滓が星々の煌めきのように瞬いているなか、攻撃を受けてよろめき地中へと逃げようとするフォール・メガロドン。
その行動を読んでいたかのように待ち構えているムラマサはその口元を緩めた。
「<鬼術・氷舞>」
空を切るように振り抜かれた刀の軌跡を辿り放たれる無数の氷の刃。真下に向かって泳ぐフォール・メガロドンに全ての氷の刃が命中したのだ。
氷の刃の一つ一つが当たった瞬間に砕けて極細の欠片を撒き散らす。
見る見るうちにそのHPゲージを減らしながらフォール・メガロドンの巨体がムラマサの眼前にまで迫ったその瞬間、フォール・メガロドンの巨大な鮫の体が爆発を伴い砕け散った。
「流石にこれで一段落したよな?」
氷柱を飛び移りながら地上に戻った俺は恐る恐るといった様子でムラマサに問い掛けた。ムラマサは刀を鞘に戻しながら、少し離れた場所にいるキリエを目線と表情だけで呼び寄せていた。
「んー、クエストは無事に進行したみたいだけど……」
フォール・メガロドンの襲撃があまりにも突発的だったからか、ムラマサは自信が無さそうに返事を濁した。
「お二人とも、お怪我は?」
「大丈夫。ユートも無事なはずさ」
「ああ。なんともないよ」
「ほらね」
「…良かった」
ほっと胸を撫下ろしているキリエがハッとした表情に変わる。それにつられるように振り返った俺達の目に飛び込んで来たのは赤と緑、二色に光る二つの小さな宝石。
重力を無視して一箇所に留まっているそれは特殊な引力を発揮しているかのように俺達の興味を引き寄せていた。
「ちょっと待つんだ」
自ずと手を伸ばしそうになるキリエをムラマサは咄嗟に制止した。
これらの宝石がもたらしたものが何なのか忘れてしまったわけではないだろうが、まるで無意識のうちに手を伸ばしてしまっていたかのようで、ムラマサに止められて驚いたというような表情を浮かべていた。
「懸命な判断だな」
自分達の遙か後方。
二度に渡る戦闘でボロボロになってしまっている部屋の入り口。開けっ放しになっている扉の向こうから初めて耳にする声が聞こえてきた。
逆光によって見えるのはそのシルエットだけ。
全身を鎧で覆っている人物はこれまで何人も目にしてきた。だというのにその全身の詳細が見えないこの人物からはその人達とは違う威圧感のようなものを感じた。
「それに触れていればその腕を切り落としていたところだ」
「バアト」
低く冷たい口調で口に出したその名前に俺は驚き目を凝らした。
言うよりも早く身構えたムラマサは今にも攻撃を仕掛けそうなほど緊張感を醸し出している。
「どうして貴方がここに」
「自明なこと。それは私のものだ。返して貰おうか」
脅すでもなく、ただ当然のことを言っているだけといった様子で告げられたその言葉に俺達はただ口を閉ざしていた。
ゆっくりと歩き近付いてくるバアト。
金属の具足が響かせる足音。
じりじりと詰め寄られる俺達は二色の宝石とバアトに挟まれていた。
「渡せない、と言ったら?」
「無為に死ぬだけだ」
どこからともなく取り出した大剣を掴みこれまた自然なことであるかのように告げる。
「させるかっ」
キリエを庇うように飛び出したムラマサ。
音も無く抜いた刀による一撃をバアトは自身の大剣で軽々と受け止めてみせた。
「無駄だ」
「どうかな。<鬼術・氷舞>」
氷の刃を放つのではなく単純に刀に凍気を宿らせた。そんなアーツの使い方もあるのかと関心しながらもまるで気にした様子のないバアトに怪訝な視線を向けた。
大剣を伝い腕までもが凍っていく。
身の丈以上もある大剣を片手で自在に操るバアトは凍り付いていっているとしてもまだ手首から先、それも片手だけだ。
だから平然としているのか。そんな疑問を感じるよりも早く、バアトの影から何かが飛び出してきた。
「良くやった」
それは浮かぶ二色の宝石を飲み込みバアトの後ろに控えた。
「巨大な――狼」
「金色の目……まさか、そいつも――」
ロード・ライカンスロープやフォール・メガロドンと同等かそれ以上の存在感を放つ灰色の狼がそこに居た。
「さて、ここでカタを付けてもいいのだが――」
値踏みをするように俺達を見渡すバアト。
剣を打ち合っているムラマサのことなど眼中にもないというバアトの様子に苛立ちを感じつつも動かすことのできない状況に一気に焦燥感を掻き立てられていた。
大剣を持つ手に力を込める。すると覆っていた氷が一気に砕け散った。
「どうする」
「ユート!」
「ああ」
動けないムラマサとは反対の方向から攻撃を仕掛ける。
防御するための武装はない。これならば、と可能性を感じていたからこその行動だが、抱いた希望は容易くかき消えた。
「何っ!?」
一瞬にして俺の前に立ち塞がった狼がガンブレイズの刃を受け止めたのだった。
「ただ毛皮が硬いって感じじゃ無いな。こちらの攻撃が届いていないって感じだ」
小さく呟いたそれに返ってくる言葉は無い。
それよりもバアトが何かに気付いたような素振りを見せたことが気掛かりだった。
「運が良い、とでもいうべきか。影狼!」
「うわっ」
バアトが呼び、影狼と呼ばれた灰色の狼が当て身を繰り出し俺を吹き飛ばした。
「ぐっ、一気にここまで」
自分のHPゲージが半分近く一気に削られてしまったことに戸惑いながらも素早く動く影狼を視線で追いかけた。
一瞬にして移動した影狼はすれ違い様にその爪でムラマサを斬り裂いていた。
「行くぞ」
ざっと身を翻してバアトはこの部屋から出て行った。その後を追い掛ける影狼はすっとその影の中に吸い込まれるように姿を消している。
俺達はその背中が見えなくなってもなおも動けずにいる。HPの回復を図れたのはそれから暫くが経ってからのことだった。