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ep.01 『幽冥の騎士⓪』



 太陽の輝きのように眩い金糸がふんだんに使われているカーテン。

 敷かれた色むらなどが一切見受けられない真紅の絨毯。

 壁に掛けられた金の燭台。

 天井から吊り下げられた華美なシャンデリア。

 それらは全てこの一室を飾り付け、その主の持つ威厳をより引き立たせるものだった。


 けれど、それが今や見る影もない。

 カーテンはその大半が燃え、残された所も殆どが黒く焦げ跡が残っている。

 真紅の絨毯にはそれが持つ本来の赤とは違う赤がいくつもの染みを作り出していた。

 燭台は床に転がり、シャンデリアは落ちて床で粉々に砕けている。


 破られた窓から吹き込む風が黒い煤と黒い火の粉を舞い上がらせていた。



「何故……どうして……」



 弱々しい声が繰り返される爆音に紛れて聞こえてくる。

 元は豪華絢爛なドレスだったのだろう。しかしそれも今やこの部屋と同じく見る影もない。所々が破れて肌が露出して覗くきめ細やかな肌には無数の擦り傷と黒い汚れ。

 綺麗に整えられた金の髪は解け、済んだ湖のような青い瞳には僅かに涙が滲んでいる。



「これが国の為……世界の…為……」



 重低音のバリトンボイスには威厳と余裕、そして何者にも覆すことなど出来やしないとでもいうような強い意思が感じ取れた。

 この人物は全身を鈍色の鎧で包み、手には巨大な剣。元はそれこそ清く正しい正義の象徴でもあったその鎧が禍々しくも歪み、闇を孕んだ輝きを持つようになっていた。

 大剣の刀身から漏れる黒い炎。それがこの人物の権能であり、深淵を覗き変貌させた力の象徴。



「バアト」



 どうにか意思の力だけで立ち続けている女性がその名を呼んだ。



「な、何が世界のためですかっ!」



 怒り、そして恐怖。

 表情を曇らせて激高する女性は先が折れて地面に転がっている剣を拾い掴んだ。



「無駄だ。貴女の腕で私を傷付けることなどできやしない。まして、そのような折れた刃では。そうでしょう。キリエ嬢」



 微塵も感情を動かされた様子などなく、淡々とバアトがキリエの名を呼ぶ。



「ここに居た、多くの近衛は既にいない」



 事実だけを告げる。



「だが、この椅子も今や空席」



 たった一席。豪華で威厳のある装飾が施された椅子。それはこの国の王のみが座ることを許された玉座。この玉座に着いているであろう人はもういない。あるのはただ黒く小さな灰の欠片のみ。



「そして――」



 バアトが大剣を振り上げる。一瞬も躊躇することなくそれを目の前の玉座に叩きつけた。



「それも、今、無くなった」



 粉々になり砕け散る玉座。見るも無惨な石片と木片に姿を変えたそれはキリエに見たまま以上の絶望を見せ付けていた。



「――っつ」



 目を背け、唇を噛み締めるキリエ。

 玉座を破壊するときに生じた地面を揺らすほどの衝撃がキリエを襲う。騎士でも、戦士でもないキリエの手から刃先の折れた剣が溢れ落ちる。



「貴方は何がしたいのですか?」

「ん?」



 折れ掛けた意思を繋ぎ止めるためにキリエは言葉を紡ぐ。



「王を殺し、騎士達を殺し、国までも壊そうとして、貴方は何を望むというのですか!」

「望みなど……ただ、私は闇を払うだけだ」

「闇? それを生み出した貴方が何を!」

「違うな。この国を覆う闇は私ではない。既に形骸化した幻想。それを与え続ける王と守る騎士、それこそが闇なのだ」



 目など見えない兜の向こうから鋭い眼光がキリエを捉える。



「ほうら、来たみたいだぞ。この国、人々に巣くう闇、そのものが」



 バアトの言葉を証明するかのように何もない空間が歪む。

 うっすらと滲み始めた闇が集まりより色濃い闇を作り出した。

 闇が渦を巻き収縮して凝縮していく。



「ふんっ」



 バアトが大剣を振るいその闇を切り裂いた。



「忘れたか。私は聖騎士。私の所業こそ正しき行い」



 迷う事無く言い切ったバアトにキリエは抑えきれない怖れを抱いた。

 抱いていた思いを支える足場から消えてなくなってしまったのような錯覚を感じ、膝を折り、崩れ落ちるキリエ。

 違う、と声を大にして否定したいという思いと、たった今見せ付けられた現実に遂に全身から力が抜けてしまったのだ。



「故に、この国は滅びなければならない」



 バアトが床に大剣を突き刺した。刹那大剣を伝い広がる黒い炎。床を伝い、壁を昇り、天井をも突き破る。国を象徴する王城からいくつもの黒い炎の柱が天へと昇った瞬間だった。

 聞こえ始める民衆の戸惑いの声と悲鳴。



「だったら、どうして、わたしは生きているのですか?」



 小さく、今にも消え入りそうな声で呟かれる疑問。それはこの広々とした一室で唯一残されたキリエにとって当然ともいえる疑問だった。



「何故わたしだけ。ここには何も関係のない人達がいたというのに」



 王城における集まり。それには数多の人間が関与する。招いた側の人間だけじゃない。免れた側の人間だけでもない。仕事として厨房で働いている人や、王城でハウスキーパーとして働いている人もいる。広々とした庭はこの国の観光名所ともなっていたのだ。そこに訪れているのは言わずもがなこの国で暮らしている人だけじゃない。

 バアトが放つ黒い炎。王城を焼き尽くしたそれは、確実にこの一室にいた以外の人までもを襲ったに違いないのだ。

 だというのにキリエは生きている。

 屍が残されていない、それでいて確実に悲劇のあった場所で。



「それは――」

「や、くぅっ」



 バアトが歩を進めキリエの正面に立った。

 細いキリエの首など片手で折ることができそうなほど大きな手でその襟首を掴み持ち上げる。



「放してっ」

「直ぐに済む」

「あっ」



 空の左手でキリエの首元で煌めいている小さな宝石を掴む。いとも容易く細い金属チェーンを引き千切り、用済みとなったキリエを投げ捨てた。



「まさか、これが貴女に預けられているとは思ってもいませんでしたよ。いや、そういえば貴女も王の血族に連なっているのでしたね。だとすれば、これも必然か」



 バアトの手の中で輝きを失っていく宝石。それはこの国に伝わる宝石の内の一つ。



「それが狙いだったのですか? そんなもののために――」

「そんな物? なるほど。貴女はこれが持つ意味を知らないようですね」



 自ら突き立てた大剣の元へと戻っていくバアト。いつしかその手に輝きを失った色の違う四つの宝石が握られていた。



「残るは一つ。だが――」



 バアトが辺りを見渡して軽く首を横に振った。まるで此処にはもう用がないと物語っているかのように。



「国の外には持ち出されてはいないはず。ならば王城以外の場所に隠されているということか」



 粘土のように柔らかくなった大剣の柄に埋め込まれていく宝石。それは上から順に赤、青、緑、黄色。全てが淀み、輝きを失っている。



「何をするつもりですか?」



 怖れ、引き攣った声で問い掛けるキリエ。それもそのはず、目の前のバアトから溢れ出す異様な雰囲気にこの部屋の空気が重く変わった。



「キリエ!」



 刹那、閉ざされた扉が勢いよく開かれた。

 現れたのは活力に満ちた瞳で真っ直ぐ二人を見据える一人の人物。

 光沢のある長い黒髪を靡かせて、纏うは異国情緒漂う着物。動きやすいように様々な細工が施されたその腰に提げられているのは長短一対の刀。

 凜っとした雰囲気漂う声で思い空気を払うこの人は一瞬の判断を以てして長い方の刀を抜き駆け寄り向かって行った。



「離れろ」

「む、ムラマサさん?」



 刀を構え、キリエを庇うように立つムラマサと呼ばれた人物が持つ刀からは冬に見られる霧のようなものが漂っている。それは黒い炎を漂わせているバアトが持つ大剣とは全てが対照的に見えた。



「貴様のような異邦人が何故ここに?」

「今のオレはキリエの騎士だからね。アナタのような危ない輩は排除させて貰うとするよ」

「ふっ、騎士、か」

「んー、可笑しいかい?」

「いや、自分の言葉には責任を持たねばならぬと思っていただけだ」



 じりじりと詰め寄って攻撃を仕掛けようとするムラマサを前にしてバアトは平然とした様子を崩さない。それどころか突き立てた大剣を持つ素振りすら見せない。



「それに、遅すぎたのではないのか? この状況、これまでただ甘んじて見ていただけの貴様が今更何をしようと無意味だ」

「今の今まで此処に入らせないように閉ざしていた人が何を言うのさ」

「閉ざして、いた?」

「では、貴様がここに来られた意味も分かっているのだろう」

「そう、だね」



 ようやくバアトが大剣を掴む。

 それに反応してムラマサが構えを変えた。



「来たか」



 初めてバアトに感情が覗いた。小さく呟かれたそれは聞こえて来た無数の足音によって掻き消された。



「足音?」

「来てはダメだ!」

「無駄だ。主の危機に駆け付けるのが騎士の性分。例え真実を知る貴様の制止を受けていたとしても」



 開かれたままの扉の向こうに並ぶ同じ鎧を着た複数の騎士達。本来ならば頼もしかったはずの増援が今では餌に誘き出された小動物の群れでしかない。



「言っただろう。私はこの国を壊す、と」

「何のために?」

「捜し物」



 バアトがゆっくり手を翳す。

 くすむ鎧に覆われた掌から放たれる異様なオーラ。

 目に見えるほど濃密な闇がキリエを、そしてムラマサを通り過ぎて集まった騎士達を飲み込んで行く。

 聞こえてくる騎士達の悲鳴。

 そして何かが変貌する、音。



「キリエ! 逃げるぞ」

「え、どうして? バアトは」

「今はどうすることもできない。それにこのままでは――」



 言葉尻を濁すムラマサ。

 その目に映るのは変貌を遂げた騎士達の姿。



「そんな――っ」

「そう。名付けるのならば【死人兵】騎士の矜持を失いただ暴力を振るう、謂わば、モンスター」



 死人兵と化した騎士達が散り散りに移動する。

 偶然にもその行動がキリエとムラマサの退路を作りだしていた。



「行こう」



 有無を言わさずにキリエの手を掴み走り出すムラマサ。

 バアトはそれを追おうとはせずに黙って見送っていた。



 この時、珍しい緊急クエストが発令された。

 対象はこの時点で王国にいるプレイヤー。

 勝利条件は【死人兵】の掃討。

 敗北条件は王国の滅亡。


 ねずみ算式に増えていく死人兵単体の強さはそれほどではない。けれど、このクエストは未だ終わりを迎えてはいない。

 続いているのだ。

 プレイヤーと死人兵の戦闘が。

 現時点でのプレイヤーの損失はゼロに近い。ただし、王国の現状は――




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