ep.03 『囚われた絆を取り戻せ③』
しんしんと降り積もる雪が辺りの音を吸収して静寂に包まれる雪山で、一際大きいドサッという音が響く。
自分の足元付近で不規則に高くなっている雪の塊はスノー・ゴーレムの残骸。普段ならばモンスターは倒された瞬間に霧散するというのに、スノー・ゴーレムは倒した後も塊として残り続けているのだった。一瞬復活するのではと思いもしたが、しばらく戦闘の最中に注視していたが再び動き出す気配がないことにそれ以降別段気にすることなく戦うようになっていたのだ。
スノー・ゴーレムの最後の一体が雪の塊へと姿を変える。
そうして訪れた真なる静寂に息を吐き出して、ガンブレイズを腰のホルダーへと戻す。周囲を一瞥して増援がないことを確認すると、ようやくこの戦闘が終わったのだと実感できた。
「お疲れさまー」
ロッジに戻ってきた俺を迎え入れたリリィが声を掛けてくる。
扉の前で体に付いた雪を払い、いそいそと火の灯った暖炉の前にしゃがみ込む。じんわりと温かくなる体。ロッジの中は町中と同じ扱いになっているようで、先程の戦闘で受けたダメージも<自動回復・HP>スキルの効果以上の速度で回復しているのだった。
程なくしてHPが全快したのを見計らったように少女が近付いてきて、
「つよいのですね」
小さい声で、それでいて何処か熱の籠もった視線で話しかけてきた。まるで何かを期待するかのような眼差しに思わず気圧されそうになる。それでも俺は何でも無いような顔をして
「それなりに、ね」と言ってのけた。
パチパチと薪が弾ける音が響く穏やかな時間が流れる。暖炉で体を温めた俺は再びソファに腰掛けると直ぐ傍にリリィが座った。
「あのっ――」
「ん?」
「どうしたのさ?」
意を決したように声を掛けてきた少女に俺とリリィの視線が集まった。そのせいか少女は一瞬だけ怯えた様子を見せる。しかしそれにも負けずと少女は言葉を続ける。
「お願いしたいことがあるんです」
この時、俺は一人心の中で喜んだのは言うまでも無い。スノー・ゴーレムを倒したとて進まなかったクエストが確かに進行したという実感が持てたのだから。
敢えて口を挟まないまま静かに頷いて少女の次の言葉に耳を傾けた。
「わたしをあの場所へ連れていって貰えませんか?」
間を端折って結論だけを言ってきた少女に目を丸くしてしまう。リリィと思わず顔を見合わせた俺は必死な形相の少女を落ち着かせるべくストレージの中を漁った。
以前の自分ならばいくつかは嗜好品を常備していたのだが、生憎と今の自分はその類ものを用意していない。あるのはいくつかの回復アイテムと売り忘れていた素材系のアイテムばかり。我ながら味気ないものだと言いたくなってしまう。
めぼしいアイテムを見つけることが出来ず、仕方ないかと諦めて俺は改めて少女の話を聞くことにした。
それからの少女の話はこうだ。
なんでもこの雪山にはその雪に覆われていない唯一の場所があるらしい。陽の光が満々と降り注ぐそこは常に緑に溢れこの辺りに暮らしている人達にとって砂漠のオアシスのようなものだったという。それがいつからかそこに向かう道が分からなくなってしまった。原因は勢いが弱まる気配のない吹雪。常に強い勢いで吹き続けている雪が視界を奪い、果てはそれまで使うことのできていた道までも隠してしまったのだ。
雪に隠されたまま時間だけが経ち途方に暮れていた矢先に俺を町で見かけたといっていた。その手には探していた例のクリスタル。なんでもそのクリスタルはこの雪山で作られたもののようで、その証がクリスタルの内側に刻まれた葉脈のような模様。加えて言えばそのクリスタルを持っていれば雪山の例の場所に辿り着くことができるという逸話も残されているらしい。
少女はその逸話を信じてクリスタルを探していたが生憎とそれは叶わなかった。けれど事態は変わった。結果としてどれだけ探しても見つけられなかったそれを持つ俺と接触を図ることで条件をクリアしようとしていたのだ。
「でもさー。本当にそれを持っているだけでその場所に行けるのー?」
話を聞き終えたリリィが訝しむように少女の手の中にあるクリスタルを見つめながら問い掛けた。
「そのはずです」
強く言い切る少女を俺は無言のまま見つめた。
クエストをスムーズに進めるための設定、台詞、キャラクター。ただそれだけのもの。だというのにどうしてだろう。俺にはまだ何かが隠されているように思えてならなかった。
ここで問い詰めるべきか、胸の内で一人悩んでいるとリリィが興味深そうに少女の手元を覗き込んで問い掛けていた。
「ねえ、適当に表を歩き回るだけでいいのー?」
「た、たぶん」
「じゃあさ、じゃあさ。早く行ってみようよ」
ぴょんっとソファから飛び降りて真っ先に扉の前に立ったリリィがいった。とはいえそこで立ち止まった様を見るに、小さな精霊猫の体では閉ざされた扉を開けることはできないようだ。
俺が来るのを待っているリリィに並ぶ少女。
そんな二人を見て俺はソファから立ち上がり暖炉の火を消した。暗く、そして寒くなるロッジ。一時の休息は終わりだというようにドアノブに手を伸ばす。
「しゅっぱーつ」
リリィの声を合図に扉を開いて俺達は揃ってロッジから外に出た。
ロッジの外はいつしか吹雪が止んでいた。けれども風は強く、真新しい雪が舞っている。風の強弱で舞い上がる粉雪。とはいえ視界を奪うほどではなく、また同時に先が見通せないほどでもない。
しかし一面が白銀の世界。右を見ても、左を見ても景色に大差はなく、辿り着きたい場所は分かっているというのに、行くべき道を見つけられていない俺達はその場に立ち尽くしていた。
「さて、どっちに向かうべきか」
雪山を無闇矢鱈に歩き回ったのでは遭難することは必至。ここが仮想世界で本来必要な装備がなくとも命の危機はないとはいえ、迷うことは十分にあり得ることだ。ダンジョンで迷うのと雪山で迷うのとでは同じようで違う何かがある。そんな気がしたのだ。
遠くを見通そうと目を凝らし、なにか目印になりそうなものはないかと探していると不意に少女が「あっ」っと声を出した。
どうしたのかと振り返るとその手の中にあるクリスタルが仄かに発光しているのが見えた。驚きどういうことだと視線を向けると少女は戸惑ったようにクリスタルを見つめているまま動かない。
「きゃ……」
花火が弾けるような閃光が瞬く。
全員が思わず目を瞑り、再び目を開けるとクリスタルと何処か彼方が一筋の光で繋がっていた。
「まさか……こっちなの?」
一体誰に問うているのか。少女は小さく呟くと恐る恐る一歩を踏み出した。
徐々に早足になり、次第に駆け足になる少女。慌ててその後を追おうと歩き出そうとしたその矢先、少女は雪に足を取られて転んでしまった。
「だいじょうぶ?」
いち早くリリィが駆け寄り雪に塗れたその顔を覗き込む。
俺もその後に続いてそっと手を差し伸べると少女は思わずといった様子でそれを掴んだ。ぐっと力を込めて少女を引き起こす。少しだけバランスを崩しそうになりながらも立ち上がった少女は俯いていて意気消沈してしまっているように見えた。
「ほら、雪を払って――」
できるだけ優しく、それでいて元気づけるように声を掛けながら少女の膝や肩についた雪を払っていく。溶けかけていない粉雪は俺の手にくっついたりするものの、簡単に少女の体から払い落とすことができた。
「あっ」
流れるように雪を払っていく俺の手が少女が深々と被っているフードに触れた。その際、小指が引っかかりフードが勢いよく外れてしまう。この時一際強い風が吹いたのも間が悪かったと思う。俺の手によって浮いたフードが突然の風によって外れたのだ。
舞い散る粉雪のなか露わになる少女の顔。
白い陶磁器のような透明度の高い肌。緑色の瞳。背中まで伸びる緑色をした長髪。
色彩を自由に変更できるプレイヤーを除いてそのような髪色をしたキャラクターを見たことがない。何故ならばこのゲームのNPCはあくまでも何処にでもいるような只人をモチーフにして作られているからだ。それはどんな種族のNPCだって変わらない。
ならばこの容姿が目の前の少女の種族にとって一般的ということになる。しかしそれを俺は知らない。この時の俺は知らなかったが、NPCにも変わった髪の色や瞳の色をしたキャラクターは少ないが存在しているらしい。ただしそれらは何らかの大掛かりなクエストの登場人物として他との差別化を図った結果でしかない。
ならばこの少女は何者なのだろうか。そんな疑問を抱いた俺の耳にリリィの驚くべき言葉が聞こえてきた。
「なーんだ。あなたって木妖精――ドリュアスだったのね」