R:ep.30『剣士、三度相まみえる④』
回復が間に合わないかもしれない。攻撃を受けてユートが始めに危惧したことがそれだった。アモルファスと近すぎるせいで回復アイテムが使えない。使えないから当然回復は≪自動回復・HP≫のスキルに頼るしか無い。けれどその回復量と要する時間では明らかに間に合わない。
(これは、どうしようもないな)
人知れずひっそりと胸の中で諦めのような言葉を漏らしていた。
「だめですっ。ユートさん!」
悲壮感たっぷりに名前を呼ぶタークが駆け寄ってくる最中に自身のストレージから小さなガラス製の瓶を取り出していた。片手で瓶の蓋を外してその中身をユートに向かって振りかける。その著しい速度で減り続けていたHPゲージの動きが止まった。
「まだ足りないっ。フォラスさん」
「ええ!」
タークに続いてフォラスも回復アイテムを取り出していた。その蓋をフォラスは両手で外してタークと同じようにユートに振りかける。
透明な水みたいな回復アイテムの中身がユートに降り注ぐ。すると停止していたHPゲージがそれまでとは逆に動き始めた。
「今のうちに、離れて下さい!」
「あ、ああ」
ガンブレイズの引き金を引く。放たれる魔力によって作られた弾丸が炸裂する。そうして生まれた衝撃が強引にユートとアモルファスの体を引き離した。
「痛っ」
思わず口から出た言葉も実際に痛みを感じているわけではない。感じるのはあくまでも衝撃。そして自分の腕から消え去った不快感だった。
地面に転がるようにして距離を作るユートをカバーするためにフォラスとタークはそれぞれ攻撃を行っている。けれどそれらはあまりにも軽い。アモルファスにダメージを与えることは出来ていない。防御などするまでもなく平然として受け流しているアモルファスは再びその顔の無い顔をユートに向けると両腕をだらりと垂らした格好で追い掛けてきた。
「早く立って」
「わかってます!」
完全な回復は叶わずとも戦闘を継続できるだけのHPは回復できた。地面を強く押してその反動を利用して素早く起き上がるとすかさずガンブレイズの銃口を向けた。
「えっ!? いない――!?」
それこそほんの一瞬だった。起き上がるときに一瞬だけ視線をアモルファスから大地へと移した。そんな極々僅かな時間にアモルファスは消えてしまったとでも言うのだろうか。混乱するユートが慌てて周囲を見渡すと不意に足元から嫌な感じを受けた。
「まさか――!」
本来そこに人一人隠れられるようなスペースはない。けれどさっと見渡した限り見つけられないのだとすれば、そんな僅かな可能性すらあり得るものだと考えて行動する他にない。
「やはり――下かっ!」
狙いを定めることはしないで自分の真下に向けて引き金を引いた。
魔力――つまりMPを消費して攻撃することのできる銃型の武器であるガンブレイズだからこそ跳弾の心配をする必要は無い。もし何もない地面を撃ったとしても魔力弾が弾けて幾許かの衝撃波を発生させるだけだ。
連続して撃ち出された魔力弾が繰り返し小さな爆発を作り出す。足の裏から伝わってくる衝撃を感じながらも続けた攻撃は遂にその意味を果たすこととなった。
「影が……動いた!」
驚き声を上げるフォラス。
その言葉を証明するかのようにユートの足元にあった影が地を這い滑るように十分な距離まで離れると影の中からアモルファスがその身を現わしたのだ。
左右で違う武器を持ち向かい合う。構えを取らないのはそうする必要がないからか。仕切り直しだというように並ぶユート達と対峙するアモルファス。
「来るっ!」
プレイヤーとは違いアモルファスは息を整える必要は無い。仮想世界とはいえプレイヤーはリアルに戦っている感覚があるがために、本来しないはずの息切れをしてしまうことや、スタミナ切れのような状態になってしまうことすらあるのだ。当然それらは文字通りに気のせいであるのだが、疲れを知らないモンスターやそれに近しい存在と戦うさいには戦闘時間が長引くにつれて気を配るべき要因の一つであるとされているのだった。
「狙いは……また俺か」
どういうわけかアモルファスは常にユートを優先して狙っていた。確かに前衛に出て戦っているユートが一番ヘイトを溜めやすいのだろうが、それにしてもこの執着ともいえる行動は不可解だ。
だとしても愚痴をこぼしているだけでは事態は好転するはずが無い。ユートは意を決し前に出てガンブレイズを剣形態へと変形させていた。
「せやあっ」
無策のまま組み合ったのでは先程の二の舞でしかない。けれどいきなり手札が増えるはずもなく、出来ることはその使い方を変えることだけ。
斬り付けることでも突くことでもない第三のガンブレイズの使い方。それは、
「<光刃>!!」
威力を増大させる斬撃アーツを伴う攻撃だった。刀身を輝かせているライトエフェクトがその発動を知らせてくれる。全身が影のようにまっくろなアモルファスにはまさに対照的な輝きだ。
アモルファスが持つ剥き出しの刀身と打ち合うガンブレイズ。それまで拮抗していたその激突もアーツという別の要因が含まれれば簡単に崩れてしまう。
「はああああああっっっ」
ガンブレイズを通して感じられる確かな力にユートは吠えながら一歩、前に出た。
「斬り裂けぇええええええ」
片手で持っていたガンブレイズを両手で、両足を踏み締めて全力で、思いっきり垂直に振り下ろす。いつしか光を纏った刀身は伸びていて、その一刀はアモルファスの全身を両断できるまでに変化していた。
「入った!」
「いや、まだ浅いっ」
「えっ!?」
喜色を見せたタークにユートは即座に訂正の言葉を告げた。
事実アーツを発動させた一撃もアモルファスのHPを完全に奪い去ることは出来ていない。ただ、初めて明確な大ダメージを与えることができたというだけだ。
よろめくアモルファスに追撃を行うでも無く離れて行くユートの元にフォラスが駆け寄ってくる。
「もう一度先程の攻撃は出来ますか?」
「普段のアーツなら使える自信があるんですけどね」
光が刀身を拡張したかのような先程の一撃。それはユートが普段から使用している<光刃>という名のアーツがもたらしてくれる効果とは違っていた。何故そのようなことが起きたのか。土壇場で能力が覚醒しただなんてことはこのゲームという世界ではあり得ないこと。つまり別の要因があるはずなのだ。しかしそれを検証する時間などあるはずもなく、ユートはいまひとつ自信が持てない返事をするしかなかった。
「そうですか、わかりました。ではこのまま戦うしかないみたいですね」
「ええ。ジリ貧にならないといいんですけど」
「そうならないように何か突破口を探しましょう!」
これまでの戦闘で自分達の攻撃がまともに通ったのがさっきの一撃が初めて。それまでの攻撃は全く効いていないわけではないが、決定打にはならないと解ってしまった。
いつしか先程の攻撃で付けた傷跡が消え去り、アモルファスが攻撃を仕掛けてきた。
またしても狙いはユート。
今度は剥き出しの刀身ではなく斧槍の穂先のような武器を使っての攻撃は単純にそれまでよりも重い一撃だろうと想像させた。
「ハアアッ」
振り下ろされる攻撃に合わせてユートはガンブレイズを振り上げる。上と下、繰り出される攻撃はちょうどその中間という位置で激突し凄まじい衝撃が広がった。
「のわぁっ」
「追撃が来ます!」
「させませんっ!」
攻撃の直後にできた僅かな隙を狙ってタークが攻撃を放つ。だがその攻撃ではアモルファスを怯ませられる程のダメージを与えることはできず、その存在すら視界に入っていないかのように無視をしたままだ。
下からの衝撃で体を仰け反らせたアモルファスと上からの衝撃を受けてガンブレイズの切っ先を地面すれすれにまで下ろしてしまうユート。互いに攻撃を繰り出す前の格好にまで戻されたがそのまま再び攻撃を繰り出していた。
殆ど間を置かずに再び起る激突。同じ攻撃ならば同じ結果になるはず。しかし現実は違った。この激突で押し込まれてしまったのはユートの方で、アモルファスは斧槍の矛先でユートを押さえ付けたまま剥き出しの刀身を振りかぶった。
「ターク! 今だっ!」
突然ユートが叫んだ。
一向に好転しない現状を打開する一手。それは強力な攻撃でも、偶然のクリティカルでもない。ことアモルファス相手に限って使える特別な一手。
ユートの声にはっとしたようにタークは普段使っているのとは違う武器を取り出していた。鈍く輝く小刀。それはこの戦いに赴くときにタークが用意していたアモルファスというプログラムそのものを破壊するための特別な武器。
後はもはや条件反射のようなもの。アモルファスが剥き出しの刀身を振り下ろすその向こうで、タークはいつもと同じフォームでナイフを投げつけていた。
アモルファスの背中、人で言う肩甲骨の辺りに深々とナイフが突き刺さる。その瞬間、蠢く影のような体の表面にノイズが迸った。いつしかその全身を歪めるほどに広がっていたノイズは周囲の景色の一部までも飲み込んでいった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。ありがとうございます。俺は、なんとか」
ナイフを受けた途端に動きを止めたアモルファスから離れたユートはフォラスの隣に並ぶ。プログラムそのものに作用すると知っていながらもその効果がどこまでなのか半信半疑だったのだろう。自分が突き立てたナイフが生み出した光景に息を呑んでいる。
全身を覆い尽くしているノイズが徐々に荒くなっていく。
出来の悪いモザイクに覆われているようなアモルファスはついに人型を保つことができなくなっているみたいだった。
「これで終わったの?」
普段と違いすぎる戦闘の終結の気配に戸惑いの声を漏らすフォラス。
未だにその残滓を残しながらゆっくりと消滅に向かっているアモルファスが見えているせいで心配が消えないのだろう。一歩また一歩とアモルファスから離れるように下がり、同じく不安そうな表情を浮かべるタークの横に並んだ。
ユートを最前列に、その後ろにフォラスとタークが二人並んでことの推移を見守る。
わずか一瞬のようでありながら既に数十分が経過してしまっているか如く不思議な時間、ユート達はその場に立ち続けていた。
徐々に小さくなっていくノイズ。
目に見えないほど小さな最後の1ドットが消えたとき、初めて三人は深く息を吐き出していた。