迷宮突破 ♯.11
「みんな落ち着け!」
ハルの怒号が飛ぶ。
宝箱の蓋が開かれた瞬間にどこからか狗頭の小人――コボルドが現れた。
レッドキャップとの戦闘を終えてこの宝箱のある部屋を見つけたことで些か警戒が解けてしまっていたのだろう。それまで紛いなりにも組めていた隊列が崩れてしまっている。それのせいで襲いかかって来たコボルドには個人で応戦しなければならなくなってしまった。
「どこから来たのよ! コイツら!」
無軌道にハンマーを振り回しながら叫ぶ。
「ああっ」
大剣を盾代わりにして身を守っているリタが苦悶の声を漏らす。
四方八方から攻撃を加えてくるコボルドは普通の雑魚モンスターとは全く違う。一撃一撃の重さや、絶え間なく繰り出してくる攻撃の数。そのどれもが小さなボスモンスターと対峙しているかのようだ。
「ハル無事か?」
戦闘音に掻き消されないように大声で叫ぶ。
強制的に戦闘が始まったその瞬間に俺はDEFブーストを発動させていた。身を包む黄色い光は爆発的に俺の防御力を上昇させている。
この時、俺が防御力を上げたのは咄嗟の判断だとしか言いようがない。攻撃に転じることよりも自分の身を守ることが重要だと直感していたのだ。
「とりあえず合流しよう。出来るか?」
合流する場所を決める時間はない。それを理解しているからこそハルは地面を強く斬り付け、凄まじい轟音を鳴らしたのだ。まるで集合する場所は自分のいるここなのだと示すように。
「無理」
「ゴメン。ちょっと無理かも」
リタとマオは目の前の敵と戦うことだけで手一杯のようだ。同じ部屋にいて少しだけしか離れていないというのにハルのいる場所にも向かうことすら出来ないということなのか。
「だったら、なんとか生き残ってくれ。俺がそっちに行く」
竜巻を巻き起こそうとするかの如く斧を振り回すハルが決意と共に叫んだ。
ハルの戦闘の腕は信頼している。それに何度も助けられもした。けれどこの状況でハルだけをあてにすることが出来ないのも事実だ。
けれど俺も二人を助けに向かうことは出来ず、自分に襲いかかってくるコボルドを相手にするので精一杯だった。
「くっ、硬い」
剣形態の剣銃の攻撃は思っていたほど効果を発揮していない。
コボルドの全身を覆う鎧のような狗の毛皮が刃の通りを悪くしているのだ。
DEFブーストを使っているためにコボルドの攻撃はしっかり防御する事さえできればダメージを最小限に抑えることが出来る。稀にクリーンヒットするコボルドの攻撃があっても、その攻撃が削る俺のHPは元々そう多くない。
コボルドの特徴はそう高くない攻撃力に反してこちらの攻撃をはじき返すほどの高い防御力。まるでそれは以前戦ったゴーレムのよう。ゴーレムとコボルドの違いといえばその体の大きさと動作の速さだろう。この二つの特徴はこれまで戦ってきた雑魚モンスターの中でも随一だと言える。
「SPEEDブースト!」
全身を覆っていた黄色い光が消えたその瞬間、俺は緑色の光を全身に宿らせる。コボルドから受けるダメージは少ないのと割り切って反撃に出ることにした。
グンっと加速する俺は複数体のコボルドの間を縫うように駆け回り、そのうち一体の後ろを取ることができた。
無防備を晒すコボルドの背中目掛け剣銃をおもいっ切り振り降ろした。
目の前のコボルドは防御態勢を取るでもなく逃げるでもなく、ただ俺の攻撃をまともに受けた。クリーンヒットしたのにコボルドのHPバーが減ったのは微々たるもの。HPバーが一本しか表示されていないのだからHPの総量が多いわけではないはず。だとすればコボルドの防御力はゴーレムのそれ以上だということだ。
強化されたスピードは俺の振るう剣銃の剣速も上昇させる。
目の前で振り返ろうとするコボルドに向かって何度も何度も剣銃で斬りつけていた。
金属同士が擦れ合う音と似たような音と共にコボルドのHPがミリ単位で少しづつ削られていく。
俺の攻撃は問題なく効いているのだろう。例えそれが微々たるものだとしても。
ここにいる全てのコボルドはいつかは倒すことが出来る。
双方が与えることのできるダメージが少ないのだからプレイヤーである俺たちは回復さえしっかりすることができれば理論上必ず勝つことが可能なはずだ。
問題は制限時間。
いつかは勝てるのだとしても、この戦闘だけで今日一日を消費するのは芳しくない。
八日という長い時間があろうとも迷宮に挑めるのは一日五時間の計四十時間と限定されている。既に一日が過ぎ、今日もここに来るまでに制限時間の半分近くを使ってしまっていた。
どこまで続くか分からない迷宮を攻略するのにあとどれくらいの余裕が残されているのだろうか。
「このままじゃ……」
悔しさを滲ませるハルの声が聞こえてきた。
視界の左上にある四人分のHPバーは未だ誰一人として半分を切っていない。まだ安全。誰かが倒されるまで体力と時間共に余裕があると思ってもいい、そう判断出来なくもないが、この均衡は小さなきっかけでいつ崩れてもおかしくはない。
ハルはそれを理解しているからこその焦ってしまっているのだ。
「どうする? どうすればいい」
剣銃を握る手に力が入る。
絶えず剣銃を振り回してもこの短時間で倒せるのはせいぜい一体が限度。これではいつまで経っても皆の所まで行くことができない。
起死回生の一手が欲しい。
迫りくるコボルドを一撃で倒せる何か。
「くっ、もう一度っ。SPEEDブースト!」
時間と共に全身を覆っていた緑色の光が消えてしまうが次の瞬間にも同じ光を宿らせる。そうすることで速度低下を一瞬の間で抑えることが出来るのだ。純粋な攻撃力上昇とは違い速度の上昇効果は攻撃と防御の両方に生かせる。相手の攻撃をずらしたり反対にこっちの攻撃を弱点に当てたりと使い道は様々、この状況で俺が使えると思えたのは攻撃を繰り出す際の速度上昇、これはそのまま自分の攻撃回数の増加に繋がっているのだから。
「……やっと一体。でも、これじゃ」
絶望的な状況はまだ脱することができていない。
確実に勝てると分かっていても倒すためには強化二回分の時間と労力を必要とした。それもたった一体を倒すためだけに。
まだ二十体以上のコボルドがこの部屋の中に残されている。
俺の近くにいるだけでも三体。いつまでも減らないその数に、俺はいまも次々とどこからともなく集まって来ているような錯覚を覚えていた。
「ユウ! どこにいる?」
コボルドの群れの向こうからハルが尋ねてきた。
「ここだ。お前のすぐ近く!」
「だったら合流するぞ。カウントは3で行くぞ」
「わかった!」
「3・2・1……0!」
「今だっ!」
俺とハルの声が重なったその時、突如大きな爆発が巻き起こり、ハルの周りにいるコボルドが一斉に吹き飛んだ。
この爆発で吹き飛ばされていくコボルドのHPが全損することを期待したのだが、実際に減少したのは二割程度。爆発から逃れ綺麗に着地してみせたコボルドが爆発の勢いを生かして駆け出して、俺の方に走りだしたハルを追って近づいてくる。
「退けえ!」
俺は剣銃を大きく横一閃に振り、近くのコボルドとの距離を作り出す。その攻撃で一瞬だけできた隙間を狙って俺はハルのいる場所へと全力で駆け出した。
走りながら銃形態に変形させた剣銃でハルの後を追ってくるコボルドを銃撃していく。俺が撃ち出した弾丸がコボルドの身体に命中するたびにその突進を妨害する衝撃を発生させることができた。
「ハル、無事か?」
「当然! まだピンピンしてるぜ」
背中合わせに並び、俺とハルはそれぞれ目の前に迫ってくるコボルドを攻撃していった。
「どうすればいい?」
戦闘時のパーティリーダーはハルだ。俺はその指示に従おう。
「リタとマオを助けたい」
「それは俺も同じだ。でも、どうやって?」
「簡単だ。無理矢理通り抜ける」
ここから顔は見えないがこの時ハルは笑っていたのだろう。
「どうだ? 俺達らしいだろ」
「……かもな」
そして俺も笑っている。
この絶望的な状況に置かれているというのに、ハルと背中を合わせているだけで不思議と力が湧いてくるようだ。
「行くぞ!」
ハルの掛け声とと共に俺たちは一斉に同じ方向を向いた。
目指すはリタとマオが戦っている場所。
そこが俺たちの目的地だ。
「まずは俺からだっ! 喰らえ≪豪爆斧≫!!」
爆発を巻き起こす斬撃が背後から近づいてくるコボルドを再び大きく吹き飛ばした。
「ATKブースト!」
前方から近づいてくるコボルドを一匹残らず撃ち抜いていく。
銃撃でコボルドのHPが全損することはないがそれでも二人が駆け抜けられる時間は作り出せた。
赤い光を身に宿した俺と斧を風車のように振り回すハル。二人揃って駆け抜けていく先には無数のコボルド、そしてその奥にはリタとマオがいる。
「リタ! マオ! 返事をしてくれ」
襲いかかってくるコボルドを倒すことを目的としないで俺たちはただ二人の元に辿り着くことだけを願い駆けていく。
「邪魔だっ。退けよ!」
剣形態の剣銃の攻撃はコボルドの毛皮に遮られ斬撃ではなく打撃となってしまっている。それでも近付いてくるコボルドを一体一体吹き飛ばしていくことができた。
俺たちの攻撃でほとんどのコボルドは吹き飛ばされるだけだったのだが、その中でも予め攻撃を受けていた数体はHPを全損させて消滅していった。
「無事か? マオ」
「ユウ? それにハルも来てくれたのか」
「まあな。それだけ元気ならマオは大丈夫そうだな」
コボルドとの戦闘で疲れた声を出しているがそれでもまだ元気は残っているようだ。この元気な姿を見ると俺たちはこころなしか安心していた。
マオのHPは半分以上残り、装備には細かな傷がついているだけのようで今もまだ十分に戦える状態を維持しているみたいだ。
「次はリタだ。急ぐぞ二人とも」
一人から二人、二人から三人になったことで戦いは俺たちが優位に立つことができた。
合流すべき仲間はあと一人。この先で戦い続けているリタだけ。
俺とハルの攻撃を受け散らばっていたコボルドが再び集まってくる前に、離れた場所で戦い続けているリタの元へ辿り着くため、俺たちは全力で駆け出していた。
移動しながらマオは減っていたHPを回復させるためにポーションを一本咥え一気に飲み干していた。
「リタ! そこを退け!」
ハルがコボルドの群れに向かって斧スキルの技を発動させる。
爆発を生む斬撃はリタの周りにいるコボルドを一定の距離まで吹き飛ばしていた。
「ありがとう。助かった」
肩で息をしながら大剣で身を守っているリタが心底安心したような声でいう。
複数で襲いかかってくるコボルドを一人で相手にしていたにもかかわらず全く怖れていないのは彼女の胆力の賜物か。
「さて、どう切り抜ける」
四人が集結し、壁を背にして並ぶ。
それなりに数を減らしたと思っていたのに俺の目の移るコボルドの数は最初とさして変わっていなさそうだ。
「ねえ、もしかしてコイツら増えてない?」
ハンマーを構えるマオがポツリと言った。
少なくとも俺は二体のコボルドをこの手で倒した。そしてハルと合流して三体、さらにマオと合流してからも複数体倒している。
元々の数は二十体くらいだっただろうか。
だとすれば俺が知るだけでも半分近い数を倒したはずだ。それなのに何故いまも二十体近くのコボルドが目の前にいるのだろう。
「もしかしなくても増えているさ」
やはりか。
ハルの状況判断は基本的に正しい。俺がハルに指揮を頼んだのはこの状況判断能力を信頼しているからに他ならない。
「逃げるべき、よね?」
「その方が良いだろうな。出口は……あそこか」
ハルもリタと同様にここでコボルド全員を討伐するよりも戦闘から離脱するほうが良いと判断したようだ。
二人の視線の先にいるコボルドの群れの向こうの扉。この扉は俺たちがこの部屋に来たときに使ったものだ。今は扉が閉まっているが鍵が掛けられているわけでもないのだからあの場所に辿り着けさえすれば問題なく戦闘から離脱できるはず。
「全員HPは回復したか?」
左上のHPバーを見る限り俺たち全員のHPは少なくても全快時の八割近くまで回復していた。
「よしっ。行くぞ」
ハルの≪爆斧≫の爆発が生み出した煙を抜けて俺たちは一斉に走り出した。
襲い掛かってくるコボルドだけを攻撃し、残りは無視。
扉まで辿り着くまであと少し、扉を開けて一気にこの部屋の外にでる事が出来ればもう安心。ほっと一安心して肩を撫で下ろすことができる。
四人が部屋の外に出て、扉を閉めて、笑い合う。今回は災難だったなと。
そんな光景が直ぐに見られると俺は、俺たちは思っていた。何も疑いもしないで。
「そんな……」
扉に手をかけたリタが信じられないものを見たかのような声を出した。
「どうした?」
「開かないっ! 扉が開かないの」
「何?」
思わず扉を開けようとしているリタの手元を覗き込んだ。
ガチャガチャと音を立てドアノブを回すが鍵がかけられたかのように開こうとはしない。
「危ない!」
繰り返し扉を開けようとするリタに襲い掛かるコボルドを叩き落とす。コボルドは地面に激突した瞬間に粒子となって消えた。
これで一体減らした。俺がそう思ったのも束の間、遠く離れた壁の隙間から新たなコボルドが生み落とそうとされているのが見えた。
エリアでモンスターが復活するメカニズムは何なのだろうと気になったこともあった。まさかその真実をこんなところで目にしようとは思っていなかった。
エリアに生息しているモンスターがエリア自体から生まれるなんて、どこの掲示板にも書かれていなかったぞ。
「仕方ない。ここを離れよう」
扉の前というのは細い道になっている。
一人で複数と戦う時にはこのような小道を使い一体一になれるような状況を作り出すと戦いやすいが、複数ならその逆。敵の動きを制限させられるのと同時に自分たちも動きを制限されてしまう。
この状況を打破できる何かを見つけるまで、俺たちは死ぬわけにはいかない。
戦いやすい場所は奇しくも先程四人が揃った場所だった。
隊列を組んで、襲ってくるコボルドを向かい討つ。
時折数体を倒すことが出来るが、暫らくするとまたエリアの何処かから復活してくる。
無間地獄のような時間は今日の制限時間になるまで続くのかと辟易したその時、この状況に変化をもたらすたった一つの出来事が起こった。
内側からは決して開くことのなかった扉が開き、そこから爽やかな風が吹いてきたのだ。




