迷宮突破 ♯.10
地下に向かって進んでいるはずなのにどういうわけか迷宮の中は外にいるかのように明るかった。
洞窟特有の埃臭さやカビ臭さは不思議としてこない。いま俺の鼻孔を刺激する臭いは只一つ、野生動物特有の獣っぽい臭いだ。
「ちょっと。これ、どうなってるのよ」
マオの切羽詰まったような声が響く。
その質問に対する答えを俺は持たない。
「無駄口を叩いてる場合じゃないだろ!」
余裕がないハルの声。
そして、もはや話すことにすら注意を払えなくなってしまったリタの姿が奥に見える。
「くっ!」
なにか話そうと思い口を開いたその時、俺に目掛けて無数の斧が投げ込まれた。
銃形態の剣銃で撃ち落とそうとしてもリロードが間に合わない。不格好にもなりながらも俺はなんとか投げ込まれた全ての斧を避けきることができた。
獣のような唸り声が辺りから万遍なく聞こえてくると同時に獲物を狙う獣の突き刺すような視線が俺の全身を貫いた。
「みんな、無事か?」
呼吸を整え、叫んだ。
しかし返ってくる言葉はない。
もしかすると既にやられてしまったかと思ったがどうやらそれは杞憂だったらしい。今もみんなが離れた場所で戦っている音が聞こえてくる。
ほっとしたのも束の間、再び獣の頭を持つ小人のモンスター『コボルド』が襲いかかってきた。
出口が塞がれた迷宮の一室。
たいして広くも無いその一室で絶え間なく襲いかかってくるコボルドの一団。
思い起こされるのはたった一つの失敗。いや、軽率か。
どちらにしても、もし過去に戻れるのなら過去の自分にこう言ってやりたい。「やめておけ」と。
迷宮攻略のイベントに挑むことを決め、第三階層まで辿り着いた翌日。俺たちは再び迷宮の入り口前に集まってきていた。
昨日作ったポーション類はそれぞれ四人で均等に分け合った。
リタが耐久度を回復させた防具を身に付け、入り口の横に置かれているポータルに手を翳すと四人の全身を淡い光が包み込む。
次の瞬間、俺たちは昨日迷宮の入り口に帰るときに使ったポータルに戻って来ていた。
「さ、下に行きましょうか」
パーティリーダーであるリタがそう宣言した。
ここに来る前、俺たちは拠点の中で今日の方針を話し合った方針は三つ。
一つ目は昨日一日で至る所に書き込まれたイベントの情報を集めてそれを検証すること。二つ目は昨日と同じように素材を集めることに集中すること。三つ目は先に進むことだ。
武器と防具共々消耗したのは僅かで素材にはかなり余裕が残されている。だから二日続けて素材集めに勤しむ必要はない。
攻略のための情報を集めて検証するにはどうしても迷宮に入らなければならない。制限時間というものがある以上、無駄に時間を使いたくはないものだ。
残る選択肢は迷宮の奥に進むこと。
戦闘になったとしても瞬時にHPを全快させられるほどにはアイテムに余裕がある。未知の階層に挑むのならこれほどベストなタイミングはないだろう。
「他のプレイヤーも来てるみたいだな」
柄の長い斧を背中に背負いながら歩くハルが言う。
離れた場所で知らない四人組のパーティが俺たちと同じように迷宮第四階層に挑んでいるようだ。
「マップを見る限り、この先が分かれ道になっているみたいだな」
自分の足で進まない限りマップには表示されないようになっているのだが、この第四階層に来てからはその仕様に僅かな変化が見られた。暗闇を照らす懐中電灯の如く、自分の周囲が一定範囲明るく表示されているのだ。
これによりマップ上では数センチ、実際には数メートル見通すことが出来る。
「どっちに進む?」
「右」
「左」
ハルとマオの答えが綺麗に別れた。
「どっち?」
ここで選択を俺に迫るのか。
マップをスライドさせるとより広がりが見られるのは左の道。しかし右の道が一本道だとしてもこの一本道が先に続いていないとは限らない。むしろこの道こそが正解の可能性だってある。
「左、かな?」
それでも俺は広がりのある道を選んだ。
行き止まりになった場合別の道がある可能性が高い方がいいと考えたからだ。
「よーし、行こう!」
自分が選んだ道を俺が選んだことで機嫌を良くしたマオが先陣を切って歩き出した。
「右だと思うぞ」
こそっと俺に近付いてハルが耳打ちをした。半分近くが冗談で、半分以上本気で言っているように見える。
先頭にマオ、それに続いてハル、リタと続き最後が俺。
想像していたよりも細い道を進んでいくと徘徊しているモンスターの姿がいくつか目に入って来た。
「戦うしかないみたいだね」
曲がり角に隠れ徘徊しているモンスターの様子を窺う。
まるで侵入者を探しているかのように通りを行ったり来たりを繰り返すその動きはさながら牢屋の前を往復する監視者のよう。
一体がいなくなったかと思うと直ぐに別の一体が前を通り過ぎる。
リタの言うようにここでの戦闘は避けることは出来ないようだ。
「俺がタイミングを指示する。リタとマオがその後に、最後にユウが来てくれ」
「りょうかい」
「わかった」
息を呑むリタ以外の二人がハルの言葉に頷いた。
「行ってくる」
背中から斧を抜き、地面と水平に構え駆け出した。
ハルが飛び出した場所はそれまでの細い道とは一転して広い道になっていた。
曲がり角の向こうからハルが何かと戦っている音が聞こえてくる。
「まだなの?」
音が聞こえ始めてから数分、俺たちはハルの指示を待ち続けた。
「……まだだ」
ハルの身に何かがあったのかもしれない。
確かめる方法は簡単だ。ここから飛び出していけばいい。けれど、本当にそれでいいのだろうか。
未だに指示が無いのだとするとそこには何か理由があるのだと信じたい。
「合図だ!」
ハルとの間で決めておいた合図はメッセージ着信。予め作っておいた空欄のメッセージを送るだけだから簡単だという理由からハルがそうしたいといってきたのだ。
合図を受け、待ってましたと言わんばかりにマオがハンマー片手に飛び出していった。それを追うようにリタも駆け出す。
二人の背中を見ながら走っていくと広い道に出て、その先でハルが孤軍奮闘しているのが見えた。
「あれは……」
行き交っていたモンスターとは違う別のモンスター。それがハルがいま戦っている相手だ。
剣銃を構えると俺の視界にモンスターのHPと名前が同時に表示された。
『レッドキャップ』
名前の通りの赤い帽子を被った小人が包丁のような剣を持ってハルに襲いかかっている。
「ハル! 大丈夫?」
名前を呼びながらマオが駆け寄っていく。
その声に先に反応してみせたのはレッドキャップの方。ハルと戦っていた内の一体がマオに向かって襲い掛かって来たのだ。
意識が複数のレッドキャップと戦っているハルに集中してしまっていたのだろう。マオは突然襲いかかって来た一体のレッドキャップに反応出来ないでいる。
レッドキャップに襲われるマオを助けようと走るリタもその大剣の自重のせいで思ったほど早く走ることが出来ていない。
今にも攻撃をしかけようとしているレッドキャップに銃口を向け、咄嗟に引き金を引く。
撃ち出される二発の弾丸がマオに向かって襲いかかってくるレッドキャップを的確に撃ち抜いた。
「あ、ありがと」
目の前で霧散するレッドキャップを見てマオは振り返り礼を言った。
「落ち着け、ハルは大丈夫だ」
そう、ハルはなにも問題も無く戦っている。
大勢のレッドキャップとの戦闘で俺たちに連絡を入れる余裕が無かっただけだ。
「でも……」
「ああ、助けるぞ」
剣銃を剣形態に変形させて俺はマオにそう宣言した。
現状戦えているとしてもそれがいつまでもつかは分からない。
この均衡が崩れる前に俺たちはこの戦闘を切り抜ける必要がある。
「そーれっ!」
己の武器である大剣を振り回しながらリタが突撃してきた。
「めちゃくちゃだな」
おもわず笑ってしまった。
リタが大剣を振り回しながら通り過ぎた場所ではレッドキャップが瞬く間に消滅している。
「みんな……助かった」
レッドキャップの群れから離れ俺たちの近くに来たハルが安心した声で言った。
「さっさとやっつけるわよ」
ストレージから取り出したHPポーションを一つ加えながら屈むハルを黙って見ている俺とマオにリタが告げた。
残っているレッドキャップの数は七体。
ここに俺が最初に来た時に目撃した数の半分以下になったのはリタが大剣を振り回したこととそれ以前にハルが一人で戦ってきた結果だ。
七体のレッドキャップが隊列を組んで襲いかかってくる。
俺たちはそれぞれの武器を構えて迎え撃った。
ハルが斧の長さを活かし飛び掛かってくるレッドキャップにカウンターを加え、リタが地面に落とされたレッドキャップを一刀両断し、マオが二人の攻撃をかいくぐって近付いてきたレッドキャップをハンマーで叩き飛ばしていく。そして最後に残された個体を俺が銃形態の剣銃で狙い撃っていく。
俺たち四人と七体のレッドキャップとの戦いは五分程度で終わった。
「意外と弱かったね」
気が抜けた感じでマオが言った。
俺たちは四人で背中合わせをするように座っている。
「これからどうする?」
ここは迷宮の道のど真ん中。
いつ討伐したレッドキャップが復活するか分からないのに、いつまでもここでじっとしているわけにもいかないだろう。
「もうちょっと休みたい」
「私も疲れちゃった」
マオとリタが揃って疲れが抜けきっていない声を出した。
ある程度は連戦に慣れている俺とハルは元気なままだったのだが、二人はそういうわけじゃないようだ。出来ることならばもう少しここで休憩させてあげたいのだが、どう考えても移動するしかなさそうだ。
「近くにセーフティゾーンあるかな?」
「どうだろうな。近くに小部屋はあるみたいだけど、そこがセーフティかどうかは分からないからな」
一応いつレッドキャップが復活しても大丈夫なように周囲を警戒しながら話している。
「行ってみるか?」
その小部屋が本当に安全かどうかも分からない。けれどここにいては必ず戦闘になってしまう。
行くかどうか決めかねている俺たちのことを嘲笑うかのように遠く離れた場所からモンスターの気配が蘇って来た。
「行くしかない、か」
この瞬間、戦闘になるのだけは避けたい。それが四人の共通の意見だった。
せめて移動の間だけでも休めると思うことにして俺たちはこのまま道の奥へを進むことを決めた。
再び道が細くなる。
暫らく歩いたその先に隠されているような石造りの扉を見つけた。
モンスターとの戦闘を目的としているなら残念に思えてしまうのだろうが、今の俺たちからしたら運良くこの扉を見つけるまで新たなモンスターと出会うことはなかった。
「開けるの?」
未だ疲れがとれていない状態のマオが尋ねてくる。
マップ上では少し先を見通せるようになったはずなのに、どういうわけかこの扉の先はどうなっているのか確認する事が出来ない。
この先に何があるのかとても気になる。
互いの顔を見合わせ誰が扉を開けるのかと牽制し合っていると、痺れを切らしたようにリタがドアを押した。どうやら疲れより好奇心が勝ったようだ。
ギギギッと重い石同士が擦れる音がする。
おそるおそる開かれた扉の先に進むと目が眩むほどの光が襲いかかって来た。
それはたった一つだけがこの広い部屋の中心に鎮座されていた。
どこから差し込んでいるのかわからない光を受けて輝いている黄金の宝箱。
他のゲームでは幾度となく見てきたがこのゲームでは初めて目にするものだった。
「……綺麗」
輝きに目を奪われてリタが言った。
「開けてみようよ」
思い起こされるのはイベントの最初に告げられた運営の言葉。それはこの迷宮には特別な装備が隠されているということ。
例えその言葉が無くても宝箱にはなにかしらのお宝が隠されているのだと相場が決まっているはずだ。
好奇心に駆られ宝箱に手を伸ばし、蓋を開けたマオを誰が責められるものか。
例えその結果、俺たち全員が危機に陥ろうとも。




