R:ep.07『剣士、仕事に向かう』
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最寄りの駅から徒歩二十分。裏通りを抜けた先にある雑居ビルのワンフロア。そこにあるのが【高坏円事務所】である。
法律事務所でも、会計事務所でも、探偵事務所でもない。ただの事務所。所長の名前が冠しているがそれだけで、何をするための事務所であるのかなどは一切表記されていない看板がビルの外観に比べると妙に綺麗なドアに取り付けられている。
相馬悠斗がこの年の春からここで働いている。ただし、その仕事内容は既に一月が経とうとしているにも関わらず、正確には言い表せないものばかりだった。
基本的には所長である円のサポートといえば良いだろうか。円や稀に訪れる客に出すお茶を煎れることや部屋の掃除。その他にも多種多様な雑用を熟すばかりの日々だったのである。
しかし、昨日。突然円に言い渡されたことがその代わり映えしない日々を変える切っ掛けをもたらしたのだ。それは【ARMS・ONLINE】のキャラクターを作成すること。悠斗が数年前まで件のゲームの熱心なプレイヤーであったことを知っていたのだろう。何せ悠斗にこの職場を紹介したのがそのゲームで知り合ったムラマサという名のプレイヤーの現実その人なのだから。
「おはようございます」
ドアを開け悠斗は事務所へと入っていく。
事務所、といってもこの部屋の内装は到底一般的なその印象からはかけ離れてしまっている。透明な窓硝子には細かな装飾が施されていたり、何気なく使っているテーブルや椅子、客をもてなすためのソファに至るまで置かれている家具の全てが大凡値段が想像できないくらいの高級品なのである。その割に絵画や彫刻、壺のような骨董品の類は一切なく、あくまでも必要最低限の使う物の価値が高いだけという印象だった。
「……おう、おはよう」
そんな高級ソファから身を起こす人がいる。
襟足までの長さをした淡い栗色の髪はふわりと柔らかそうで、ソファで寝ていたというのに変な寝癖など一切ついていない。目は大きく、鼻も高い。身長はそれほど高いわけではないのだが、全体的にバランスが良いのだろう。人目を惹く容姿をしていると自ら憚ることなく明言するほど。言動の独特さを除けば美女そのものだ。
「またソファで寝てたんですか? いい加減体壊しますよ」
「…ん、大丈夫さ。私はこう見えて体が丈夫だからね」
起き上がった円の体から薄手の毛布が滑り落ちる。そのまま立ち上がって円は窓際に置かれた椅子に腰掛けた。悠斗は円の体から離れた毛布を畳みながら問い掛ける。
「朝ご飯は何か食べたんですか?」
「いや、まだだな。昨日の夜に飛び込んできた仕事が片付いたのがさっきだったからな」
「だったらちゃんと部屋で寝てくださいよ。客が来れば俺が対応しますし、俺で解らない案件だったら起こしに行きますから」
「いや、しかしだな、出会って一月ほどの一月程の君を寝室に招待するのは……」
言い淀むように円の声が小さくなる。これが恥じらいの類であったのならば可愛げがあるのだが、現実は違う。この事務所の一室はまだそれなりに片付いているのだが、それは単に悠斗のお陰だった。悠斗がここにくるまでの事務所は足の踏み場がないほどに書籍や書類などが散乱しており、唯一食べ終えた容器や飲み終えたペットボトルが無かったために衛生的にギリギリだったとはいえ、誰の目にも汚部屋にしか見えなかったことだろう。それで客と応対していたというのだから驚き、というよりも訪れた客の方が気の毒に思えるくらいだ。
「今更ですよ。それに、言ってくれればそこも俺が片付けますよ?」
「あ、いや、それをして貰うと私が怒られるからな。大丈夫だ。まだデッドラインは超えていない」
円の言うデッドラインが何処までなのか知りたいような知りたくないような曖昧な笑みを浮かべたまま悠斗は「わかりました」と言ってテーブルの上に散乱している書類を纏め始めた。
書類に記されていたのはとある土地の運用方法の草案だった。今でこそ一線を退いているが高坏円という人物は俗に言う時代の寵児というやつだった。国内外に複数のマンションを所有し、投資すれば莫大な利益を上げる。様々な会社を経営したりもしていたらしいが、どういうわけか数年前にそれら全ての事業を人の手に渡したのだという。円の手元に残ったのは莫大なお金と僅か三つのビル。三つのビルのうち最も高いビルをマンションに建て替えると、その最上階をまるまるワンフロアぶち抜いて自室として残りの部屋を賃貸として運用しているのだが、それも管理人は別に雇っていると言っていた。
そして残る二つのビルのうち高さはそれほどでは無いが敷地が広いビルを当時再開発によって行き場をなくしていた近くの商店街にまるまる貸して、小さな商業施設として使っていた。勿論貸出料は割安で円曰く「この商店街で売っているお惣菜が私の主食。無くしてたまるか」というのが理由だったらしい。
最後のビルが今この高坏円事務所が入っているビルだ。
雑居ビルという言葉に違わず、ここには一風変わったテナントが入っている。勿論法に背く施設はないものの、売り出し中のアパレルブランドや、無名芸術家のアトリエ、それこそ探偵事務所などがある。その中に混ざっている昔ながらの喫茶店が浮いているような気もするが、そのマスターの浮世離れした雰囲気を思い出すとあながち間違いではないような気がした。
「それじゃあ、私は奥の部屋で寝てくるから、後のことは頼んだ。客が来たら起こしてくれればいいから」
「はい。わかりました」
疲れた足取りで奥の部屋へと歩いて行った円を見送って、悠斗はとりあえずこの部屋の掃除から始めることにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
壁際に置かれた大きな柱時計が正午を知らせる。
この部屋の内装からは浮いていないものの、この部屋にある物の中では誰の目にも解るほど随一の高級品であるそれは今も悠久の時を刻んでいた。
「あー、もう昼か-」
のんびりとした声を出しながら円が奥の部屋から出てくる。
「何か食べますよね。俺が作りましょうか?」
「いや、コーヒーだけ煎れてくれ。昼は何か出前を頼もう。悠斗も好きな物を選んでくれ」
円が悠斗に机の中から取りだしたメニューを手渡した。
手早く食べられるものとピザの出前を頼むとそれから暫くして届けられた。片付けられたテーブルに二人分のピザを広げて昼食を取ることにしたのだ。朝食をとっていないのだから腹が減っていたのだろう。円は早々に自分のビザを平らげてしまっていた。
円は食後のコーヒーを嗜みながら訊ねる。
「で、キャラクターは作ったんだよな?」
この一言を切っ掛けに悠斗は昨日、自分がゲームを始めてから今日に至るまでに起きたことを話し始めた。
最初こそいつも通りの調子で悠斗の話を聞いていた円であったが、最後のアークとの戦闘の頃になると怪訝そうな表情を浮かべるようになっていた。
「どうかしたんですか?」
「いや、やはり悠斗は奇妙な星の巡りにあるようだな」
「え?」
ぽつりと溢した円に今度は悠斗が怪訝そうな表情を浮かべた。
「何でも無いさ。それよりもキャラクターを作ったのなら本格的に私の仕事を手伝って貰うことになるぞ」
「はい」
「とりあえず、悠斗に任せられる案件となると……これだな」
ファイリングされている書類のなかから一つのクリアファイルを取り出して悠斗に渡す。
手元のウェットティッシュで手に付いたピザの油を拭き取ると悠斗はファイルを受け取り開いた。
「ゲーム内にある動物園の手伝い?」
「比較的安全なモンスターを集めた仮想動物園ってやつだな。一応公式のチェックも受けているから公的な施設ともいえるぞ」
「その手伝いって何をするんです?」
「普通は現実の動物園とそう変わらないな。獣舎の清掃や餌やり。後はモンスターの体調管理の補助とかだな。とはいえ今回は違うみたいだが」
「どういうことです?」
「私の所に来る依頼はそんな風に普通じゃないってことさ。見てみるといい」
そう促されて視線を落とした先に記されていたのは【新規モンスターの捕獲の手伝い】の一文。それこそがこの仕事の内容なのだろう。
「っても、俺はテイムのスキルを覚えてませんよ」
「その辺は依頼主が習得してあるから問題無い」
「俺、レベルとか装備とか初心者そのものなんですけど…」
暗に高レベル帯の場所には行けない。もし行けたとしても力にはなれないと伝えるも、それすら円は問題無いと言って悠斗のピザを一切れ咥えた。
「公式も認可していると言っただろう。モンスターの捕獲に使うのは専用の特殊なエリアなんだ。どんな場所からも転移石を使えば直接行けるようになっている。プレイヤーの強さに関しては、まあ、ないよりはあった方がいいがその程度だと思ってくれればいいさ。今回重要なのは数値よりも技術。その点は悠斗ならば問題無いだろう」
雇って貰っている以上ある程度は円に悠斗は自分の経歴を伝えてある。それはあくまでも現実での経歴だけなのだが、ムラマサが先んじてゲーム内での経歴を伝えていたのだ。最初に会ったときに念のためと現在の自分の状態を伝えてあるのだが、どういうわけか今もこうして評価が変わることは無かった。
「おそらく私が向かうよりも喜ばれるはずさ」
そう締めくくって円はちらりと柱時計を見る。そして悠斗の手元のファイルに視線を送るとニコリと笑ってみせる。
「というわけだ。奥の部屋を貸してやるから早速仕事に励んでくれたまえ」
先程自分が出てきたのとは違う部屋を指差して円が告げる。
円が寝室にしている部屋の横の部屋。そこが悠斗に宛がわれた部屋。殆ど本が収められていない本棚と寝転べるくらい大きなソファだけが置かれているそこは元々物置として雑多に様々な物が置かれていた部屋だ。
事実、悠斗が今日に至るまでキャラクター製作を後回しにしていた理由がこの部屋を使える状態にまで戻すという別の仕事がなかなか終わらなかったためである。
まず何よりも多かったのが使用されたかどうかもわからないほどくしゃくしゃになってしまっている円の衣服。そして靴。次にどうしてこんなにもと思ってしまうほどの茶器の類。衣服はともかくこの茶器の処分が手間取った。幸いにも割れているものや欠けているものは無かったが、それぞれを綺麗な状態でそれぞれ片付けていくのが大変で、使わない物は全て専門の取引業者に引き取って貰うことにしたのだ。
それらの作業が全て終わったのは三日前。それから休日を挟み、その休日のうちにキャラクターを作成し、今日になったというわけだ。
半分ほど残されていたピザを物欲しそうに目を輝かせている円に譲り、悠斗は冷めたコーヒーを片手にその部屋へ行くことにした。
ソファの隣に置かれたテーブルにカップを乗せて、鞄からレヴシステムを取り出した。レヴシステムを装着してソファに座ると悠斗はかの世界へと向かう。
いつの間にか送られて来ていた円からのメールに添付されていたのは目的の場所に行くためのパスワード。ゲームの世界で取り出したそれは金属製の鍵の形を取りユートの手の中に現われたのだった。
ユート現在レベル【12】・ランク【0】
所持スキル
≪直刀・Ⅹ≫
≪錬成≫
≪始原の紋章≫
≪自動回復・HP≫
≪自動回復・MP≫
≪HP上昇≫
≪MP上昇≫
≪ATK上昇≫
≪DEF上昇≫
≪INT上昇≫
≪MIND上昇≫
≪DEX上昇≫
≪AGI上昇≫
≪SPEED上昇≫
≪LUCK上昇≫
残スキルポイント【0】
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