R:ep.00『チュートリアル・プロローグ』
第十五章開始です。
フルダイブ型RPG【ARMS・ONLINE】
それは仮想空間に五感の全てを再現するフルダイブ技術が用いられたこのゲームタイトルだ。
ゲームをプレイするために必要になるのはスポーツ用のサングラスくらいの大きさと形状をしている【レヴシステム】というゲームハード。技術の進歩と共に小型化されたそれは現在、相馬悠斗の顔にしっかりと装着されている。
悠斗は自室のベッドで横になって慣れた様子で呟く。
「ダイブ・スタート」
音声認識のキーワードに反応してレヴシステムは悠斗の意識をかの世界へと誘っていく。
キィインっと耳鳴りに似た音を聞いた後、悠斗の意識は真っ黒な世界にあった。自分が立っている場所どころか自分の体すら確認できない闇の中にほんの僅かな光が差し込んでくる。
「にゃあ~」
(うおっ!?)
思わず無い体で仰け反る悠斗の足元へと伸びる光の中から小さな1匹の猫が飛び出してきた。
身軽にも空中で一回転をして静かに着地した猫は頭の先から尻尾の先まで真っ白。バランスを崩すことなく二本の足で立つ猫はそのまま悠斗の元まで器用に歩いて近付いてくる。
歩きながら猫は小さな手に持たれた小さなステッキをくるんっと回した。ステッキの先が体の前を一周すると変わったデザインの燕尾服を着て長靴を履いた姿がそこにあった。
頭の上に乗せられている小さな帽子を片手で掴み外すと綺麗なお辞儀をして、
「はじめまして。ボクはケットシー。キミを担当するAIだよ」
突如として話し始めたケットシーに虚を突かれた悠斗はその場で立ち尽くしてしまう。
(すごいな。今はこうなっているのか)
声に出さず関心しているとケットシーが先程の台詞から間髪空けずに次なる台詞を告げた。
「さあ、これからキミのキャラクターを作るんだ!」
ケットシーが両手を広げ愛らしい表情を悠斗に向けてくる。すると程なくして悠斗の体が出現した。
身に纏っているのは丈の短いシャツとパンツのみ。靴もなく裸足のまま。顔や体格、髪型なんかは予め登録したものが反映されているらしい。
「うーん、微妙」
「どうどう? のっぺらぼうよりはいいはずだよ」
「まあ、それは、確かに」
「でしょでしょ! それじゃあね、最初に決めるのはキミの容姿だよ。好きなように変更できるから自由に作ってみるといいよ」
悠斗の前に浮かび上がる三つのホロモニターとその中心にあるタッチパネル式の操作パッド。それら全てを総称してコンソールと呼ぶ。
ホロモニターの一つには今の姿が映し出され、もう一つには着せ替え人形の如く自由に調整できるマネキンのが映しだされている。最後の一面には各種防具プリセットの一覧があった。
姿見のようなホロモニターで見る自分の姿は今の自分の姿をそのまま反映した画像だった。モデルや俳優ではないのだから顔の作りはともかく髪型とか色はこれから向かうファンタジー世界には似つかわしくないと思ってしまったのだ。それが先程ホロモニターに映った自分の姿を見て微妙と感じた原因だろう。とはいえ加える脚色の度合いを間違えれば失敗したコスプレみたいになってしまうのは否めない。
現実と幻想のバランスを上手くとりながら悠斗は基本的な作りは元のまま、髪型と色だけを変更することにしたのだ。
まずは髪型。現実のように美容室でカットしてもらうのと違ってここで出来ることは予め設定されている髪型の中から選ぶことだけ。しかしながらその数は膨大で、時代年代性別問わず様々な髪型がラインナップされていた。
悠斗が選んだのはアニメや漫画でよく見かける活発そうな少年という印象の髪型だった。髪の色はそれに合うように自然な感じで選ぶつもりだったのだが、自由に色彩を弄っている途中ふと目に留まった白に近しい銀髪が気に入ってしまい、他の色を試したものの白銀を選んでいた。
ホロモニターに映し出されている自分のキャラクターの髪色が白銀に変化したことで浮き彫りになった別の違和感。それは日本人としては一般的な黒い瞳だ。とはいえ銀髪に黒色の目というのは特別変なことではないだろう。しかし、この時の悠斗には自分のキャラクターにとってこの瞳の色だけが妙に浮いて見えたのだ。
髪の色と同じように瞳の色も自在に変更することができる。色彩で色の種類、彩度でその色の濃さ、明度で明るさ。全ての項目を一つ一つ慎重に選択した結果、一番このキャラクターに馴染んでいると思えたのは意外なことに赤色。それもルビーのように透き通っている紅。
順番として次に決めることになるのは体。背の高さ、太っているか痩せているか、筋肉質かどうか、肌の色など今度は用意されているプリセットから選ぶのではなく、それぞれの項目を自由に変更するようになっていた。
思いっきり太めになるようにシークバーを振り切れば相撲取りのような体型に、反対に痩せているほうに振れば骨と皮だけのようなゾンビみたいな体型にもできる。だとしても最初から特殊な体格にするつもりなどなくあくまでも平均となっている成人男性の体格をベースにそこから少しだけ変更を加えてみるつもりだった悠斗は元の体格から極めて微細な調整を加えるだけに留めた。
ちなみに性別を変更する項目が無かったのは予め作っていたデータを引用したからだ。このコンソールを見る限り現実の性別と違う性別も選ぶことは可能らしい。
「うんうん。格好いいね」
「そう?」
「何かのアニメの主人公みたいだよ」
「それって褒めてる」
「もっちろん。次は初期装備を選ぶんだよ。最初は防具だよ」
「ああ」
ケットシーの言葉に続いてホロモニターの一つに映し出されていた画像が切り替わる。今度の画面は容姿の様々なパターンの防具が表示されている通販カタログみたいなものだ。
最初のページに大きく表示されている防具は三種類。
頭の先から爪先まで全身を鎧で覆っているタイプ。
胸や腕、脛など要所要所だけを鎧で覆っているタイプ。
鎧のような部位が一切見受けられない、謂わば普通の服だけといったタイプ。
その中の一つである服だけの防具画像に触れてみると、またしても画面が切り替わり様々な服が表示された。ここには現実でも着られるような服もあれば、どこかの時代劇を思わせるような服もある。上と下別々に選択できる服が大半を占めていたが、ケットシーが着ている燕尾服のようなスーツやツナギのような作業着も上下セットの服として掲載されていた。
続けて全身鎧の項目を見る。
そこにあったのはまさしく鎧そのもの。西洋の鎧のほかに東洋の伝記物にでてくる鎧や日本史の授業で見たことのある鎧もラインナップされていた。
驚いたことにこれら初期装備の防具には性能差が全く設定されていないらしく、あくまでもそれぞれのデザインの好みだけで選べるようになっているようだ。
「どれを選んでも変わらないんだな」
「そうだよ。だから自分がしたい格好をするのが一番良いんだよ」
性能に差が無いのならば動きやすそうだという印象から悠斗が選んだ防具は上がシンプルな半袖のシャツ、下は裾が広がっている七分丈のカーゴパンツ。靴は丈が足首の上にくるショートブーツ。それぞれの色合いも自在に変更可能となっていて、さらに細かなワンポイント装飾の他にフードの縁やカーゴパンツのポケット以外にも所々に付けられているボタンやショートブーツのバンド部分も一つずつ好きなようにカスタマイズをすることが出来た。
加えてそれぞれのパーツも形状やデザインが違うものが多数存在していて、各々のこだわりを発揮してしまえばとてつもなく長い時間をここで使ってしまう人も出てくるだろう。
ホロモニターに表示されているキャラクターに選んだ防具を装備させると表や裏を確認しながら色合いや形状を吟味すること数十分。完成したのは黒を基調とした防具。各装飾に施した色は黄昏のようなオレンジと銀。
「好みは変わらないな」
小さく独り言ちる悠斗を気にも留めずケットシーが満面の笑みを浮かべて、
「ますます主人公っぽくなったね」と言ってきた。
「なんとなくそう言われる気がしたよ」
肩を竦めそう答えた悠斗を宥めるように膝に手を添えると、
「まぁまぁ、気を取り直して次はキミの専用武器を決めるんだよ!」
「わかってるよ」
【ARMS・ONLINE】を代表する要素の一つ。それがこの専用武器と呼ばれるシステムだ。従来のRPGのように次々と武器を持ち替えて強くなっていくのではなく、最初に選んだ武器を自身のキャラクターと同じように強化して使い続けることになるが故に専用武器という名称が与えられている。専用武器には耐久度が設定されてはなく決して壊れず使い続けられる特殊な武器とされ、世界観的には古代道具という位置づけになっているらしい。
「さあさあさあ、ここから好きな武器を選んぶんだよ」
「うわぁ。これは多いな」
「それがこのゲームの売りだからね」
またしても切り替わった画面に映し出されたのはいくつもの武器種が並んだ一覧。最初のページにあるのは剣。剣と一言でいってもそこには直剣、曲剣、短剣に長剣、細剣と細かく分類されている。
刀はこのゲームでは剣と別にカテゴライズされているらしく、基本となる形状をしたものから太刀や脇差しなど剣と同じように細かく分けられていたのだが、刀に比べるとかなり柄の長い薙刀も刀の一種としてここに表示されていたのは意外だった。
剣一つとっても多種多様ではあるが、武器というものは当然剣だけでは無い。槍や斧のような近接武器もあれば、弓や狩猟用のスリングショットなどといった遠距離武器もある。木製の長杖やぶ厚い辞書みたいな魔導書は魔法を使いたいプレイヤーに向けられた武器として並べられているし、それ以外の変わり種でいえば金属製のグローブや盾といったおおよそ武器らしくない武器もその一種としてここに並べられていた。
魔法使い用の武器や武器らしくない武器には興味が引かれなかった悠斗であったが、遠距離武器の項目のなかに一つ惹かれたものがあった。それは近代兵器の代名詞でもある銃。火縄銃やマスケット銃の隣に並んで表示されている狙撃用のロングレンジライフルや海外の刑事ドラマでよく目にするハンドガンなど、種類も相当数があった。ボウガンが銃の系統に入れられている理由は自分の力で矢を放つわけではないから、らしい。一覧には重火器とまで呼べるものはなかったものの、銃系統の武器を強化していけばいつか使えるようになるだろうと予測できた。
銃系統の武器とそれ以外の遠距離武器の違いはいくつか存在する。
まず攻撃の際の強弱。弓など銃系統以外の武器では強攻撃を自分の意思で行うことができる。他にも攻撃に様々な属性を付与することも後々出来るようになるとも書かれていた。それに比べて銃は基本的に使用する銃のスペックと撃ち出す銃弾によって攻撃の威力が決まる。そこにプレイヤーの力加減など入る余地はなく、攻撃に属性を付与するには他の武器とは違う手段を用いる必要があるらしい。
銃系統の武器に興味を惹かれながらも今回、悠斗は違う武器種にすることにした。一覧のページを進めていると最後の方で特殊な武器の項目を見つけた。それは現実にはあり得ない形状、ギミックを持つ武器だ。例えるならロボットアニメに出てくるビームサーベル、あるいは特撮ヒーローが使っているトンデモ武器がそれにあたる。
それらは魅力的ではあったが悠斗はこれは違うと別のものを探し始めた。
再び最初のページへ戻り一瞬の逡巡をみせた後、悠斗は一つの武器種を選択した。
反りのないシンプルな形をした刀。『直刀』とカテゴライズされている武器種だ。
防具のように武器も細かくカスタマイズすることが可能となっていて直刀で変更可能だったのは刀身の幅や長さ、他には柄や鍔の形状なんかも自由に変更できる。
直刀という名称故に刀身の形状はある程度固定されていた。幅もそこまで大きく変更できるわけでもなく、一般的な刀の幅からそれを二振り並べたくらいの大きさまでにしか変更できなく設定されていた。長さは基本となる長さから最長で1.5倍程度、最小でも半分よりもちょっと短いくらいの間で自分が最も使いやすい長さを選べるようになっていた。重さに関しては長さや幅が直接関係しているらしく、自分で変更することはできず自動的に設定されるようになっているようだ。これに関しては将来武器に使っている素材を丸々変更することで変えられるのだが、それを選択する人はあまりいない。武器の重さが軽ければ攻撃も軽くなってしまい、重ければ扱い辛くなってしまうというのがこのゲームで検証を頑張った数多のプレイヤー達の共通見解だったからだ。
一つ一つを吟味している途中ケットシーに進められて悠斗はある程度完成した直刀を実際に手に取ってみることにした。
子供のチャンバラごっこよろしく適当に振り回しながら重さや長さに使い辛いところがないかどうかを確認して微調整を加えていくこと数回。ようやく出来上がった直刀は幅を基本のそれよりも少し広くして、長さは片手で問題なく振える程度、重さも自動的に片手で扱えるものに収まっていた。
鍔は敢えて取り付けずに柄と一体化しているデザインを選んだ。
柄の部分には防具と同じ色をした金属板がいくつも重なるように取り付けられていてしっかりとした握りを確保できるようになっていた。これも後々もっといい素材に取り替えることができるはずだ。
「お…おお!」
ホロモニターに映し出されているアバターの腰に作成した直刀とそれを収めた鞘が出現した。
本来ならばそれで武器の選択は終わりになるのだが、悠斗はここからもう一手間加えていく。敢えて手を加えなかった武器の特性の項目、それを選択画面を戻すことで設定するためだ。
悠斗が選んだ直刀の項目に記されていた特性は二種類。そのどちらかを選択するようになっているらしい。
「刺突型と斬撃型か。それなら当然こっちだな」
刺突型の特性は文字通り突きに特化したもの。能力でいうならば命中率上昇やクリティカル率上昇だろうか。斬撃型は単純に攻撃力上昇のみ。
どちらが使いやすいかは個人の資質に委ねられているが、悠斗は自分の場合単純な攻撃力上昇効果を有する斬撃型のほうが合っているだろうと考えていた。
「武器の装備位置って変更出来たっけか?」
ゲームだからこそ刀だから腰から提げるなんて常識に囚われる必要はない。そう思い呟いた言葉にケットシーが反応した。
「できるよ」
「どの項目なんだ?」
「えっとね、これだよ」
「あ、ちょっ――」
ぴょんとジャンプしたケットシーがぽんっと押したのは最後の決定画面。
まさか勝手に決められたのかと慌てた悠斗だったが、手元のホロモニターの画像が切り替わっただけに止まっていたことにほっと胸を撫で下ろした。
「びっくりさせるなよ」
「でもでも、これで変更できるんだよ」
「みたいだな」
胸を張るケットシーが言うように、画面のなかでは武器の装備の仕方のパターンがいくつか表示されていた。
刀系統だからだろう。腰から提げる様式が真っ先に表示されていて、次が忍者が刀を提げるように腰の後ろ側で垂直に装備する形、その次が背中で袈裟懸けにする形。左右反転させることも可能なようだが、基本的にはこの3パターンの中から選ぶようになっているみたいだ。
全てを試すまでもなく悠斗が選んだのは背中に装備するパターン。利き手である右手で抜きやすいように柄が右側にくるようにする。
そこに加えてもう一つ、鞘の有無も変更できた。このゲーム、刀という武器種に限れば鞘があってのみ使えるようになる攻撃は居合抜きのみたいなもの。あるいは納刀したまま打撃武器として使うことができるくらい。反対に鞘がない利点は抜刀の手間を取らず取り回しが利くことだろうか。
攻撃手段を増やすという意味合いもあって一般的に鞘を装備することが推奨されているのだが、悠斗は抜いた後に鞘が邪魔になることを懸念して鞘無しを選択したのだった。
ホロモニターに装備されている直刀から鞘が消える。その代わりか本来鍔がある部分と接している背中側に変わった形状をした金具が出現していた。それに磁力か何かで固定されているのだろう。こういう見た目ならば鍔のないデザインにしていてよかったと、悠斗は苦笑を浮かべていた。
「最後にキミの名前を教えてよ!」
「名前。名前、か。そうだな…ユウ……じゃなくて、今回は――」
ぶつぶつと呟きながら考えている悠斗を見上げてくるケットシーの顔の前にホログラムのキーボードが出現した。
そっと手を伸ばして悠斗は自分の名前を入力していく。
「ユート。それがキミの名前なんだね?」
「ああ。この俺の名前はユート。ユートだ」
確認してきたケットシーにユートが答えた。
ぱあっと満面の笑みを浮かべたケットシーは軽快なステップを踏みながらユートの前で可愛らしいダンスを披露した。微笑ましいケットシーのダンスを見ていると突然ホロモニターに映し出されていたキャラクターの画像が等身大にまで引き伸ばされて悠斗の体に重なり合うように吸い込まれていった。
画像が透過した後、そこに立っているのは悠斗ではなくユート。どうやらキャラクター作成が滞りなく完了したみたいだ。
「コホン。改めて……ようこそユート。世界はキミを歓迎するんだよ。これからこの世界をおもいっきり楽しんでね」
タタンッと長靴でタップシューズのような華麗なステップを決めて告げたケットシーがステッキの先で指し示した方向に光の扉が現われる。
「ありがとう」
「――こちらこそだよ」
ユートが礼を述べたその後に誰にも聞こえないくらい小さく呟かれたケットシーの言葉。
何気なしに振り返ったユートに手を振り続けているケットシーに見送られて光の扉をくぐり抜けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
光の扉を抜けて出た場所は障害物など何もないだだっ広い草原。
さわさわと足元で揺れる草花。
見上げると雲一つ無い青空。
自分以外のプレイヤーどころか空を飛ぶ鳥すら見かけないこの場所にユートが立ったその瞬間通ってきた光の扉は掻き消えその手元にホロモニターが出現した。
「『チュートリアルを受けますか?』か」
表示されている文面を読み上げてユートは迷わず『YES』に触れる。
ホロモニターが消えたのと何処からともなく何かが落ちてきたのはほぼ同時刻。スーパーボールのようにユートの目の前でバウンドを繰り返しながら落下してきたそれはサッカーボールくらいの大きさをした灰色の毛玉の塊。
風に揺れるふわふわの綿毛に目を奪われていたユートがゆっくりと毛玉に近づき手を伸ばすといきなり毛玉がピクッと動いたのだ。
「んん?」
疑問符を声に出しながらユートはそっと毛玉を突いてみる。
指先に触れた綿毛は思った通りに柔らかく暖かい。何かの小動物であるのだろうと予測がついたその時、落下で怪我をしたかもしれないという心配が頭を過ぎった。
慌てて毛玉を掴み顔の前まで持ち上げる。傷がないか確かめるためにまじまじと毛玉を観察しているとまたしてもピクッと動いたのだ。
「おわっ!?」
次第に動きが激しくなって、遂には持っていられなくなり手を放してしまう。
ボールのように草むらの上で転がった毛玉はユートから少しだけ離れた場所で止まると、突然毛玉から長い耳が生えた。
辺りを伺うように動く耳。
続けて飛び出した手と足。
背伸びをするように体を伸ばした毛玉は小動物の姿となると、ユートにサファイア色の瞳を向けてきた。
「何をしておる? チュートリアルを受けたいのではなかったのかの?」
生意気そうな口振りで聞いてくる毛玉の正体は灰色のウサギ。
何処に隠れていたのか解らない黒色のベストを着て首元には小さな蝶ネクタイ。先程のケットシーとは違って着ているのはそれくらいだが、気になったのはその手にあるもの。おおよそその小さな体では扱えないようなサイズの大剣が握られていたのだ。
「う、うさぎ?」
「見て解らんのか。何処からどう見ても立派なウサギさまであろうに」
剣を地面に突き立てて胸を張るその動作は人間のサイズだと様になるのだろうが、このウサギのサイズだとただ可愛いだけ。
声も随分と可愛らしく、どうしてもマスコット感が拭えない。
「えっと、俺はチュートリアルを受けられるんだよな? お前が教えてくれるのか?」
「だからそう言っておろうが。それにお前などという名前ではないわ。紳士ウサギさまだの」
「ウサギ、さま?」
「む、いや、紳士ウサギだけでよい。ともあれチュートリアルを始めるぞ。いいか? 一度しか言わないからしかと聞くのだぞ」
「お、おう」
「まずはこれを見るのだの」
頷くユートを前に紳士ウサギがその小さな手を広げた。
するとまたしてもどこからともなく何かが落下してきた。
ドンッと音を立てて着地したそれは授業に使うホワイトボードの体をしたモニター。
「最初はお勉強だの」
ニヤッと笑ってそう宣言した途端ホワイトボードに浮かび上がる八角形をした図形と二本のゲージ。八角形があからさまに何らかのグラフであること、二本のゲージが格闘ゲームでよく見かける体力ゲージと似通ったものであることは直ぐに理解できた。
「まずはこれの見方からだの。上の二本のゲージ、それはそれぞれHPとMPを表わしておるだの。HPは体力、MPは魔力のことだの」
大剣を指示棒の代わりに駆使しながら説明を始める。
HPが無くなれば死んでしまう。MPが無くなれば魔法のような強力な攻撃が使えなくなる。回復手段は多岐に亘るが、基本的なものはアイテムによる回復と魔法による回復の二つ。それ以外で一般的なものといえば自然回復だろう。
「こっちのグラフは上から時計回りに【ATK】【DEF】【INT】【MIND】【SPEED】【AGI】【DEX】【LUCK】となっておるの。細かい説明はこれを見ておくのだの」
ホワイトボードに映し出される注釈。
【ATK】は攻撃力。物理攻撃の威力に影響がある。
【DEF】は防御力。物理攻撃のダメージ減衰に影響がある。
【INT】は魔法攻撃力。文字通り【ATK】の魔法版であり、状態異常付与確率に影響する。
【MIND】は魔法防御力。【DEF】の魔法版であり、基本的な状態異常耐性に影響する。
【SPEED】は素早さ。移動速度や攻撃速度に関係している。
【AGI】は回避率やクリティカル率。
【DEX】は器用さ。道具の生産成功率や命中率に関係がある。
【LUCK】は運。アイテムドロップ率に影響がある。
「この八つに【HP】と【MP】を加えた全十項目がパラメータと呼ばれ、レベル・ランクの他に≪スキル≫を含めた能力値の総称がステータスだの。
経験値を溜めてゆけばレベルが上がってパラメータが上昇するんだの。この時の上昇値はそれまでにプレイヤーが行ってきた行動が影響するんだの。例えば攻撃を多くすれば【ATK】が高くなって防御を多くすれば【DEF】が高くなるんだの。各レベルごとに上限値があるからの、全ての項目を等しく上げようとするのならばそれなりの苦労をすることになるんだの。
ランクはレベルを一定値以上にまで上げた後レベルリセットと引き換えに特定の場所で上げることができるものだの。ランクが高ければレベルアップ時の上昇値の限界が増えたりと様々な特典があるのだの」
手元に浮かぶ自身のステータスを確認しつつ紳士ウサギの説明を受ける。
現時点のユートのレベルは1。ランクは0。所持スキルは空欄。
「では次に≪スキル≫の説明だの」
「ちょっと待って。【ATK】とかに数値が書かれて無いんだけど」
「お主は自分の筋力を完璧に数値化できると思っておるのかの?」
「や、だけど、前は確かに……」
記憶を辿ると確かに全ての項目に数字が与えられていた。なのに今は全ての項目に与えられているのはアルファベット一文字だけ。現段階のパラメータの後ろに付いているのは【I】。全ての項目の後ろに同じ文字がずらりと並んでいる。
「所詮数字など飾りだの。実際に力を測る指針にはなってもそれが全てでは決してないんだの。――仕様変更についてはそこに記されてあります、だの」
「え? あ、本当だ」
今から一つ前の大型アップデートで能力値の表示方法が変わったらしい。具体的には数字表記の廃止。理由は武器や防具、≪スキル≫の種類が増えたことにより常時変動してしまうパラメータを適宜表示する処理を軽減するため。元々戦闘している相手の防御力などが影響して実際に計上されたパラメータ通りの数字が額面通りのダメージとして与えられてるわけでは無かったために生じていた多少のクレームを防止するという意味合いもあって、わざと漠然とした表現に変えたらしい。
「何がともあれ≪スキル≫は実際に習得してみたほうが解りやすいだろうの。コンソールを見るが良いの。そこに習得可能スキル一覧があるはずだの」
「これだね」
「その上にスキルポイントも表示されているはずだの。基本的に≪スキル≫はそのポイントを消費することで習得、レベルアップすることができるんだの」
保有しているスキルポイントは『3』。ユートのレベルが上がっていないことを考慮すると最初に振り分けられる数が3のようだ。
「言った通りに習得してみるんだの。まずは≪専用スキル≫。お主の場合は≪直刀≫になるんだの」
紳士ウサギが告げたスキルが一覧の中で発光して主張している。
「≪専用スキル≫とはそれぞれが持つ専用武器に対応した≪スキル≫のことを指すんだの。もしこれから先に専用武器を強化していって武器種を変えた場合はスキルポイントを一つ使うことで同じスキルレベルから別の専用スキルに切り替えることも可能となっておるの」
言われるままに≪直刀≫スキルを習得する。すると習得可能スキル一覧から≪直刀≫は消え、代わりに習得スキル一覧に表示された。
「次はこれだの。≪HP上昇≫を習得してみるんだの。これは常時効果が発揮される類のスキルで習得するだけで効果があるんだの。無論スキルレベルを上げれば強化される数値が増していくの」
またしても紳士ウサギの言うとおりに≪HP上昇≫スキルを習得する。その瞬間ユートのHPゲージが僅かに減少するとそのまま自動回復で全快状態へと戻った。
「減ったわけじゃないだろうから、上限値が増えたってことだよな。まあ、非戦闘区域の割合の自動回復ですぐに全快になるくらいならそこまで多く増えたわけじゃないだろうけどさ」
冷静に分析しながら呟いたユートに紳士ウサギは言葉を続ける。
「最後の一ポイントは好きに使ってみるといいの」
「好きにってことはスキルレベルを上げるのに使っても良いの?」
「それがお主の選択ならばの」
再びニヤリとダンディに笑う紳士ウサギ。ユートその笑顔を見て何も言わずに視線を習得可能スキル一覧へと落とした。
スキルは多種多様。専用スキルのようなものもあれば、純粋に攻撃手段となるスキルもある。他にも生産系のスキル。≪HP上昇≫に代表される常時発動系のスキル。普通にレベルを上げるだけじゃ習得できない特別なスキルも存在している。
基本的なスキルの習得に必要となるスキルポイントは1。スキルレベルを上げる時に消費するポイントも1。スキルポイントの獲得方法は主にレベルを上げることでレベルアップ時に得られるポイントはランクに依存していて『現在のランク値+2』が固定で付与されるらしい。
習得可能スキル一覧のヘルプを読むことで知ることの出来た情報だが、これは紳士ウサギが直接説明してくれてもよかった気がする。
ひとしきり悩んでユートが習得したスキルは≪自動回復・HP≫。戦闘中でもHPが自然回復できるようになるスキルで、レベルを上げればその回復量が増していく仕様らしい。
「さて、それでは実戦だの」
ブンッと大剣を振り回してから肩に担ぐと視線を鋭くして告げた。
いつの間にかホワイトボードは消えていて、その代わりにユートの足元に石で出来た舞台が出現していた。
「さあ、掛かってくるがよいの。ここでの体の動かし肩を教えてやるだの」
自分の腰以下ほどの体躯の紳士ウサギに向かって刀を振るうのは気が退けると逡巡しているユートを見破ったのか紳士ウサギは小さく溜め息を吐いて、
「来ないならこっちから行くの」
「うわっ!?」
咄嗟に抜いた直刀と紳士ウサギの大剣が激突した。
「ほう。危うげなく守るの。ならば、これはどうだの」
「――っ、蹴りだって!?」
「当然。ウサギだからの。蹴りには一家言あるんだの」
小さな体躯には似つかわしくない威力の蹴りに戦きながらユートはそれを的確にもう片方の腕でガードしてみせる。
実際の戦闘とチュートリアルの戦闘は違うのだろう。HPゲージが減る気配はなく、またユートの攻撃も紳士ウサギにダメージを与えられはしなかった。
「セヤッ」
「ふむ。なかなか筋がいいの。だがこれならどうだの?」
「み、耳ぃ!?」
独楽のように回転する紳士ウサギがぶつけてこようとしたのはその長い耳。先程まではふわふわのもこもこだった耳だというのに、ユートの顔の前を通り過ぎたそれはナイフのように鋭利な印象があった。
「ちょっ、あぶっ、のおぉぉ」
必死になってどうにかこうにか耳と大剣を捌いているユート。
何合かの打ち合いの末、相対している紳士ウサギは納得したように小さく頷くと、
「とりあえずはこのくらいだの」
戦闘体勢を解いて大剣を地面に突き立てた紳士ウサギがいった。
「<アーツ>無しでこれだけ戦えれば十分だの。というわけで<アーツ>を使ってみるかの」
「スキルレベル1で使える<アーツ>なんてあったっけ?」
「フッフッフッ。そこはチュートリアルクリアの特典ってことだの。――ほれっ」
「ほえっ!?」
ぴょんっと飛び片足でユートの額を優しく蹴ると、ほんわかとした光がユートの体を包み込んだ。
「普通は適当なスキルを与える事になっているんだがの、お主の場合はこちらの方がいいだろだの」
貴重なスキルポイント消費無しでのスキル習得の機会を失ったことを嘆くべきか、それともいきなり解放された≪直刀≫スキルのアーツ<一閃>に喜ぶべきか。
腕を組んで悩むユートの背中を軽い衝撃が遅う。
「何!?」
「的は用意してやるの。使ってみろだの」
五メートルほど離れた場所に出現した上半身だけの鎧を纏った案山子。
「えっと、<一閃>ってどんなアーツなんだ?」
手元のコンソールで突如習得したアーツの詳細を確かめる。
<一閃>――斬撃の威力が上昇する。
「それだけっ!?」
「どうしたの? 使い方が解らないのかの? アーツはその名を宣言することで発動できるんだの。さあ、武器を構え的を攻撃してみるがよいの」
「あ、ああ。……使い方というよりも効果の意味が分からなくて困ってたんだけど……まぁいいか。とりあえず使ってみれば分かる、よな」
直刀を構えて狙いを据える。
腰を落として素早く地面を蹴った。
「<一閃>」
直刀の刀身に宿るライトエフェクトが斬撃と共に駆け抜ける。
的となっている案山子が胴体から真っ二つに切断されて崩れ落ちた。
「嘘…だろ……」
あからさまに異常な威力。到底レベル1が使うアーツの範疇を超えている。
愕然とするユートに紳士ウサギは何処か不満そうに、
「まだまだだの。<一閃>の威力はこんなもんじゃないはずだの。もう一回!」
「うえ!?」
それから数十回。チュートリアルの場であることを最大限利用してユートは紳士ウサギの指示のもと延々とアーツの練習に励んだ。
ようやく紳士ウサギから合格を言い渡されたのはより綺麗な切断面を見せられるようになった頃。
ぜえぜえと肩で息をするユートは≪直刀≫スキルで覚えられる最初のアーツの威力に何故と首を傾げるばかり。
「それこそが≪直刀≫の秘伝<一閃>の威力だの」
「ひ、秘伝っ!? 何で? どうして? っていうかそんなのあるなんて知らないんだけど!?」
「どうだの? レベルを上げるだけでは到達出来ないアーツを覚えた感想はの?」
「や、意味が分からない……」
「フッフッフッ。困惑してるみたいだの」
「そりゃそうだよ。普通こういうのってもっと後になって覚えられるんじゃないの?」
「何を言うとるか。普通にしていても覚えられないと言うとろうがの」
「聞き間違いじゃなかった……」
がくんっと崩れ落ちるユートを紳士ウサギが不思議そうな目で見ている。
「この時に紳士ウサギとの打ち合いに応えたプレイヤーにはそれなりのものを与えておるのだの」
「それが<一閃>みたいなアーツってこと?」
「全員が全員そうではないがの。チュートリアルをおざなりに終わらせようとするものには当然まにゅある通りの対応をするだけだの。真摯な者には真摯に対応するのが紳士ウサギの信条だの」
「ってことはより強力なアーツを覚えるプレイヤーもいるってことか」
「アーツだけではないの。ちょっと強いスキルを覚えられるようにしてやることもあるからの。だが、基本的な数を増やすことはないぞ。それでは公正で無くなるからの」
「つまり、量より質ってこと?」
「数が欲しければこれから自分で強くなっていけばいいだけだの。紳士ウサギが見るのはあくまでも個人の姿勢――質だからの」
偉そうに胸を張る紳士ウサギが疲れたというように自分の大剣の背にもたれ掛かる。
「ま、何がともあれお主のチュートリアルは終了だの。よく頑張った、だの」
紳士ウサギが片手をグッと前に差し出した。人の身で同じ事をしているのと想像するならば満面の笑顔でサムズアップだろうか。ユートは戸惑いの笑みを返す。
ユートがこの草原に来た時と同じ光の扉が出現した。
クイックイッと手を動かす紳士ウサギに呼ばれたと思って近付いて行くユートだったがピタッと足を止めた。紳士ウサギが誤って渋柿を食べてしまった時のように顔を顰めたからだ。
「違うの? あ、行けってことね」
そのジェスチャーの意図を知りユートはトボトボと光の扉へと向かう。
「紳士ウサギ。チュートリアルありがとうね」
「じゃあの」
「うん。またどこかで」
そっぽを向いて手ではなく耳を振る紳士ウサギに見送られユートは光の扉をくぐる。
光の中にその背中を見送った紳士ウサギはそっと振り返った。
「ユート。楽しむんだの」
その呟きは誰にも届かない。
けれど、その瞳は暖かくユートの未来を見守っているかのようだった。
今回の話は本作第一章第一話をモチーフにセルフリメイクのような感じにしてみましたが如何だったでしょうか。
作者としては今回からの更新は以前の話を読んでいなくとも読んでいけるようにしてみようと頑張る所存です。
物語の展開はこれまでよりも普通のゲームっぽさを意識してみるつもりです
まあ、どこまで普通のゲームっぽいイメージになるかは未知数なんですが。とりあえず、能力値表記省略は昨今のゲーム事情からすればあり得ないと言われそうですね。その辺はこの作者の性格だといずれ描写するのを忘れてしまうだろうと事前に処置したと思って頂ければ幸いです。
というわけで、ここで作者からお願いが一つ。本作の評価・ブックマークを宜しくお願い申し上げます。ポイントが増えていくと作者が喜び創作の意欲に直結しますので重ね重ねどうか宜しくお願いします。