ep.83 『また、何度でも』
「なるほどね。それが結末ってやつか」
腕を組み深く頷くハルがいった。
ゲームをプレイできる『サークルエリア』の内側にある『セントラルエリア』。現実、仮想問わず数多の企業が軒を連ねているその一角にあるレンタルスペースを借りて行われたギルド『黒い梟』の全メンバーによる報告会という名目の打ち上げで真っ先に話題にあがったのは最後まで残った俺とムラマサからの報告だった。
それぞれが自分の視点からの出来事を語り、補完しあって見えてきた物語はけっしてハッピーエンドなんかでは無かったと俺は思う。
誰かを救えたわけでも、何かを守れたわけでもない。唯一出来たことだと胸を張っていえるのは二人の願いが叶ったのだと思えたことくらい。しかし、それが良かったことなのかどうか。本当の意味で結果が出るのはこれから先のこと。
「にしても、世界が変わったって言われても実感なんてないッスねー」
「そうねえ。ここも、ゲームの中だっていつものなにも変わってないもの。それどころか、あんな戦いがあっただなんて知らない人のほうが多いんじゃないかしら」
「アタシたちだって当事者じゃなければどこの漫画の話だって感じだもん」
「――(コクコクコクコク)」
テーブルや自分の体に触りながらのリントの呟きにライラとフーカが同意する横でアイリが何度も何度も全力で頷いている。その勢いについ首は痛くないのだろうかと心配してしまうほどに。
「……でも、起こったのは、事実。だって――」
「むぅ、まあ、ユウがこの有様になった理由はそれ以外にはあり得ないとも言えなくはないか」
「そんな、有様って言い方は……」
セッカが向けてくる視線はどこか笑いを堪えている節があり、その横に座るボルテックはなんやら一人無駄に考え込んでいるようにも見える、がその隠しきれていない毒舌にヒカルが驚いたように目を丸くしていた。
「んー、それでその格好というわけかい?」
一通りの報告という名の説明を終えて手前に置かれたティーカップを手に取り一息吐こうとしていた俺にムラマサが訊ねてきた。
その目に浮かぶ感情は申し訳なさとか悔しさではなく、もっとストレートに困惑だろうか。
何故と聞きたいであろう表情を浮かべて向けられる視線は些か居心地が悪い。
「まあ、こっちで集まろうって俺が言ったのも、理由は一緒っちゃあ一緒なんだけどさ」
コクンっと琥珀色の液体で喉を潤す。
口の中に広がる甘い花の匂い。現実では見かけない名称ならがも見た目から紅茶の一種だと思って注文した飲み物は実際のところ何かのハーブティーだったらしい。レモンを搾ったようなさっぱりとした後味が意外と美味しい。
カップに注がれた量の半分ほどを飲んでソーサーに戻す。
そしてお次はというように隣に置かれている見慣れないフルーツが載ったタルトケーキへと手を伸ばした。
「って、おい。何をするんだ?」
フォークが空を切る。
俺が今まさに食べようとした瞬間を狙ったようにムラマサが俺の前にあるケーキを取り上げてしまったのだ。
「暢気に食べている場合かい?」
「いや、食べる前に取り上げられたんだけど――」
「これでも心配しているつもりなんだけどね」
怒ったように、それでいて困ったような表情を浮かべたムラマサが言うと、不意にそれまで明るかったこの場の雰囲気が暗くなった。
一斉に向けられる皆の視線に俺は、
「そうは言ってもな。こうなるのはある意味で解っていたようなもんだし」
と、自分の手を見た。
濡れたように黒く輝いてみえる自分の手。
「だからって、何もソレを選ぶことなかっただろう」
これまた困ったように苦笑して告げた一言を皆がそれぞれ違うニュアンスで肯定してみせていた。
「そんなに駄目か? 可愛いと思うんだけどさ……ペンギン」
サークルエリアでは自ら作ったキャラクターになる。しかしセントラルエリアではそれ以外にもなることができる。加えてキャラクターを作らないのならば予め用意されているキャラクターを使用することも可能だった。
用意されている中で人型は殆どと言って良いほど存在していない。あるのは顔の無いマネキンみたいなやつだけ。大半は著作権フリーか、自由に使用してもいいと認められているキャラクターを模したもの。あるいは動物やゲームに出てくるモンスターを誰にでも親しみやすいようにデフォルメしたキャラクターといったものばかり。
俺が使用しているのは自分が作ったキャラクターではなく、用意されているなかの一つ。一応水族館にいるリアルな感じではなくモンスターがデフォルメされているのが特徴だろう。なにせこのペンギンの背には本物にはない立派なサメのような背びれがあるのだから。デフォルトの名称だって『ペンギン』ではなく『弾丸ペンギン』となっていて、それがどのゲームに出てくるのはまでは解らないが、一目で気に入るほどの可愛さが前面に押し出されているペンギンなのだ。
「可愛い?」
「っていうか、ユウさんが可愛さを重視するとは……知らなかったッス」
ムラマサから取り戻したケーキをその手? 前足? 主翼? で持ったフォークで食べながら聞き返した俺に、アイリとリントが微妙という視線を向けてきた。
「まあ、お前はたまにどこかしらズレた行動するからな。ソレを選んだことくらい別にどうってこともないんだけどさ」
ハルが一応の理解を示しながらも、少しだけ表情を曇らせた。
ケーキを食べる手を止めてフォークを皿の上に置く。そして軽く息を吸い空を見上げてから視線を落としてハルを見ると彼の落ち込んだような顔がよく見える。ハルが落ち込んでいる理由も、ハルが言おうとして口を噤んだその先も俺は知っている。
「……ねえ。やっぱり、『ユウ』はもう、いないの?」
セッカが小さな声で訊ねてきた。
ここで彼女が言った『ユウ』は俺のことであって俺じゃない。ゲームで使うユウというキャラクターとそれを持つアカウントのことだ。
「まあ、な」
俺は戯けたりせずに真剣に答えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
三日前。
かの世界の解放を遂げた俺はそのまま現実へと戻っていた。
時間は深夜二時。
いつの間にか過ぎてしまっていた時間に戸惑いを覚えながらも、俺はその日のうちにハルと連絡を取って自分の無事を告げたあと、簡単に事の成り行きを説明することにした。そしてそのまま他のギルドメンバーたちに伝えて欲しいとだけ告げてそのまま寝落ちしてしまったのだ。
肉体的というよりは精神的に疲労してしまっていたのだろう。翌日の昼頃まで眠り続けた俺は心配そうに部屋を覗き込んできた夏音さんにことのあらましを説明したのだった。
俺の話を聞き終えた夏音さんは小さく「…そう」とだけ呟くと目を閉じ何かを考え込んだ後に驚くような言葉を言ってきた。
「その話、私が遺してもいいかしら?」
どういう意味だと聞き返すと、
「皆の名前も、そこに出てきた人のことも分からないようにするわ。でも、何が起ったのか、それがフィクションだと思われたとしても、誰か一人にでも確かにあったことなのだと思わせるくらいでもいいの。ただ、誰も知らないまま、人の記憶にも残らないまま消えてしまうのは私の矜持が許さない。だから――」
物語として遺してもいいだろうか、と。
自分に関することだけならばまだいい。けれど事の本質は俺ではなくアラドとグリモアにある。この二人が遺した願いこそが物語りの根幹になるのならば、彼らを知る人物。それこそあそこで立ち会った叔父と呼ばれていたその人に相談する必要があるのではにないだろうか。
俺は思ったことを素直に伝えると、
「そうね」
と短く呟くと夏音さんはどこかと連絡を取ったのだった。
部屋を出て数十分。再び戻ってきた夏音さんはどんな伝手を使ったのか分からないが、
「了承してくれたわ。尤も誰が誰だか解らないように。あくまでもフィクションの物語だというようにすることを条件に、だけどね」
そう言った夏音さんに対して驚いたように目を丸くしている俺にいった。
「もしかするとまた同じ話を聞かせて貰うかもしれないけど、それでも――」
いいかと。俺は「勿論」とだけ答えていた。
それから数日。夏音さんは家に帰ってきてはいない。聞いた話では自らどこかのホテルで缶詰になりこの物語を書き上げているのだといっていた。
おそらくいくつも脚色は施されているのだろう。
主人公がもっとヒロイックになっているかもしれない。
敵がもっと悪役然としているかもしれない。
あるいは全てが俺の語ったままになっているのかもしれない。
俺と叔父と呼ばれていた人に夏音さんが唯一同じ約束をしたことは二人の思いは変えないということ。
それから今日に至るまで空いた一日で俺は再び仮想世界へと赴いていた。
何が目的というわけではなく、解放された世界というものを一度自分の目で見ておこうと思ったからだ。
しかし、それは出鼻で挫かれてしまった。
いつものようにフルダイブしようとして、いつもとは違う場面で止められてしまったのだ。
あるはずのもの。『ユウ』というキャラクターが存在していないこと。またそれがデータの破損でも自ら謝って消去してしまったというわけでもなく。まるで最初から存在していないかのように、綺麗さっぱり消えてしまっていたのだ。
慌ててログアウトして、再びログインしてみるも結果は同じ。
セーブデータの消失などという前時代的な事態に陥った俺はゲームエリアに入ることを諦め、セントラルエリアへと向かうことにした。ここでは借り物のキャラクターでも問題がないからだ。
数あるキャラクターの中から今と同じ『弾丸ペンギン』を選び、一人喧噪のなかを歩き回った。
楽しそうな声。
賑やかな街並み。
色鮮やかな空。
いつもと変わらない光景が、そこに広がっていた。まるで、誰も変化が起きたなど気付いてすらいないように。
不意に足取りが重くなった。
表通りを避けて、裏通りに向かう。
今や現実の町では表も裏も同じように栄えている。けれど、未だ発展途上にあるこの場所では裏通りからさらに奥へと向かえばそこは喧噪の届かない静かな郊外となり得た。
人が居ない場所で誰でも座れるように設置されたベンチに座る。
そうした時、ふと虚しさを感じた。
あの時の戦いは確かに多くの人の目に触れることじゃない。寧ろこういった表舞台の裏、誰も知り得ないような場所で起った出来事なのだ。
だからこそ知られていないのは仕方がない。仕方がないのだが。
「無意味だった、なんてことはないよな」
思わず口から出た自分の言葉にハッとした。
何も変わっていない。まるで初めから無かったかのように。そんな風に考えてしまっていた自分を否定したくて、でも出来なくて。
ただ誰かに、何かに意味があったと言ってほしかったのかもしれない。
無力感に苛まれながら立ち上がった俺の目にとある光景が飛び込んできた。
それはNPCの子供が町の外れにある広場で追いかけっこしている平凡な風景。誰が見ているかすら解らない、何故それを描いているのかも解らないような光景だったが、そこでNPCの子供はまるで生きているみたいに動いていた。
自分たちプレイヤーと何一つ変わらないような感じで。
思い出される自分の子供の頃。
日が暮れて呼びに来た母親に手を引かれ還っていく友達たち。そこで最後まで残ってしまった自分。それでも最後になってもちゃんと迎えに来てくれた母と共に帰路についた思い出がふと脳裏を過ぎったのだ。
「生きているみたい…じゃないのかもな」
アラドとグリモアはここを本当の世界にしたいと願っていた。ならばそこに生きる人もまた本当である。
この子供たちが何らかのプログラムに動かされていることは間違いないだろう。けれど、それが人の手の届かない存在ならば現実と何も変わらないじゃないか。
現実だって全部自分の思惑で事が運ぶわけじゃない。そこには無数の人の意思が介入し、偶然と必然が混在しながらも、自分で選び生きていくのだ。それがこの目の前にいる子供たちと何が違うというのか。
突然一人の子供が転んだ。
膝には擦り剥いたよう傷ができ、僅かに血が滲んでいる。
咄嗟に手を貸そうかと踏み出そうとして止めた。その子供の友達が手を差し伸べて、子供もまた自分の力で立ち上がったからだ。
いつしか子供たちはそれぞれの家へと帰って行った。
もしかするとそのなかにプレイヤーが混ざっていたのかもしれない。けれどそんなことが解らないくらいに自然に生きる彼らを見て俺は二人がやろうとしていたことの結果の片鱗を垣間見た気がした。
この光景が俺のなかの疑念を払ってくれたのだろう。もやもやとしていた何かが消えていた。それから俺は明日の相談をするべく皆に連絡を取ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「『ユウ』は消えた。でもそれは『ユウ』の役割が終わったのだと思うことにしたんだ。どんなゲームにもエンディングは存在する。それはこのストーリーがない【ARMS.ONLINE】だって同じなんだ。皆自分にとってのエンディングがあるんだよ」
弾丸ペンギンの姿で話す俺に皆が耳を傾けていた。
「俺の場合、あの戦いがそうだったってだけでさ。キャラクターの消失もある意味で納得しちゃったんだよな」
「……だったら、辞める、の?」
晴々と話す俺にセッカが心配そうに訊ねてくる。
多分、皆が聞きたいのはそこなのだろう。『ユウ』というキャラクターを失った俺がこの世界から離れるのかどうか。
「辞めないよ。俺は」
「だったらどうするんだ? このギルドだって――」
穏やかに告げた俺にハルが食い気味に聞いてきた。
「ギルドは、そうだな。正直にいえば俺がマスターを続けるのは無理だと思う。そもそも権限のあるキャラクター自体が消えた訳だからな。ハルだって知ってるだろ。俺は皆に連絡することすら大変だったんだぞ」
即座に連絡を取れたのは現実の連絡先を知っているハルくらいで、他のメンバーは連絡の取りようがなかった。それもそのはず、他の皆との連絡はゲーム内のフレンド通信を使ってばかりだったからだ。キャラクターのデータが消失したとき、同時にフレンドの情報も消えていたのだ。
そう考えると俺のこの状況はキャラクターデータの消失ではなく、アカウントの抹消なのかもしれない。ハード本体は問題なく起動したために、影響があったのはあくまでも仮想世界内部だけに留まったみたいだが。
「だったらもう一度フレンド登録すればいいじゃないですか」
そう言い放ったヒカルに皆は一様に頷いていた。
「別に友達を辞めようって話じゃ無いさ。後からもう一度フレンド登録して貰うつもりだったしさ。ただ、次の俺は『ユウ』じゃないんだ。持っていたアイテムも、覚えていたスキルも、鍛えていた武器や防具も何もかもがなくなっている。レベルだって初期値だし、パラメータも最低値だろうさ。そんな俺がギルドマスターなんておかしな話だろ」
「そんなこと――ッ」
ないと否定しようとしたヒカルを隣の席のライラが制止した。
「だから、ギルドに関しては皆に任せようと思う。そもそも今の俺はギルドの構成員って情報すら消えているだろうしな」
俺は昨日一日じっくりと考えてきたことを話し始めた。
「俺が持っていた全ての権限は今は空白のはずだ。それら全て皆で自由にしてほしい」
「わかった。任せてくれたまえ」
「頼もしいな、ボルテック」
「茶化さないでくれ。本来ならば君が戻ればすむ話なのだ。だが…そのつもりはないのだろう?」
「悪いな」
そう。俺は決めていたのだ。失したものを取り戻すのではなく、また一から始めることを。
「助っ人もいらないのか?」
「俺と皆じゃレベルが違いすぎるよ。それに疎遠になるわけじゃない。こうして顔をつき合わすことだって何度もあるだろうし、いつかはまた一緒に冒険するかもしれない。でもさ、その為にはまずは俺が皆に並ぶくらいにならないといけないんだ」
「何も一人でやろうとしなくてもいいじゃないですか」
「だからって皆の影に隠れてレベルだけ強くしてもらうのも違うだろ」
多分そうしようとすればできる。
同じパーティに入れてもらって自分よりも遙かに格上の相手を自分以外のメンバーだけで倒してもらって経験値という数字だけを積み重ねていく方法だ。仲間内で早く一緒に同じくらいになりたい、なってもらいたいという目的が合致して行われることもあるが、俺は今回そうすることを拒んだ。
昨日確かに目にした命が生きていると感じられる世界でズルはしたくない。そう思ったのだ。
「ま、そういうわけだ。今日集まってもらったのは件の報告と、決意表明ってわけだな」
弾丸ペンギンの身なりで胸を張る俺を見て誰彼ともなく大きな溜め息が吐き出された。
程なく重かった空気は瞬く間に霧散して、何故か俺に対する変な愚痴を言う大会が開かれたのだ。
(あのね、キミタチ。そういうことは本人のいない所でやろうよ)
とは口が裂けても言い出せず、俺はこの日、解散する夜遅くまでずっと肩身が狭い思いをし続けたのだった。
ついでに言えば皆とはフレンド登録をし直した。
キャラクターはまだだけどアカウントだけは作り直しておいてよかった。
ようやく十四章が終わった。
ああ、長かった。
とはいえ次回更新からは新たに十五章が始まるわけですけど。
そしてその十五章ですが、本作もここまで長くなったからこそ作者的にはまた一章一話からのスタートという思いで始めようと思っています。
この為に主人公のキャラクター消失はいい機会ですからね。
その際に作中のゲーム設定なんかも見直してみようと思っています。何というか、キャラクターの能力の数値化とか殆どやらなくなってしまっていますからね。そこら辺をもっと良い感じに出来たらと。
とはいえ毎回ステータスを残していたのではめんど……ゲフンゲフン。
なにがともあれ、次回からはまた心機一転新しい話を始めたいと思います。
冒険の舞台は再び本作第一章のはじまりの町(予定)。
初心者の能力値しかないベテランとなってしまった主人公君をよろしくです。
では、作者を鼓舞するためにも評価・ブックマークをよろしくお願いします。