ep.81 『真の竜』
倒れているムラマサへと迫るザ・ビーストの巨大な両腕。
大きなダメージを受けているのか、あるいはスタンの状態異常を起こしてしまっているのか、防御態勢すら取れていない無防備を曝す彼女に伸びる魔の手を目撃した瞬間、俺は咄嗟に走り出していた。
いつもならば腰のホルダーに収まっているガン・ブレイズへと伸びる手もこの時ばかりは何も掴まないまま前へと差し出されている。
「くそっ、間に合わないッ!?」
自分の走力と相手との距離を思えばその結果は明白。
「ああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっ」
脳裏に浮かぶムラマサを貫くザ・ビーストの腕という光景を振り払うべく俺は全力で走り、全力で叫んだ。
刹那、何かのたがが外れた音がした。
聞き間違いや空耳の類などではないそれは一種の耳鳴りのようでもあり、硝子が砕ける音のようでもあった。音の正体はわからずとも、抱いた感覚に共通しているのは何かが壊れる音だということ。
前方へ伸ばされた腕、その指先から徐々にキャラクターの体を形成しているテクスチャが剥がれ落ちていく。
これが崩壊なのだとするのならば、それが俺の全身へ行き渡るのに掛かった時間は十秒にも満たなかったと思う。
走る足。右足が大地を踏めばその足元から。叫び声を出す口が空気を吸い込もうとするならば鼻先から。全身くまなくその先端から剥がれ落ちていくテクスチャが極細の欠片となって消えていく。
剥き出しになった自分の体に激痛が走った。
皮が剥がされ内部が剥き出しになった擦り傷なんてものとは比べものにならない痛みも、次の瞬間には別の痛みに変わる。
体の内部がかき混ぜられるような不快感。
全身の骨という骨が砕かれ即座に修復されているかのような感覚に思わず膝から崩れ落ちそうになる。
軽く片手を地面につけて堪えるとそのまま走る。
これら全てが数秒の間におきた出来事。
痛みの激流が収まったのと同時に俺の体は変化していた。異常を引き起こし、異質なものへと。
「ぐっ……掴…んだッ!」
その光景の異様さに気付いたのは割と早い段階だったと思う。
何せ、巨大なザ・ビーストの片腕をちょうど組み合うようにして自分の片手が掴み、残るもう片方の手が地面に横たわるムラマサを守るように覆い被さっているのだから。
無論自分の意思による行動だ。
だが、武器を振るうわけでも無く、この行動こそが当然だというように動いた自分の体に違和感を覚えるのは無理も無いだろう。
即座に突然現われた俺を敵と認識したのか、ザ・ビーストはもう片方の腕をこちらに向けてきた。
その動きを見てムラマサから気を逸らすことができたと判断して俺は彼女に覆い被せていた手でそのままザ・ビーストの腕を掴んだ。
両手を組み合うがっぷり四つの形になったことで、次に優劣を決めるのは他にどのような攻撃手段を有しているか。
言わずもがなザ・ビーストには七つもの頭や手のように広げられた骨格翼、他にも俺を飲み込み噛み砕いた顎を持つ尾がそれぞれ必殺の威力を秘めた武器としてその身に宿っている。
比べて自分はどうだろう。
変貌したのは間違いない。でなければザ・ビーストと組み合うなんてこと出来るはずが無い。
しかし、その他は?
人族としての武器はガン・ブレイズ。竜化したとしてもそれは変わらなかった。地力が底上げされる竜化でも新しく武器がその身に宿るなんてことは無かったのだ。
押し潰そうとするザ・ビーストを必死に押し返しながら、俺は意識を僅かに自分の体へと向けた。
爪先から頭の天辺まで。おおよそ皮膚感覚で分かりそうなものは全て認知してやらんばかりの勢いで巡らせた意識は俺に自分の現状を伝えてきた。
そう。これこそが本当の竜化とでもいうべきか、俺は自分の体を竜へと変化させていたのだ。
全身が二回り以上も巨大化し、ザ・ビーストの腕を掴んだ自分の手はまさしく魔導手甲を装備した左手を彷彿とさせながらも巨大に。大地を掴む足は、いつもの丈夫なショートブーツでも、竜化した金属製の鎧の具足を装備したのとも違う。鋭く尖った大きな爪が地面を踏み締め、鋭利な印象をもたらす装甲が隙間無く纏っている。
頭はいつもの剥き出し状態の時とも竜化した鎧越しとも違う感覚がある。それは硬い装甲が文字通り皮膚のようになっていることを物語っていた。
体も同様。普段より鋭敏な感覚はこれまで感じることのなかった風の流れすら感じ取れてしまうほど。
いつもと大きく違うのは背面だろうか。特に背中とお尻の部分にいつもと違う感覚があった。その正体は単純、人としては持たないが竜としては持っていても何もおかしなことのない翼と尻尾の存在だ。
翼もザ・ビーストの骨格翼とは違い左右に二対、剣のように輝く四つの翼が備わっており、その形状はどこか俺が使うガン・ブレイズの刀身とアラドが使っていた黒い大剣を彷彿とさせる。
尻尾は案外特別な形状はないようで、単純に装甲が覆っているという感じだった。それでもこの尻尾のおかげで大抵の攻撃はバランスを崩すこと無く放ち、大抵のザ・ビーストの攻撃を受ける時には体を支える柱にもなってくれそうな頼もしさがあった。
「いいか、お前の相手は…俺……だッ!」
そう宣言して全身に力を込める。
無意識のうちに広がった翼はそれぞれ真ん中から二つに開き内部から翼状のエネルギーが放出された。玉虫色に輝くエネルギーが生み出す望外の推力によってザ・ビーストの腕を押し返し始めた。
「余所見してんじゃねぇーよ!」
全身を後押ししてくれる推力を味方にして押し返したその瞬間にザ・ビーストを投げ飛ばした。
その際、尻尾が独楽の軸のようにバランスを取る役割を担っていたのはこれまた無意識の動作だった。それもそのはず、俺は生まれてからこの方尻尾を生やした経験も翼を広げて飛んだ経験もないのだから。
「はぁ、はぁ、はぁ」
体の奥底から漲ってくる力は自分一人のものじゃない。あの時、アラドから受け取った『竜の力』が俺が持っていた『竜の力』と融合して初めて顕現したのだろう。
元々一つだった力が二つに分かれ俺とアラドに宿った。それが今、俺の体で一つになった。敢えて名付けるのならば『真竜化』だろうか。
この世界で生まれて散らばりプレイヤーの一部に宿った様々な力。それらを集約することで現われたザ・ビースト。その存在こそがアラドの目的を果たすための第一段階。
多様な力として世界に散らばったプログラムの欠片。それが意味することこそこのVR世界が本当の世界として息づくために必要不可欠だったもの。ザ・ビーストとなることでプログラムとしての完成するように作られた。ある意味でゲーム的なそのプログラムは本来アラド本人の手によって討伐し、広大なネットの海へと放たれる予定だったのだろう。
それが叶わないことになりグリモアがアラドの目的を果たそうとして大勢のプレイヤーを巻き込み、結果、こうして俺がアラドの力を抱き対峙しているのは何の因果か。
不意に過ぎった知らないはずの知識と感傷に俺は僅かに俯いた。
瞳を閉じること無く自分の内側に意識を向けると僅かにアラドの残滓を感じた。どうやら力を受け取った時にごく一部ではあるがその記憶までも引き継いでしまっていたらしい。
「いいさ。それならアラドも力を貸してくれ――」
骨格翼を広げ宙に浮かび、体勢を整えたザ・ビーストが七つの頭で咆吼を上げた。
それらの口に宿る光が一瞬にして放たれる。
虹のように七色の光線が縦横無尽に駆け巡り迫ってくる。
「させるかッ」
今の自分の体の使い方は漠然と理解していた。
だからこそ叫び、翼に力を込めた。
翼で空気を掴み飛び上がった俺はそのままエネルギー状の翼を広げ、両手を前に構えた。
七色という色彩鮮やかなザ・ビーストの光線とは反対に俺の翼から放たれた光は黒。夜空のように星々を抱くその黒は煌めきながら七色の光線を薙ぎ払う。
七つの口から七つの光線に比べて俺は左右の翼からそれぞれ一発ずつの計二発の光。けれどその出力自体に差があるのか、ザ・ビーストの光線は全て黒に飲まれていった。
光線を薙ぎ払われたザ・ビーストは近接攻撃を仕掛けるべく速度を上げて飛び掛かってきた。
魔法陣に浮かぶ両腕と伸びた骨格翼が迫る。
俺は翼で風を叩いて急加速してザ・ビーストを迎え撃つ。
互いに巨大な体を誇っているにも関わらずここから繰り広げられる格闘戦は熟練した人間のそれに近かった。
相手の攻撃が迫れば的確に防御と回避を繰り出す。
攻防の隙を突いて一撃を叩き込むと互いに少なくないダメージを受けた。
「ぐあっ――だけどッ」
一撃を受けて短く声を漏らした俺が返した拳がザ・ビーストの腹部を捉える。すると俺と同じように小さな呻き声をだして怯んだ素振りを見せた。だが即座に崩した体勢を整えて更なる攻撃を繰り出してきた。
この戦闘は既にシステムの外にあるのか、俺も、ザ・ビーストもHPゲージに算出されたダメージとは別ベクトルのダメージによってしのぎを削っているような気がした。
文字通り命の削り合いだと言うように、苛烈を極める格闘戦を中断させたのは下から迫るザ・ビーストの尻尾。一度噛み潰されたことを思い出して急上昇と急旋回で回避すると、今度は俺が自分の尻尾を鞭のように使い七つの頭のどれかに当たれば良いと思いっきり叩きつけた。
幸運なことに縦に並んでいた頭を二つ打ち抜いたことでザ・ビーストは大きく怯んだ。
「ハアアアッ!」
翼を広げ、落下と強引に止めるとそのまま、前方に自身を弾丸に見立てて撃ち出した。
激突するザ・ビーストと俺。
互いの体の硬さはどちらも自信があるのか、防御として身を固めるのではなく、大きく息を吸い全身を強張らせるだけに留まっていた。
それでも大型車同士がぶつかる時のように、いやそれよりも遙かに大きく硬いもの同士が激突する轟音を轟かせながら空中でぶつかり合った両者はそれぞれ後方へと吹き飛んだ。
「まだッ」
アラドの記憶が俺に伝えてくる。ザ・ビーストを倒すことの意味を。
プレイヤーに宿った力――即ち分散させたプログラムを内包しているザ・ビーストを倒すことがプログラムを可動させて解き放つことの条件。
何を面倒なと思ってしまうが、それを成すことの意味も十二分に理解している、させられている。
よろめきながらも光線を放ってくるザ・ビーストに合わせて俺も翼から二つの黒い光を放つ。七つの光線を一ヶ所に収束させたザ・ビーストに左右から向かう黒い二つの光。
衝突した光は周囲に星のようにキラキラと輝く衝撃波を撒き散らしながら消えていく。
「これは互角。格闘戦でも決着が付きそうにない、か。だったら――」
再び翼をはためかせて前に出る。
徐々に馴染んできた竜の体の使い方。それは黒い光を放つだけでも、人族の時よりも何倍にも強力になった格闘戦を仕掛けることだけでもない。そもそもがユウというキャラクターをベースに変化した竜なのだ。出来ることは他にもまだまだ残されている。
例えば、
「ハアアッ」
銃形態のガン・ブレイズの射撃のように両手の平から連続して光弾を撃ち出すこと。
威力はおそらく黒い二つの光よりも低いだろう。しかしその連射性能やより緻密な射撃性能は上。
ザ・ビーストが反撃しようと七つの口が開いた瞬間にその口を狙い放たれた光弾が小規模な爆発を引き起こし、反撃を強制的に中断させた。
「今ッ」
銃形態の時と同じことが出来るのならば、当然剣形態でも出来ることはある。
指を伸ばし、腕を一振りの剣に見立てて繰り出す斬撃が自分に迫る骨格翼を的確に打ち落としていく。
さらに真竜化したことにより使える刃は増えていた。剣のように鋭い翼を体勢を動かすことによって剣のように振るう。
両腕と翼の波状攻撃はザ・ビーストの骨格翼による攻撃の勢いを徐々に超えていく。
「そこ、だッ」
己の翼で骨格翼を打ち払い生まれた隙を突いて右手を伸ばす。
剣のように、槍のように放たれた突きはザ・ビーストの体を穿つ。
貫くには至らなかったとはいえ、その甲殻を砕き内部を剥き出しにさせたのだ。
「逃がすかよォ」
即座に手を開き割れた甲殻の内側を掴む。
そしてそのまま、
「喰らいやがれェッ」
ゼロ距離から光弾を放った。
次回、この戦闘決着(予定)。
はい、出来るように頑張ります。
あ、あと、作者が大変喜びますので、評価、ブックマークを宜しくお願いします。