ep.76 『雨・反転』
腕が自分に触れるまで数秒間という僅かな時間ないに鳴り響く数発の銃撃音。
言わずもがなガン・ブレイズによるものだが、その効果は無かったと断定せざる得ない。
最大の狙いは攻撃を中断させること。出来ないのならば攻撃の矛先を逸らすこと。それすら無理ならば勢いを衰えさせることだ。しかし、眼前へと迫るザ・ビーストの腕は微塵もその勢いを衰えさせること無く遂にガン・ブレイズを構える俺の体を薙ぎ払ったのだ。
正面から衝撃を受けて後方へと吹き飛ばされたその刹那、ガン・ブレイズを剣形態へと変え地面に突き立てて勢いを殺す。
両膝を地面に付け、左手は地面を掴もうと爪を立てどうにかその場に留まると不意に影が俺を覆った。
「――ッ!?」
驚いたように見上げるとそこにはザ・ビーストの広げられた手が。ギュッとキツく拳を作ったかと思えばそのまま巨大なハンマーのようにして叩きつけてきたのだ。
咄嗟に地面を蹴って転がるように回避した。
避けた自分が居た場所からは地響きに似た音が轟くと鼓膜だけじゃない、自分が立っている地面や空気までをも震わせる。
「うわっ」
逆手に持ち替えたガン・ブレイズを杖代わりにして揺れに耐えるも視線の先では更なるザ・ビーストの攻撃の予兆が現われた。
空を仰ぐように見上げ開かれたザ・ビーストの顎を中心に空気が渦を巻き始めたのだ。程なくして微細な光が周囲に漂い始める。その色は赤や青、白や黒など様々でまるで星空を撮した連続写真のようだと目を奪われてしまっていた。
自分の行動に対する一瞬の逡巡の間にザ・ビーストはその口を閉ざす。それがまさに攻撃の準備を終えた証なのだと直感的に理解するよりも先にザ・ビーストの瞳が此方を捉えた。
この距離で放たれる強力な一撃を回避出来ないと悟った俺は咄嗟に身構えることしかできなかった。
魔導手甲を装備した左腕を盾のようにして構える。
そうして轟いたザ・ビーストの咆吼。それに伴って放たれた強力なエネルギーの奔流が俺を飲み込まんと迫ってきた。
赤黒い光の混ざった星空のような息吹が全てを覆い尽くしていく。
息吹を耐えている間俺が感じていたのは痛みなどではなく、純粋な圧力。
全身が焼けつくような熱も、痛みもない。
ただ自分のHPゲージが減っていくのを見てることしかできないでいる。
(拙いッ、回復をしないと――)
いつまで息吹が続くのか解らない現状に自ずと焦りは募ってくる。
なにせ竜化している間は回復用のアイテムを使えないのだ。ならば竜化を解くかどうかとなれば答えは否。上昇している防御力があってこそ耐えられているのだとすれば、それを無くすのは明らかに愚策と言えよう。
根くらべのような状況にひたすら耐えること数分、この数分が何倍にも感じられたのは言うまでも無い。とはいえそこから解放された時、全身に加えられた圧力によって竜化した鎧のあちこちが歪み凹んでしまっていた。
HPも残り僅か。これでは勝てるまで戦い続けることは出来そうもない。
そう判断すると行動は早い。
素早く竜化を解くと、逃げるようにザ・ビーストから距離を取るため走りだした。その途中ストレージから取り出したHPポーションを煽るように二つ、一気に飲み干した。
HPが回復しきるまで逃げ続けて、二つ分のポーションの効果が発揮されたのを視認すると即座に体の向きを変える。
自分を追ってきているそう予測していたザ・ビーストだったが、その行動は俺の予測を簡単に裏切ってきた。骨格翼を広げ体を浮かせたままゆっくりと移動していたのだ。
俺ではない、グリモアがいる場所に向かって。
呆然と立ち尽くしているグリモアにはザ・ビーストに対する警戒心は微塵も見受けられない。それどころか意思のようなものがまるで感じられなかったのだ。
「グリ――ッ」
息を呑み名前を呼ぼうとして詰まらせてしまう。
棒立ちのグリモアにザ・ビーストが大口を開けて噛みついたのだ。
「――ッ」
バクンッと喰われたグリモアは腰から下しか残されていない。
体からは光の粒子が血の如く吹き上がり、天井付近で止まると雨のように重力に従って降り注いだ。
背筋を伸ばしたザ・ビーストが低い唸り声を上げると、残されていたグリモアの下半身が消滅した。そして、それを合図にしたように、壁や天井にまで広がっている結晶とその中に封じられていたプレイヤーならぬキャラクターたちが同様の消滅を起こし始めていた。
彼、彼女らが光の粒子となって消えていこうとするのをある意味で阻止したのはザ・ビースト。
息吹を放つときの事前動作と同じように天を仰ぎ大口を開けると今度はキャラクターが姿を変えた光の粒子を吸い込み始めたのだ。
ザ・ビーストの体の表面にある溝のようなラインに沿って吸い込まれた光の粒子と同じ色が脈々と流れ始める。この光がザ・ビーストの全身に満ちた時、この世界が文字通り反転した。
「うおぉおっ」
突然足場が足場では無くなり、天井が天井ではなくなる。
元々どこまであるのか解らない天井だとはいえ存在しているのは事実。だからこそ、それが役割を変えたとしても決しておかしくはない、のだろうか。
「くっ、何とか着地成功!」
一瞬ふわっとした感覚に襲われるも、実際は体が浮いたわけじゃない。それでも両足に力を込めて、バランスを保ち続ける。
尻餅をつかずに立つ俺の前でザ・ビーストの体にこれまでにはない変化が起きた。
天地が逆転しているからだろうか、俺の目にはザ・ビーストが逆さまに浮いているように見えていた。それこそ頭が下に、七つに割れた尾が空を向いている。太い腕はだらんっと垂らされ、骨格翼は広げられたまま。瞳に宿っていた光は消えて顎は硬く閉ざされた。
全身を巡っている光は徐々に小さくなり、体に浮き出ていたラインがザ・ビーストの体にめり込んでいく。
キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
甲高い悲鳴のような声が響き渡る。
そして次の瞬間、ザ・ビーストはその存在そのものを反転させた。
腕は足に、頭は尾に、尾は頭に。
骨格翼は関節を逆方向に曲がらせてより大きく伸び広がった。
極めつけはその頭部になった先が七つに割れた尻尾。
先の方だけではなく根元から分かれ頭部になった尾は、その一本一本が独立した首となり、その先も特徴的な獣のような形に変化している。
七つの首の瞳に同時に光が灯り、先程と同じ悲鳴みたいな叫声が七つに重なって聞こえてきた。
叫声に耳を塞ぎ硬直してしまっている間に壁一面にあった結晶は消滅し、この空間を仄かに照らしていた僅かな光が消え、周囲を暗闇が包み込んだ。
突然の闇に視界を奪われるかと思われたその時、先程とは違う明かりが周囲を照らし始めた。このゲームのダンジョンにはよく見かける出所不明の光がこの空間を明るくしているのだった。
反転したザ・ビーストの頭上に先程と変わらないHPゲージが出現する。
そして変化の最後に現われたのは二つの魔法陣。ザ・ビーストの体の両脇に浮かぶ魔法陣から巨大な二本の腕が出現した。
至るところが刺々しく、全体的におどろおどろしい雰囲気を漂わせた鎧みたいな腕。生物のように体に紐付いている訳ではなく魔法陣の上に浮かぶようにある腕が乱暴に振り回される。
決して攻撃などではないだろうそれが巻き起こす風が、強烈な突風となって俺の体を打ち付けた。