ep.73 『獣』
(注)20年7月24日の更新ですが、一旦お休みさせて頂こうと思います。
理由は同日更新する活動報告にて述べさせていただきますが、次週はおそらく更新できると思いますのでその際には本作をまた宜しくお願い申し上げます。
急な報告、また急な休載になり誠に申し訳ありません。2020/07/24・追加
獣の低い唸り声が響き渡る。
超爆発の余波を受け天井や壁には特殊な模様が刻まれていた。
自分の体格のおよそ二倍、それが獣の大きさだ。色は当たる光の加減によっては赤にも青にも見えるが、基調としているのは黒。それも光沢があり透明度の高い黒曜石みたいな黒。
獣の瞳が開かれる。眼光は鋭く、体色とは違い、血のように真っ赤に染まっている。
翼の形状はやはり骨格翼。翼膜のないそれはどういうわけかぎこちない動きで不規則に動いていた。
「グリモアはどうだ?」
獣に未だ動きだす素振りがないために、俺はそれから注意を外さずにムラマサが強引に引き摺りだしたままであるグリモアに状態をムラマサに訊ねたのだった。
「んー、目を覚ます気配はないかな。そもそも……」
口籠るムラマサの視線を追う。
地面に横たわられているグリモアは虚ろな瞳をしたまま動かない。キャラクターという仮想の体であっても自然と呼吸は行われる。息が上がったり切れたりするのがその証拠だ。しかし今のグリモアは呼吸をしているようには見えない。いや、正確には呼吸は行われているのだろう。微かではあるがグリモアの胸は上下しているし、僅かに開かれた口からは小さな呼吸音が聞こえてくる。
『コイツの現実は今のところ無事だ。もっとも、死んではいないという意味でしかないがな』
突然告げられたグリモアの叔父の言葉に俺は眉を顰める。
死んでいないのは朗報だ。しかしそれはグリモアが動かずログアウトをするわけではないこの状況の説明にはならない。
彼が言ったのは最低限の情報でしかないのだ。
「グリモアが回復する可能性は?」
『さあ、どうだろうな。悪いがこっちは現状を把握するだけで精一杯なんだ。念のためコイツの安否確認に人を向かわせているが、正直今すぐどうこうできるわけじゃない。元より何かがあったとしてもだ、現実の状況がこっちにどこまで影響を及ぼすかは未知数。その逆もまた然りってヤツだ』
「だったら、彼を任せてもいいかい?」
『俺に何か出来るとでも』
「適当に転がしておくよりは安全だろうさ」
態とらしいくらいに明るく言ったムラマサにグリモアの叔父は「わかった」と首を縦に振った。そのまま横たわるグリモアの隣に顔のないキャラクターが立って並んだ。
ふと獣の唸り声が止んだ。
まるで俺たちがグリモアの所在を決めるのを待っているかのように、獣は骨格翼を羽ばたかせその身を宙に浮かび上がらせる。
七つに先の割れた尾が蛇のように動き回る。その尾の先には色の違う王冠が備わっていた。
「来るぞッ!」
グリモアたちの居る場所から離れるために獣よりも早く動き出す。
気を抜くと逃げ出してしまいたくなるような威圧感を放つ獣を前にして俺とムラマサは自ら前に出た。
左右に分かれるのでもなく、並んで獣の正面へと向かって行く。
そんな自分たちを迎え撃つべく獣は巨大な腕を振り自身の前方を引っ掻いた。刹那出現した複数の斬撃。それが飛ぶ斬撃として自分たちに襲いかかったのだ。
走る向きを変えてしてそれを躱そうかとも思ったが、迫ってくる斬撃は驚くほど大きい。多少横に移動したとして安全に回避できるとは到底思えなかった。
ならばジャンプしたりしゃがんだりすれば避けられるのかといえば、答えは否だ。五指全てから放たれた斬撃は等間隔で重なるように存在している。その間を縫うように飛び込めるのなら避けられるだろうが、そんな芸当、余程体の小さなキャラクターでなければ不可能。竜化している現在の俺は勿論、鬼化していても外見の変化が少ないムラマサだとしても至難の業だった。
「壁を作る! <鬼術・氷旋華>」
冷気を纏った刀が振り抜かれると同時にぶ厚い氷の壁が俺たちと獣との間に出現した。
程なくして獣の斬撃が氷の壁に触れたのだろう。ドォンッと一際大きな音がして、続いてガリガリと氷を粉砕する音が響き渡った。
「今のうちに進もう。コレもそう長くは保たないはずだ」
「ああ」
斬撃が描く軌道を思い浮かべながら、そこに乗ってしまわないように気を配って進み続ける。
凄まじい轟音を立てて氷の壁が崩されたのはそれから殆ど間を置かずしてだった。
消え去っていく氷の欠片を吹き飛ばしながら複数の斬撃が飛び出してくる。しかし、既に俺たちはその射線上にはなく、より獣の傍へと接近していたのだ。
「くっ、この距離だと剣は無理か。なら――」
素早くガン・ブレイズを銃形態へと変形させる。獣にとって僅かだとしてもその巨体と人間程度の大きさでしかないプレイヤーを比べては”大きく”と言うしかないだろう。つまり、こちらの攻撃が届かない場所にまで移動してしまっているということだ。
素早く距離を測りすかさず引き金を引き、銃身に込められている弾丸を撃ち出した。その際アーツは発動させなかったのは確かめたいことがあったからだ。獣にはアーツを使わない通常の攻撃が有効であるかどうか。仮に通用しないのならば、竜化し続けていることが悪手となりかねないのだ。
規則的に撃ち出された弾丸は違わず獣を下から穿つ。
命中したことでその胴体半ばくらいの場所に一本のHPゲージと獣の名称が浮かび上がる。かの名前は『ザ・ビースト』。文字通り獣というらしい。
懸念すべきはそのHPゲージの異様さだろう。体色と同様HPゲージの色も黒。それだけではない。その形状が無数の亀裂が入った鏡に酷似していた。
「微妙…だな……」
まったく効果が無いというわけではないらしい。けれど通常の攻撃で与えられたダメージは極微量。倒しきるまでにどれだけの攻撃を与えればいいのかと途方に暮れそうになるのをグッと堪えて再び引き金を引いた。
少し離れた場所でムラマサは両手に携えた刀を懸命に振り続けている。その度に放たれる飛ぶ斬撃の色は二つ。半透明な緑と白。それはムラマサが得意とする風と氷の属性を表わした色だ。
鬼化していることでアーツを使わずとも放てるようになったと話す飛ぶ斬撃とはいえ普通に近くで攻撃するのとは違い、常に出し続けるには多少攻撃を大振りする必要があるようで、それが必然と攻撃速度と頻度を落とす原因となっているみたいだった。
しかもアーツではないから威力を底上げすることもなく、与えられるダメージは俺の射撃に毛が生えた程度。あからさまにリスクとリターンが釣り合っていない状態に陥ってしまっているようだ。
「うわっ!?」
立ち止まらずに動き回りながら撃ち続けていた俺の頭上からザ・ビーストの尻尾の一つが迫って来る。その先にある王冠の色は茶色。ギリギリで屈み躱した尾が一瞬硬質化した土の塊が纏ったかのように見えた。
素早く位置を変え、再び射撃を続ける。しかし、それも効果は薄い。
「当てるッ! <アクセル・ブラスト>」
業を煮やしたように俺はアーツを発動させる。
とはいえ当たらなければ意味はないと言わんばかりに使ったのは威力特化ではなく、速度特化の方。
パンッと音を立てて命中した一撃のダメージは通常攻撃よりも高いが、それだけだ。明確に効果があったと断言できるほどの何かがあるわけでもない。
詰まるところ、大して意味が無かった。そういうことだ。
「――ッ、こっちを見ろッ! <鬼術・風華一閃>」
巨大な腕が俺に振り下ろされようとするのを見て咄嗟にムラマサが強力な風の飛ぶ斬撃を放った。緑色をしたそれがザ・ビーストの腕を斬り付ける。結果を見るに与えたダメージは俺の射撃アーツよりも上であるらしい。一筋の切り傷が刻まれたザ・ビーストの腕にノイズのようなものが迸る。すると傷は瞬く間に修復され腕は無傷の状態に戻っていた。
風の斬撃を受けたことで生まれた僅かなタイムラグは俺の回避の時間となる。ムラマサの攻撃を受けながらも振り下ろされたザ・ビーストの腕は地面を揺るがすほどの一撃だった。万が一直撃されたらと考えるだけで背中に嫌な汗が伝う。
「一撃アウトな攻撃を使ってくる相手なんていつも通り過ぎるんだよッ!」
叫び鼓舞して回避と反撃を繰り返す俺をザ・ビーストの腕が追いかけてくる。
さながらモグラ叩きのモグラになった気分だ。
自分とは違う場所でムラマサも似たようなことをしているのだろう。もっともムラマサを追いかけているのはザ・ビーストの腕ではなく、背中の骨格翼による連続した刺突であるみたいだが。
殺意高めの攻撃を平然と繰り返してくるザ・ビーストに俺とムラマサは懸命にも向かっていく。
緊張感に満ちた長く重たい時間の果て、ザ・ビーストは咆吼を上げる。
空気を、そして文字通り周囲の壁や天井を揺らす咆吼に続いて、ザ・ビーストは更に自ら位置を上昇させた。
広げられた骨格翼に沿うように発生する拍動。目に見えるそれは様々な色に切り替わりながらギザギザな波紋を宙に描く。
GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!
空を裂く雷鳴のような咆吼が轟く。
俺の視界は白で埋め尽くされた。