ep.64 『困惑』
ライラ、フーカ、リントの三人が忽然と姿を消した後も続くディギュリスとの戦闘。その中でまた一人、ユウが居なくなった。
ムラマサは今度こそその瞬間を見逃さなかった。
ディギュリスから発生した結晶に包まれ、それが消えた時には既にユウはそこにはいない。残されたムラマサ、ハル、セッカの三名は戸惑いと焦燥に駆られながらも戦場から逃げ出すことを選ばなかった。
ディギュリスを倒せば消えた四人を助け出せる、そう信じて。
戦闘は苛烈を極める。
どういうわけか技術という点にてプレイヤーを超越しているかのように思えてしまうディギュリス。それに対して自身の能力を最大限活かして戦うプレイヤー。
徐々に大きくなっていくムラマサたちのダメージに反してディギュリスはどれだけ攻撃を与えようとも平然としたまま。
拮抗しているように見えてゆっくりと追い詰められていくムラマサたち。
自身の勝利を信じながらもそこに至るまでの道程が果てしなく遠く感じ始めた頃、突然それは起こった。
全身を痙攣させたディギュリスはその胸の中心にある結晶体から血飛沫のようにして何かが吹き出したのだ。
高速再生される蕾の開花のように広がった何かが瞬間的に固まりディギュリスの胸部に一輪の花を咲かせる。
モノクロの世界の中にも関わらず怪しく紫色に輝いてみえるソレが次の瞬間にはディギュリスの胴体に吸い込まれるように収縮し始めた。
花弁の一つ一つが押し潰されていく。押し花なんて綺麗なものじゃない。握り潰すかの如くひしゃげてくしゃくしゃになって小さくなった結晶は遂に胸部に吸い込まれるようにして消えた。
消失から一拍の間が置かれ、ディギュリスは内側から全身を両断するかの如く天高く放たれた極大の光刃が彼方へと掻き消える。
光刃を吐き出したディギュリスはその四肢の先から自壊を引き起こす。
小さな欠片となって風のなかに消えた指先などとは違い腕や大腿部のような箇所は糸が切られたマリオネットのパーツのように固まった海面へと落ちる。
ガンッと硬質な音を立てて落ちたそれを皮切りに次々と体のパーツを崩壊させていく。ひとつは近くに、また別のパーツは地面を転がり離れた場所へ。
崩壊の度に硬質な音がしたのは最初の頃だけ。途中からは水に物が落ちるときに耳にするバシャッという水音と冠のような水柱が断続的に続く。
この頃には固まっていた水は元の状態へと戻り、ムラマサたちの膝下くらいにまで色を失った水面が広がっている。
そうしてディギュリスの全身が崩壊した時点で膝下までだった水位は全く間に上昇し、腰辺りにまで上がってきていた。
水位が上がるのと同時に視界を奪うかのように出現した靄。工場の煙突から昇る煙よりも色の濃い靄は体に纏わり付いて離れない。
視界を奪う靄が近くに居るはずの仲間たちの姿をも隠したその瞬間、今度は眩い一筋の閃光が空の果てへと伸びていったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
<リベレイト・ブレイク>による一撃はディギュリスに致命傷を与えた。
必殺技の衝撃によって跳ね上がる水を全身で被りながらも残る最後の一瞬まで視線は外さない。
致命的なダメージを受けたディギュリスは過剰な強化を受けて筋肉が異常に発達したモンスターみたいに全身に複数の結晶が現われて重なった。
内側から次々と結晶が生成されると遂に限界を超えて爆発を起こした。
舞い散る結晶の欠片。細切れになった欠片の全てが満遍なく小規模な爆発を起こして辺りで弾け消える。
視界いっぱいに広がるいくつもの爆発はさながら夜空に煌めく花火のよう。
残念だったのはそれら全てに色が無く白色の空に白煙の固まりが浮かび上がっただけに過ぎないこと。それでも無数の爆発によって広がった白色の靄は世界を歪めた。
何処に向かっているのか分からない空気の流れが靄にランダムな斑模様を描く。
不気味な模様は自分の平衡感覚をも歪めてしまう。
咄嗟にその場から退くこともなく膝を付いた俺の耳に聞こえてきたのはなおも続く爆発音。その中に人の声は微かにも聞こえてはこなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
腰まで水に使った自分の体を見る。
ムラマサはそうすることで感じた違和感を胸に刻みつけていたのだ。
「………」
声を上げても音にはならず誰にも届くことはない。
警戒心を緩めずに目を凝らしてみても何も見えてこない。
落胆と困惑などいくつもの感情が脳裏を駆け巡る。
「………のわっ………えっ!?」
不意に聞こえてきたハルの声がした方に顔を向ける。
一陣の突風によって靄が薄れたその先で、ハルはとある一点を見つめて固まっていた。
ムラマサもその視線を追って薄れた白い靄の向こう側を見る。するとそこにいたのは姿を変えたユウ。いなくなったかと思われていた彼がまるで大きなダメージを受けてしまった時のように地面に片膝を付き武器を持たない左手を地面に付いているではないか。それでいて肩で息をするかのように激しく上下する背中にハルは駆け寄ろうとして足を止めてしまう。
何故という疑問も次に目に入った光景の前には無意味。
消滅を迎えたディギュリスのさらにその奥。そこに立っていた人の姿にムラマサもまた言葉を失い、足を地面に縫い付けられてしまっていたのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
爆発は止んだ。
その代り濃いミルクのような靄が辺りを包み込んだ。
だからすぐには気付かなかったのだが、どうも足に伝わってくる感覚が違うのだ。浅い水の下にあったのは硬い地面。そのはずが今は硬くも柔らかな感触も混ざっている。
それはまるで海水浴場の砂場のよう。そう思った瞬間、水は自分の体の首元にまできていたのだ。
「うわっ」
慌てて体を起こし立ち上がる。
すると水位は腰の辺りになり、いきなり感じた水の圧迫感からは逃れることができた。
ゴオッと突風が吹く。
靄が晴れ、向かい側に立つ仲間の姿に安堵すると、何故かこちらに怪訝な表情を浮かべてくるムラマサとセッカを見つけたのだ。ハルも同時に見つけたのだが兜に隠れ表情は読み取ることができなかった。
それでも別れてしまった仲間との再会に喜ばなかったわけではない。ムラマサたちとは反対側にいるライラたちの方を見ると彼女たちもそこにいたのだ。
「ユウ! それにライラたちも。何処に行ってたんだよ。心配したんだぞ」
誰からというわけでも無く集合したそこでハルが歓喜の声をあげる。
「……ん、心配した、の」
「皆も無事でよかったよ」
安心した表情を浮かべるセッカに胸を撫で下ろすムラマサ。
二人の様子に俺も竜化を解こうと気を緩めかけたその時、四人に三つの刃が振り下ろされたのだ。
「な、何だッ!?」
「危ないっ」
ハルが戦斧を構えセッカの前に立ち塞がり一つの刃を受け止め、俺はガン・ブレイズを構えその刀身で攻撃を一つ受け止めた。
「これはどういうつもりなんだい?」
刀を抜き放ち迫る刃を受け止めたムラマサが攻撃してきた相手に問い掛けている。
俺たちに刃を向けた相手。それは俺とともにムラマサたちと合流した仲間。リント、ライラ、フーカの三人だった。
訝しげに三人を見渡すムラマサの問いに三人が答えようとする素振りすら見せないことで何かを察したムラマサは目の前のライラを蹴り飛ばし強引に距離を作った。
「ハル、ユウも一度相手と離れるんだ」
その指示を受けてハルは目の前のリントを、俺はフーカを攻撃して距離を作ることで退がることで冷静に状況を見定めるための時間を作り出したのだ。
「んー、もしかすると、何かに操られている、のかな?」
ムラマサがそう判断した理由の一つ。それは三人が持つ武器。形状、大きさ、色合いなど何もかもが同一の大鎌を同じフォームで持っているのだ。
「だと良いけどな」
そう呟いたハルにムラマサは何故と視線で問う。その横で俺は普通に声に出して問い掛けてみることにした。
「何か気付いたのか?」
「いや、何となくだけど、そんな感じじゃないように思えてさ。それに――」
「あん?」
「いや…まさか……」
「……何か、気付いたの?」
「多分、俺の気のせいだと思うんだが」
「……それでもいい、よ。話して、みて」
穏やかに話すセッカに続いて俺とムラマサも頷いてみせる。そうしたことでハルは「あり得ないと思うけど」と前置きをして話し始めたのだ。
「操られているんじゃなければあの三人は偽物かもしれない」
プレイヤーの持つ最大の財産はキャラクターである。故に何重にも及ぶ強固なプロテクトが施され害されることのないようになっている。それは何もデータの破壊や変貌に限ったことじゃない。不慮の事態によるデータの損傷に備えるための正規の手段によるセーブデータの複製以外ではどのような目的があろうともコピーすることは出来ないようになっているはずなのだ。
故に同一の外見をもち、同一の能力をもつキャラクターは基本的には存在し得ないというわけだ。
それを知っているからこそ俺たちはハルの言葉を鵜呑みにすることは無かった。あくまでも自分で考え、そうなのだろうかと見定めようとして必死に三人の様子を窺った。
「ニセモノ、ね」
短くも長い観察の果て、どうやらハルの抱いた結論もあながちあり得ないことじゃないと思い始めてきた。それだけ目の前にいる三人が自分の知る三人と遜色ないように思えるのだ。
「……どうすればいい、の?」
セッカの問いに俺たちは即座に答えることが出来なかった。
もし、偽物ならば躊躇する必要はない。しかし、そうではないのならば。そう考えると切っ先を向けることを躊躇ってしまうのだ。
「「「シッ」」」
三人が全く同じタイミングで短く息を吐いて大鎌で攻撃を仕掛けてくる。この時の声ですら三人がいつも話す声そのもの。
反撃に戸惑っていれば自分たちが選べる行動は限られてしまう。受けるか避けるか、だ。モンスターが相手では回避するだろう。しかし、何者かに操られているかもしれないと危惧する仲間が相手では俺はその攻撃を受け止めることを選んでいた。
「くっ、ライラ。何のつもりだよ? おいっ、聞こえてるのか!?」
ガン・ブレイズで大鎌を受け止めながらも必死に訴える。
しかし、まったくといっていいほど反応は返ってこなかった。ハルとムラマサも自分と同じように戸惑いを隠せずに目の前のリントとフーカと対峙している。
いくつも浮かんでくる疑問に正しい答えは見出せそうにない。そのことが一層の不安を掻き立ててくる。
バシャバシャと水飛沫をあげて攻撃を受け止めることでどうにか状況を拮抗させて停滞させようとする俺を嘲笑うかのように、大鎌を持つライラはその口元を歪めた。
ほんの一瞬。
その一瞬こそが俺に決意させた。
ライラならばするはずのない表情。相手を蔑む笑み。それは同じ顔をしていても全くの別人であることを物語っている。
「せやっ」
ガン・ブレイズを僅かに引き、前のめりになったライラを思いっきり殴り飛ばす。
魔導手甲を装備した左手による拳打はライラの腹部を打ち抜き、それを受けたライラは体をくの字に曲げ、その場に崩れ落ちる。
「ユウ!?」
「何をしてんだ!?」
驚愕するムラマサとハルを超えて俺はセッカに合図を送る。
「……任せて」
セッカは素早く移動するとリントの背後に回り込みメイスを思いっきり振り抜いた。
後頭部を打ち抜かれ倒れるリント。
その様子を見たハルは、
「すまないっ」
と言ってフーカを戦斧の腹で思いっきり殴り飛ばした。
似たり寄ったりの距離で沈む三人の姿にノイズが走る。
歪みのなか一瞬目にしたそれは漆黒のスーツを纏った男の姿。それは紛れもなく元の三人とは別人だった。
「まさか俺の言ったことが当たっているとは……」
「……本物は、どこ?」
驚いたと呟くハルの横でセッカが倒れる三人に強い口調で問い掛けていた。しかし返ってきたのは無言のまま平然と立ち上がり大鎌を構える三人の敵意だけ。
気を取り直し迎撃すべく武器を構える俺の頬を一粒の水滴が濡した。
ポツポツと不規則な音に続き、堰を切ったように降り出した雨。自分たち、そして海面を打ち付ける雨は降り止むこと無く景色を一変させた。
ザーッと音を立てて振り続ける雨は靄を綺麗に払い退けることでほんの僅かに景色をクリアにする。
色を失っていたはずのモノクロの世界に徐々に一つの色が点けられていく。
それは血のような赤。
「えっ!?」
真っ赤に染まった海のなか。その色を弾く岩のような結晶が姿を現わす。そしてそこに貼り付けにされているリント、ライラ、フーカ、セッカを見つけたのだ。
「どういうことだ?」
何故とハルが声を荒げながらセッカを見た。するとセッカは瞬く間に表情を亡くし、無言でメイスを持っていた手に大鎌を携えてそのまま振り下ろした。