ep.61 『奮起』
一瞬の衝撃を息を呑み身構えることで耐えた俺の左腕に備わった魔導手甲にめり込まんばかりの勢いで激突して制止しているのはディギュリスの槍。
専用武器でなければ、あるいは質の悪い防具であれば砕かれ腕ごと体を貫かれてしまっているであろう攻撃も、幸いなことに俺を貫いたのは凄まじき衝撃と決して少なくないダメージだけだった。
それでも俺をその場に固定してしまう攻撃を繰り出したディギュリスはまだもう片方の手、それに握られた大剣という武器が自由なまま。まるで斬首台に座らされた罪人の如く、次に繰り出される攻撃を防ぐ手段は潰されたも同然。
頭部に揺らめく炎の中身と睨み合うようにきつい視線を向ける。せめて気概だけは負けないようにと強い意思を込めた視線だ。
「せやあっ」
視線の端からディギュリスの槍を打ち付ける一撃が放たれる。
「ユウを離せってんだッ」
上段からの大振りで槍に戦斧を打ち付けていたハルは鋼鉄を叩いたような手応えに顔を顰めながらも、二度三度と繰り返し戦斧を振るい続ける。
ダメージを当たるための攻撃というよりも部位破壊を狙った攻撃とも取れるそれは幾度となく打ち付けたことで功を奏したのか、ディギュリスの槍の矛先を俺の腕から外すことに成功した。
「――ふっ」
左腕が自由になった途端、素早く身を翻し槍の射線上から逃れると、そのままガン・ブレイズを銃形態に変形させる。
今にも振り下ろされそうな大剣を撃ち落とすよりも攻撃を仕掛けているディギュリスの妨害をした方が効率的かもしれないと咄嗟に判断して狙い撃ったのはディギュリスの頭部。攻撃アーツを発動させる余裕など無い為に通常攻撃でしかないが、連続して命中した魔力弾は一見すれば洞窟ダンジョンなどで使用する光の球に酷似している。それが着弾とともに弾けるのだから目眩まし程度にはなったはず。その証左にディギュリスは大剣による攻撃を中断し乱暴に右手の槍を振り回したのだ。
ハルは俺を救出した段階で追撃を諦めていたのか、既に槍の射程内にはいない。
ムラマサはセッカの腕を掴み事前に後方に移動して自身の安全を確保していた。
「ハル。助かった」
転がるように槍から逃れた俺は近付いてきたハルに礼を述べた。
「気にするな。それよりも大丈夫か」
「ああ。この位なら直ぐに回復できるさ」
ストレージから取り出したポーションを使用する。
回復量と受けたダメージを考慮すると、おそらくHPポーションの回復量の方が多い。多少無駄が出てしまうことを鑑みてもこの状況でHPの回復を躊躇する理由はなかった。
中身を一気に飲み干して空になったHPポーションの瓶が砕けるように消える。
「それよりもセッカは?」
ディギュリスから距離を取ろうと動いている間、ムラマサに手を掴まれていたセッカの様子が変なことが気がかりだ。
走って行って本人に訊ねようにも、もしディギュリスの攻撃が自分たちを一網打尽にしてしまうかもしれないという懸念からそうすることが出来なかった。
「大丈夫、とは言い難いかもな。三人が消えたことにかなりショックを受けているみたいだったし」
「そうか」
短く答えながらも俺はセッカのことをムラマサに任せなければならない事態になってしまったことに悔しさを感じていた。
元々楽に物事を進めることができるとは思っていない。最悪の場合、誰かが戦線を離脱しなければならないこともあるだろうとは思っていた。しかし、目の前で三人までもが一度に姿を消すなど考えてはいなかったのだ。
一度戦闘から離脱して体勢を整える必要がある。
心の底からそれを理解していてもそうすることが出来ない理由もまた確実に存在した。
まずこの戦闘からどうすれば離脱できるのかが不明であること。次にもし自分たちが戦闘から逃れたとしても既に姿を消してしまっている三人がどうなるのか分からないこと。
そう、今も俺の視界の左端にはここにいなくなった三人のHPゲージが見えている。しかも全損している状態などではなく、半分以上残されたまま。いまだ回復していないことが気掛かりだが、それでも消失したわけではないと考えればまだ希望が残されていると思えるだろう。
この希望こそが自分たちをこの戦場に縛り続ける理由となり得てもだ。
錯乱したように槍を振り回していたディギュリスは次第に冷静さを取る戻し、プレイヤーが呼吸を整えるときのように一度スンッと佇まいを整えると、静かに構えらしくない構えを取る。
対峙している俺がガン・ブレイズを剣形態に変えたのを見計らったかのように、僅かに地面から足を浮かべたディギュリスは滑るようにして向かってきた。
放つ一撃はリーチに優れる槍。
突き出すその周囲では衝撃波のようなものが発生しているようで、固まった海面に小さな波を起こす。
俺は右に、ハルが左に避けると、その中心に通り過ぎる槍をディギュリスは強引に制止させ、大剣を寝かし薙ぎ払いを繰り出す。
「くっ、避け切れないッ」
今まで以上に速い攻撃を繰り出すディギュリスに万全の回避は追いつかなくなってしまう。
縦の線はまだ避けやすいが、横の攻撃は困難を極める。しゃがみ込んで回避しようものなら、確実にその隙を狙って槍を放たれるのがオチだ。
だとすれば防御するしかないのだが、風を切って迫る大剣はおいそれと防御できる攻撃とは思えなかった。
「<プロテクト・シエル>」
眼前に半透明な光の盾が出現した。
それがセッカの使う防御アーツであることを知る俺は咄嗟に振り返り、メイスを構える彼女の姿を見た。
「……だいじょうぶ。まだ、消えてない…だよね」
まるで自分に言い聞かすように呟くセッカにムラマサが優しい笑みを向けていた。
ガキンッと独特な金属同士がぶつかり合う音がする。防御アーツに衝突した大剣が存外の衝撃にその身を仰け反らせていた。
ようやく見せたあからさまな隙。それを狙い真っ先に前に出たのはムラマサだ。
腰の鞘から二振りの刀を抜くとすれ違い様に振り抜く。
見た目金属が折り合う騎士であるディギュリスに二つの切り傷が残された。
「皆ッ。オレは、オレたちは、この状況で逃げ出すことは選ばないッ。必ずディギュリスを倒し、消えた仲間を取り戻してみせるッ」
右手に持たれた刀身に薄緑色の輝きを宿す刀を掲げ宣言するムラマサの声に俺たちの士気は上げられていく。
瞬く間に傷を自動修復させるディギュリスはムラマサを穿つべく槍を突き出した。だが、事前に追撃を止めてある程度安全な距離まで駆け抜けていたことで難なく回避してみせる。
槍の穂先が届かないと判断したのか、ディギュリスはまたしても自身を滑らせてムラマサに近付いていった。それを防いだのもまたセッカが発動させた<プロテクト・シエル>という名の防御アーツだ。
突然現われた壁の如く目の前に出現した光の盾にディギュリスは大剣を振るい何度も打ち付け砕こうとしている。光の盾はかなり高い防御力を持っているのだとしても、いつまでもディギュリスの攻撃を耐えられるわけではない。完全に攻撃を防げていたのは最初の三発までで、その後は徐々に亀裂を宿し、攻撃によって生ずる衝撃も外部に漏れ出していった。
遂に砕ける光の盾。しかし、その向こうにムラマサどころか誰もいない。半透明といっても盾そのものが発光していることに加え磨りガラスのように向こうが見通せないがために、ムラマサが既に移動していることにディギュリスは気付かせなかったというわけだ。
「<爆斧>」
またしてもガラ空きになった側面にハルが戦斧を打ち付けた。
爆発を引き起こす強打にディギュリスの体の表面は黒く焦げる。切り傷では無く広範囲な火傷となったそれも、ディギュリスの修復能力によって瞬く間に回復されてしまう。
「だとしてもっ。<インパクト・スラスト>」
ダメージは通っているし回復はされていない。
不幸中の幸いというべきか、それとも怪我の功名とでもいうべきか。三人もの仲間が姿を消したことによって俺たちは回復よりも攻撃に意識を集中させるようになっていた。
アーツを発動させて攻撃を行い、ディギュリスのHPゲージにダメージを蓄積させていく。
「<鬼術・風祓い>」
剣形態のガン・ブレイズによる威力特化の斬撃によって受けた傷も瞬時に修復させたディギュリスに緑色をした剣閃が描かれる。
三人による連続攻撃を受け、その中で繰り出される反撃もセッカの<プロテクト・シエル>によって防がれてしまったディギュリスは人が苛立ちを抱くのと同じように、体の関節部などから結晶を生成し始めていた。
「……いやっ」
セッカが息を呑む音がする。
想像してしまったのだろう。俺たちが結晶に捕らわれ消失してしまった光景を。
事実、俺たちの足元、固まっている海面と接している靴底からゆっくりと結晶が霜のように広がっている感覚はあった。寧ろそれを察しているからこそ、俺は平然としているのだ。
即座にハルに視線を送る。そして、
「ハルっ。地面ごと俺たちを燃やせ!」
声を荒げ促された通りにハルは、
「まかせろっ。<轟爆広斧>」
始めてみる広範囲に爆炎を広げる攻撃アーツを発動させた。
フレンドリーファイアによるダメージは普通に攻撃を受けて生じるダメージよりも遙かに少ない。それを理解しているからこその爆炎を俺たちは甘んじて受け入れたのだ。
全身に瞬間的な高温を感じる。それと同時に足元に広がる結晶が溶ける感覚も。
「セッカ。ハルの体の結晶を砕くんだ」
爆炎の中からムラマサが飛び出した。
真っ赤な火の粉を撒き散らせ、その中に混ざる微細な輝き。それが結晶が砕けてできたものであることに気付いたセッカは慌てて爆炎の中心部へと駆け出す。
視界一面が赤に染められた中で見つけたハルの足を目掛けてセッカがメイスを振り下ろしていた。
「おう。ありがとな」
「……ん、消えちゃ、だめ」
「分かってるよ」
淡々としながらも切実な一言にハルは安心させるべく力強い声で答える。
アーツによる攻撃で使用者に影響がでないのは当然。例外なのは自身の能力よりも使用したアーツのほうが遙かに強力である場合だ。それはゲームを進めていると極々稀に現われる現象といわれ、その原因はスキルのレベルアップ以外でアーツを習得した時、さらにはそれがその時点のスキルレベルよりも遙かに習得レベルが高い場合にのみ限られている。
つまり、ハルが発生させた爆炎はハルの結晶を溶かすことはありえないのだ。それを理解しているからこそのムラマサの指示であり、咄嗟に理解したセッカの結晶を砕くという行動であもあった。
ピキッっと誰もいない場所で結晶の塔が聳え立ち砕けた。
舞い散る結晶の欠片に乱反射する炎の明かりの中を駆け抜ける。
煙のように全身から微細な結晶の欠片を吐き出すディギュリスに向かってガン・ブレイズを振り抜いた。
「<アクセル・スラスト>」
速度特化の斬撃アーツによって加速した剣戟を用いてディギュリスに無数の斬撃を与えると、続けて、
「<インパクト・スラスト>」
威力特化の斬撃アーツを放つ。
無数の傷の上に重なるように放たれる一閃。
それを受けた瞬間、ディギュリスの腹部の金属っぽい重なる板が砕けた。
「<鬼術・氷旋華>」
極寒の旋風を伴う斬撃が俺が砕いたディギュリスの腹部に命中する。
こうして剥き出しになったディギュリスの中身。
揺らめくように浮かぶ青白い光がディギュリスの全身を飲み込んだのだ。
「ユウ、ムラマサ、手を伸ばせ!」
戦斧を背負い両手を差し出すハルの手を掴む。
そのまま強引にハルに引き寄せられるとそのまま抱きかかえられるようにして俺とムラマサはディギュリスから離れ、近くにいたセッカと合流を果たした。
「……だいじょうぶ?」
「あ、ああ。ムラマサは?」
「オレも無事さ。ハルのおかげだね」
「って、暢気なこと言ってる余裕は無さそうだぞ。第2ラウンドがあるみたいだ」
兜の奥で険しい表情を作るハルの視線の先。
青白い炎に包まれていたディギュリスが炎の中から姿を変えて現われたのだ。
全身を包んでいた独特な鎧は所々が崩壊し歪な形状に変わり、鎧の奥で揺らめいていた光は結晶の中に宿りそれが頭と腹部となって浮かんでいる。
腕や足はその結晶を挟み存在する上半身と下半身の関節に沿うように存在しているが、関節や筋肉のようなものは消え去っていた。
大剣や槍といった武器は健在ながらも、僅かに形状を変えている。柄の部分はそのままに、槍の十字の穂先は鋭く尖った結晶が代わりに備わっていて、大剣の刀身は大小様々な結晶が鳥の翼のように広がっている。
「行けるかい?」
「当然!」
「……だいじょうぶ」
「俺だってまだまだやれるぜ。それにここで投げ出すつもりはないんだろ」
ニヤリと笑みを作ったハルにムラマサは口元だけの笑みで応える。
全員でアイコンタクトを送りあった後、俺たちは三方向に分かれ駆け出した。後方ではセッカがいつでも防御アーツを発動させるべく身構えている。
関節による制限から解き放たれたディギュリスの腕が鞭のように撓って槍と大剣を振るう。
三人の攻撃者に対してディギュリスの武器は二つ。
その攻撃もセッカが使う防御アーツによって防がれる。
無傷でディギュリスの迎撃から抜け出した俺たちは三者三様、それぞれが使う攻撃アーツを放った。
どのような姿を変化させたとしても三人の攻撃アーツを受ければノーダメージとはいかない。
限りあるチャンスだとするのならばここで最大限の攻撃を行うべき。そう判断した俺はその場に留まり連続して攻撃アーツを使い続けた。
俺、ハル、ムラマサ、そして隙を見て行われたセッカの攻撃を受けて、ディギュリスはみるみるうちにHPゲージを減らしていた。
ディギュリスとの戦いで厳しく感じていたのはその技量が自分たちよりも高いと思ってしまったこと。だが、変化してからのディギュリスは獣のように本能に従った攻撃ばかり。
言ってしまえば雑なそれはこの状況において脅威とはなり得なかった。
「ここだっ! <インパクト・スラスト>」
剥き出しの腹部の結晶にガン・ブレイズを突き出す。
一瞬にして減少するディギュリスのHPゲージ。
そして次の瞬間、ディギュリスを中心にして花のように結晶が広がった。
「ユウ!」
ムラマサが自分の名前を呼ぶのを俺は、結晶の中から聞いた。