ep.60 『喪失』
ディギュリスとの戦闘はおよそ戦闘と呼べないものになってしまっていた。
その最たる要員というのが、自分たちのHPが全損する寸前に戦線を離脱するという、半分以上ゾンビアタックみたいなことを繰り返すになってしまっていたからだ。
こうなってしまった理由は単純。自分たちの攻撃力不足、というよりも技量不足になるのだろうか。ディギュリスが硬く攻撃が通らないのではなく、純粋な技術にて打ち払われて命中しているのは精々クリーンヒットにならざる攻撃ばかり。その反面自分たちは防御に回避にと必死にならなければならないほどディギュリスの攻撃は的確であった。
加えてもう一つ、要因をあげるのならばプレイヤーのなかにはHPの自動回復スキルを獲得している人が多いというのが理由になるだろう。切迫した戦闘で、こと対人戦に限ってしまえばそのスキルを持っているのといないのとでは雲泥の差が出てくるスキルだからだ。アーツの使用回数に直結するMP自動回復スキルも同様。
上級とまで呼ばれるようになったプレイヤーならばもれなく習得しているとされているそのスキルをパラメータの最大値が多いボスモンスターが同じ練度で持っているとすれば、さらに元々プレイヤーと同等以上の戦闘技術を持っているのだとしたらば、それは純粋に高パラメータの熟練プレイヤーと相対しているに等しい。
まして一対多の戦闘で当たり前のようにイニシアチブを取るのだから相対しているプレイヤーにとっては悪夢以外の何ものでも無い。
「申し訳ないッスけど、一旦下がるッス」
HPがレッドラインを超えた瞬間を見計らってリントが戦線の外へと下がる。
良くも悪くも耐久戦の様相を呈してきたこの戦闘でムラマサは最初に安全に回復を行える距離を作るのを徹底するように全員に言い渡していた。
しかし、これまでの戦闘で回復用ポーションの消費は著しく、強引にアイテムで全快させるよりも途中自動回復を挟みどうにか消費を抑えようとしているのだが、生憎と消費速度の方が勝ってしまっているというのが現状だった。
明確な突破口を見出せなければジリ貧になってしまうと危惧を抱き始めた頃、ディギュリスとの戦闘に異変が起きた。
どんなに自分たちの方が厳しい戦いを強いられているとしてもディギュリスにもある程度のダメージを与えている。それはディギュリスの見た目からも明らかで、体を構成している鎧に大小様々な傷が刻まれていたのだ。
頭上に浮かぶHPゲージもそれなりに減少していて、どんなに自分たちの攻撃が届いていないように見えても意味はあったのだと思わせてくれるほどに。
これを好機と捉えムラマサの指示が飛ぶ。
「ライラ! 一度下がってMPを回復させるんだ。ハル、キミも体力の回復をするんだ」
「私はまだ大丈夫よ。それよりもセッカちゃんを回復させてあげて」
「俺だってまだ――」
「大丈夫ッス。代わりに自分が出るッスからハルさんは回復するッスよ」
「――ッ、すまない。回復したら俺も出るから」
「頼りにしてるッス」
積極的に前に出ているフーカの後ろでアーツを的確に発動させて防御と回復を熟しているセッカを引き連れてハルが後方に下がっていった。
「ユウさんもっ、ムラマサさんもっ、一度回復してきてよっ」
「だが、それだと――」
「大丈夫。少しの間くらいわたしとリントくんとライラちゃんでどうにかしてみせるからっ」
心配を露わにするムラマサにフーカが平気だと言ってのける。
戦闘において指示を送りながら前線に出ていたムラマサが離れるのは戦線に大きな穴が開くのも同じ。しかし、HPに限りがある以上、どこかで下がり回復に専念しなければならない時がくる。その時が来たのだと素早く判断したムラマサは後方に下がりながらも戦いに影響が出ないギリギリの場所でHPを回復してるのだ。
だからこそ徐々に浮き彫りになり始めたディギュリスの異変をいち早く察知したのもまたムラマサだった。
厳しい視線を向けて僅かに口を開きまた閉ざす。何か言葉に出そうとして肝心の言葉が出てこない、そんな風に見えた。
「どうした?」
「あ、いや、上手く言えないんだけど。何かが――」
やはり口を噤んでしまったムラマサは焦ったように視線を左上へと向けた。それはプレイヤー特有の仕草であり、自身の、あるいは仲間のHPゲージとMPゲージを確認するときの動きだった。
大丈夫。そう言おうとして声に出せず、俺も意味も無く口を開けて終わった。ことこの場に至っては根拠のない言葉など意味がない。そう思ってしまったのだ。だから俺もディギュリスを注意深く見ることにした。些細な変化や異常を見逃して仕舞わないように。
それが功を奏したのかは解らないが、不意に目に入った煌めきを俺とムラマサは見逃さなかった。
「――ッ!」
「行くぞ」
咄嗟に互いの顔を見合わせて回復を中断し駆け出した。
だが、ふたりの手が届く前にそれは起こった。起きてしまった。
きっかけは子供の悲鳴にも似た甲高い金切り声。
この場にいる全員が思わず動きを止めて耳を塞いでしまったのだ。
「くっ、みんなは…」
声が出ていないのではなく届いていないと気付くまでほんの一瞬。耳障りな音に顔を顰めつつも、どうにか仲間たちを探すべく視線を巡らせるとそこには僅かに動きを鈍らせる仲間の姿があった。
ほんの僅かな鈍化でもことこの戦闘においては致命傷となり得る。
動きを止めた仲間を目の当たりにして彼らがHPを全損してしまう姿を想像してしまったその瞬間、思っていたのとは違う光景がそこに広がっていたのだ。
「あ、ああ…」
いつの間にか耳障りな音は消えていて悲壮感漂うハルの声が聞こえてきた。
「くっ、まさかやられたっていうのか? あの一瞬で?」
「まだだっ。死んではいない。セッカ回復をッ」
戸惑っている俺を押し退けてムラマサが声を上げた。
「……だめ、こんな状態異常初めて見た。対応した回復なんて、できない」
悔しそうに顔を歪めるセッカが言うように、リントとライラとフーカを纏めて飲み込んだ現象は始めて目にするもの。
透明な無数の結晶に体から生えて一つの巨大な結晶のようになってしまっている。
仮にこの現象に名付けるのなら『結晶化』だろうか。『石化』とも『停止』とも違う新たな状態異常だった。
「セッカ、危ない!」
回復アーツを発動させようとして動きを止めたセッカにディギュリスの大剣が迫る。
それを防御したのはハルだ。戦斧で大剣の刃を受け止め堪えているハルにディギュリスが吠えた。
聞こえてきたのは先程と同じ金切り声。一度目と違い二度目となれば足を止めることも耳を塞ぐこともなかったが、否応なしに危機感は募っていった。
「ハル! 離れるんだ!」
「む、無理、かも」
大剣に触れている場所から戦斧の表面に結晶が生成されていく。
ビキビキと音を立てて広がるそれはハルを飲み込もうと触手を伸ばしていた。
「だったら俺がどうにかしてやる。<インパクト・ブラスト>」
狙ったのはディギュリス本体ではなく、ハルの戦斧と触れている大剣。その接触部を狙い放たれた威力特化の射撃アーツは違わず命中し、ハルの戦斧の表面に広がった結晶を粉々に砕いた。
「悪ぃ。助かった」
「油断するな。早くその場から離脱するんだ」
入れ替わるように前に出たムラマサは大剣に触れないように、それを持つ手を狙い斬り付ける。
少々不格好な動きながらも後ろに下がったハルは勢いを付けて戦斧を振るとその表面に残っていた結晶の欠片を振り払う。
「はああっ」
連続して斬り付けられた腕に無数の傷が刻まれていく。
これまでならそれだけだ。しかし、今は違う。ハルを飲み込もうと広がったのと同じ結晶がその傷と覆い尽くすべく生成されたのだ。
「ユウ!」
「分かってる」
刀身に結晶が広がっていくのを見てムラマサが俺を呼んだ。
さっきのムラマサと同じように俺も入れ替わり前に出るとガン・ブレイズを剣形態変えて同じ場所を狙って攻撃した。
けれどこの攻撃はディギュリスも想像していたようで、数回斬り付けたところで反対の手で持つ槍を突き出して反撃してきた。
体を捻りどうにかそれを躱すと、避けた先で大剣の刃が迫って来た。
「……させないっ」
「――っと」
俺の前に立ち塞がると体の前でメイスを立ててセッカが大剣を受け止めていた。
受けた衝撃に体を飛ばした彼女を受け止めるも俺も一緒に後ろに飛ばされてしまう。
全員と距離ができたディギュリスは自らの全身に青白い炎を灯らせる。そして次の瞬間、炎を閉じ込めるように結晶が生成され全身を覆うとディギュリスの鎧の表面に広がったのだ。
ゆらゆらと揺らめく炎が内部から照らす結晶に一斉に亀裂が入る。
セッカの体を起こしつつ、その変化に釘付けとなっていた俺は慌ててガン・ブレイズを変形させて銃口を向けた。
引き金に指を掛けたその時、ディギュリスの鎧が、正確にはその表面の結晶が砕けて舞い散った。
微細の欠片となって飛ぶそれは攻撃ではなかったようで、咄嗟に顔を庇うことだけしか出来なかった俺にダメージを与えたりはしなかった。
「まさか、回復をしたのか?」
こういう展開で一番懸念するのは相手の回復。
急ぎ頭上のHPゲージを見るもその数値は結晶が覆い尽くす前となにも変わってはいなかった。
「だったら、何のために?」
ディギュリスの行動には必ず目的も意味もある。
攻撃ではないのだとすれば、別の目的があるはずだと考えて咄嗟に周囲を見渡した。するとそこにあったはずのものが消えていたのに気付くことができた。
そう。
仲間たちを捉えていた結晶の塊が、忽然と姿を消していたのだ。
「嘘だ……」
思わず一歩前に出た。
視界の左端にある三人のHPゲージは健在。だからこそまだ死んだわけでも、消失わけでもないはずだ。なのに結晶ごと姿がどこにもない。
呆然とする俺にディギュリスは無慈悲にも槍を突き出して攻撃を仕掛けてきた。
ハッとして身構えるも回避は間に合わず出来ることと言えば防御だけ。自分の装備で最も防御力が高いのは魔導手甲を装備した左腕。
ギュッと拳を握り絞め左腕を盾のようにして身構える。
次の瞬間、凄まじい衝撃が俺を貫いた。